滋賀県漁業協同組合連合会 様から小鮎塚の情報をいただきました。

ここに小鮎塚に刻まれた全文を紹介したいと思います。

    小 鮎 塚

   琵琶湖産小鮎は大正年代の末期より淡水養魚界に登場せる寵児なり、爾来滋賀県当局の指導に依り
   之が採捕蓄養輸送の施設を完備し今や年々延長一千余里に至る全国河川に移殖せられ
   其の産額実に五百万円に上る、細鱗の功徳や偉大なりといふべし、茲に小鮎塚を建立して移殖
   放流事業開始以来今日までその犠牲となれる小鮎三億尾の霊を慰むると共に小鮎族が永劫に
   繁栄し本邦水産資源の開発に貢献せんことを祈願す
   因みに古来小鮎はその魚体終生繊小なるがため大鮎とは其の種類を異にすと信ぜられしが
   滋賀県水産試験場の魚類学的識見はこれに疑問を懐かしむるに至り場員水産講習所出身
   柳本斗夫を研究主任とし知内分場に於て明治四十二年より、地中飼育試験に着手し更に翌年
   より鮎来棲息水域たる天の川上流丹生川に放養試験を実施したるに果たして小鮎は大鮎と同種
   にして体躯の大小は環境の相違に基因するものなることを実証するに至れり、小鮎の河川移殖事業
   の創始発達は一に歴代本県水産試験場員各位の撓まざる努力と農林水産局の活魚遠距離輸送
   試験の賜なり、歳月を経るに及び此の尊貴すべき発見創意に関し異説を生ぜんことを懼れ茲に之を
   併記す

       皇紀二千六百年十一月十日       滋賀県小配給協会長  荒木勝二

          元農林次官従三位勲二等     阿部寿準   題
          衆議院議員              森幸太郎   撰

では、なぜ建立されたかも紹介します。

   明治41年(1908)、今から100年前に醒ヶ井養鱒場の池で小アユが大アユまでに成長したことが起源となって、
   明治42年に滋賀県水産試験場が知内分場で池中飼育試験、さらに翌年に醒井養鱒場より下流の丹生川に
   小アユを放流、小アユと大アユが同種であることを実証するにいたったことからであります。

滋賀県漁業協同組合連合会 様 ありがとうございました。


| 小鮎釣りTOP | 小鮎塚と石川千代松博士 |