2019年復活節記念主日夕拝説教   2019/04/21
『もう泣かなくてもよい』

ルカ福音書7:11-17

 主イエス・キリストのよみがえりを祝うイースターの、幸いな一日が終わろうとしています。今日は朝の礼拝で一人の姉妹の洗礼式が執り行われ、主イエスにある新しいいのちの誕生をともに喜びました。またこの季節は先に天へと移されていった主にある一人一人を想う時でもあります。天を見上げ、主にあるよみがえりの希望を新たにされて、ここからそれぞれの一週間の旅路へと遣わされてまいりましょう。

(1)死の行進と行き交う主イエス
 11節、12節。「それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちと大勢の群衆も一緒に行った。イエスが町の門に近づかれると、見よ、ある母親のひとり息子が、死んで担ぎ出されるところであった。その母親はやもめで、その町の人々が大勢、彼女に付き添っていた」。
 この聖書の記事を読むと必ず思い起こす出来事が二つあります。一つはもう35年も前になりますが、私の父が浜松のホスピスで最期を迎えようとする時、すでに昏睡に入っていましたが、父の母である私の祖母が、家族をみな病室から出して父と二人きりになり、枕辺で涙ながらに話しかけていた光景です。病室の外からでしたので、実際に何を話していたのかは分かりませんでしたが、ドアの窓越しに見た祖母の後ろ姿は強烈な印象に残っています。母一人子一人で戦地から引き揚げ、大変な苦労をしてきたやもめが一人息子を先に喪う。まさに今日の場面と重なり合うのです。もう一つの出来事は、3月末の退任説教で中谷先生も触れられたK兄とお母さんのことです。今週25日で彼が召されて四年になろうとしていますが、38歳で召されていったK兄に最期まで寄り添い続けたお母さんの姿が思い起こされてならないのです。 
 ナインの町の一人の母親。彼女が人間の味わう深い悲しみを一身に背負った人ということが、短いルカ福音書の言葉から想像できます。彼女は愛する夫に先立たれ、大変な苦労をしながら生活を支え、ひとり息子を育て上げてきました。ところが今度はあろうことかその最愛のひとり息子にまで先立たれてしまったのです。夫を失い、子どもにまで先立たれるという経験。人間の力ではどうすることもできない、そして時に理不尽なまでに迫り来る死の力を前にして、彼女は言いようのない悲しみに打ちひしがれながら葬りの行列の中を歩んでいるのでした。しかしそこに主イエス・キリストが弟子たちと群衆とともにお出でになります。ここで起こっていることはいったいどういうことでしょうか。この後の出来事を読み進めていけば明らかになるように、まさにここでは死の行進といのちの行進とが行き交い、そして出会うという決定的な出来事が起こっているのです。

(2)死の行進に立ちはだかる主イエス
 13節。「主はその母親を見て深くあわれみ、『泣かなくてもよい。』と言われた」。主はここで死と葬りの行進を見過ごしにはなさいません。そこで愛する者との死別の悲しみに支配され、途方に暮れるこの母親を見て「深くあわれみ、『泣かなくてもよい』と言」ってくださいました。この「深くあわれむ」という言葉は、しばしば説明されるように「はらわたが引きちぎられるような思い」という深い心の感情の動きを示す言葉であり、いわゆる「断腸の思い」と言われるような心を表す言葉です。新約聖書の中でも主イエスの激しい感情の動きを表す時にも用いられる言葉です。
 私たちの主イエス・キリストは、私たちの悲しみを通り一遍の慰めの言葉でやり過ごすことはなさいません。私たちの悲しみ、痛みに心を寄せ、その悲しみをともに悲しみ、痛み、憤ってくださるお方であって、死は誰にでも訪れるものだと言って一人の人の死を簡単に一般化したり、運命と思って受け入れよと安易な諦めに引き込んだりはなさいません。主は死の現実に対して断固とした態度をお取りになる。人に死の力が及ぶことに対してはらわたの引きちぎられるような思いを抱かれるのです。
 
(3)死から起き上がらせる主イエス
 さらに14節。「そして近寄って棺に触れられると、担いでいた人たちは立ち止まった。イエスは言われた。『若者よ。あなたに言う。起きなさい』」。主イエスはこの死の行進の傍らをそのまま通り過ぎることをされない。ただ言葉だけの慰めでやり過ごすことをなさらない。主はこの行進の前に立ちはだかり、その棺に手をかけて、その行進を止められるのです。ここに死に打ち勝つただ一人のいのちの主イエス・キリストのお姿が鮮やかに立ち現れるのです。主は棺の中に横たわっている死せる若者に語りかけられます。「若者よ。あなたに言う。起きなさい」。
 いのちの主なるイエス・キリストの語りかけの言葉を聞いた時、その言葉は現実となったのでした。15節から17節。「すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めた。イエスは彼を母親に返された。人々はみな恐れを抱き、『偉大な預言者が私たちのうちに現れた』とか、『神がご自分の民を顧みてくださった』と言って、神をあがめた。イエスについてのこの話は、ユダヤ全土と周辺の地域一帯に広まった」。主イエス・キリストとの出会い。それはまさに私たち死せる人間とそのような私たちをまことのいのちに生かしてくださるいのちの主イエス・キリストとの出会いです。今日の御言葉で「起きる」と言われる言葉は、この後、大変重要な場面で用いられる言葉です。それはすなわち主イエス・キリストの復活とそれに続くやがての時の死人のよみがえりについての言葉です。つまりルカ福音書は、この青年のよみがえりの出来事を、やがて起こる主イエス・キリストの復活と主イエス・キリストを信じる者に約束されている死からの復活の先取りとしてここに記しているのだということなのです。
 私たちだれもが必ず直面しなければならない人生最大にして最後の問題である「死」の問題に対して、私たちはどういう解決を持っているでしょうか。死の行進と行き会う時に、ただ目を伏せてやり過ごすのか、怯えたまま立ちすくむのか、見て見ぬふりをして行くのか。今晩、この聖書の御言葉は、私たちにを死に対して決定的な勝利をもって打ち勝ってくださるいのちの主なるお方との出会いへと招いておられます。死に打ち勝ちたもう主イエス・キリストを信じるとき、私たちにも死に対する勝利がもたらされるのです。「死は勝利に飲まれた」。この言葉の確かさを受け取って、いのちの主なるイエス・キリストとの出会いを果たしていきたいと願います。



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