聖霊降臨節記念礼拝  2006/06/04
『助け主、聖霊』

ヨハネ14:16-19

 私たちはこの主の日を「ペンテコステ」、「聖霊降臨節記念」の礼拝として捧げています。
「ペンテコステ」とは「50番目」を意味する言葉ですが、そもそもこの日はユダヤにおいて春に大麦の収穫の初穂を捧げる日から数えて50日目、小麦の収穫の始まりを祝う祭りの日でした。また旧約聖書の出エジプト記に記されたエジプトからの神の民イスラエルの解放を祝う過越の祭りから50日目であり、シナイ山でモーセが十戒を受け取ってから50日目の記念の時でもありました。このように、この日は「七週の祭り」、「五旬節」とも呼ばれて、過越の祭り、仮庵の祭りと並ぶユダヤの三大祝祭の一つであったのです。しかし新約聖書とその後の歴史を生きる私たちにとって、この日はさらに重要な意味を持つ日でもあります。なぜなら主イエスが約束してくださった天からの助け主、聖霊が地上に降り、教会が誕生し、聖霊の力による宣教の歩みが始まった日でもあるからです。ですから私たちにとっては御子イエス・キリストの降誕を祝うクリスマス、その復活を祝うイースター、そして天に挙げられたキリストが約束された聖霊が下ったことを祝うペンテコステが、教会の三大祝祭となるのです。
 そこで今朝は聖霊を送って下さるとの約束を与えられた主イエス・キリストの御言葉を通して、私たちに今も与えられている聖霊の神の恵みについて学びたいと思います。

@もうひとりの助け主(v.16)
 ペンテコステの出来事は使徒の働き2章に記されていますが、その1節から4節を見ておきましょう。「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」。ここに記されているように、十字架にかかられ、三日目に復活された主イエスが天に挙げられた後、弟子たちがエルサレムで集まっているその集いに聖霊が降られ、彼らが聖霊による力に満たされて、大胆に神の大いなる御業について語り始めたというのです。そしてこの聖霊に満たされた弟子たちがどのように主の福音を宣べ伝えて行ったかを記しているのが、今私達がずっと学び続けている使徒の働きという書物なのです。
 さて、このペンテコステの出来事は突然のように起こったかに見えますが、実はかつて主イエス・キリスト御自身が約束されたことの成就でありました。今日読んでいただいたヨハネ福音書14章、また16章にもそのことが記されています。まず16節を見ましょう。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです」。ここで主イエスは御自身の十字架を前にして、「もう一人の助け主」を送るように父なる神に願うと約束されています。この「もうひとりの助け主」こそが、父なる神、御子なるイエス・キリストとともに、三位一体の神の第三位格であられる聖霊の神を指しています。主イエスは聖霊の神を「助け主」と呼んでおられますが、この言葉は直訳すると「傍らに呼び出された者」という意味で、慰め手、励まし手、あるいは法廷における弁護人の姿を思い起こさせる言葉です。この弁護者なる聖霊はまず何よりも主イエス・キリストについての弁護人であり、またそれゆえに私たちのための弁護人でもあられます。主イエス・キリストの十字架を目の当たりにして、世の人々は、主イエスが自らの罪のゆえに裁かれ、有罪判決を受け、その報いとしての死を遂げたと見なします。イザヤ53章4節で「私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと」とある通りです。しかし、主イエスの復活と昇天の後、助け主、弁護人としての聖霊が来られて、主イエスを弁護し、その死の意味を明らかにされました。すなわち主イエスの十字架の死は、主イエス御自身の罪に対する裁きではなく、主イエスを信じない私たち人間の罪のための裁きであり、しかもその裁きが私たちの下されないのは主イエスの身代わりのゆえなのだということです。このことの消息を、主ご自身が繰り返し16章7節以降でも語っておられます。7節から11節。「わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去っていかなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。また義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです」。
 このように、主イエス・キリストの十字架による身代わりによって罪赦された私たちが二度と再び罪に定められることのないように、今度は私たちのために弁護してくださるお方、それが助け主なる聖霊の神であられ、聖霊の証印を押された者は、たとえどんなにサタンがその罪を責め立て、神の愛から引き離そうとさまざまな誘惑を与えても、決してそこから落ちることも漏れることもないのです。

