デニス・リッチーに電話したこと
著者: |
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原文: |
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原文公開: |
2011年10月13日
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日本語訳: |
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日本語訳公開: |
2011年10月22日
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日本語訳更新: |
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1978年、ウィスコンシン大学の大学院生だった頃、ベル研究所にいたデニス・リッチーと電話で話をしたことがある。そのとき取り組んでいたUNIX用のラインエディタについて話をするためだ。私はエディタに階層構造の概念を組み込んだ。行を行の下にネストし、概要だけを表示させたり、詳細を展開させたりできる。行を上に移動させれば、下に付属する行も全てついてくる。
それから、エディタがPascal言語の構造を理解できるよう、構文解析の機能も組み込んだ(そのときC言語ではなくPascalを選んだ理由があったはずなのだが、思い出せない)。だから、大量のコードをインポートしても、自動的に私のエディタで編集可能な階層構造に修正してくれる。
彼は本当に親切で、その使い心地についていろいろと質問した。質問の内容から、彼が私の話を理解してくれていることがわかった。
私は興奮して電話を切った。私のような学生にとって、大人とつながりを持つことは、特にデニス・リッチーのようなヒーローと繋がりを持つことは、ゾクゾクするような体験だった。彼の書いたコードで私は学び、彼のようなコーディングスタイルを必死に身につけようとしていたのだ。話の詳細な内容は忘れてしまっても、そのときの気分は今でも覚えている。
今日、この話を書くのは、最近リッチーが亡くなったからだ。
彼はスティーブ・ジョブズほど有名ではなかったものの、遺したものは同じくらい大きいとどこかで読んだが、全面的に賛同する。彼が、現代的なインタラクティブなオペレーティング・システムを創り出したのだ。その世代のプログラマーたちに、プログラマーとしてどのように思考するべきかを、そしてコードを愛することが刺激とやりがいに繋がることを彼は教えてくれた。私もその世代に属する幸運なひとりだ。何よりも、彼はそれを自身が創り出したものを他の皆とシェアすることによって達成したのだ。「オープンソース」とか「フリーソフトウェア」などという言葉が叫ばれるようになる、ずっと以前のことだ。
ただ「Thanks!」という言葉を、そして彼から学んだことを可能な限り他の人にも伝えていきたい。そう思ってこの記事を書いた。
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