交差点2003


書の交差点―創刊に際して―
このページは書を愛するすべての人たちが自由に語り合うための場所を提供することを目的として開かれた。御感想、御批評頂けると幸いである。創刊に際して、日頃書について個人的に思うことを簡単にまとめていきたい。

 書の現在とは

○ 負のプロセス
 現代の書を支えている基盤となるものといえば、学校教育は当然として、第一にあげられるのは書塾による学習であろう。その書塾に通う理由としてはやはり「字が上手になりたい」というものが多い。よく考えてみればこれは不思議な状態にあると言ってよい。スポーツをはじめとして多くの習い事は、自分の能力をさらに伸ばすことを目的としている。しかし書の学習には、悪い言い方ではあるが「自分は人より字が下手だ」「人並みに字が上手になれればいい」という意識が内在している。またよく耳にする話に、「字が上手くなりたくて入門したのに展覧会が近くなると上手いのが下手なのかも分からないような字を書かされる」ということもある。
 この書の学習の極めて初期段階に「負のプロセス」とでも呼ぶべき事態が起きていることは指摘せざるを得ない。裏をかえせばある程度の技術を持ったものに飽きられてしまうふがいなさを感じなければならないだろう。

○ 黒の征服欲
 では書に親しみ、書に苦しむ人たちの姿はどうであろうか。展覧会を見て歩くことをよくするが、そこに「心に残る作品」を見つけることができても「心に残る言葉」を見つけることは難しい。書の中に「言葉」の喪失が始まっていることを感じる。むしろ、現在の書作品のわかりやすい鑑賞法は作者が無の空間である白紙を、どれだけ勢いよく(あるいはじわりじわりと)傷つけ、汚しているかを読み取る一点にあると言ってよい。純白の沈黙を黒で侵していく、その征服感のみに感動を覚えているのである。

書の砂漠に交差するひとすじの光
○ 読める方へ
 手書き=暖かい、温もりを感じる、とういう図式はいつ頃生れたのだろうか。技術があればどんな冷酷な文字も手書きで表現できるはずである。活字文化の発展とともに手書き文字は「読めればいい」ものに変化した。書が言葉の表現の一手段だとするならば、書の表現に頼ることのない活字文学は、純度の高いものになっているはずである。それに比べて現在の書には、「読めればいい書」といった一種の自暴自棄さえ感じられる。
○ 読めない方へ
 これほどまでに人々が印刷活字の整斉な姿と向き合う現代は、それに反した個性を生み出す必然性を持っている。書が「読めない」ことの例をあげよう。例えば「愛」という文字を書くとする。これは言葉に発するのも抵抗がある文字である。(もちろん堂々と言える人もいないとは言えないが)この書の表現は、その抵抗感から読みにくい方へ進むしかないのである。
 先程「言葉」の喪失と言ったが、書においての言葉の感覚は、実はまだ確かに残っていて、あたりさわりのない、誰でも納得する内容ほど読みやすく書かれ、難解であり、抵抗を感じる内容は読まれることさえ拒む方向性がある。
○書の交差点
 ここで述べたことは私が現在、否この原稿を書く瞬間に感じたことにすぎない。そしてこの視点がすべて正しいとも言えない。しかし、すべての文化、芸術が行き詰りを見せる現代において、書が解き明かし、表現できることは少なからず残っている。その可能性を高めるためにも書に対峙する多くの人たちの「交差」を求めたい。(主幹)



