今していることは今するべきことなのだろうか

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今していることは今するべきことなのだろうか

著者:
Leo Babauta
原文:
原文公開:
2013-6-10
日本語訳:
日本語訳公開:
2013-7-21
日本語訳更新:

朝、仕事に取りかかるところを想像してほしい。あなたはまずメールの画面を開く。最近のものから昔のものまで大量のメールが並び、あなたの注意をひこうとしている。SNSの受信箱も開く。素早く目を通して、今するべきことを頭に描く。

しかし、どこから始めればいいのだろう。

メールで入ってきたタスクから手をつけるが、すぐにもっと重要なことがないか確認したい衝動にかられる。そしてこの問題は自己反復する——何かしようとするたびに、頭の中にある何やかやが(そして今にも起こるかもしれない緊急な何かが)、あなたの注意をわしづかみにする。

今やっていることは正しいのだと確信することなどできるのだろうか。

間違ったことをしているのではないかという不安から解放されることなどあるのだろうか。

これは、私が何年もの間格闘してきた問題だ——机に向かって文章(たとえばこの記事を)を書こうとすると、メールや口座残高やカレンダーや各種SNSをチェックしろと心の声がしつこくささやきかけてくる。この感覚を抑えることは、簡単なこととは限らない。

それでも私は(多くの場合)重要なことを達成する。これは、私が不安の力を押さえ込むのを助けてくれる小さなステップの組み合わせを決めているからだ。

どんなステップかは後ほど紹介するが、まずはこの不安がどこから来ているのか考えてみよう。

不安の原因

そもそもこの不安はどこから来るのだろうか。なぜ私たちは、今していることこそ、まさに今するべきことなのだという自信を持てないのだろうか。そんな自信が持てたらどんなにいいだろう。

子どもの頃、私たちの多くはやるべきことを誰かから教えてもらっていた。両親や先生がお手伝いや課題を与えてくれたので、今やるべきことはそれなのだとわかった。もちろん、常にやりたいことと一致するとは限らなかったが、そこに疑いはなかった。それは権威によって決定されていたからだ。

やがて大人になり、物ごとはさほど自明ではなくなった。私たちは自分自身でやるべきことを決める立場になったのだ——形式的にボスがいたとしても、現実に大量のタスクやプロジェクトやコミュニケーションツールの中から選択する能力を私たち自身が持っている。洗濯したり健康的な食事をつくったりといった個人的なことは言うまでもない。食事の支度や子どもの送り迎えなどは誰もが当然しているのだから。私たちはどの選択が正しいか誰からも教わらないまま、一日中選択を繰り返しているのだ。

生産性の高い人をみると、彼らがそうした選択において絶対の自信を持ち、常に正しいタスクに取り組んでいると確信しているのだろう私たちは想像する。

しかしそれは幻想に過ぎない。確信など誰も持っていないし、不安を持たない人などいない。

不安は、間違った行動をしたくないという気持ち、失敗を避けたいという気持ちから来ている。失敗のないプロジェクト、失敗のない仕事、失敗のない人生と呼ばれるこのやっかいなもの。そうなったらいいだろう。

失敗したくない、絶対に間違いのない行動をしたいという欲求が満たされないことを私たちは恐れ、不安に思うのだ。この力学は何をするときにも常に働いている。ほとんど意識もされないし言葉にもされないが、不安や逃避への衝動という形でそれは現れる。

不安や逃避への衝動は、そこに意識の光を当て、そもそもそれが存在することを認めつつ、屈することなく自分の考えを貫くことによって打ち負かすことができる。

不安に対処するためのステップ

レオ、もうわかったから不安に打ち勝つためにはどうすればいいのか教えてくれ、とあなたはコンピューターに話しかけていることだろう(Macintosh Performa 5200の画面を睨んでいるあなたが目に浮かぶようだ)。

では、紹介しよう。

  1. 不安に意識の光を当てる。何かをするたびに、あるいは何をするべきか検討するたびに、不安の存在を意識しよう。それは無意識り中にある。そこに注目し、存在を意識するのだ。恐れることもないし、嫌悪することもないし、気にすることもない。ただ意識しよう。
  2. 不安を友人として認める。それは常にそこにあったし、これからもそこにある。不安はあなたの人生とともにある。あなたが自らの存在を意識できるかぎり、そして心臓の鼓動が続くかぎり。恐れることはないし、抹殺しようとする必要もない。かわりに抱きしめ、受け入れ、存在を認め、慣れよう。長い道のりを共に歩むのだから。
  3. 実行しながら不安を受け入れる。今するべきタスクをひとつ選ぶ。何でもいいが、人生や仕事にとって重要だと感じられることを選ぼう。他人や自分にとって役に立つとわかっていることだ。たくさんあるかもしれないが、直感で素早く選ぼう。気にすることはない。「完璧なタスク」である必要などない。不安がやってくるのがわかるだろうか。それでも問題ない。そいつの方に腕を回して、一緒に道を歩いていこう。新しい友人ができたことを喜ぼう。
  4. 続けることを決意する。実際にスタートする前に、友人としての不安と協定を結ぶ。あなたは別の何かをはじめたり、何かをチェックしたりすることなく、このタスクを少なくとも5分の間実行する。この輝かしい5分間、ひとつのことだけすればいい。タスクが正しくても間違っていても、ただ実行するのだ。なぜなら正しいタスクなど実際には存在しないからだ。正しいタスク探しは聖杯探求以外の何者でもない。そんなことをする代わりに、ひとつのタスクにフォーカスしてやり続けよう。
  5. 続ける。ひとつ前のステップを見れば、次がこのステップであることは想像つくだろう。不安はやってくる。意識し、笑って受け入れよう。いつもクレイジーなことばかりしている友人のように。そして……そのタスクを続けよう。何も悪いことは起こらない。実際には素晴らしい経験になるだろう。そこには勝利の喜びがあるはずだ。

ここにあげたステップを実行すれば、あなたはそのタスクを完遂することになる。そこで深呼吸しよう。笑おう。長い道のりを来たのだし、この先も長いかもしれないが、とにかくここまで来たのだ。素晴らしい場所ではないか。

この記事は、Leo Babauta(レオ・バボータ) さんがUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。当サイトの翻訳文書に関するその他の注意事項については、翻訳文書についてをごらんください。