スリランカで旅を休む


<スリランカでの観光>

スリランカ(セイロン島)。ここは世界地図でいうとインドの右下に位置する
北海道よりやや小さい程度の島国である。その形から、インドの涙、などとも形容される、
美しい自然の残る島国であり、仏教遺跡のポロンナルワ、シギリヤロックや、セイロンティー
などの紅茶で有名なところだ。
だがそういった見所以外に私がそそられたのはこの国の西海岸にあるヒッカドゥワという
サーフィン向けのビーチの存在である。

旅に出てからというもの、考えてみれば行くところ行くところ山・山・山ばかりだった。
そしてなによりおおよそ運動というものをしていない。チベットやヒマラヤでゼイゼイ呼吸が
苦しくなったが、それにしたって単に高山病のせいだ。
ここらで一発身も心もリフレッシュしたい、それがスリランカに来た一番の理由であった。
人生を休んで旅をしているというのに、その人生を休んでしている旅を休む、というのは
一体どういうことだろう。
親戚一同が知ったら怒りそうだが、まあいいではないか。

さて、実際インドからスリランカに来てみると、インドとの快適さの違いに驚かされてしまう。
バスにしたってエアコンがバンバン効いてて運転もむやみにクラクションも鳴らさず、
インドより安全運転だ。
お店で買い物をするにしても、ちゃんと「ありがとう」の一言がある。
インドではあまりお目にかかれない、ゴミ箱が街にちゃんと設置されている。
痒いところに手が届いている。痒いところがあっても放っておくインドとは大違いだ。
何よりここは仏教国。暑苦しいヒゲ人口も少ないし、人々にスマイルがある。
たぶん材料は一緒だが、ここの男たちはるかにインド人よりハンサムに見えるぞ。

スリランカでは遺跡などの見所は島の上半分に集中しているため、
先に遺跡等の観光を一気にすることにした。
一番の楽しみはなんといってもシギリヤロック。
日本の大手旅行代理店のスリランカの旅行パンフには必ずといっていいほど
ここの写真が載っている。ここは私にとっては遺跡見学、というよりは高いところに登る
一つのアトラクション的なものであった。私はバカで高いところが大好きなのだ。
シギリヤロックは、シギリヤという平地に突如として現れる人間の奥歯の様な形をした
高さ200mほどの巨大岩である。
当時の王様は、この断崖絶壁を登った頂上に、なんと自分の住処を作って暮らしていたのだ。
それも敵の攻撃を逃れるための要塞として。
実際、今でこそ観光用に手すりのついた通路や階段が絶壁に沿って作られているが、
当時の人々はこの絶壁をどのようにして登り下りし、どのように物資を運搬していたのか。
岩壁を除々に登りつつ、そんなことに思いを巡らしてしまう。
頂上には王様の住処だったところが未だにちょっとした遺跡として残っており、長さ27mほどの
現代のプール並みの貯水池などもある。シギリヤロックは興味深い見所であった。