「書の大衆化」試論
 「書の交差点」予想以上に拡大する動きに正直驚いている。「現代にとって書とは何か。」答えは出るのだろうか。模索ははじまったばかりである。
 「書の大衆化」が絶叫されて久しい。「毛筆を誰にでもわかりやすく」という者あれば「書は芸術。俗になるだけだ。」と反対する者もいる。巷では相田みつををはじめとした「誰にでもわかりやすい書」が氾濫し、書壇も負けじと「読める書」を展開しはじめた。
 これは書の限ったことではないが現在「自分にもできそうなもの」が流行している。時代が高度な、技術を要するものを求めていないのだ。特別なことは何もないんだという考えが一般的な「大衆」の思想に変わりつつある。「こんなもの俺でも書ける」が言葉の力を借り、流行していく。
 書壇の「読める書」はたとえ読めたとしてもそこには熟達した技術が見える。矛盾するようだが一般の人は、書は分からないといいながらもよいものがよいことは分かる。「読める書」には高度な技術、ダイレクトな言葉、そして肉筆という重みが同時にのしかかる。「現代人」といわれる像を思い出せば、大衆がこの重みに耐えられるはずもない。裏を返せばこの一つ一つを理解できる人だけが「読める書」なのだろう。
 また、大衆は書を芸術と認めている存在でもある。「私達にはできないことをしている」と思われていなければ書は芸術たり得ない。いわゆる「読めない書」の類には大衆を引き離し、その反動で引き付けているものが多い。
 書の大衆化はつまるところ、毛筆を持つ人口を増やすところに目的があるだろう。しかし、毛筆ばなれはそのおもしろさを知らないからというような単純なものではない。「大衆」は充分書く行為を、毛筆を、手書きを、書を知っている。私はそう思う。その上で多くの人は毛筆、手書きが持つ表現の豊かさ、つまり「人間性」から逃げている状況と考えられなくはないか。
 いまでは、10人が毛筆で文字を書き、その中で一番上手な者が「書家」なのではない。10人の中でただ一人毛筆で文字を書く者が「書家」なのである。書家は残り九人の大衆しか見えていない気がしてならない。山を高く積むことが裾野を広げることであるはずだが、いまは一つの山の整地だけがおこなわれている。これが「書の大衆化」という現象ではなかろうか。
毛筆で文字を書く時代性は本当はもうすでに終わっているのかも知れない。「書の大衆化」は最期の戦いでもある。
まだ何かできるはずである。もう一度書の未来が見えてくるようなそんな御意見を頂きたい。



読める書と現代
 先日、ある老夫婦とお話しする機会があった。私が書に携わる者と知ると、押し入れから書の掛け軸を取り出し、床の間にかかげた。老人はその草書で書かれた漢詩を読み下し、詩について、書について、あれこれと語った。そこでは書に対する評、詩に対する評が同時に生きていた。
 現代では、漢詩、漢文、和歌、古文は実際のところ、外国語のような扱いを受けている。つまり、漢詩漢文、和歌や古典を、毛筆で書くなどということ自体、異文化に接するようなものといえる。
 当たり前すぎて忘れてしまいがちだが、筆で文字を書くと、古くさいのである。であるから古典とともに歩む表現の歴史のなかだけで書をとらえ、古典を書く表現で現代の言葉をかいても古くさいだけになりかねないのである。
 読める書運動は、現代に生かせる書の表現を模索している途中であり、さらなる進化をとげてほしいと思い共感するところがある。しかし、毛筆字が古くさいという極めて当たり前なことには目を向けていないような気がしてならない。未来に向けてさらに強まるであろうこの傾向にどう対処するのか今後に期待するところだ。
 よく、公募展などで、流行歌手の歌を書いているものを見かける。多分若い人でその歌手が好きなのだろう。しかし、その書きつけた書の表現が、その歌手が歌う歌の表現に勝っているとは思えなかった。そこから感じることは、その作者がその歌手を、好きだということぐらいだった。 
  ある言葉を誰かに伝えたい。その時に方法として、書という表現を選ぶ。歌にする、絵に描く、もちろん話して伝える、他にいくらでも方法はある。表現として書を選んだ理由を考えるべきであろう。
 前回述べたように、技巧すぐれた者が書をささえてきた。その技術を「芸術」と称するならば、古くさくない毛筆の書、表現手段としての書の存在をあらためて考えていくべきだろう。そこから「判読できる書」を乗り越えていくことができるのではないだろうか(主観)