A真理の御霊(v.17)
 次に主イエスは助け主なる聖霊を「真理の御霊」とも呼ばれます。14章17節。「その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです」。ヨハネ福音書において、「真理」、「まこと」とは主イエス・キリスト御自身を指す言葉でもあります。ですから真理の御霊とは、すなわち御子イエス・キリストの御霊、イエス・キリストを私たちに知らせ、イエス・キリストの恵みと愛に与らせる御霊であると言えるでしょう。この御霊が私たちとともに住み、私たちのうちにおられると主は言われます。まさしくペンテコステにおいて聖霊が弟子たち一人一人の上に注がれ、彼らのうちに住まわれ、そして今も主イエスを信じる私たちのうちに住んでいてくださることがここに約束されているのです。
 真理の御霊なる聖霊が私たちとともに、私たちのうちにいてくださることを、では私たちはどのようにして確かめることができるでしょうか。一つには私自身がはっきりと主イエスを自らの救い主であると告白する時、その告白を私たちに与えていてくださるのは私たちのうちにおられる真理の御霊であることが分かります。また私たちが自らの救いを確信し、主イエスにある平安と赦しの喜びの中を生きる時、そこに真理の御霊が私たちのうちにあってこの喜びに満たしていてくださることを確信することができます。しかしそうでなく、自分の救いを疑い、自分の赦しの確信が揺らぐ時、聖霊の神は御言葉を通して私たちに主イエスの救いのすばらしさを繰り返し教えてくださり、救いの確信を与え、主イエスにある罪の赦しと真の自由を確信させてくださるのです。16章12節、13節。「わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。しかし、その方、すななち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです」。聖霊が証ししてくださる主イエス・キリスト、この主御自身が8章31節、32節でこう言われている通りです。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」。

B生かす御霊、いのちの御霊(v.18-19)
 そして最後に、聖霊の神は私たちを生かすいのちの御霊でもあられると主イエスは言われました。14章18節、19節。「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです」。これと同じことを主はやはり16章14節から16節でも言われています。「御霊はわたしの栄光をあらわします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。しばらくするとあなたがたは、もはや私を見なくなります。しかし、またしばらくするとわたしを見ます」。
 聖霊の神は私たちを主イエス・キリストにあるいのちに生かしてくださるお方です。それを私たちは「永遠のいのち」と呼ぶのですが、いつも申し上げるように、永遠のいのちとはこの肉体のいのちが取り去られた後の、死後のいのちのことだけを言っているのではありません。やがて私たちは終わりの時に天の御国に迎えられ、永遠に父、子、聖霊の三位一体の神との交わりの中に生きることができるのですが、しかしそれまでの間、私たちはこの地上にあって天を見上げつつ、御国の希望に生きていきます。地上の歩みにおいては試練があり、苦しみがあり、迫害があり、困難があります。希望が潰えてしまうようなことや、絶望に取り囲まれるような時もあります。そんなときに私たちは目に見えないお方を信じ続けることの難しさにも直面します。しかし主イエスは、御自身が地上を去って天に挙げられた後に、残された御自身の愛する者たちが直面するであろう苦難や試練を知っておられて、「あなたがたを捨てて孤児にはしない」と言ってくださり、再び主イエスとともなる時が来るまでの間、私たちが希望を捨てず、あきらめることなく、つぶされてしまうことなく、絶えず主を待ち望んで生きることができるように、また地上にあっても神の国の民として永遠のいのちの生かしてくださるために、助け主なる聖霊を送ってくださったのです。
 ですから、今この時、主なる神の助けを必要としている方は、主イエス・キリストを心にお迎えして、主イエスを信じて歩み始めたいと願っておられる方は、どうぞ助け主なる聖霊に拠り頼み、信仰を与えてくださいと祈っていただきたいと思います。その時に聖霊は必ず私たちの助け主、弁護人となって私たちの傍らに立ち、救い主イエス・キリストの愛と恵み、真理と自由、罪の赦しと永遠のいのちの約束に与らせてくださいます。また救われてなお罪の重荷に喘ぎ、救いの確信が揺らいでいる方も、自由を与える真理の御霊なる聖霊を待ち望みましょう。その時に聖霊は私たちにすでに与えられている罪の赦しと救いの確かさを思い起こさせ、今一度、その大いなる喜びと平安の中に私たちを歩ませてくださいます。また地上の困難な日々の中で押し潰されそうになっている方も、私たちを永遠のいのちに今生かして下さるいのちの御霊なる聖霊に信頼しましょう。その時に聖霊は私たちのうちにあってともにうめいてくださり、私たちを慰め、励まし、私たちのために父なる神にとりなしてくださるのです。この助け主なる聖霊に日ごとに依り頼みつつ、日ごとに聖霊によって新しくされて、聖霊による新しいいのちに生かされていく私たちでありたいと願います。

 



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