賛美夕拝   2015/05/24
『あなたの心を見守れ』

箴言4:20-23

 ペンテコステの幸いな主の日が終わろうとしています。主の日の締め括りにもう一度御前に集まって、心から主を賛美する喜びの時があることを感謝します。主をほめたたえ、主の御声に聴き、主の祝福を受け取ってb、ここからまた新しく遣わされてまいりましょう。

(1)御言葉の聴き方
 今月の聖書日課では、旧約聖書の箴言を読み続けています。私は毎朝教会に来ると、まずその日の聖書日課を読み、お祈りをして一日の働きを始めるのですが、この4月からは長橋先生が来られたので、一緒にその日の箇所を読み、短い分かち合いをするようになりました。ほんの一言二言の分かち合いなのですが、自分一人読んでいるのでは気づかないことに気づかされたり、新鮮な聖書の読み方、受け取り方に驚いたりと、とても良い時間になっています。
 「箴言」という書物は、いわゆる智恵の言葉、格言が集められたもので、古くからイスラエル王国第三代の王ソロモンの言葉とされてきました。特にそこでは父が我が子に知恵の言葉を与えるというスタイルで、「我が子よ」と呼びかけられ、正しい生き方と誤った生き方、正しい者と悪者、知恵ある者と愚かな者の姿が比べられて書かれています。そこでの正しさ、知恵とは要するに主なる神さまを知り、恐れ、この神さまに従って生きるという生き方です。そしてそのような生き方のためにどうしても必要なことが、神の言葉に聴くということです。20節にこうあります。「わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ」。ここでまず考えるのは、「わが子よ」と呼びかけている「私」は誰なのかということです。私たちが用いている新改訳聖書は、一人称について漢字の「私」と平仮名の「わたし」としています。漢字の場合は人間、平仮名の場合は神さまが主語というように使い分けているのです。それでいくとこの箇所の主語は人間つまりソロモンということになるのですが、実際には箴言における主語は、ソロモンを通して主なる神が語られるということもあるわけで、そう単純に、これはソロモン、これは神さまと分けることはできません。今日の箇所で言えば、やはり主なる神さまが私たちに向けて「わが子よ」と語りかけておられる、そういう言葉として聴くことが相応しいと考えます。
 さて、そのようにしてあらためて20節、21節を読むと、神さまの御言葉を私たちがどのように聴くのか、その聴き方というものが見えて来ます。「わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て」。ここでは「聴く」ということが、ただ単に聞いているということにと留まらず、その語られる言葉に「耳を傾け」、「目から離さず」、「心のうちに保て」とまで言われます。つまり神の言葉を聴くというのは、決して受け身のことでなく、むしろこちらからの主体的で能動的な働き掛けでもあるのです。
(2)あなたの心を見守れ
 こうして身を乗り出すようにして御言葉を聴き、耳を傾け、目を離さず、心の内に保つとき、そうやって心の内に蓄えた御言葉が、私たちの中で動き出すと聖書は語ります。22節。「見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする」。神の言葉を蓄えると「その全身を健やかにする」というのは実に新鮮な言葉です。神の言葉は生きていて、力があると言われるとおり、それは単なる観念や思弁の言葉でなく、かといってすぐに答えを出してくれるハウツーものような安易なものでもありません。私たちの中で動き回り、私たちを揺さぶり、時には私たちをある種の危機に直面させ、そうやって私自身を根本的に問い直し、神の御心に服させる、そのような力ある言葉です。
 その言葉を聴いたならば、私たちはそれを簡単に手放してはなりません。神の言葉以外の所に答えを求めたり、神の言葉では足りないと他のものに助けを求めたり、所詮神の言葉はきれいごとの理想に過ぎないといって、簡単に御言葉から手を離してしまってはならないのです。むしろそこで諦めず、もう一歩踏み込んでほしい、もう一掘り、掘り進んでほしい、もう一度じっと見つめてほしい。そうすると御言葉が放つ輝きが見えてくる。そしてその光の中で、本当に真実な神さまの愛、本当に確かな神さまの御心、本当に力強い神さまの御手に捉えられるのです。御言葉は語ります。23節。「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく」。

(3)いのちの泉はこれからわく
 ここで「あなたの心を見守れ」と語られていること、そして「いのちの泉はこれからわく」と語られていることに注目しましょう。私たちは神の語りかけを私たちの外からの声として聴く、と教えられています。私の内には何もなく、ただ外からだけ、神さまの恵みも祝福も、そして救いも与えられるはずです。ではここで語られていることは、そのような聖書の教えに反することなのでしょうか。
 そうではないのです。そこで私たちは、いま夕拝で学び続けているカテキズムの、父と子と聖霊の三位一体の神の存在のあり方と働きのあり様とを思い起こしたいのです。父なる神さまは、御子イエス・キリストを御自身の言葉となさいました。御子イエス・キリストは父なる神の言葉として私たちに語りかけ、私たちの救いを成し遂げてくださいました。そして聖霊なる神さまが、この御子イエスの救いの御業を私たち一人一人にもたらし、私たちの内に住み込んでくださって、今も私たちの心を照らし、聖書の御言葉とともに働いて、父なる神の、御子イエスを通しての語りかけを私たちの内にあって聞かせていてくださるのです。今日の箴言は、まさにこの私たちの内に住み込んでいてくださる聖霊の恵みが語られていると言ってよい。「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく」。まさに聖霊が私の内にいま住んでくださり、いのちの泉となって、永遠へのいのちの水が滾々と湧き出るようにしてくださっている。その恵みの時を今私たちは生かされているものとして、ますます御言葉の恵みを受け取って、自分の心をしかと見守って、そこから溢れ出る恵みの泉によって自分も潤され、周りの人々をも癒やし、生かす者とされてまいりましょう。




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