特集 読める書について
「読める」事を第一に考えた場合の書
 元来、書とはそれ自体が高い知識と教養に裏づけされたものであり、書を書く者には当然文字を書くための必要な知識があり、見る者には書作品として発表されたものを読み解くための知識が必要とされた。書く者・見る者で多少の差異があったとしても書に関わる者は最低限の教養を背景として持ち得ていた。しかし昨今日本人から「漢文読解能力」は徐々に低下し、現在ではそのほとんどが書作品として発表される漢詩作品や古典臨書作品を読み解くことはできない。先に述べた書く者・見る者の差異で言うなら書く者は選んだ漢詩・古典についてそれなりの知識を得、その上で作品を製作しているのかもしれないが、それを初めて見る者に読み解くことは困難であり、そのことは今や教養の高い低いで計れるものではないであろう。その点から現代の書における様々な書活動の分野を見ていくと漢字かな混じり書の分野などはこれらの問題をある程度クリアしている分野と言えるのではないだろうか。書く者が素材を選ぶ際、その素材は主観的にとらえられるものでなければそこに意図を組み込むことは難しい。逆に選んだ素材がより身近なものであれば、さらにそれが自分の感動を誘うようなものであればそこに自分の意図を盛り込むことは容易であり、あとは自分にそれを表現する技術があるかの問題である。見る者はそこに書かれている詩文など現代に生きる言葉を容易に読む事ができる。現代文学と結びつきを持つことにより書は大衆化の道を広げていった。しかし、最近ある書道の展覧会を見ていた際、漢字かな混じり書作品の前で作品を見ていた数名の女性が「何と書いているのかわからない」というようなことを話し合っていた。後で作品を見てみるとそれは飛墨と大胆な渇筆によって構成され、少し見づらくはあったものの確かに漢字かな混じり書作品であった。現代に生きる口語体を用いていても、そこに墨の濃淡や潤滑、文字の大小など書作上の技巧を凝らしていくとそこに生まれる書作品には結局また読めないという問題が発生する(この場合、先に取り上げていたものとは別の問題ではあるが)。結局のところ、書というものに読めるべきなのか、必ずしもそこに書かれているものを読めるものにする意味があるのであろうか。 
A.S.H



書と音楽の熱き時代2003
 あらゆるものコラボレーションの時代。書の世界でも音楽をかけながら揮毫し、展覧会場にバックミュージックが流れ、書から音楽が流れ出す。こうしたものの完成度はほかのコラボレート作品でも同じように書として、音楽としてみて完成されたものとはいえないものが多い。あくまで50点プラス50点=100点の「合わせ技一本」である。本質的の書からも音楽からも逃げてしまっているように思えてならない。危うさを感じている。
 書と音楽が、書と絵画が起こした一時的な気休めの繰り返しにならぬよう警告を発したい。新たな形が見えてくるならまだしも書自体への興味をすり減らしてまでこのようなことをする必要はないだろう。しかしこのような現象の背景には書と音楽には共通した何かがあるのという思いが存在するのだろう。書のリズムとは、メロディとは、ハーモニーとは果たしてどんなものだろうか。
 宇多田ヒカルのデビュー曲「automatic」はその空前の大ヒットの背景に日本の歌がもっていたこれまでの歴史を覆すものがあった。
「7回目のベルで受話器をとった君」
これが冒頭歌い出しである。これが実際歌われると、
「な/なかいめのべ/るでじゅわきーをとったきみ」
とこのように言葉の意味内容とは全く異なるところで区切られている。さらに「final distance」では
「I wannna be with you nowいつのひかdistance/もだきしめら/れ/るーようになれるよ」
とメロディの先頭が「るーように」ではじまっている。
 これまでの日本の歌に歴々としてあった歌詞とメロディの主従関係が逆転し、メロディに対して音の素材として言葉があてがわれるようになったのである。これまでもサザンオールスターズなどにこのようなことがあったが(日本で最初に歌詞をテロップで流したのはサザンである。)言葉遊び的な要素が強かった。宇多田は完成した「詩」を曲にあわせ解体し、再構築を試みているのである。
 さあここからが「書と音楽」だ。このような現象は書にもあてはまることではないか。書のメロディは技術、造形的な要素であろう(厳密に細分できるかも知れないが)今のヒット曲を聞いていてもその日本語がきちんと聞き取れるものは少ない。まずメロディを感じ、歌詞カードなりビデオクリップのテロップなりを見て歌詞を把握する。書でいえば釈文を見ているとでもいえようか。「歌」から歌詞が「読め」なくてもいいものはいい。洋楽ファンが英詞を理解しているとはいえないようにメロディだけ「言葉とははなれた部分」を感じているのである。これは書作の現場で「言葉選び」は実際は「字面選び」であり「書きたい言葉」よりも「書きやすい言葉」を選んでいくことからも容易に想像できよう。
 実際のところ詞がどんなによくてもメロディ(表現)がよくなければ聞き入ることはないだろう。これに同じく書は、その表現がわかりにくいからわからないのであって読める読めないが問題ではないのだ。音楽ではドレミ音階が理解できない人はいないので誰でも理解できる、しかし書の表現はこれとは異にして「わかるひとにしかわからない」のである。(このドレミ音階の意識とは本当に後天的なもので実はみな学校教育のなかで培っているのだそうだ。)だから書はわかりやすい表現でも考えた方が大衆化するのかもしれない。
 音楽とはその表現の微細にいたるまで解説する楽譜の歴史でもある。同じ「時間性」をもつ芸術として本当に学ぶべきはこの表現の体系化の技術ではないかと思っている。書が他の芸術に比べ最もかけていることは独自の「批評語」の確立であることはいうまでもない。「分かる人には分かる」「上手いものは上手い」で用が済んでしまい表現に適切な言葉を与えてこなかったのである。音楽をはじめるにあたり基礎知識「楽譜が読める」があるように書における表現の体系的な分類が気の遠くなる作業ではあるが求められている。私に。(主幹)



