座ってただ眺めている

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座ってただ眺めている

著者:
Leo Babauta
原文:
原文公開:
2011-12-16
日本語訳:
日本語訳公開:
2012-6-24
日本語訳更新:
「何が立ちはだかろうと、風がどちらから吹こうと…私はここに座り川の流れを眺めている」
(ボブ・ディラン)

私たちは人生を大急ぎで駆け抜けている。忙しさ囚われるまり、ほとんど気づかないうちに人生が過ぎていっている。そんなふうに感じたことはないだろうか。

私はしょっちゅうそんなふうに感じている。

シンプルな対抗策がある。座ってただ眺めていることだ。

忙しいだろうが、ちょっとだけ座って私の話を聞いてほしい。想像してみよう——あなたは車を運転しているところだ。交通量の多さに苛々している。時間に遅れないようどこかにたどり着こうとしている。乱暴な、間抜けなドライバーたちに腹を立てている。アスファルトの帯の上の鉄のジャングルを通り抜けることしか頭にない。そしてようやく、あなたは目的地に着いた。よくやった。素晴らしい。時間にも数分遅れただけだ。……しかし、今来た道沿いの風景を覚えているだろうか。道すがら誰かと話をしただろうか。ドライブを楽しんだだろうか。

たぶんそうではないだろう。あなたは目的地に着くこと、細かい道順、そして苛立ちで頭がいっぱいだった。道沿いの風景にも、そばにいる人々にも、旅の素晴らしさにも、目を向ける暇などなかったはずだ。そしてこれが私たちの人生の姿だ。

今度は別の想像をしてみよう。あなたは路肩に車を駐め、外に出る。座るのにちょうどいい芝生を見つけ、腰を降ろす。そして他の車が猛スピードで行き交うのを眺める。芝が穏やかな風に芝が揺れるのを眺める。頭上の鳥の群れを、雲がゆっくりと通り過ぎていく様子を眺める。

座って、ただ眺めている。

普通、私たちはそういうことをしない。生産的でもなく、人生の改善にもならないことをしても意味がないからだ。しかし、アラン・ワッツは著書 「The Way of Zen 」 にこう書いている。

泥で濁った水を澄んだ状態にするには、放っておくことがいちばんだ。すなわち、ただ座って何もしない者こそが、混乱に満ちた世界に対して可能な最も大きな貢献をしているのだということができる。

同じく興味深いのは、座ってただ眺めていると何が見えるてくるかということだ。人々が走り回り、何かを気に病み、腹を立てている様子を眺める。するとそこに鏡のように自分自身の姿が映し出されていることに気づく。親子連れの子どもたちが笑っている(あるいは泣いている)様子を眺める。すると、人生を改善するために走り回っているうちに忘れていたことを思い出す。

更に興味深いのは、自分自身を眺めてみたときだ。あなたは自分自身を離れ、自身を客観的に観察できるようになる。自分の思考を眺める。すると何かをするために走り回っているだけでは決して知り得なかった自分自身のことがわかってくる。自己不信、自己批判の気持ちを眺める。それはいったいどこから来ているのだろうかと考え(子どもの頃、何かあったのだろうか?)、それを手放すだけの知性が自分に備わっているだろうかと思いを巡らせる。自己正当化の言い訳を眺める。その嘘を自覚し、それも手放せるようになる。自分の中にある怖れを眺める。怖れが自分に対して現実的にできることなど何もないこと、ただ眺めるだけで何も行動することなく、怖れは無力化できることに気づく。

座ってただ眺めていることで、自分を知ることができる。

人生で最も価値あることを学ぶことができる。

そして、物理学でいう観察者効果が教えてくれるように、観察することで、私たちは観察している対象自体を変えていく。

今日、数分間を座ってただ眺めていることに費やしてみよう。もしかしたら人生が変わるかもしれない。

この記事は、Leo Babauta(レオ・バボータ) さんがUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。当サイトの翻訳文書に関するその他の注意事項については、翻訳文書についてをごらんください。