別 れ の 時 −小説幽遊白書−『蔵馬編』
Written by はっか飴  「おかえり、兄貴。久しぶりだな。今度はゆっくりしていけるんだろう。」  畑中秀一はそう言って笑顔で兄を迎えた。  中肉中背で年齢は60過ぎであろう。  つい最近、父から引き継いだ中規模企業の社長職を長男に引継ぎ、今は会長に納まっていた。  「ただいま、秀一。皆も元気かい?母さんは?」  そう言って弟に笑顔を返す兄の名は南野秀一。  細身で背が高く、その顔立ちは昔はさぞハンサムであったろうと思わせた。  髪こそ灰色だが若々しくて弟よりも年下に見える。  ただいまとは言ったが、兄がこの家で暮らしたのは4年ほどだったか。  高校卒業後、彼は義父の会社に3年勤めた後独立し、同時に少し離れたマンションで一人暮らしを始めた。  といっても部屋に居ることはほとんどなく、たいていはあちこちを飛び回っている。  日本に帰るのも1年半ぶりであった。  この兄弟の容姿に似たところは一つも無い。  彼らは50年ほど前、両親の再婚によって家族になった。  幼い頃に母を亡くした弟にとって母という存在は憧れであったため、  新しく母となった志保利には、とまどいつつもやがて慣れていった。  父は10年ほど前に亡くなり、現在は父が残したこの家で弟夫婦と母が暮らしている。  「年だな、やっぱり。最近は寝てることが多くて…。でも兄貴が来たら元気になるよ。」  「そうか…。すまないな、母さんのこと任せっきりで…。」  「言いっこ無しだろ。俺こそ兄貴には助けてもらってばかりだったからな。   経営の事とか…兄貴が相談にのってくれなかったら、とっくに親父の会社つぶしてたよ。  いっそ兄貴が継いでれば良かったのに。」  「謙遜するなよ。今も会社はお前がみてるんだろ。」  「なかなか楽隠居はさせてもらえなくてね。兄貴こそ忙しそうじゃない?」  「俺は好きで始めたことだからな。もう人に任せてもいいんだが…半分は道楽だよ。」  兄はそう言って微笑んだ。彼の会社は規模こそ小さいが順調に利益をあげ、  更に人に知られぬところで莫大な利益をあげていた。  そしてまた人以外の者が大勢働いてもいた。  兄弟は談笑しながらリビングへと入った。  弟の妻がコーヒーを淹れてくれる。  荷物を置くと二人は話し続けた。  「そういえば海藤さんから何か届いてたよ。」  「また新しく本を出版したって言ってたからな。ここにいる間の良い読み物になるよ。」  「…よく、あんなの読めるよな。」  著名な言語学者であり文筆家でもある海藤優は、兄の高校時代のクラスメイトである。  彼は学業において兄のライバルであり、ある意味、家族以上の理解者でもあった。  今でも親交は続いておりメールのやり取りもしているが、時候の挨拶状は実家の方に送って来る。  荷物はたいてい会社宛てに届くが、今回は帰省することを伝えてあったので実家に送ったのだろう。  海藤の本は一般向けのものもあるが、大半は難解な専門書である。  これを兄は文庫本のようにさらさらと読む。  これも弟にとっては謎の一つだった。  そもそも、弟にとってこの兄は最大の謎だった。  無神経というほど図々しくもなく、同情というほどわかりやすくもなく、  押し付けを感じるにはつかみ所がなく―…。  思春期の少年にとって、突然現れた出来すぎた義兄には反発するのが当然である。  しかし、いつの間にかその存在に馴染み、やがて頼りにするようになっていた。  義父にとっても彼は頼りになる存在だったらしく、辞めないでくれと懇願されたものだった。  「部屋は二階の好きな方を使ってくれよ。おふくろは部屋にいるから。」  現在は客室となっている二階の部屋はかつて子供部屋だった。  両親の寝室には弟夫婦が入り、庭に面したかつての応接間が現在の母の居場所である。  兄はリビングに荷物を置いたまま母の部屋へと向かった。  久しぶりに見る母はずいぶん小さく見えた。  