特集 書と音楽
書と音楽について。漢字仮名交じりの書と、音楽の、特にヒットチャートとクラシックの観点からのべようと思う。
いつもヒットチャートで上位にいる浜崎あゆみは、主に同世代の人たちから大変な支持を得ている。しかし、彼女は特に専門の学校で音楽について学んだというわけではない。だから彼女の歌い方は独創的ではあるが、クラシックやオペラのような、音楽の「古典」に立脚したものであるとは言い難いと思う。
 こういう点からいうと、彼女の歌は正統じゃないとか批判する人もいるだろう。
しかし彼女の歌はクラシックやオペラよりも現在、世の中で支持されている。その証拠にヒットチャートで上位に位置づいている。その大きな理由として、彼女の書く詩が、今の若い世代の支持を得ているからだろう。ここでは具体例を用いてとりあげないが、事実、彼女の書く詩には実体験を思わせるものや、誰もが経験してきたようなことを題材にしたものが多い。
 浜崎あゆみを例にとって述べてきたが、要するに、現在、伝統的な曲よりも、誰でもカラオケで歌え、その詩が今生きている人たちにとって、実体験の基づいていて、なおかつ伝わり易いものがより支持されているのである。
 同じような事態が書の、漢字仮名交じりの書の分野に起こっているのではないかと思う。
書、特に書展についていえば、古くからあった「漢字」・「仮名」の分野に加えて、近年では「漢字仮名交じりの書」がたくさん出品されている。しかし、漢字仮名交じりの書には、漢字や仮名と違い「古典」というものが存在しない。強いていえば、漢字の古典の技法を応用して書いたり、あるいは仮名の古典の技法を応用して書いたりしているものが多い。そんな歴史の浅さからだろうか、書展で観る漢字仮名交じりの書は、書展ごとに大変似た書風なものが多い。
 また、世間では「相田みつを」を始めとして漢字仮名交じりの書がはやっている。渋谷では、路上ライブならぬ、路上書があるほどである。(これを「書」と認めるか否かは意見が分かれるところだが。)その書かれている内容の大部分は、浜崎あゆみの詩と同じように誰もが体験してきたことに関するものが多い。
 前者は、師の手本をただ真似て書いただけなら、独創性という観点で「芸術」として定義した場合、論外だが、(しかし、さすがに師といわれる古典を学んだ人が手本を書いただけあって、線が多様であり、空間の取り方も上手いものがある。)大衆には、漢字や仮名の書より読み易いという点で好まれることが多い。
 後者は、古典など関係ない。(古典など始めから知らないのだから、当たり前といえばそれまでであるが。)だから線質や空間なんてどうでもいい。極端に言っていってしまえば、自分のかいた言葉が他者によめて、伝わればいいのである。この点は、最初に述べた、浜崎あゆみの歌がヒットする要因と類似しているのではないか。
 先に述べたように、書において漢字仮名交じりの書を技術面で「芸術」とよぶには、困難な点がいくつもある。しかし、大衆うけするという点では、時代性があるので芸術であるのかもしれない。 音楽においても書においても、技術面、時代性、両方の点において「芸術」とよべるものが出てきてほしいものである。



