賛美夕拝 2010/05/23
『栄光、誉れ、力』

ヨハネ黙示録4:1-11

 ペンテコステの主の日が終わろうとしています。聖霊の恵みに溢れた一日の終わりに、こうしてともに集い、心を合わせて主の御名を賛美し、礼拝をささげられる恵みに感謝します。今晩は今年二度目の賛美夕拝、ワーシップ&プレイズです。新しい歌をもって主に栄光をお返ししつつ、主を賛美する者とされた幸いを御言葉からご一緒に受け取ってまいりたいと思います。

(1)天における礼拝と賛美
 神学生時代の四年間、クワイヤーでヘンデルのオラトリオ、メサイアを歌いました。天田繋先生のご指導で一年通して合唱曲を練習し、クリスマスにメサイアのコンサートを開くのですが、今でもボロボロになったクワイヤーブックを取り出すと懐かしい気持ちになりますし、また歌ってみたいなあと思うことがあります。学生時代に練習したメサイアの中で、一番の難曲だったのが最後の合唱曲である53番、「われらをば血もて」と邦題が付けられていますが、むしろ「アーメンコーラス」といったほうがわかりやすいかも知れません。「我らをば血もて、買いたまいし小羊に、帰しまつれ、栄え、誉れ、富、力、知識、名誉、御座に座したもう小羊にあれ」と歌った後に、「アーメン」の大合唱が大波のように押し寄せてきて最後のフィナーレを迎えるもので、何度歌っても最後に鳥肌が立つほどの感動を味わうことができました。それはまさに「天国の礼拝はこのようなものに違いない」という、天国の礼拝を先取りしたような感動であったことを思い起こします。
 私たちのささげる礼拝は、やがてのときにもたらされる天の御国での礼拝の先取りです。今は私たちは小羊なる主イエス御自身を目の当たりにすることはできませんが、やがて天の御国においては主と顔と顔とを合わせ、主の御顔をまっすぐに拝しながら私たちは賛美をささげ、祈りをささげ、主の御前において礼拝することができるのです。そしてそのやがて天で捧げる礼拝と、今ここで捧げている礼拝とは一つにつながっていることを今日の御言葉は示しています。8節から11節をお読みします。「この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。』また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。『主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころのゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから』」。

(2)四つの生き物と二十四人の長老たち 
 かつて朝の礼拝でヨハネ黙示録を読み進めたときにも学んだことですが、この天上の礼拝の光景に登場する「四つの生き物」とは、ちょうど旧約聖書においてイザヤが見たセラフィムと呼ばれる天的な存在と考えられますが、まずこの生き物たちが神をほめたたえてこう歌います。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方」。さらにこれに応じるようにして二十四人の長老たちも自分の冠を投げ出すほどにひれ伏して歌うのです。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころのゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから」。この二十四人の長老たちとはいったい誰なのか、天使たちのことだとか、殉教した聖徒たちのことだとか、旧約の十二部族と新約の十二使徒のことだとか、様々なことが言われるのですが、私はこの二十四人は地上での闘いの果てにその生涯を終えて天に移された聖徒たちのことと考えています。すなわち、地上の戦いを終えて天に移された教会の聖徒たちは、天においてささげられる礼拝において、天の御座におられる方に栄光と誉れと力があるようにと賛美しているのです。
 彼らの礼拝と賛美の姿は、地上における礼拝と場所や状況は異なっていたとしても、しかしそこで歌う賛美の言葉も礼拝の姿勢もきっと変わってはいなかったのではないかと思います。彼らは地上においてローマ皇帝への崇拝が強制され、カイザルに向かって栄光と誉れと力とを賞賛するよう求められ、それを拒むようなことがあるなら命の危険がすぐにも迫ってくるような境遇にあって、それでもこう歌ったに違いありません。「主よ。あなたこそ、栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方です」。そして結果的に彼らはその信仰のゆえに命を落とし、天へと移されていき、そこでまことの主にして生うなるお方の前にひれ伏して栄光と誉れと力とを捧げているのです。

(3)栄光と誉れと力を受ける方
 たとえ私たちを取り囲む現実が八方ふさがりに見えて、私たちが本当に小さく無力な存在に見えても、いや実際にそのような者であっても、私たちがほめたたえるお方は「栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方」です。そしてこのお方が私たちの救い主として今週も私たちとともに歩んでくださる。天におられる主イエス・キリストは聖霊によって今、私たちのうちに、私たちとともにいてくださるのです。それゆえに私たちは意気消沈してしまうことなく、なおこうして希望をもって礼拝に集い、主をほめたたえることができる。たとえ地上の王たち、権力者たちが力を振るい、主の民を迫害したとしても、主に栄光をお返ししつつ心から声の限りに主を賛美できる。これはなんと幸いなことでしょうか。
 私たちの目の前の道が閉ざされて見えるとき、どこにも逃げ場がなく追いつめられてしまうとき、もうこれ以上は一歩も前に進めないと心がくじけてしまうとき、前を見ることも、上を見上げることもできないほどの意気消沈してしまうとき、罪の闇の中に引きずり込まれて主に背を向けそうになるとき、人を恐れて主のことを後回しにしてしまいそうになるとき。そのような時にこそ、私たちは聖霊によって励まされて天を見上げる者でありたいと思うのです。開かれた天には御座があり、そこには万物の創造者、支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる栄光の主がおられる。主は決して私たちを見放さず、また見捨てることをなさらない。このお方に栄光と誉れと力を帰しつつ、賛美の声の中を今週もここから遣わされてまいりましょう。




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