それでも母は安楽椅子から息子に微笑んでみせる。  「おかえり、秀一…。」  「…ただいま、母さん…。」  その日の夕食は久しぶりに母も一緒だった。  そして皆が寝静まった頃、秀一はそっと母の寝室に入ってみた。  カーテンの隙間から淡い光が差し込んでくる。  月光に浮かぶ母の寝顔は安らかであった。  それを確認してまたそっと部屋を出ようとした時、彼は声をかけられた。  「…秀一?」  「―…ごめん、起こした?」  「いいのよ、本当に眠ってたわけじゃないから…。それより外が見たいわ。カーテンを開けてくれる?」  秀一は、言われるままカーテンを開けた。  晴れた空に月が輝き、庭の草花たちを照らしている。  「月がきれい。もうすぐ満月ね…。」  「うん。でも、ちゃんと眠らなきゃ駄目だよ。食事だって、ちゃんと食べないと―…何?」  くすくす笑う母を秀一はけげんそうに見返した。  「相変わらずね、秀一。あの日もそうやって怒られたわ。」  志保利はふいに昔を懐かしむような目をした。  母は遠い目をしたまま静かに話し始めた。  「覚えてる?お父さんと再婚する前、私、入院したことがあったでしょう。   お前は励ましてくれたけど、もう駄目だって分かってたの。   お医者さまから後ことの準備をしておくように言われたわ。   あの日、お前が初めて浦飯くんを紹介してくれた後、急に具合が悪くなって…   苦しくて苦しくてもう死ぬんだと思ったわ。   お前のことだけが心残りだった…。」  秀一は椅子に腰掛け、静かに母を見つめていた。  その表情は幼子を見るように優しい。  志保利は話し続けた。  「そしたら真っ暗だった目の前が急に明るくなって、嘘のように楽になった。  もう自分は死んだのかと思って目を開けると、お父さんがいた。  お前はいなくて…お医者さまから全快ですと言われた時、ああ、秀一が助けてくれたんだって思ったわ。」  「…俺にそんな力は無かった。何故そんなことを?」  「さあねぇ。でもそう思ったのよ。」  「…確かに俺の命と引き換えになるならと願ったよ。でもそれは俺一人じゃない。」  そう言いながら彼は友人のことを思い出していた。  会って三度目の自分のために命をかけてくれた友人。  彼がいなければ今の自分は無かった。  今では彼もあっちへ行きっぱなしのことが多く、昔ほど頻繁に会うことはなくなった。  それでも数年に一度はある場所で必ず出会う。  母は息子に微笑みかけると、窓の外へ目をやった。  その表情は穏やかだった。  「もうすぐ満月ね…。」  暖かい日差しの下、兄は庭にいた。  畑中家の庭は、妻がガーデニングを趣味としているのでいつも色とりどりの草花で溢れている。  それでも、たまに帰省した兄が手を入れると、植物たちは見違えるように生き生きとするのだ。  妻はいつもコツを教えてほしいと言っていたが、彼はいつもあいまいに微笑むだけだった。  何をするでもなく庭を歩いていた兄に歩み寄ると、弟は小さな声で話しかけた。  母は眠っているようだ。  「おふくろのことだけど…何とかならないのか?」  「何を?」  「医者に言わせると、もう寿命だって。でも兄貴なら何とか出来るんじゃないか?   おふくろも言ってた。兄貴には、その…不思議な力があるって。」  兄は驚くふうもなく、弟に語りかけた。  「…俺には出来ないよ。それに怪我や病気なら医者も何とかできるけど…」  兄はそこで一息つくと、弟に向き直った。  その表情は幾分厳しい。  「人には寿命がある。」  その言葉と表情に弟は、はっとした。  父が亡くなる時、延命措置はいらないと言い切った兄に家族も同意した。  末期癌であったにも関わらず死の直前まで父は元気で、そして安らかに逝った。  「…ごめん、変なこと言って。  でも、おふくろに兄貴は只者じゃないって言われて、 俺なんとなく納得したんだよ。」  