年末感謝主日夕拝   2014/12/28
『見よ。それは非常に良かった』

創世記1:31

 2014年最後の主日を恵みのうちに過ごし、この夕拝で一年の主日礼拝をしめくくることになります。今晩は創世記1章の結びの御言葉を聴いて、一年の主の恵みに感謝と賛美をおささげしたいと願います。

(1)神の造られたよき世界
 一年の終わりを迎えて、皆さんもこの年に経験された様々な出来事を振り返る時間を持つことと思います。喜ばしく感謝な出来事もあれば、がっかりと落胆するような出来事もあったことでしょう。首尾良く進んだ事柄もあれば、どうしてあんなことに、と後悔するような失敗や落ち込むようなこともあったかもしれません。そんな悲喜こもごも入り交じった一年を、しかし私たちはそれらが生ける神から、しかも私たちを愛してやまない父なる神から与えられたものとして、最後には「よかった」と受け取りたいと願うのです。
 17世紀のイギリスで作られたウェストミンスター小教理問答の第9問に次のような問答があります。「問:神の創造の御業とは何ですか。答:神の創造の御業とは、神が、すべてのものを無から、力ある御言葉により、六つの日にわたって、万事はなはだよく造られたことです」。今晩特に心に留めたいのが、この最後の「万事はなはだよく造られた」という表現、他の訳では「すべて極めて良く造られた」、英語の原文では「all very good」と言われるところです。これを教理の言葉では「よき創造」と呼ぶのですが、神が造られた世界は良き世界である。これが創世記1章が繰り返し私たちに語りかける神のこの世界への眼差しなのです。4節では「神はその光をよしと見られた」とありました。さらに10節。「神は見て、それをよしとされた」、12節。「神は見て、それをよしとされた」、18節。「神は見て、それをよしとされた」、21節。「神は見て、それをよしとされた」、25節。「神は見て、それをよしとされた」。そしてこれらのまとめの言葉が31節です。「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった」。
 私たちの造り主にして父なる神は、私たちがこの年も生きる営みを続けてきたこの世界、そこには人間の罪、愚かさ、欲深さ、自己中心さ、神を怖れぬ驕り高ぶりに溢れているようなこの世界を、それでもなおあの創造の時と変わらず「非常によかった」と私たちに賜っておられるのです。確かに罪と堕落の影響の中にある世界です。手放しで神の前に肯定されるものではない世界です。しかし、にもかかわらず神はこの年もこの世界を保ち、支え、そこに私たちを生かしてくださった。それゆえにこの世界はいまもない神の喜びの世界であることを受けとめたいのです。

(2)神が美しいとされる世界
 31節で「よかった」と訳される言葉はヘブライ語で「トーブ」という言葉ですが、これは「よい」という意味のほかに「幸せである」とか「喜びである」という意味もあり、さらに「美しい」という意味も持つ実に豊かな言葉です。実際、ある日本語訳聖書はこの御言葉を「神が見ると、実に美しかった」と訳しているほどです。神の造られた世界は神の目に美しかった。主なる神がこの世界を見られて、この世界を「見よ、それは非常によかった、とても美しかった」と言われたことは、この神によって造られた世界が客観的に見て美しいかどうかということにまさって、神がこの世界とそこに生きる生き物たち、植物たち、自然、そして人間を喜び、楽しみ、いつくしみ、尊び、そして何より愛していてくださる、そのまなざしによって見つめていてくださるということなのです。神の喜びの中に、神の愛の中に見つめられる存在は、美しきものである。(3)創造、摂理、そして喜び
 このことは神の摂理の働く場としての世界ということにも私たちの目を開かせます。伝道者の書3章12節に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」という御言葉があります。神の御業の美しさは、創造の御業において働くだけでなく、創造された世界を今も保ち、治めていてくださる摂理の御業においても同じように働くのです。このことをハイデルベルク信仰問答の第27問と28問が次のように言い表しています。「問27:神の摂理についてあなたは何を理解していますか。答:全能かつ現実の神の力です。それによって神は天と地とすべての被造物をいわばその御手をもって今なお保ちまた支配しておられるので、木の葉も草も雨もひでりも豊作の年も不作の年も、食べ物も飲み物も健康も病も富も貧困も、すべてが偶然によることなく、父親らしい御手によって私たちにもたらされるのです。問28:神の創造と摂理を知ることによって私たちはどのような益を受けますか。答:私たちが逆境においては忍耐強く、順境においては感謝し、将来については私たちの真実な父なる神をかたく信じ、どんな被造物もこの方の愛から私たちを引き離すことはできないと確信できるようになるということです。なぜならあらゆる被造物はこの方の御手の中にあるので、御心によらないでは動くことも動かされることもできないからです」。

(3)生ける神の御前に生きる
 創造の神を信じ、その神の摂理を信じるというのは、創造の時に働かれた神の御手が、今を私たちの上に、私たちとともに、働いていることを信じることです。主なる神は私たちとこの世界を喜びの中で創造され、それを今も御自身の喜びの中に支え続けていてくださる。そして創造された世界を「よきもの、美しいもの」と見つめていてくださるばかりか、その神によって支えられ続けている今この時のこの世界の営み、そこに生きる私たちの人生をも「よきもの、美しきもの」と見つめていてくださるというのです。私たちには喜べないこと、受け入れがたいこと、むしろ悲しみや苦しみ、悩みの連続でしかないようなこの人生を、しかし主なる神はよきもの、美しきものとして見ていてくださる。この神のまなざしの中に生かされることの喜び、慰め、その幸いをこの一年の締め括りの夕べに深く心に留めたいのです。
 私たちひとりひとりの人生を苦難の連続の、涙の連続の、決して順風満帆に生きてきたわけでない、迷いもし、つまづきもし、失敗もし、立ち止まりもし、回り道もし、人から見ればスマートな人生とはほど遠い、随分不格好な人生でありながらも、それでも「見よ、それは非常によかった」と言ってくださる神の眼差しの中に見つめられるかけがえなく尊い人生として、生ける神の御前に、新しく迎える2015年も歩んでまいりましょう。

 



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