賛美夕拝  2014/03/23
『心注ぎ出して』

詩篇42:1-11

 今年最初の賛美夕拝です。主の日の終わりにもう一度御前に進み出て、心からの賛美をささげ、新しい一週の歩みへと遣わされてまいりましょう。

(1)魂の飢え渇き
 1節。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます」。今晩与えられている詩篇42篇は、教会でもよく歌うワーシップソングで知られたところです。しかしこの詩篇は本当そのように歌うことすらできない、心の深いところの飢え渇きを歌ったものです。もう一度1節、2節を読みましょう。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか」。これほどの神への飢え渇きというものを、果たして私たちはどれほど経験しているだろうかと問われます。本当に私たちの飢え渇きを満たしてくださるお方がどなたであるかを知り、信じた私たちでありながら、しかしその上でなおしばしば私たちは、これほどに魂の飢え渇きを覚え、生ける神を慕いあえぐということよりも、その数歩手前のところで手近な慰め、安易な癒やし、人間的な満足のところに留まってしまうということがあるのではないでしょうか。神様の所に行く前に、その手前のところで用事を済ませてしまう。それで良しとしてしまう。主なる神を信じているからこそ、どこかで自分はそこまでではない、まだ大丈夫といって魂の飢え渇きに対して鈍感になってしまうことがあり得るのです。あらためて今晩、私たちは主を慕い求める、主の御言葉に飢え渇く。心から生ける神を待ち望む。そういう思いをもってこの礼拝に臨みたいと願います。
 詩人がこれほどまでに生ける神を慕い求めて飢え渇く理由。それは3節、10節に繰り返されているように「おまえの神はどこにいるのか」と人々にそしられるような中に置かれていたゆえでした。かつては神様にあって大いに祝福された日々を過ごしていた彼が、しかし今は魂がしおれ、心も思い乱れ、重くうなだれるばかり。昼も夜も涙が私の食べ物だったというほどです。そんな中で彼の思いは過ぎ去った日々の中に引き戻され、過去の中に引きこもることで魂の安らぎを得ようとするのです。しかしそこで彼は一つの立ち帰りを経験するのです。5節。「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを」。こうして詩人は過去に引きこもるのでなく、神を待ち望むところに立ちます。神を待ち望むところに賛美が生まれる。神を待ち望むところに希望が溢れてくる。そしてそこに生きる力がわき上がってくるのです。いたずらに自分を奮い立たせるのではない。空元気を装うのでもない。信仰はポーズではありません。それは真に生きる現実の力です。そのような希望に生かされる世界が信仰の世界なのです。

(2)私はなおも神をほめたたえる
 詩篇42篇は、詩人の心の変化が単純に一つの流れで記されるのでなく、むしろ行きつ戻りつしています。だからこそ真実な詩篇であると言えるかもしれません。後半の6節から11節は、1節から5節の詩人の心の動きがもう一度繰り返されているようにも読めるところです。せっかく5節で神を待ち望む地平に立てたと思いきや、再び6節では「私の神よ。私のたましいは私の前でうなだれています」と言い、そしてやはり9節、10節では敵のしいたげの声が上がり、「おまえの神はどこにいるのか」と的のそしりの声に一日中さらされていると言います。
 しかしそれでは彼には何の前進もないのかと言えば、決してそうではありません。同じような逡巡の繰り返しのようでありながら、しかし詩人の思いは確かに、少しずつではあっても確かに主の御前に携え上げられているのです。その一つのしるしが8節です。「昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への祈りが」。3節では昼も夜も涙が私の食べ物だったと告白した詩人が、しかし今なお悩み苦しむことがある中でも、涙の代わりに歌と祈りの中で神の御前にいるのです。ここに信仰の世界の神髄があると言えるでしょう。本当に私たちが神の御前にいる時とは、私たちが順調な時、前進している時、健康ですべてがうまくいっている時というよりも、むしろ逆境の中で、後退を余儀なくされるような時、病いに臥せり、心も弱り、深くうなだれるほかないような時、そんなときに私たちは主の御前に弱く惨めな姿でとぼとぼと進み出ていくものです。
 しかしそのような私たちに主は恵みを注いでくださる。あわれみを施してくださる。慰めを与えてくださり、安息を与えてくださるのです。だからこそ再び詩人はこう祈ることができるのです。11節。「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い。私の神を」。私たちも今晩、本当に主の御前に飢え渇いて主を待ち望み、心を注ぎ出して主に祈り、そして心から恵みを施してくださる主に向かって歌うものでありたい。主は確かに私たちの心注ぎ出して祈る祈りを聞き、私たちの顔を上げさせ、心を高く挙げてくださるお方です。この主の御前に心注ぎ出して祈り、歌うとき、私たちはそこから立ち上がって、主を待ち望みつつ歩み始めることができるのです。




日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.