シギリヤロック全景。 頂上まで登る道。スリルあり。
頂上はちょっとした遺跡。これは貯水池。 ポロンナルワ遺跡の涅槃仏。

<カレーについて>

ここでカレーについて少し触れておきたい。ここ最近私が旅してきた
ネパール、インド、バングラデシュ、スリランカはカレー文化圏である。
寝ても覚めてもカレー、カレー。胃潰瘍になってからというもの、辛いものは
意識して避けようと心がけているが、辛いものを避けると必然的に今度は激甘の
食べ物が出てきたりする。「甘い」か「辛い」かの味覚しかこの国々の人々には
ないのだろうか。
それでもこのあたりの国々のカレーには各国微妙に特徴があったりする。
バングラデシュは水郷デルタ地帯が多いので魚のカレーが多かったり、ネパールは
他の国々に比べて豆のカレー(ダル)が多く、辛さも控えめだったりする。
そしてここスリランカで時々見かけるのが、ブレッド&カレー。
普通カレーといえば、ご飯かチャパティ(ロティ)かナーンと一緒に食べると相場が
決まっているが、ここでは食パンやフランスパンのようなものとカレーを食べたりする。
パンをカレーに浸して食べるのだが、意外にフランスパンにしみ込んだカレーは
ジューシーでけっこうイケる。
ちなみに最近思うに、私は便の後に水を手桶にくんでその水をチョロチョロ後ろから
お尻にかけながら直接自らの左手でお尻をキレイキレイするあのアジア式トイレには
抵抗があるが(といってもやっているのだが)、カレーをスプーンではなく指先で食べる
習慣は好きである。
なんとなくスプーンで食べるよりも指で食べると美味しく感じるのだ。
現地の人たち曰く、「スプーンで食べると味が無くなる」と言っていたが
私的には指先でカレーとご飯の感触を味わいながら口に運ぶ食べ方は、
「舌だけでなく、指先でも味わうごはん」といった感じだろうか。
一粒で二度おいしい、とはこの事。
ちなみにカレーは大抵の場合激辛なので、排便時にもう一度この激辛をお尻で
味わうことができます。
こちらも一粒で二度おいしいカレーの楽しみ方なのだろうか。
そんなわけで、私は毛嫌いしながらも、ちゃんと便の後は現地式のやり方でちゃんと
水でお尻を拭っているのである。痔の予防として。
   (2004年1月2日スリランカ ヒッカドゥワにて)

<ヒッカドゥワの波>

スリランカの遺跡をいくつか回ったあと、私はヒッカドゥワというビーチに移動した。
このヒッカドゥワという場所は、スリランカで一、二を争うビーチリゾートで、サーフィン、
スキューバダイビング目当ての欧米人及び日本人の若者から、冬のヨーロッパから
一時的に数ケ月ショートステイしに来る年配の欧米人夫婦まで幅広い層の人々が来ていた。
私のここでの一番の目的は、ビーチで水着の女の子を眺めて・・・
ではなくて、まずは胃潰瘍のためにのんびり静養すること、そしてサーフィンをして
運動不足の体にカツを入れることである。

さて肝心のここヒッカドゥワの波の方だが・・・ちょっと期待はずれであった。
「毎日アタマサイズ(人間の背丈ほど)のグッドウェーブがコンスタントに打ち寄せる、
近年注目のサーフアイランド」なんていうサーフィン旅行を専門に扱う旅行代理店の
キャッチフレーズはどこへやら、これならまだ日本の千葉の波の方がいいんじゃない?
というような状態の波の日も数多くあった。
その上、海の中はたくさんのサーファーで、この波にしてこの人数!?と思うくらい
混んでいた。
私はビーチボーイに年季の入ったボロいサーフボードを一日350ルピー(400円強)で
まとまった日数借りてサーフィンした。混んでる海での波乗りだったが、久しぶりだけあって
それでも海に入っていられるだけでも十分幸せだった。
ちなみに、スキューバダイビングで来ていた日本人に話しを聞くと、ここヒッカドゥワは
スキューバの方も大変期待外れで、珊瑚は死んでいるし、魚はいないし、水の透明度も
あまりよくないし・・「これなら日本の伊豆の方がずっとキレイ」との話しであった。
実際のところ、ヒッカドゥワ以外にも多数のサーフポイント、ダイビングポイントがあるので
そちらを試してみたらもっと良い場所がある可能性は高いと思う。
   ヒッカドゥワのビーチ


  ヒッカドゥワメインポイントの良い状態の時の波。ただしこの波の裏には20〜30人のサーファーが・・・



<スリランカのビーチにて日本の弁護士に会う>

さてある日の夕方、サーフィンの帰り道で、私の宿の隣のレストランで食事をしている
色黒と色白の2人組の日本人旅行者に出会った。
通りがかりにちょっと会釈をして挨拶すると、色黒の男性の方が「波はどうですか?」と
聞いてきた。「いやあまるっきりダメですね。これじゃ日本と変わりませんよ」と返す私。
そしてその後私も一旦宿に戻ったあと、そのレストランに行くとまだ2人組はご飯を
食べていたので、一緒のテーブルにお邪魔させてもらった。
2人は実は今日スキューバダイビングで同じグループになり、つい先ほど知り合ったばかり
なのだという。
一通り旅行関係の話しで盛り上がった後、彼らの職業を尋ねてみた。
色白でちょっとひ弱そうな27歳の彼は現在広告代理店のサラリーマンをしているという。
そして色黒の31歳の彼に移ると、実はナント弁護士さんをしているのだという。
う〜ん、こんなところで弁護士さんに会うとは。海と弁護士、何の関連性も無い。
それでも私は弁護士さんに直接会ったのは初めてで、興味津々だった。