先生とわたし
「主幹の主観」ずいぶんがんばったのにまだ書けと言う。今回はくだけたお話でいこうと思います。
 お手本通りに書いてはいけない。
 師を追従するだけではいけない。
 物真似をしてはいけない。
 書の評論家は常々こういったコメントを口走ります。できないとわかってるくせに。この日本社会、でる杭は打たれまくります。右へならえが落ち着きます。書道界の年功序列は永遠です。先生と同じ筆、墨、紙を揃え、全く同じものを作り上げます。「それは芸術ではない。伝統芸能だ」という声もちらほらです。その通り、多くの人は自分が芸術の一端にいるとは思っていないのではないでしょうか。もともと芸術志向で個性的な人は他の芸術に興味をもって行ってしまっているのではないかと思います。書はお手本通りにするだけでほめてもらえる日本的習い事です。評論家のいうような新しい表現を求める人はごく少数ではないでしょうか。
 師風にとらわれず古典に帰れ、と言う人もいます。こういう人も王羲之先生や顔真卿先生にはお世話になっています。師の遠近の差あれども「師風伝承」は芸術一般つきまといます。
 しかし、その人の先生を知る人の作品を見て、先生と全く同じものを見ると悲しくなります。切なくなります。胸が痛みます。フセインを讃えるイラク市民の顔を思い出します。北朝鮮の子供達の純粋無垢な歌が聞こえてきます。
 私が右にならえな作品にこんな気持ちを抱くのは書に対する考え方かなあと思います。書はいろいろな表現ができます。畏敬の念を抱いています。その前に書とは何かと考えます。答えはありません。これからもずっと考えるのでしょう。だから根拠のない安易な模倣はいけません。他の調味料を試さずに刺身に醤油をつけることを疑わないことを許しません。
 すさまじきものは、師のない無法であります。最近、デッサンのできない人の抽象画、楽譜が読めないのにピアノで音を出す、そんな感じの書作品に出会います。また、本人は新しい書を生み出したと絶叫してもそれは膨大な書の歴史をひも解くことを怠っているだけであったりします。きっと限り無い虚無感と闘っているのだろうと思います。
 なんともとりとめなくお話してきまして紙面も少なくなりました。私の師風というものへの結論です。書が芸術であるならばひとりの人間(師)さえ真似できない、追い付かないなら書などやめた方がいいと思います。その程度の才能、技術でしかないということです。お手本通りができるようになってからお手本は嫌だといいましょう。忠実なコピーができるようになって、つまりそれくらいの技術と才能がある人間でなければ師を疑ったりしませんね。現代の一介の書家が越えられないで新しいものはできませんね。まとまらなくてごめんなさい。(主幹)



私の師風観
 私の考える師風観とは、師風追求と師風批判にある。書評論家・西嶋慎一氏が『二十一世紀の書を展望する』に、
  董其昌は王義之と顔真卿の二大山脈を終生の目標とした。顔法は王法のアンチテーゼとして出現したと考えれば、顔法も王義之曼荼羅世界の一翼を占めるにつきる。即ち王義之に迫ることが董其昌終生の目標であったろう。しかし、董の目指した王書は、趙孟_や文徴明の王書学習に董が批判的であった様に、単なる形の模倣を目指した形式的なものではなかった。韻の高さ、功力の深さに王書の特質を認め、そここそが中国書道が到達した最高点と認識する。終生そこに達することを董其昌は自分の書作の目標とした。形の模倣でなく、韻という内面性を重視し王義之書法の特色と位置づけた点に、董其昌の卓見がある。
という。
 つまり、師に就いて書を学ぶことは、決して師風やお手本をまねするような、安易なことではない。師風に対し、追求・批判精神をもって、書作に取り組み、師とのやりとりの中で、自己をみつめ、常に書の本質とは何か?悩み、模索し続けることに意義があるのではないか。
かりな



