聖霊降臨節礼拝 2005/05/15
『子からの霊、子とする霊』

ガラテヤ4:1-7

この朝、私たちは聖霊降臨節を迎えました。父なる神と御子イエス・キリストから遣わされて今、私たちとともにいて下さる聖霊なる神の御存在とお働きについてともに教えられていきたいと願います。

(1)父、子、そして聖霊
 まず最初に、今朝の礼拝でもご一緒に告白するニカイア・コンスタンティノポリス信条の聖霊なる神についての告白を見ておきたいと思います。「我らは主にしていのちを与える聖霊を信ず。聖霊は御父と御子とより出で、御父と御子とともに礼拝せられ、崇められ、預言者を通して語りたまえり」。このような聖霊についての包括的な告白を持っているところにニカイア信条の大きな特色と意義があります。私たちが親しんでいる使徒信条では「われは聖霊を信ず」との告白に続いてすぐさま「教会を信ず」となるのですが、ニカイア信条は聖霊なる神がどのような存在であり、どのようなお働きをなさるかを簡潔に、要領よく告白しています。とりわけニカイア信条には、父なる神と、御子イエス・キリストとともに聖霊を三位一体の第三位格として確認し、その神性を告白したところにその大きな意義があると言えるのです。キリスト教信仰の中核には、父、子、聖霊の三つにまして一人の神を信じるという三位一体の信仰がありますが、御父と御子に比べて聖霊なる神についての理解は、今日に至るまで非常に乏しいものでした。もちろんこのようなことは、聖霊の神が御自身を前面に出す働き方でなく、御子キリストを証しすると言う、ある種の密やかさの中に徹しておられることとも関係があるのですが、それでも聖霊についての十分な理解を私たちが持っているかといえば、なお不十分な点があるでしょう。また時に聖霊の神のお働きが強調される事もありましたが、その場合も著しくバランスを欠いた扱いであったことは否めません。そのような中で、今日は聖霊論の時代と言われるように、聖霊の神の独自の在り方についての学びや理解が深められている傾向にあり、それとともに重要視されているのが、このニカイア信条の聖霊についての告白であるのです。
 ニカイア信条は聖霊についての告白のはじめに、聖霊の神を「主」であると言い表しました。この「主」という呼び名は通常イエス・キリストについて用いられる称号ですが、それと並んで聖霊を主と呼ぶところに、聖霊が神であられることの明確な告白があるのです。次にニカイア信条は聖霊を「いのちを与える」お方として告白します。「いのちを与える聖霊」という表現は、ヨハネ6章63節の「いのちを与えるのは御霊です」、また、IIコリント3章6節の「御霊は生かすからです」という表現からとられたものですが、これらの箇所での「いのちを与える」、「生かす」とは、単なる生物学的な、肉体的ないのちということではなく、むしろ端的に言えば「救い」を意味する言葉です。聖霊は我らを救う霊であり、真のいのちを与え、そのいのちに生かす霊であられるのです。天地創造の時に御父と御子とともに働かれた聖霊は、今、罪の中に堕落し、そこから救いを求めて呻くこの被造世界の全体と、そこにある霊的に死んだ状態にある私たちに臨み、私たちに新しく上からのキリストにあるいのちを与え、私たちを再創造し、神の御前に回復し、そしてその本来の創造の目的に適って神の国の祝福の中に生きるようにと私たちを生かす霊であられるのです。それゆえに私たちは今、ここで聖霊を主と呼び、いのちを与える聖霊と呼んで、このお方を信じると告白するのであり、このお方によってこの真のいのちに生かされていくのです。

