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図書新聞
『ティンパウ物語―蛇神の杯』の書評

南島から東アジアにかけての古層をイメージ化する物語

〜伝承文化や祝祀儀礼に根を下ろした、メッセージ性の強いファンタジー〜
     堀切リエ『蛇(ナー)神(ガ)の杯』長崎出版 2010・3
                                       野上 暁



 人気ゲーム「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」の影響もあってか、王国や異世界を舞台に、勇者が登場して剣と魔法を駆使して戦う重厚な冒険ファンタジーがたくさん登場してきた。そこに「ハリーポッター」人気がかぶり、空前のファンタジーブームが巻き起こった。しかし、いまやそれも沈静化し、魔女や魔術や妖怪が脈絡なしに登場して荒唐無稽な活躍をする軽い読み物が隆盛を極めている。このような状況下で、土地の伝承文化や祭祀儀礼にしっかりと根を下ろした、メッセージ性の強いファンタジーが刊行された意義は大きい。
 この物語は、王国や異世界を舞台に勇者が登場し、剣と魔法を駆使して戦う冒険ファンタジーとは対極にあり、剣や武器を捨てたところから始まる。サンゴ礁に囲まれた美しい南の島・オーナンチュは、かつて海賊たちの巣窟で、部族同士の戦いが絶え間なく続いていた。ところが、巫者(プシャ)と呼ばれる女たちの奇妙な示威行動によって、無益な戦いは奇跡的に終結し、一切の武器は海に沈められた。
 交易の島として生まれ変わった島で、4年に一度の和の祭典の準備中、踊りを練習していた五人の子どもたちが、怪しげな黒衣の人物の持つ蛇神の杯を口にし、蛇に変えられてしまった。このとき、かろうじて危機を逃れたククモイと親友のネアクという二人の少女が、従弟の少年ナーグとともに、蛇神を奉る儀式に使われたとされる幻の杯に秘められた謎を追う。
 蛇を、大地の神、山の神、水の神、祖先の神として祀る信仰は昔からあった。そして脱皮する蛇のような不死の生命力を得ようと、七つ頭の蛇に子どもを生贄として捧げる祭祀がかつて存在した。儀式を取り仕切る巫女は蛇使い(ミーツカイ)と呼ばれ、蛇を操る不思議な力を持っていたという。しかしオーナンチュでは、この祭祀は禁止され、ミーツカイは追放されたはずだったのだ。ここに、交易を禁止されていた火薬のもとになる硫黄を持ち出し、武器をとりもどそうとする勢力の暗躍が重なって、平和な島に暗雲が漂う。武器を求める勢力とミーツカイは、はたしてどのように関係しているのだろうか?
 人を呑み込む七つ頭の巨大な蛇や、人を鳥やカエルに変えてしまう妖しい呪術などをちりばめながら、踊りが大好きな主人公の少女ククモイとネアクやナーグと、彼らを助けに現れた精霊(マウ)の子たちが活躍し、蛇神を操るミーツカイの意外な正体が解き明かされていく。剣と戦いのない島を果たして存続できるのか。この世界を包みこむように光と影の舞いが繰りひろげられ、天には鮮やかな大きな虹がかかる。世代を超えた女たちが、それぞれの知恵と行動で切り開いていった結末とは……。緻密な構成と意外な展開に、読者は心地よく酔わされるのだ。
 この作品を読みながら、「共同幻想論」を書いた後の吉本隆明が、一九七〇年代の初めごろから、天皇制や家族や国家を根底から捉えなおすために、奄美大島から与那国島までの琉球弧の基層をうがちながらユニークな「南島論」を展開したことを思い出した。そこで吉本は、「南島の基層を国家よりさらに深いところまで掘ってそれをイメージ化できれば、それは国家を越えて、人類がまだ普遍性をもって、民族語とか種族語とか、そういうものに分岐しない以前の母胎というところまでいえれば、人類的な普遍性に到達する可能性を具えていると信じる」(『琉球弧の喚気力と南島論』)と述べている。吉本はその延長上に、アジア的、さらにアフリカ的という概念を引き出してくる。
 この作品には、「ティンパウ物語」という副題が付いている。この世に生き物が誕生した時に、神はそれを祝福して十の宝物を人の子に与えた。人の子は三つだけ取って、捨てられた七つの宝物が人の手を離れて天に上り虹となり、それを人々はティンパウ、空の蛇と呼んで憧れたと、作者は冒頭に記している。人の子が取ったという三つの宝とは何か? 南島から東アジアにかけての古層をイメージ化する物語は、まだまだ続編がありそうだ。日本のファンタジー文学に、吉本の言うところの人類的普遍性に向かう物語をしなやかに展開してみせた、新人作家の意欲的なデビュー作である。

図書新聞→http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/
 





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