弟はバツの悪さを誤魔化すように笑いながら、話しだした。  「兄貴ときたら何でも出来る上に見た目も良くてさ。   そのくせ鼻にかけないし、俺、絶対かなわないって思ってた。」  「結婚は出来なかったけどな。」  「それだけは勝ったかな。   でも兄貴の場合、出来なかったじゃなくて、しなかったんだろ?理想が高すぎるんだ。   今からでもいけるから頑張れよ。…そういえばあいつら明日来るって。」  あいつらとは弟の息子家族のことだろう。  血のつながらない初孫の誕生を、母は心から喜んだ。  甥は親には逆らう反抗期にも祖母と伯父には素直で、  たまに仕事の相談などで伯父である兄にメールをよこしていた。  彼らは母と兄がかつて暮らした家を改築して、そこに住んでいる。  自分も弟のように新しい家族を紹介できないことが、兄には少し残念だった。  「明日はにぎやかになるな。」  「家にあった花壇覚えてる?」  二人きりの暗い部屋で、母と息子は語りあっていた。  「バラの花があったやつだね。覚えてるよ。」  「あの人が丹精してたのに…ある日帰るとメチャクチャになっていて…。悲しかったわ。」  「…知ってたの?」  「…それが出かけて帰ってみたら元通りになっていて。見間違いかと思ったわ。」  実父が亡くなった少し後、秀一が帰宅すると、野良犬にでもやられたのか花壇の花々が荒らされていた。  母の気持ちを考えると心が痛み、早い時間だったので母が帰宅する前にと元に戻しておいたのだが…。  「あれもお前の仕業?」  息子はそれには答えず、ただ微笑んでいた。  「兄貴、皆も、おふくろの部屋に来てくれないか。何か話があるって。」  家族がそろうと志保利は話し出した。  「ごめんね、皆。でも言えるときに言わなくちゃと思って…。   あなた達のおかげで私は本当に幸せだった。ありがとう。」  「急に何言い出すんだよ、おふくろ。縁起でも―」  驚く弟を軽く制すと、兄は静かに言った。  「幸せにしてもらったのは俺達の方だよ。…ありがとう、母さん。」  皆が、でももっと長生きしてねと口々に言い、母がそれに困ったように言い訳する中、  兄は静かにたたずんでいた。  ただ庭の植物たちが、ざわざわと葉を揺らしていた。  「お前には言ってなかったけれど、私はお前を産む前に2回流産しているの。」  満月の光が部屋を照らし出す中、母は傍らに座る息子に語りかけた。  「お医者さまにも、子どもはあきらめて下さいと言われたの。  あの人は子どもを欲しがっていたから、申し訳なくて涙が出たわ。   だからお前を身ごもったと知った時も、あの人には言えなかった。   また悲しい思いをさせると思ったから…。   お前がお腹の中で動いて、もう大丈夫ですと言われた時、初めてあの人に打ち明けたの。   あの人の喜びようったらそりゃあなくて…。   私も、お前が産まれた時、どんなに嬉しかったか。あの時からお前には何かがあった…。」  そのことは実は知っていた。  ずいぶん後になって教えてくれた者がいたのだ。  それで罪悪感が無くなったわけではなかったが。  「言えばお前がいなくなってしまうようで今まで聞けなかった。お前は…」  秀一は何も言わず母を見つめている。  その目には優しさと憂いが含まれていた。  「…お前を、本当のお前を教えて。」  志保利の目は真剣である。  秀一は長い間黙って、そして静かに立ち上がった。  そこに初老の男性の姿は無く、二十歳前後の青年がいた。  その姿がゆらめく。  次の瞬間、月光の中に浮かび上がったのは、長い銀髪に金の瞳、人間離れした白い肌に尖った耳…  人ではない者の美しい姿だった。  志保利は声もなく『それ』を見つめていた。  その目を見下ろすと、それは語りだした。  「俺は神仏の類ではない。長生きしすぎて追われる身になった、ただの化け物だ。   お前の胎に宿ったのもただの偶然。期待したようなものでなくて悪かったな…。」  