結果と過程のアウトライン

Renji Talk Top > Happy Outlining ! > 結果と過程のアウトライン

結果と過程のアウトライン

しばらく前、デイブ・ワイナーをはじめとするアメリカの著名ブロガーの間で、アウトライナー否定派・肯定派による論争が行われたことがあります。

の議論を見ているうちに、アウトライナーについて人に説明するときによく感じる違和感(というか、話が噛み合ない感じ)の原因がなくとなくわかったような気がしたので、ちょっと整理してみました。
※許諾が得られているものについては翻訳を公開しています。現時点で許諾が得られていないものについては、原文にリンクしています。

アウトライナー有害論の主張

論争の口火を切ったジュリアン・ボンドは「アウトライナーは有害だと考えられる」と題したブログ記事で、議論を練り上げるときのアウトラインの有効性は認めつつ、DMOZやCraig Listなどの階層型のディレクトリサービスが、どれだけ使いにくいかということ根拠に、現実の世界はもっと乱雑なものであり、階層構造で表現することはできないと主張します。

なぜそれが有害なのだろうか? そう、まず階層思考を奨励するツールを使うと、全てが階層構造のように見えてくる。残念なことに、世界はもっとはるかに、はるかに乱雑だ。ほとんど全てのものは、実際には網目構造であり、階層構造ではない。さらに、データの中に階層構造が存在するとき、対立する2つまたはそれ以上の別の階層構造が隠れているのを発見する可能性は非常に高いし、現実世界ではそれが10個だったりすることもある。局地的な分類とカテゴリー別の分類が対立し、併存せざるを得ない複数の階層構造のあちこちに同じ項目が同時に含まれ、あなたをありとあらゆる混乱に導くことになる。
(中略)
簡単にいえば、アウトライナーが有害なのは、それが階層思考を導くからだ。そして、階層思考が有害なのは、それが政治的階層(ヒエラルキー)につながるからだ。さらに、これら全てが有害なのは、世界は実際に網目のように絡み合っていて、エレガントなツリー構造にはなっていないからなのだ。
原文:Outliners Considered Harmful



客観的にみれば、政治的階層云々というのは相当な論理の飛躍だとは思いますが、「世界は階層構造で表現できるほど単純ではないし、そしてひとつのデータの中には、対立する複数の階層構造が存在しているから、それをアウトラインで表現しようとすると混乱が起こる」という主張は納得できないものではありません。

アウトライナー擁護派の主張

これに対して、スコット・ローゼンバーグは、アウトライナーはアウトライン構造を強制したりはしないし、アウトライナーの有効性は、むしろ構造に基づいて微視的な視点と俯瞰的な視点の往復と、データを移動が簡単に行えるところにある、と反論します。

私は特に階層的な思考をするタイプではない。アウトライン操作に対する私の愛情は、階層や構造への執着というよりも、柔軟性を好むという側面が強い。私は、アウトラインのノードが、きれいな親子関係を持つツリー構造になっていることにはこだわらない。重要なのは、アウトラインによって、緩やかな構造を持った情報を簡単にあちこち動かすとともに、地を這う微視的な視点と、上空から俯瞰する視点との間を素早く行き来できるということだ。
スコット・ローゼンバーグ「アウトライナーとツリー、そして編み目」



さらにローゼンバーグはWindowsの名作アウトライナーEccoProを愛用しており、EccoProに代表される高機能なアウトライナーは、タグやカラム機能を利用して、階層構造と同時に編み目構造も実現できるのであり、ひとつのデータの中に複数のアウトラインが存在するという問題はクリアしているといいます。

ローゼンバーグに同意するMK(※この方だけ、今だにコンタクトがつけられません)は、階層構造を奨励するツールを使ったからといって、世界を階層的に捉える必要はないのであり、それはユーザーにまかされていると主張します。

「階層思考を奨励するツールを使うと、全てが階層構造のように見えてくる」という主張は、明らかな誇張である。階層思考を奨励するツールは、確かに全てを階層構造に従って見るようあなたを奨励するかもしれないが、それを強制したりはしない。世界を階層的に捉えるか、非階層的に捉えるかの判断は、最終的にはユーザーにまかされている。アウトライナーは、人が他人に伝えようとする内容を最大の説得力を持って組み立てるためのツールであり、単なる主張は構造化されることによって議論となる。これは、世界を階層的にのみ捉えることとは、何の関係もない。
原文:Outlines and Meshes



アウトライナーの実質的な元祖であるデイブ・ワイナーも、アウトライナーはむしろ階層構造の強制とは正反対であるといいます。

アウトライナーを「文章が流れるレール(Text on Rails)」だと考えてみてほしい。それは階層構造の強制とは正反対のものであり、むしろ階層構造を操ることを可能にしてくれるのだ。
デイブ・ワイナー「アウトライナーと階層思考」


結果と過程

ここまで見てきて気がつくのは、アウトライナー否定派の主張と肯定派の主張が(否定派はひとりですが)、文書作成の全く異なるフェイズについて語っているような気がすることです。否定派がアウトライナーを「完成品」もしくは「結果」として捉えているのに対し、肯定派は、アウトラインをあくまでも文章を書くプロセスの中で利用する便宜的なものとして捉えているように思えるわけです。

思い当たるのは、アウトライナーを嫌いだとか、使う必要がない、という人と話をしているときの反応として典型的なのが「論文じゃないんだから、アウトラインとか関係ないし」というもの。

どうもアウトライナーが役に立つのは論文とかレポートとか、そういうカタイ感じの文書だという先入観があるようです。そうでないものにアウトライナーなんか使うと、必要以上に堅い文章になってしまう、という感覚があるらしい。でも、それはおそらくアウトライン(あるいは階層構造)を結果として捉えているからではないか。

ぼくがアウトライナーを使うとき、確かに文書をアウトラインの形で操作するけれど、それは書きかけの文章をアウトライナーで操作するための便宜的なものです。アウトライナーを使ったからといって、結果として出来上がった文書が、必ずしもがっちりした階層性を持つとは限らない。それは、あくまでも文書の目的によります。

たとえばくはブログの記事を書くのにも全てアウトライナーを使っているけれど、たぶんそんなにアウトラインぽい感じはしないはずです。逆にこの記事は単純な一階層/三項目のアウトラインになっています。

アウトライナーほど自由で柔軟なものはない、ということがあまり理解されないことを以前から不思議に思ってたんですが、そもそも「結果としてのアウトライン」と「過程としてのアウトライン」という、同床異夢だったのだと考えれば、納得がいくような気もします。