師風風刺
私が初めて筆を持って今年でかれこれ12年になる(とは言っても書が生活の中心になったのはごく最近ですが)。小学生の頃通った習字教室から高校時代やっていた部活動としての書道まで、私が字を書く上で常に規範となったのは先生が自分に書き与えてくださった手本である。現代の書の基盤が学校教育と書塾学習にあるとするならば、今私の書を支えているものは過去私がいただいた数え切れない枚数の手本であろう。師について書を学ぶということが、図らずも師の書を真似(まね)ぶこととイコールになっていた。
 話は変わるが、最近いろいろな団体の展覧会を見る機会が多くなった。どの展覧会を見てもそれぞれ特徴があって他とは違う独特の書風を打ち出している。数え切れないほどたくさんの書道団体が乱立している現代において、他団体との差異というのはとても重要なことであり、団体としての個性・特徴が強ければ強いほどその団体は他を押しのけ、書道界で抜きん出た存在となる。しかしである、全体を見ると多種多様であったものが焦点を一つの団体に絞るとそこには個性という言葉からはあまりにもかけ離れた書作品の群れがある。どれも同じに見えてくるのが常。そこには先に述べた「師に学ぶ=師を真似ぶ」の安易極まりない師弟関係が見えてくる。大好きな師匠、師風への追従(ついしょう)の延長線上に自己の作品を位置づけている感があり、更に言えば師匠の書く文字への憧れがそのまま作品製作の糧となり成立している感も否めない。師風を追求することについてとやかく批判する気は毛頭ない、それがあまりに表面的すぎることに多少の疑問を感じるのだ。造形的・技術的追求に尽力を費やすことに躍起になりすぎ、師の考えや深いところまで汲み取ろうということを考えないうわべの狂信者に対する警鐘。師以外の存在を認めることなく、師が過去に作り出した作品に固執し、その追体験に自分の書活動の大半を注いでいる模倣犯への助言。師風はあくまでも「自」とは違う「他」の表現であり、「自」を表現し得るのはあくまでも自分だけである。師風を追い続け、時に師を批判の対象とすることで新しいものを吸収しやすくなれるはず。師風追従(ついじゅう)の理想の姿は師の影を追い続けることではなく、師の屍を踏み越えてその先に行くところにあるような気がする(主観が言ってましたね)。
なんか自分に言っているような…                
パトちゃん(哀悼の意を込めて)
    師風風刺



「書道」と「伝統」
〜21世紀「書の伝統」とは何か〜
 日韓サッカーワールドカップで盛り上がっていた頃、電車の中吊り広告にふと目をとめるとサッカーを「蹴道」と表現するものがあった。書道にしてみればこの「道」に弊害ありと考えているのに、この新しい芸術(わたしはスポーツも芸術と思う。)は「道」に宿る伝統の精神に憧れさえ抱いていると不思議に思ったものだ。
 「書道」というと、昔からの、何やら古くさいものと思われがちである。では「書」はというと、これは書に携わる者だけの感覚かも知れないがいわゆる新しい時代の芸術表現という気がしてくる。「書道」ではない、「書」だと多くの書家がいうように。
 「絵画道」?「音楽道」?やはりそぐわない。個性を尊重し新しさを求める「芸術」には「道の精神」は必要ないのだろう。「道」はおさめるもの。理あるもの。「道」をつくり「道」をはずすもの。「伝統」と「道」は密接な関係にあるのだろう。
 「書」は芸術の範疇であるが美術とは異なるものと考えられている。これは当たり前に感じるだろう。私には美術の大枠のなかの文字を扱い、言葉に近接したものの一派と考えて差し支えない気もするが。その芸術「書」が学校教育、町の習字教室でどんどん衰退している。わたしは「書道」が取り違えた問題がここにあると思えるのだ。
 多くの書家が口をそろえる「日本の伝統文化を伝える」ことと「思うままに自分を表現する」ようなことは矛盾してはいないか?本当に世間が「書道」に求めているのは「道の精神」なのではないか?美術や音楽と書道が異なるのは「個性がないこと」ではないか?たとえば高校の芸術選択で書道を選ぶ理由は表面的には「習ったことがある」というものだろう。しかしその深層には美術や音楽ほど個を出していくことを求められない、あくまで手本に従順に、隣と同じものを書けばいいという安心感なのではないか。言い過ぎかも知れないが「書道」の担い手は先天的マゾヒズムによる個を殺し伝統に沈着する人間である。理由も分からず押し付けられたものを、理由も分からずこなしてゆくこと、それは近代的合理化社会への警鐘となり得る。
 町の習字教室に親が子を通わせる理由は、思ったことを書くことでも、体中に墨を塗って魂をぶつけることでもない。自由を殺し、気をしずめ、社会の不条理を知ることではないのか。親は子を殺し、義務のない権利を主張する社会に「書道」だけが「道」を教えることのできるものではないかと思えるのである。
 自分を主張し表現することは音楽でも美術でもサッカーでもできる。「書道」は「伝統を重んじ」の一句をはずさず、個性を求めないことが前提にあってかまわないのではないか。その場合には芸術「書」とまた異なる「書道」を混同せずに主張すればいいのではないか?レストランで皆同じものを注文する精神構造が、同じ社中が同じ書風を書くことを否定できないだろう。「道」を極める書道家が登場してもおかしくはない。だいたいボールペンで書いた名前の筆跡一つ見ても十分に語り得る書の「個性」が伝統の中で死滅するはずはないであろう。
 「道」の精神という書道の「個性」。忘れられてはいないだろうか?(主幹)



