賛美夕拝  2011/10/23
『神を喜ぶ』

詩篇1:1-6

 幸いな賛美の夕べ、私たちがそれこそよく親しみ、口ずさんでいる詩篇1篇の御言葉をご一緒に味わっておきたいと思います。

(1)幸いな人
 1節。「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人」。「幸いなことよ」と歌い始められるこの詩篇1篇は、私たちに真の幸いの道を指し示す、詩篇150篇全体の入口のような役割を果たすものと言われています。詩篇の中にはこの「幸いなことよ」という賛美の声が繰り返し登場してきます。2篇12節、「幸いなことよ、すべて主に身を避ける人は」。32篇1節、2節、「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は」。33篇12節、「幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は」。34篇8節、「幸いなことよ。彼に身を避ける者は」。40篇4節、「幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は」。41篇1節、「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は」。65篇4節。「幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は」。84篇4節、5節、「何と幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は」、12節、「なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は」。94篇12節、「主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は」。112篇1節、「幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は」。119篇1節、2節、「幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を訪ね求める人々」。128篇1節、「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は」。144篇15節、「幸いなことよ。主をおのれの神とするその民は」。146篇5節、「幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は」。
 こうして見てみますと、確かに詩篇1篇が詩篇全体が指し示す幸いの道の入口であることが分かりますし、またこの幸いが新約聖書のマタイ福音書5章で主イエス・キリストが語られた「幸い」の教えにも流れ込んでいることが分かってきます。聖書の教える幸い。それは一言で言うならば、神と共に生きるということです。「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」。ここには主なる神に背いて生きる罪の道と、主のおしえに従って生きる幸いな道という二つの人生の道が記されていますが、神と共に生きる人生とは、主の教え、すなわち神の言葉によって生きる歩みだというのです。主のおしえに歩み、主のおしえに立ち、主のおしえの上に座することが真の幸いな人の姿なのです。
(2)水路のそばに植えられて
 続いて3節、4節。「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」。亜熱帯気候のパレスチナにおいて、青々とした緑を茂らせる樹木の存在は貴重であり、そこに木があるということは、そこに豊かな水の存在があることを証ししています。水源となるガリラヤ湖やヨルダン川からそれぞれの町や集落に水を供給する水路。その水路の脇に生い茂る樹木に、詩人は湖の幸いな人の姿を見たのでしょう。それらの木々が季節になると豊かに実を実らせ、その葉が枯れず、豊かに生い茂ることができるのは、その地中に張り巡らされた根が水路から供給される水分、養分を絶えず吸収しているからです。幸いな人生という時に、私たちはしばしばその目に見える現れ、その木の見事な枝振りやたわわに実った果実ばかり目を向けがちですが、肝心なことは、そのように豊かに実を実らせるためには、その木が一体どこに根差しているかが重要なのです。どこに根差しているかがどんなに実を結ぶかを決める。そこに私たちも真の幸いの秘訣を見出したいと思います。私たちが個人の生活においても家庭や仕事、教会の歩みにおいても主にあって豊かに実を結ぶことを期待をするならば、私たちは一体どこに根を張っているか、ということを絶えず見つめなければなりません。豊かに水をたたえた主の水路から豊かに汲み取ることを願い求めて行きたいと思います。

(3)神を喜ぶ人生
 最後に、詩篇は二つの道の行く末を語ります5節、6節。「それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる」。主のおしえを喜びとして生きる者を、主もまたその人の生きる道を知っていてくださると詩人は語ります。神を喜ぶ人生、それは神に知られている人生です。幸いな人生、それは苦しみや悲しみのない人生を意味してはいません。確かに私たちの歩みには時に困難があり、試練があり、悲しみがあり、涙がある。けれども、そうやって歩む私たちの道をちゃんと知っていてくださる方がいる。その道をどんな思いで歩んでいるか。誰も知られない私たちの忍耐を、私たちに祈りを、しかしその道を知っていてくださるお方がおられる。そのお方を私たちが見上げるとき、そこに神を喜ぶと言う人生が生まれてくるのです。神がしてくださった事柄で喜ぶというなら、必ずしも喜べる道ばかりがあるわけではない。けれども神御自身に目を留めて、神の言葉に耳を澄ませて、神の御顔を仰ぎ見るとき、そこに神を喜ぶ歩みが開かれていくのです。
 今日から始まる日々も、そのようにして主の教えをくちずさみながら、神の御顔を見上げて、神が知っていてくださる人生であることを確認しながら、一歩を歩み出してまいりたいと思います。




日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.