この弁護士さん、髪がやや長く、ガッチリしており、日焼けしたそのルックスは
31歳よりも若く見える。およそ世間のイメージする弁護士とは見た目かけ離れていた。

  私 「最近はどんな案件を扱うことが多いんですか?」
弁護士「そうだねえ、くだらないのが多いよ。例えば離婚関係
     とか。ダンナのイビキがうるさいから離婚したい
     とかね。いやになるよ、まったく」
  私 「司法試験めっちゃ難しかったんですよね?よく受かりましたね」
弁護士「いやいや、そんなに難しいものでもないよ。オレらの頃は
     毎年500人くらいは合格してたからね。まあ今はドンドン
     弁護士を増やそうってことで毎年1500人くらい受かる試験に
     なってるけどね。今後さらに増えるみたいね。」 

  私  「ちなみにあの〜、どちらの大学を出ていらっしゃるんですか?」
弁護士「ん〜〜、東大。」

出たっ。東大法学部。そのくらいの頭脳があれば
受かるでしょう。ついでに、おそるおそる色白のTクンに聞く。
  私  「Tくんははドチラの大学で?」 
色白T「ぼくはワセダで・・」 お前も!?
キミはオレの仲間だと思ったのに・・・
そうですよ。オレはどうせデカいだけが取り柄のN大ですよ!

そんなこんなでちょっぴりへこんだ私をよそに、東大出の色黒弁護士は
「それじゃそろそろ戻りますね」と帰っていった。
色黒東大弁護士がいなくなってから色白ワセダくんが言う。

「実はあの人、東大法学部を出て弁護士ってだけじゃないんですよ。
学生時代はずっとラグビーやってて、その上さらにハングライダーの免許も
持ってるらしいんですよ。そんでスキューバも上級者のライセンス持ってて
ガラパゴス島やらイースター島やら紅海やらアフリカやらで世界各地の海で
潜りまくってるんですよ。」
「・・すごいね・・・」
「その上ですよ、バイオリンもプロ並みに弾けるらしいんですよ。
そんな話聞いてたら、あきらめましたね。この人には勝てないなって。
あんな万能戦士この歳になって初めて見ましたわ」

私「・・・ホント・・?そこまで行くと男として嫉妬してしまうね・・・
  そーだよね・・・ボクらは所詮は一般庶民だよね・・・
  ていうか色白くん!私はともかくキミだってワセダを
  出てるだろう!なのになんでそんなに覇気が無いんだい!?」
色白「いやあ、ボクなんて所詮はリクルートの下請けの
   広告代理店で働いてるだけのリーマンですからね・・
   ボクなんて何もないですよ・・」
私「おいこら、ちゃんとした会社に勤めてるだけいいじゃん。
  オレなんてホントに何もないぜ。帰ってからの職もさ」
色白「そんなことないですよ。あるじゃないですか、
   世界一周した(する)というキャリアが」
私「おいおい、なんのキャリアだよ。2年も3年も世界ほっつき歩いてるの
  なんてキャリアじゃなくてただのブランクだよ?」
色白「いやあ、でも今の日本で会社辞めて世界一周するなんて
   誰にでも出来ることじゃないっすよ。その勇気、尊敬しちゃいますよ」
   なんて傷の舐め合いの様な会話が続いていった。

