元旦礼拝説教     2015/01/01
『荒野に道を、荒地に川を』

イザヤ43:19
 
 新しい年、2015年の元旦の朝を迎えました。主にあって心からの挨拶を申し上げます。新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。愛する皆さんの上に、この一年、主イエス・キリストからの恵みと平安、祝福が豊かにあるように心からお祈りいたします。

(1)覚えること
 新しい年の始まりを、皆さんはどんな心持ちで迎えられたでしょうか。新約聖書の中には「時」を表す言葉が二つあります。一つは「クロノス」、もう一つは「カイロス」という言葉です。「クロノス」というのはいわゆる時の刻みを表す言葉で、昨日から今日にかけて同じように時を刻んで夜12時に日付けが変わり、新しい朝を迎えて今日が1月1日になったということで、そこに特別な時間が流れているわけでなく、時は同じように流れて今に到っています。しかしもう一つの「カイロス」という言葉にはある特別な意味を帯びた「時」、決定的な時という性質があります。その点では、昨日から今日にかけて単に日付が変わったというだけでない、主によって与えられたかけがえのない新しい朝、そして新天新地の完成を目指して進む神の国の最先端に立っている、この2015年1月1日という日が与えられていることの意味を深く受け取りたいのです。
 そのような中で元旦の朝に与えられている御言葉は、預言者イザヤを通して語られた神様の言葉です。イザヤ書43章は1節から7節の御言葉、とりわけ4節の「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」との御言葉で知られた箇所ですが、今日特に目を留めたいは18節から20節の言葉です。まず18節をお読みします。18節。「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな」。先日の年末感謝礼拝の冒頭、招きの言葉では詩篇103篇が読まれました。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」。そして今日のイザヤ書では「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな」と語られます。聖書全体を見渡してみると「忘れるな、記憶せよ」というメッセージと、「思い出すな、振り返るな」というメッセージが混在していることが分かります。ユダヤの民は記憶の民と言われます。特に自分たちの経験してきた苦難の歴史を彼らは決して忘れません。そしてまたその苦難の中から神が救い出してくださったという救いの原体験を世代を超えて継承するために、律法を口移しで伝え、礼拝を厳格に守り、神の救いの出来事を繰り返し思い起こして行きました。それはまた同時に、自分たちがいかに神の恵みを忘れやすい者であるかということに気づかされていたことの証しであったでしょう。「忘れるな」と言い続けることで記憶に刻みつけていったのです。
 
(2)忘れること
 昨年一年を過ごし、忘れてしまいたいこと、思い出したくもない、思い起こすだけでもつらい、そんな経験があったかもしれません。でもそれらすべてをひっくるめて忘れてならない神の恵みの証しであることを覚えましょう。その一方で、今日のイザヤ書にあるように、「思い出すな。振り返るな」と聖書が語るのもまた大切な事実です。使徒パウロもピリピ書3章で「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進む」と語りました。いつまでも過去に縛られ続け、そこに立ち止まっていてはならない。神の国の完成を目指して前に向かって進まなければならない。信仰の勇気を奮い立たせ、神の国の希望を仰ぎ見ながら、一日ごとに、一瞬ごとに、新しく主に期待しながら一歩を踏み出していく。それが信仰者の歩みでもあるのです。そこでは忘れてならないことはしっかりと記憶し、思い出さなくてよいことはすっきりと忘れ去って、前のものに向かって進むのです。
 しばしば私たちは忘れてよいことにはいつまでも捕らわれ続け、しがみつき続け、それらに引きずられ、縛られて、なかなか前に向くことのできないものです。しかしそうかと思えば忘れてならないこと、覚え続けなればならないことをすぐに忘れて、神さまに恩知らずな態度を取り、また同じ罪過ちを繰り返す愚かさをも抱え持つものです。そういう意味でも年末から年始のこの時期、家の大掃除とともに、また新年を迎えての一年を祈りつつ思い巡らす時に、これらの「忘れるべきこと」、「記憶すべきこと」の棚卸しと整理をすることは大切なことかもしれません。ただ漫然と時を過ごすということでなく、主が与えてくださったかけがえのない2015年というカイロス的な時を歩み出してまいりたいと願うのです。

(3)荒野に道を、荒地に川を
 イザヤを通して主なる神が私たちに語られるのは「思い出すな」というメッセージです。そこでももちろんあの出エジプトという神の民への救いの御業は決して忘れ去られてはならないのですが、しかし敢えて主はその経験すらも思い起こすなと命じ、さらにはその後のイスラエルの民が歩んで来た、主なる神への反逆、忘恩、背反の繰り返しの歴史、そしてそれゆえのさばきとその結果としての祖国滅亡の危機的な状況すらも「考えるな」と言われるのです。それは忘れてはならないことなのではないかと私たちは考えます。しかし主は敢えてご自身の民の向きを変えさせようとなさる。前を向かせようとなさる。それはいったいなぜなのでしょうか。
 その答えが続く19節に明らかにされます。「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける」。私たちの目の前に広がる果てしない荒野。人間の罪や愚かさのゆえに荒涼とした世界、殺伐とした、不可解なことがまかりとおる世界がそこにはあります。行くべき道も見えない、いのちを支える水をたたえる川もない。そんな果てしない荒野を前にして、しかし神は言われるのです。この荒野に道を設ける。この荒地に川を設けると。それは私たちにはまったくあり得ない話です。「それは無理です。できっこないです。神さま」と思わず叫ぶようなばかげた話です。しかし私たちの生ける神は「見よ。わたしは新しいことをする。今、もうそれが起ころうとしている」と言われる。「見ていろ。ほら、新しいわたしの御業がもう始まっているではないか」と主は言われる。信仰の目が曇っていては見えない世界です。神を待ち望む眼差しにおいてしか見えない世界です。でもそれは私たちにとって蜃気楼のような、夢うつつのような幻ではない。神が見せてくださる確かな現実。新しい世界のこの上ない現実の姿なのです。
 迎えた2015年。私たちの世界は荒野が広がっています。信仰をもって見なければ絶望するほかないような荒涼とした荒れ野が広がっています。しかし私たちはその世界を前にして気落ちしないし、落胆しないし、諦めることをしない。むしろ信仰の目をさやかにし、主を待ち望む希望をいっそう確かにして、この荒野において事をなさる神を信じ、このお方について行きたく願います。この地上の現実を越えて進んで行く神の国の現実を見つめて、主に期待してここから新しい年の歩みを勇気を持って、信仰をもって、歩み始めてまいりましょう。
 「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける」。



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