(2)御父と御子からの霊
 このようにニカイア信条は聖霊が三位一体の第三位格の存在であり、聖霊が神であることを充分に告白しているのですが、そこで聖霊の三位一体における在り方を言い表しているのが、「聖霊は御父と御子とより出で・・・」という一句です。そして実はこの短い「御子とより」という表現によって世界の教会が大きく二分される論争があったのです。少々細かい話になりますが、私たちが今日告白するニカイア信条は589年にトレドの会議において採用されたラテン語版の信条なのですが、その原型は381年のコンスタンティノポリス会議で決められたギリシャ語版の本文です。では381年の信条と589年の信条のどこが違うかと言うと、381年のニカイアはギリシャ語で記され、589年のニカイアはラテン語で記されるのですが、このラテン語版のニカイアはもともとのギリシャ語版にはない一つの言葉をそこに加えました。それが今日の箇所の「と御子と」あるいは「御子からもまた」を意味する「フィリオクエ」という小さな一語なのです。つまり381年のニカイア信条では「聖霊は御父より出で」であったのを、589年のトレドの会議はそこに「フィリオクエ」の一語を加えることによって「聖霊は御父と御子とより出で」としたのでした。しかしニカイアの会議において承認された本文を支持する東方教会は、この西方教会の行った加筆を認めず、これを削除することを主張して論争を続け、これに幾つかの政治的な要因も加わって、遂に東西両教会は1054年の大分裂に至るのです。これらの事情から、教会の歴史ではこの一連の論争を指して「フィリオクエ論争」と呼んだりもいたします。
こういう場合は聖書に立ち返って考えることが重要ですが、この告白の下敷きとなるのはヨハネ福音書の御言葉です。ヨハネ14章26節。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます」。続いて15章26節。「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします」。この二つの御言葉から教えられるのは「父がお遣わしになる聖霊」、「父から出る真理の御霊」とあるように、聖霊の神が御父から遣わされ、また御父から出る御存在であるということです。つまり主イエスは聖霊の神が父なる神から遣わされ、御父から出る霊であると言われると同時に、聖霊が御子、イエス・キリストの名による霊であり、御子によって遣わされる霊でもあると言われているのです。 このことから今朝、私たちが聖霊を「御父と御子とより出で」るお方として信じ、告白することの意義は一体どこにあるのでしょうか。それは私たちが聖霊の助けなしにイエスを信じることが出来ないということ、また聖霊の神が御言葉とともに働かれるお方であるということ、そして聖霊の神が謙遜を生み出すお方であると言うことを知ることにあります。もし聖霊が御子と結び合わされることなく、それぞれが直接独自に父なる神に至る道があるとするならば、第一には聖霊の助けを必要とせずに御子を通して御父に至る道を開くことになります。それはいわば知識による道ということになるでしょう。ただ聖書を学べば、知識を積めばイエス・キリストが分かり、神を知ることが出来るということになるのです。しかし私たちは聖霊によらずに御子イエスを主と告白することはできません。知識だけで私たちは救われ得ないのです。第二に、聖霊の神は御言葉とともに働かれるお方です。もし反対に御子を通らずに聖霊が直接御父に繋がるとするならば、それは知識を排除した直接的な霊の導きによって神に至るという、今度は実に感覚的、主観的な方向への傾斜を生むことになり、また私たちがキリストの霊と、この世の諸霊とを混同していく危険をもはらむものです。私たちはいつも聖霊の神が御言葉とともに働いてくださることを忘れてはなりません。そして第三に聖霊の神のあり方は、実に謙虚であり、私たちの信仰生活に謙遜を産み出すと言うことです。聖霊の神は自らを主人公とするお方でなく、絶えず父なる神を指し示し、子なるイエス・キリストを証しする霊です。その働き方もまた秘やかな、謙遜な働き方であることを忘れてはならないでしょう。

(3)神の子とする御霊
 最後に学びたいのは、このように父と子から遣わされた聖霊は、今度は主イエスを信じる私たちを神の子としてくださるお方であられると言うことです。ガラテヤ4章6節、7節でパウロは次のように言います。「あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です」。このように御子の霊なる聖霊は、私たちを律法の下から解放し、罪の奴隷の状態から自由にし、私たちが神を親しく「アバ、父」と呼ぶことのできる神の子としてくださるお方であるというのです。
 私たちが今、神の子とされているということの祝福は二つの面にあらわれます。その一つは、私たちの父なる神との関係は主人と奴隷の関係ではなく、父と子の関係、すなわち愛と信頼、尊敬と自由に溢れた交わりの関係であると言うことです。もし私たちが奴隷であるなら、いつその関係が解消されるか分かりません。主人の機嫌を損ねたり、主人の意に添わなければ捨てられてしまいます。しかし私たちと神様との関係は、御子イエス・キリストの贖いによって、今まさに父と子の関係、決して捨てられたり解消されたりすることのない確かな関係になっているのです。さらに今一つのことは、私たちが神の子とされるということが、父なる神の祝福の相続人、しかも御子イエス・キリストとともなる共同相続人であることを意味すると言うことです。本来ならば罪の中にあって神の前に滅ぶべき者であった私たちが、ただ神の自由なる選びの中に置かれ、行いによらず恵みにより、信仰によって救われ、罪赦されたばかりでなく、今度は、御子イエス・キリストが十字架の死をもって私たちでは決して満たすことのできない律法の要求を満たしてくださり、それゆえに永遠のいのちの祝福を勝ち取ってくださいました。さらには聖霊が私たちにこの方を信じる信仰を与えてくださり、御子イエス・キリストの父であるお方を「アバ、父よ」、「我らの父よ」と呼ぶことができるようにされ、キリストの義と祝福が私たちのものとされるようにしてくださったのです。聖霊の恵み、それは父なる神の救いへの選びと、御子イエス・キリストの救いの御業の成就とが一つに結び合わされたところに注がれる大いなる恵みです。この主イエス・キリストを私の救い主と信じ、受け入れさせて下さる聖霊の神に今、自らをお任せし、神の子として生きる人生をここからスタートしていただきたいと切に願うものです。

 



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