この後、加速度的に飲みまくる色白ワセダくんに
おやすみを言って、私は宿に戻ってきた。

<そうだよな。あの色黒東大弁護士はドラクエでいったら勇者。
色白ワセダだって戦士くらいはいくだろう。オレはなんだろ。
オレはさしずめ・・遊び人・・使えねー>
<ダメだ!ネガティブに考えてはいけない。奮い立て、オレ!
ヤツ(東大弁護士)に勝つには正攻法ではムリだ。
こうなったら奇襲作戦しかないだろう。
ようし、早速今晩あたり寝込みを襲ってだな・・・・
何考えてんだオレ!ヒットマンになってどうする。>
その後、ベッドのなかでどうしたらヤツに今後の人生において
勝てるかを考えていたが・・寝苦しい夜がますます寝苦しくなった
だけで、時間のムダなだけであった。
<2004年1月9日 スリランカ ヒッカドゥワにて>


さて、首都のコロンボに日帰りでこれから行く予定のイランのビザを取りに
いったときのこと(ヒッカドゥワからバスで所要2〜3時間)。
コロンボには外国人にとってこれと言った見所は無いが、やはり首都だけあって
にぎわっている。一度バンバラプティアという地区のマジェスティックシティという
若者向けデパートの地下にある、フードコート(ジャスコとかダイエーとかにある、
レストラン街みたいなものですね)に行った時などは、マレー料理、中華、ピザ屋などが
あって私は久しぶりのカレー食以外の料理に感動し、食べまくった。
そこで長居していたら、フロアー清掃のお兄ちゃんたちが寄ってきて仕事中だというのに
やたら話しかけてくる。
「日本人だからカラテが出来るのか?」とか
「オレを日本に連れて行ってくれ」とか。
その後なぜかプロレスラーのハルクホーガンの話しで盛り上がり気付いたら彼らと
腕相撲大会に発展したりしてよくわからないが楽しかった。
その後、街に戻ってとぼとぼ歩いていたら、今度は別の若い兄ちゃんに話しかけられた。
「ちょっとお話ししてもいいですか?」というのでどうぞ、というと
「ドゥー ユー ライク イー?」と言っている。 
「イー」?というのは意味がわからないので「えっ?なに?」
と聞き返すと今度は「ジー・エーワイ」と言う。
<ジー・エー・ワイ、というとGAYだからゲイか!>
さすが首都だけあって色んな人がいるものである。
しかも彼はゲイの店に連れていくとかそういった目的ではなく、どうやら彼自身がゲイで
ゲイ友達を探しているだけのようだ。
私は即座に「アイ ドント ニード ゲイ」と言い、スタコラ彼から離れたのは言うまでもない。
それにしても私はゲイに出も見えるのだろうか?エクスキューズミーの次がいきなり
ドゥーユーライクゲイ?とは直球すぎる。

この日はやたらと話しかけられる日だった。
ヒッカドゥワに戻っる途中、バスが休憩所に立ち寄ったときのこと(スリランカのバスは
長距離を走るのでこうして休憩所に立ち寄ることが少なくない)。
ちょっと小腹が空いたのでパンを食べていたらまたしても現地の若者が話しかけてきた。
「エクスキューズミー。キャン アイ ハブ ユア アドレス?」
いきなり見ず知らずの人間に住所を教えてくれ、と来た。
「なんで?」と聞き返すと「友達だから・・」という。
どうしてたった今、会ったばかりで友達なのだろう、住所を教えるような。
いきなり会ったばかりで「住所教えてや」、とか「電話番号教えてくんない?」
なんて日本だったらどんな投げやりなナンパ師でも言わないだろう。

ちょっと疲れ気味だった私は
「なんで?どうして知りたいの?それにオレら友達じゃないよね?
今会ったばっかりで」などと本気で返してしまった。

そんなこんなでこの日は盛りだくさん?で宿に着いたのは夜の10時ころ
になってしまった。宿に戻ると、今日は宿のご夫婦の娘さんが誕生日だった
ようで、ナント私にも料理が用意されていた。コロンボのデパートで
腹一杯食べていてまるっきり食欲がなかったが、
「奥さんの料理おいしいっす。サイコーっす。」と連発しながら
またしてもカレー(味)の料理をほおばった私であった。

そんなこんなで毎日が無為に過ぎ、気がつけばインドに戻る日を
あっという間に迎えた私であった。(2004年1月17日) 



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