平和主日夕拝 2015/08/09
『七十年の満ちるころ』

エレミヤ29:10-14

 平和を覚えて祈る主の日の昨夜を迎えました。特に今日は長崎の原爆記念日を覚えます。唯一の被爆国でありながら、いまだに原子力から手を離すことのできないこの国、広島の原爆の日の新聞一面には、前日の国会審議での「核兵器の輸送も法律上可能」という防衛大臣や内閣法制局長官の答弁の言葉が踊っていました。11日には九州の川内原発も東日本大震災後はじめて稼働しようとしています。一方で、福島第一原発では過酷な廃炉作業の中で先週だけでも熱中症や事故によって作業員の方が亡くなったと言うニュースがあり、また作業員の被曝量上限をさらに引き上げるというニュースもありました。何が何だか全く分からない混沌とした状況の中で、人のいのちがますます軽んじられています。
 この先のことを考えるとなかなか先行きは険しく、明るい展望は持ちづらく、暗澹たる気持ちになりますが、それでも御言葉を通して神さまが語ってくださる希望の約束に目を留め、それをしっかりと握りしめて、地に住み誠実を果たしてまいりたいと願います。

(1)七十年の満ちるころ
 今晩開かれているエレミヤ書29章は、預言者エレミヤに語られた主のすばらしい約束が記されるところです。まず10節をお読みします。「まことに、主はこう仰せられる。『バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる』」。朝の礼拝で学んだように、バビロンに捕囚として引かれていった南ユダ王国の民はエレミヤの預言の通り、七十年の長きにわたって多くの苦難と忍耐の日々を過ごしていました。それは彼らのとっては父祖たちの罪を担い、悔い改めの中に過ごす時でもあり、あらためて主なる神に従うことを学ばされる信仰の訓練の時でもあったのです。
 しかしその苦難がいつまでも続くわけではない。やがてその時が過ぎ去り、捕囚から解放され、祖国に帰る時が来る。こうして「七十年の満ちるころ」とエレミヤは預言したのです。主なる神がここで「わたしの幸いな約束を果たして」と言われているのは、少し前に戻った24章6節、7節の言葉を受けています。そこにはこうあります。「わたしは、彼らを良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。また、わたしは彼らに、わたしが主であることを知る心を与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心を尽くしてわたしに立ち返るからである」。
 ここにはバビロン捕囚からの解放が、単なる物理的な民の祖国への帰還ということのみならず、彼らの神の民としての霊的な回復であることが示されています。「わたしは彼らに、わたしが主であることを知る心を与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心を尽くしてわたしに立ち返るからである」とあるように、それは失われていた神との交わりの回復、神の民としての悔い改めの姿そのものでした。こうしてみると、イスラエルの民のバビロン捕囚からの解放は、私たちの主イエス・キリストによる救いと父なる神の御前での回復と軌を一にしたものであることが分かってきます。

(2)七十年を経ての回復の希望
 さらに11節から14節で、主なる神はエレミヤを通して言われます。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。−主の御告げ−それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。−主の御告げ−わたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにし、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。−主の御告げ−わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる」。
 前後の文脈を知らずに読めば、なんと幸いで明るく、希望に溢れ、親密な間柄の言葉と思うでしょう。しかもこの後に続く30章、31章を読み進めて行けば、主なる神の、イスラエルの民に対する破格のお取り扱い、愛と配慮と慰めに満ちたお取り扱いのさまを目の当たりにするのです。これまで何度も何度も主なる神に背いてきた民、主が遣わされた預言者たちを退けてきた民、平安でないのに平安だと語る偽預言者たちを重んじてきた民。神の御言葉に聴かず、律法の教えに歩まず、真の神に背を向けて異教の偶像礼拝に耽ってきた民、神の御手に信頼することをせず、自分たちの知恵と力に頼み、政治や経済、軍事力によって生き延びようとしてきた民、そしてその結果、アッシリアによって脅かされ、バビロンによって滅ぼされてきた民。
 しかし主はその民を見捨てることなく、見放すことなく、あわれみを注ぎ、回復の機会を与え、立ち返ることをよしとし、さらにはこれから先の希望の道筋をも備えてくださるのです。そしてその回復と希望への道は、「あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる」とあるように、何か特別のことというよりも、一番基本中の基本、当たり前のことを誠実に心を尽くして行うときに開かれてくると言うのです。
 ここに、私たちは霊的な回復、復興、言葉の本来の意味でのリヴァイバルの姿を見ることができるでしょう。今、私たちが生かされているこの国も、まことに霊的には暗黒の中にあります。神さまの御心からどんどん離れていくように見えます。でも私たちは希望を失わず、むしろ主にあって大いに期待し、希望を持ちたいと思うのです。世の光、地の塩とされた私たちが、本気で主を呼び求め、主に祈り求め、心を尽くして主を捜し求めるとき、主は必ずこの地をあわれみ、恵みを施し、祝福を与え、悔い改めの道を進ませて、神に立ち返るところとしてくださると信じます。そのためにも神の民として、この地を背負って、祈りの手を挙げ続けてまいりましょう。



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