復活節記念主日夕拝 2010/04/04
『父がわたしを遣わしたように』

ヨハネ20:19-23
                                
 幸いなイースターの主の日を過ごし、夕べを迎えました。今晩は与えられておりますヨハネ福音書20章に記されたよみがえりの主イエスの弟子たちに語りかけてくださった慰めと希望に満ちた言葉を、今日このイースターの夜に私たちに向けて語られた言葉として聞いてまいりたいと思います。

(1)よみがえりの夜に
 復活の出来事を記した福音書の書き方は、主がよみがえられた朝とともに、復活から始まって女たちや弟子たちの一日を追いかけながら、最終的にはその日の夕べの出来事に多くの思いを向けていることに気づきます。私たちも今日のイースターの一日、四月の第一主日ということもあって盛りだくさんの一日を喜びの中に過ごして参りましたが、あらためて静かな夕べを迎え、主の御前に出るときに、復活の日の夜、大いなる喜びと驚きの余韻を味わいながらも、まだ興奮さめやらぬ中にいたであろう弟子たちの思いがよく分かるような気がするのです。
 19節と20節。「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。『平安があなたがたにあるように。』こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ」。主のよみがえりの朝から始まった日曜日の一日が終わろうとした矢先のことです。マグダラのマリヤから「私は主にお目にかかりました」との言葉を聞き、復活の主とのやりとりについての知らせを聞いたものの、なお半信半疑であったであろう弟子たちのもとに復活の主御自身が現れてくださいました。三年半付き従ってきた主を失い、生きる希望をなくしてしまった彼ら、しかも自分たちの置かれている現実の深刻さから来る不安、明日からの生活に対する恐れに捕らわれて部屋に閉じこもっていた弟子たちの真ん中に主はお出でくださったのです。主は私たちの信じていてもなお揺らぐ心、不安や恐れに捕らわれやすいまことに不確かな私たちの存在を知っていてくださり、私たちのもとを訪れてくださるお方なのです。「わたしはあなたがたを捨てて孤児にはしません」とかつて主はお語りくださいました。まことにその通り、よみがえられた主はご自身の愛する者たちのただ中にいてくださるのです。
 
(2)平安があるように
 弟子たちの只中に立ってくださった主は、今、彼らが最も聞きたかった言葉、そして彼らにとって最も必要な言葉を語りかけてくださいました。「平安があるように」。それはいつもなら何気なく交わしあう挨拶です。しかしこの夜、主がお語りくださった言葉は単なる挨拶ではありません。両手には釘で打たれた傷が、脇腹には槍で突かれた傷跡がいまだ生々しく残る、あの紛れもなく十字架の上での御苦しみを味わって息絶えた、あの主イエスご自身が、今ここに立っておられ、しかもその十字架という苦難の杯をすべて飲み干された主イエス御自身が「平安があるように」と語ってくださった。それは人々の恐れや不安を一時的に取り去るような人間の与える安価な平安ではありません。むしろ人間の究極の不安、究極の恐れである死の問題、罪の問題に完全な勝利と解決を与えてくださるただ一人のお方だけが与えることのできる平安なのです。よみがえられた主イエス・キリストは私たちの人生におけるあらゆる苦しみ、あらゆる不安、あらゆる恐れ、あらゆる悲しみ、そして痛みに対して根本的かつ完全な解決を与え、他の何ものによっても決して得ることのできないまことの平安、まことの喜び、まことの慰めを与えてくださるお方なのです。

(3)父がわたしを遣わしたように
 さらに復活の主は弟子たちに平安を与えるのみならず、彼らが恐れから解放されて新しく生きるための使命を与えてくださるのです。21節。「イエスはもう一度、彼らに言われた。『平安があなたがたにあるように。父が私を遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします』」。「父が遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わす」。ここに現れているのは来週から学びはじめるヨハネ福音書の中で繰り返し登場する重要なモチーフです。ヨハネ福音書において主イエスは父なる神とご自身との関係と、主イエスと私たちとの関係とを結び合わせて語っておられますが、その際に登場するのが「父がわたしを〜したように、わたしもあなたがたを」という言い方です。考えてみるとこれは大変な言葉ではないでしょうか。父なる神と御子イエスとの関係が主イエスと私たちとの関係に結びつけられるとなれば、私たちは果たしてそのような役割、立場を担える存在であろうかと思うのです。
 しかし、そこで大切な意味を持つのが続く言葉です。22節、23節。「そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります』」。ここには主イエスが弟子たちに与えられた派遣の命令にともなう約束と権威が明らかにされています。父なる神が主イエスを遣わされたように、主によって遣わされていく主の弟子たちに与えられるのは聖霊のお約束です。聖霊が私たちに力を与えて私たちを遣わしてくださるのであり、そこにちょうど主がペテロに「あなたに御国の鍵をあげよう」と語ってくださったその権威の約束が、今ここで成就しているのです。復活の日の夕べに起こったこと。それは弟子たちの新しい人生の始まりでした。彼らは復活の主から新しい人生の使命を与えられ、主の平安と聖霊の力によって遣わされていくのです。
 私たち地上の教会もまた、復活の主イエス・キリストによって集められ、派遣される群れです。主が平安を与えてくださり、聖霊をもって力を注いでくださり、御国の鍵の権威を委ねていてくださるのです。私たちも今晩ここで「平安があるように」とお語りくださる主の平安を受け取り、「聖霊を受けよ」と語ってくださる主の約束の聖霊の力に満たされ、新しく遣わされてまいりましょう。



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