復活節記念夕拝 2015/04/05
『まさしくわたしです』

ルカ24:36-43

幸いないイースターの主の日を終えようとしています。福音書の中には復活の日曜日の夕べに起こった、復活の主イエスの弟子たちに対する顕現が記されています。今日の箇所も例えばヨハネ福音書20章の、トマスに顕れた主イエスのお姿を彷彿とさせるところです。今晩、私たちも御言葉と聖霊によって、復活の主イエスのお姿をはっきりと見る者とされてまいりましょう。

(1)復活の主イエスの顕現
朝の礼拝で開かれた、エマオ途上での復活の主イエスの現れの出来事から再び舞台はエルサレムへと変わります。ここは細かい話は省略しますが、36節と39節の終わりに新改訳聖書の欄外注にある異本を取り入れて、43節まで読んでおきたいと思います。36節から。「これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真中に立たれた。そして彼らに言われた。『あなたがたに平安があるように。』彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。すると、イエスは言われた。『なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。』イエスはこう言われて、その手と足を彼らにお示しになった。それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、『ここに何か食べ物がありますか。』と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった」。
 この出来事をまとめると次のようになります。エルサレムでの弟子たちの集まりに復活の主イエスがお姿を現される。弟子たちは驚き、恐れる。主イエスは証拠として御自身の手と足を示す。それでも弟子たちはなお疑う。そこで更なる証拠の提示として主イエスは魚を食べられる。こうしてみると、24章には一定のパターンが繰り返されていることが分かります。すなわち、墓でイエスの遺体を見つけることのできなかった女たちと、御言葉を思い起こさせる天の使いたち、エマオの途上で復活のイエスと悟ることのできなかった弟子たちと、御言葉とパン裂きによって目を開かれる主イエス、そして復活の主のお姿を疑う弟子たちと、手足を示し、魚を食して自らを示される主イエスのお姿です。このようにルカ福音書24章は、御言葉を思い起こさせ、目を開き、心を開いて復活の主イエスが御自身の復活の姿を示される大切なところです。
 
(2)魚を食される主イエス
 そんな中で、特に目を引くのが41節からのところです。主イエスのユーモアを感じさせるそんな光景です。「それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、『ここに何か食べ物がありますか。』と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった」。ここで復活の主イエスが魚を食べられた意図は何か。あまり大まじめに考えるのは無粋なことで、主イエスの茶目っ気溢れる振る舞いとして読んでおきたいところですが、ここで振り返っておきたいのがルカ10章1節以下の七十人の弟子派遣の記事です。ここでかつて主イエスは弟子たちに福音を携えて出て行く宣教者のあり方を教えておられます。中でも注目したいのは5節から9節です。「どんな家にはいっても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。どの町にはいっても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた。』と言いなさい」。

(3)主イエスと共なる食卓への招き
 この箇所から、ここでの主イエスの教えと、今日の主イエス御自身のとられた行動が実によく共鳴し合う関係にあることがわかります。つまり復活の主イエスが平和の挨拶とともに弟子たちの中に立って魚を召し上がられたのは、かつて弟子たちに教えられた宣教命令の御自身による実行であり、また御国の宣教の先取りでもあったのです。彼らはやがて復活の主の務めを託され、聖霊の力を注がれて遣わされていく。その行く先々では様々な困難、迫害もある。しかし主の民もまた必ず備えられていて、そこで一緒に食卓に着く。その励ましがここには示されているのです。しかもそればかりではありません。主イエスはルカ13章29節で、福音宣教の目標である終末における神の国実現の姿をについてこうも言われました。「人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます」。
 このように復活の主イエスは、かつて十字架以前に弟子たちに命じられた宣教の使命を自ら実行し、それを受け取った弟子たちに対してその使命を確認し、そしてついにはその使命に応えての福音宣教へと派遣され、そしてその完成としての神の国においては全世界の人々を御自身の主催される食卓へと招き入れてくださるのです。
 十字架に死に、三日目によみがえられたキリストは、「わたしを見なさい。まさしくわたしです」と今朝、私たちにお迫りになります。「まさしくわたしです」、エゴー・エイミです。本来ならば神を見ることなどできないはずの私たちが、しかし今や復活の主イエス・キリストにあって神を見ることが許されている。わたしを見るものは父を見るのだと主は言われます。そして私たちは主の日の礼拝において聖霊なる神の恵みにより、御言葉によって目が開かれ、心開かれて主イエスの臨在をまざまざと仰ぎ見るのです。そして復活の主イエスのお姿を見たならば、私たちは立ち上がらされていく。そして遣わされていくのです。聖霊の力によって励まされ、助けられつつ、このところから十字架と復活の主イエス・キリストを宣べ伝える旅路へと遣わされていく一人一人でありたいと願います。



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