復活節記念主日夕拝 2012/04/08
『栄光の神の都』

ヨハネ黙示録21:11-14
 
 主イエス・キリストの復活を祝うイースターの幸いな一日が終わろうとしています。今晩は朝に続いてヨハネ黙示録21章の御言葉に聞きつつ、御国への希望を新たにさせていただきたいと思います。

(1)神の国の完成の姿
 11節から14節には長老ヨハネが見た神の国、永遠の都エルサレムの光景が生き生きと記されています。「都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。 都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった」。ここでは繰り返し「十二」という黙示録が度々用いる完全数が出て来ます。十二の門とそこに立つ十二人の御使い、そして門に刻まれたイスラエルの十二部族の名。さらに都を取り囲む城壁には東西南北に三つずつ、合計十二の門があり、さらに城壁には十二の土台石があって、そこには十二使徒の名が記されてある。天の都は完璧な姿を示しているというのです。
 しかもこの栄光の都は、地上の教会と全く無関係に描かれているのではなく、むしろこの地上において始まった神の国、からし種のような小さな神の国の完成の姿でもある。つまり小さき群れである教会の完成の姿といってもよいものなのです。確かに地上の教会は罪人の集まりとして様々な弱さを持ち、欠けも多く、未完成の存在であることを忘れてはなりません。それはこの黙示録が書かれた時代の教会も同じように経験してきたことであり、長老ヨハネ自身もその悲哀を味わってきたのです。しかしヨハネが見ることの許された都の姿は、地上の教会が歴史の中で悩み、苦しみ、 過ちを犯し、傷を受け、汚れを身に纏うようにして、それでも望みを抱き、忍耐の限りを尽くし、死に至るまでの忠実さの中を歩んできた歩みと決して切り離されたものでなく、その歩みの果てに、神が装わせてくださる栄光の姿であるのです。
 
(2)神の国と地上の教会
 イースターから始まる私たちの歩みも、まさにこのヨハネが見た終わりの時の幻、やがて完成する聖なる栄光の都の姿を希望のうちに見つめながら、その先駆けとして建てられている教会として導かれていきたいと思います。そして様々な弱さや欠け、傷を帯びながらも、それでもその希望に向かって生かされている群れとして、いよいよ主の業に励む者とさせていただきたいと思うのです。地上の教会の欠けや足りなさを批判をするのは簡単なこと、距離を置くのも簡単なことでしょう。むしろその欠けを補い、弱さを担っていくために重荷を負ったり、犠牲を払うのは大変なことです。けれどもこの聖なる都の姿を仰ぎ見る時、私たちはそこに、この小さく貧しい群れであっても、そこにやがてなるであろう姿を希望の光の下に見つめ、教会に救いがあり、希望の光があることをいつも信じて、その光の輝きがいやますように、喜んで教会を愛し、教会に仕えていきたいと願うのです。
 日々の生活には苦しみがある、困難がある、出口の見えない迷路のような混迷があり、先の見えない闇がある。けれども主の日、教会に集い、礼拝をともにささげるとき、そこでは福音の言葉を聞くことができる。いのちのことばを、慰めと喜びの言葉を、そして希望の言葉を聞くことができる。そこで私たちは罪赦された自由な神の子どもとして生きることができる。その恵みを確かめていきたいと思うのです。

(3)栄光の神の都
 最後にもう一度14節に目を留めたいと思います。「都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった」。長老ヨハネが見させられた栄光の都の姿、そこでじっと目を懲らしてみると、荘厳華麗に飾り立てられた聖なる都の、その城壁を支える土台石、一つ一つが輝くばかりの宝石で飾られたその土台石の片隅に、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあるというのです。十二使徒の名前、それはヨハネにしてみればかつて主イエスとともに歩んだ日々、一緒に主にお仕えした、思い出すだけでも涙が出るほどに懐かしい弟子仲間たちの名前です。ヨハネは十二使徒の中で最も長く生きた人でしたから、おそらく他の十一人はすでに地上にはいない。剣で殺されたヤコブも、逆さ十字架につけられたペテロも、その一人一人の名を見つけていく中で、彼はそこに自分の名もまた記されていることに気づいたに違いない。まさかこんなところで自分の名を発見するとは。そのヨハネの心を 思うと、私たちの心も突き動かされるのです。
 やがて完成する聖なる都、それは間違いなく聖徒たちの涙と忍耐、そしていのちの上に立っている。主はそれを決して忘れてはおられない、見逃してはおられない。終わりの時はその名をきちんと刻んでいてくださる。いのちの書に自らの名の記されていることで十分すぎるほどの光栄、幸いであるのに、それに加えて、私たちの小さな小さなあかしの業、とりたてて誰かに知らせるほどのことではないと自分の心に納めて、主のためにささげたこと、忍んだこと、我慢したこと、傷つけられたこと、嘲られたこと、涙したこと、労苦したこと、けれども主はその一つ一つをすべて覚えて、私たちのまことにささやかな労苦にさえ報いてくださるお方なのです。この聖なる都の来たりたもう日を待ち望みつつ、今日もまたここから新しい歩みをはじめてまいりたいと願います。



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