伝統を守るために生きない 
書にとって伝統とは何なんですかね?伝統〜@、血統や、学問・思想・風習などの系統を伝える。A、むかしから引き継がれてきた事がら。(角川 新字源より) らしいです。むかしから引き継がれてきた事がら…王羲之の書なんていうのはそれに当たるんでしょうか?王羲之は上手い!王羲之は素晴らしい!!王羲之を学びなさい!!!先生方は書をあまり知らない純真無垢な初心者に早くもこんな先入観を持たせる。自分より書を知る先生がそう言うんだから間違いないとみんな思う。「ほんとに素晴らしいですね。」なんて先生の前で 感心してみたりする。……どこが良いのか考えもしないのに…。私は美術や音楽には疎いので何とも言えないが美術や彫刻、音楽には王羲之みたいな 絶対的な存在っているのでしょうか?レオナルド・ダ・ヴィンチ?ロダン?モーツァルト?(知識の無さを露呈しているみたいなのでもうやめます…だれか教えてください)。王羲之伝統に対する「保守派」がいるとすると、必ず現れるのが「革新派」、誰もが頭に思い浮かべるのは顔真卿でしょう。その顔真卿だって、「アンチ王羲之派」という伝統の中に入れ込まれてしまっているように感じるのは私だけでしょうか(顔真卿だって王羲之書法を学んだというのは有名な話ですよね)。むしろ、今や顔真卿の方がある意味スタンダードになってきているのではとも感じます。顔真卿の謀反は1300年近くの時を経て完遂しようとしています。時代は常に新しいものを求めて動いていきます。その最先端を行くものは科学技術でも医療技術でも機械工学でもなく、芸術であってほしいと思います。医療技術が日々進化していくのは、太古からの「生きたい」という人間の本質的な欲望の積み重ね。研究の積み重ねです。医学は常に最先端の技術に目を向けます。芸術は人間の「美」への飽くなき追求、「絶対美」を求める欲望の上にあって初めて成り立つものだと私は考えます。書もその一翼を担う存在であるとするならば、私はとてつもなく長い書の伝統を守り、それを未来に繋げる事に生きたくありません。別に医学と書を比較する気は毛頭ないですが時代は21世紀、私たちは過去の能書家よりはるかに高い知識と情報量を持っていますし、何でも手に入る時代を生きています。書は「温故知新」の「温故」に尽力を注ぎすぎているような気がします。新しいもの・時代の最先端に目を向けなくては駄目なのです。自分に無いものを求め続けていかなくてはいけないのです。たとえそれが過去の伝統の上にあったとしても、その姿勢があれば新しいものなんていつでも生み出せます。その姿勢を忘れて過去の流れに乗っかっているだけの人には一生無理なのです!伝統には取捨選択が必要です。己が眼で見極めるものなのです!
PATO(今回は綾小路○麻呂風です。)



前 衛 雑 感
 本来、「前衛」はフランスの軍隊用語である。「アヴァンギャルド」といった方が正しいだろう。それは軍の先頭に立って戦闘する部隊のこと。転じて、さまざまな前衛的活動を行う活動家を指す。芸術では在来の伝統と断絶して急進的な改革を行う人、あるいはその運動を指すようになった。
 「伝統的な書道に対して、第二次世界大戦後に新しい芸術感に基づいて起こった革命的書道芸術運動によって開拓された分野。」
 書道辞典にはこう説明されている。美術の前衛運動が戦前から盛んだったことを考えると、書における前衛は美術の表面をすくいとっただけかもしれない。
 書道界の前衛の嚆矢は比田井南谷「電のバリエーション」とされている。しかし書における近代美学理論が行われるのはこの作品からかなり遅れることとなる。やはり美術の開拓した分野を表面的に模倣したと思われても仕方ない。
 明治29年の帝国技芸院設立時に日下部鳴鶴は「書は技芸に非ず」と推薦を断る。また高田竹山は「書は芸術以上の神術」といってのけたのである。
 しかし、現状を見れば分かる通り、書は美術の用意してくれた「美術館」という枠で申し訳なく遊ばせてもらっている。明治の書家のいうところの書の「内容」より「形式」の問題で書は美術の範疇におさまっているのである。
 私は、他人の詩を拝借して読みやすく書くのなら、目の醒めるような文学作品に出会った方がいいと思う。展覧会で墨飛沫のとんだ作品があるよりパフォーマンスとしての「書いている姿」があったほうがよい。これからさきこの手のパフォーマンスは他の芸術に比べて「速い」「安い」「わかりやすい」ので人気が出るのではと思っている。しかし、大きな紙に大量の墨をぶちまけるように文字を書くなら、色彩感覚の絶を尽くした抽象絵画の方が芸術性は高い。それは誰もがわかっている。
 「何もしないよりはましだ」という書道界の考えもわかる。しかし「芸術家はすごいね」と、美術というフィルターを通して書が認識されるのと、友人からの手書きのお礼の手紙の文字に見える美は本質的に異なる気がするのである。
 とにかく、美術を凌駕するような強烈なパフォーマンスができるなら「やらないよりはまし」である。是非頑張ってほしい。だけど、「字がきれいになりたい」と入門する生徒に芸術を教えるべきかなあ。乱文をお許し下さい。 