それを見つめる志保利の目には恐れはなく、感嘆の色だけが浮かんでいた。  「俺の本当の…もう一つの名は蔵馬。」  ようやく正気に戻った志保利はそれに語りかけた。  「それでも、あなたが私の子どもになってくれて良かった。」  蔵馬は再び椅子に腰掛けた。  その姿は元の秀一だった。  「ありがとう…蔵馬…。」  四日後、畑中志保利は静かに息をひきとった。  その顔は眠っているかのように安らかで、微笑んでいるようですらあった。  「よう蔵馬、久しぶりじゃな。元気だったか?」  やたらと大きなデスクに座って出迎えてくれたのは、おしゃぶりをくわえた、  まだ赤ん坊と言っていいような子どもだった。  「そちらこそ。すぐ顔を出すつもりだったのに葬儀やらで手間取って…。」  長い髪をなびかせながら勝手知ったる様子で入って来たのは端整な顔立ちの青年である。  肉体を失った人々がやって来ては去って行くこの場所も、彼にとっては隣の家同然であった。  「おう、このあいだ本人にも会ったぞ。   あの子がいれば後は何の心配もないと笑っておった。ずいぶん信用されとるの。」  「信用される盗賊ってのも変ですけどね。」  「そっちは現役を引退しとるだろう?」  子どもの笑みに皮肉は無い。  彼とはほぼ半世紀の付き合いになるが、会うのはたいてい厄介事の起こった時である。  それは些細なことから深刻なことまで幅広く、蔵馬が昔の手腕を発揮することも少なくなかった。  「引退といえば、そちらの親御さんは現役復帰はしないんですか?」  「相談役やら顧問やら引き受けてしまってな、以前より忙しいとこぼしておった。」  「いずこも同じ…か。」  蔵馬は少し前の会話を思い出して小さく笑った。  怪訝な顔をする子どもに彼は慌てて話しかけた。  「それより、今度も前の時も知らせてくれてありがとう。  おかげで親の死に目にも会えない親不孝者にならなくて済みましたよ。でも、良いんですか?」  「なぁに、これくらいは何も言われんよ。…会っては行かんのか?」  「それこそ職権乱用でしょう。もう挨拶は済ませたし、そこまでは望みません。  それより何かいろいろとバレてたみたいで…。」  「騙したつもりが騙されとったのか?向こうも意外に狸じゃな。」  そう言われて人の姿をした狐は苦笑いした。  思えば彼女だけでなく、あの人も、あの人も、  自分に『違う』ものを感じながら受け入れてくれていたのではないだろうか。  その顔を見て子どもは青年に問いかけた。  「ところで『お芝居』はいつまで続けるんだ?」  「もうしばらくは続けようかと。   俺が『死んだ』後には、隠し子のふりして驚かしてやりますよ。」  そう言って悪戯っぽく笑う顔は、一仕事を終えたかのように晴れやかであった。
〜 FIN 〜 この物語は、富樫義博さん:作『幽遊白書』を元に、物語のその後としてはっか飴さまが書かれたものです。 ☆はっか飴さまより☆ 設定は最終回から約50年後です。一部、ある漫画家さんからの引用があります。 わかった方はお友達かもしれません。 ここからは、私のはっか飴さまへの私信です。反転してください。 「はっか飴」様、この度は素敵なノベルを頂戴しありがとうございます。 緒方恵美さんの声で読ませて頂きました。(笑) 改行の件ですが、私の力の至らないせいで、うまく表の中に納まりきらず、やむなく頂いた状態とは違う 形態に修正させて頂きましたことを、この場をお借りしてお詫び申し上げます。 また、私の中では蔵馬のイメージは薔薇より櫻なので、今回壁紙に枝垂れ櫻を使用しました。いかがでしょうか? まだ埋もれている『幽遊白書』の書き物がございましたら、またお知らせくださいませね。 それから、はっか飴さん「王立アカデミーの客員教授」っていう役どころはいかがかしら? 更紗 拝
はっか飴さま、ありがとうございました。 Mon.27th,Oct.'03 SARASA