前 衛 前 史
 はじめに断っておくがこれは現代の前衛書を語るものではない。現代の前衛書は「本質を追求せず表面的な口当たりで人間を一時的に喜ばせ…」ており、その書の美は「人の心を感動させることはできぬ」のである。(『美味しんぼ』第15巻より)
 中国の方に日本の前衛書を見せると「これは書ではない」と断言する。「前衛書」の概念は日本にしか根付いておらず、それはつまり「日本文化」に前衛の本質があると拙劣ながら考えるところである。
 話は飛躍するが漢字の受容の本格化は奈良時代にはじまる。その識字運動は写経を中心とするものである。これは信仰のもとに「経を写す」ものであった。「丁寧に写す」ことが主体でありその信仰の意味解釈はさほど問題ではなかった。

 平安時代、仮名の書が発生する。この曼殊院本古今集の「の」をみてほしい。書の世界では「の」は「乃」の草体と教わるものだが、私はこの「の」はすでに字母(もとの漢字)の認識をしていない「時計回り回転運動」といったほうがよいのではと思っている。仮名文字を字母に沿って書くことは美しく書くためには必要だが、仮名の精神(?)には「字母を忘れた」あるいは「知らない」背景があったと考えている。

 次に葦手歌切の「あ」。「葦手」に定説はないが葦の葉をかたどって書かれている。これは「あ」という字を書くことより行頭という都合のよい場所に位置したことではじめから「葦の葉」を書くことが主体だったと考えられる。

 次々に中国のものであるが日本に伝わった「御物篆隷文体」。左から「科斗書」、「虎爪書」、「仙人書」。単なる悪ふざけにも見えるが「篆書」、「隷書」と同位に並べられた書体なのである。「仙人書」はまるでTIM。平安時代にすでに存在した。

 後陽成天皇の「龍」。現代の前衛と同様の飛墨表現。天皇の書というものは真筆か定かでないが、これをもし天皇が書いたとすれば百官集まっての席上揮毫大会だったに違いない。今の書道展の様子が17世紀にすでにみられるのだ。

 江戸時代の文字遊び。瀬戸物売りの絵が書かれ「せとものうり」と文字で装飾される。このような文字遊びは一般に文字が普及する江戸期には盛んに行われた。
 一休、白隠ら禅僧の墨跡が激しさを内含した無法の書であるところはいうまでもないが、禅の書は「書」よりも「書き手」を重視する要素を作り上げた。

 最後に空海の書論を引用しよう。
「古人の筆論にいわく、『書は散なり』。(漢字が出ないので中略)法を四時に取り、形を万類に象るべし」
 日本の書聖空海は中国の書論を引用し書論を述べる。その密教思想を中心として「形を万物に」かたどるという。このあたりを源流として日本の書と絵は中国の書画融合とは異なる形で文字通り「融合」したのではと考えている。
 このように「伝統をもたず」「文字が絵となり」「パフォーマンス」へと日本の書は変遷するのである。これらの歴史を経て近代に前衛絵画といささかの異和がありながらも「融合」を成立させたのである。
 日本文化という背景を持って「前衛書」は可能となった。しかし、これまでの前衛書道史は比田井南谷を筆頭に近代を語るものばかり。この前衛書に至る歴史を振り返ることがなかったことが今日の前衛の行き詰まりの原因と解釈している。
 現代という膨大な歴史を抱える時代にはその歴史を総べて踏まえぬ限り、過去の再生産に終始するのだ。わかった?
(主幹高血圧)