減らす喜び

減らす喜び

著者:
Leo Babauta
原文:
原文公開:
2011-09-12
日本語訳:
日本語訳公開:
2011-09-18
日本語訳更新:

少なくしか持たないことを、私たちは苦しいことと考えがちだ。

確かに貧しいことは悪いことだ。少ない賃金や借金やモノ不足と格闘しながら生きるのは簡単なことではない。

いずれも真実ではあるが、間違いでもある。

ものを手放すこと、少ないものとともに暮らすこと、そして負債や財産から自由になることに喜びを見つけることもできる。全てはあなたの考え方次第だ。

私の少年時代は貧しいものだったし、山のような請求書や借金の返済に対して少なすぎる収入と格闘していたのもそんなに昔のことではない。実際、それは私の人生最悪の時期のひとつだった。

だが、借金の完済を目指して働くうち、私は減らす生活をすることを、そしてそしてそれは素晴らしいことであり得ることを学ぶことになった。

闘うことは、いかに飾ろうと辛いものだ。しかし、減らす生活が闘いである必要はない。それはあなた次第なのだ。

借金を減らす

私が妻や子どもたちとともに借金の完済を目指しはじめた5年と少し前は恐怖に満ちていた。抱えきれないほどの請求書を抱え、借金に頭の上まで浸かって溺れそうだった。それは私たちがこれまでに経験した中で最大の重圧のひとつだった。

私たちは支出を減らすことから始めたが、それはまったく新しい生き方を意味していた。一夜にして私たちはケーブルテレビを解約し、雑誌の定期購読を止め、モカコーヒーを飲むのを止め、映画館とレストランとショッピングモールに行くのをやめた。まだまだある。私たちは人生全体を変えたのだ。

しかし実際のところ、犠牲を払っていると捉えてもおかしくはないこの経験を、私たちは楽しんだのだ。私たちは少ないものとともに暮らすことになったが、より幸せになった。

それは、安いお金で、あるいは無料でできる活動を通じて、お互いの繋がりを作り直す機会と捉えたからだった。私たちは子どもたちを外に連れ出して遊ぶ機会を増やした。キックボールやサッカーや鬼ごっこにお金はかからない。埃まみれのボードゲームやトランプを引っ張り出してきて遊んだ。ジェスチャーゲームで大笑いした。親戚や友人の家を頻繁に訪れるようになった。

家で料理をする機会を増やし、今までになく質の高い食事をとるようになった。健康になり、みんなで食事することを楽しんだ。

もちろん良いことばかりではなかったが、それでもものが少ない暮らしの中にはたくさんの良いことがあった。何かを捨てることを強制されたときには、嘆くこともできるし、喜びを見つけることもできる。私たちは、いちばん幸福につながる道を選んだ。

ついに借金の返済が完了したとき、私たちはそれまでで最大の解放を味わった。私たちは夢に見た目的地に到着したが、途中の旅も同じように素晴らしかった。

不要な物を減らす

多くの人にとって、不要物も恐怖の元だ。家の中の不要物の山を目にするだけでも圧倒されてしまうかもしれない。実際には、不要物は先送りした物ごとの山なのだ。決断しなければならないことや恐れや情緒的な問題や買い物中毒などから目をそらし続けた結果なのだ。そうしたものと真正面から向き合うことは、私たちのほとんどにとって重すぎるのだ。

私は向き合った。そして、その種の恐れや感情と向き合うことが、たとえ一度に少しずつであっても、自由をもたらしてくれるということを学んだ。すっきりして贅肉をそぎ落としたような気分になる。実際の荷物だけでなく、意識の裏に抱えている感情的な重荷も減ったからだ。

不要物を減らすには難しい決断が必要だった。自分たちが本当に欲しいものについて、本当に必要なものについての多くの議論が必要だった。そして膨大な量の新たな習慣を身につけることも必要だった。

しかし、それは私たちを押さえつけていたものを排除するということでもあった。必要でもないのに時間とエネルギーと精神力を私たちから奪っていくものたちだ。私たちは、最小限のものしかない部屋を愛することを、そしてすっきりして不必要なものが一切ない部屋に座ったり寝転んだりするときの素晴らしい気分を知った。

減らす生活は、お金で買えるどんなものにも負けない純粋な喜びになるのだ。

少なく食べる

70ポンド(32キロ)の減量は、食べ物との関係を巡る冒険だった。太っていた頃、私は他の人も食べているからというだけの理由で食べていた。あるいは退屈とストレスまみれの生活を食べ物で慰めることが必要だったから食べていた。健康問題に立ち向かいたくなかったから食べていた。それが喜びを得るために私が知っている唯一の方法だったから食べていた。

今では、少なく食べることもやはり喜びにつながることを私は知っている。ファストフードやインスタント食品や甘いものや脂っこいものや揚げ物の代わりに、シンプルな食べ物を食べることも喜びになる。

私は、茶葉から煎れた一杯のお茶に砂糖を加えず飲むことのシンプルな喜びを知った。新鮮なイチジク1つを、一掴みの半分ほどのベリー類を、数個の生アーモンドを口にすることの素晴らしさを知った。砂糖やソースをかけすぎることを止めれば、素材の真の恵みを味わうことができる。動物を殺すことを止めて、ナチュラルな植物の味を尊重することを知れば、素晴らしく生き生きした気分を味わうことができる。

今では私は朝食を食べない。少しだけ空腹であることの感覚を忘れないためだ——それは、太っていた頃の私が経験したことのないことだった。1日2食にしているのは、食事の準備が楽だからでもあるし、人生の中に少しの欠乏感があるのが好きだからでもある。私は食べたいものを食べるが、今までになくシンプルな食べ物を楽しむようになっている。

選択肢を限定する

私たちは自分たちが数多くの選択肢を欲していると思っているが、実際に欲しているのは自由だ。そこには違いがある。現代の圧倒的な量の選択肢は、混乱と麻痺と不幸につながるだけだ。

選択肢が少ないことは悪いことだと思うかもしれないが、私はむしろ解放につながるものだと考えている。選択肢がない方がいいと言っているのではないが、少ない方がよい。

可能な限りの方法で、選択肢を減らすようにしてみよう。週に3本だけと決めることで、テレビを観る回数を減らす。本を1冊だけ選んで読み終わるまで読み続ける。毎日のTo-Doリストは3項目だけにする。料理は週に3品だけ大量に作って、他の日はそれを食べ続ける。間違った選択をするのではないかと心配になるかもしれないが、そんなことはない。間違った選択などというものはない。間違った選択に対する恐れだけがあるのだ。

選択肢を制限することは、間違った選択をすることに対する恐れを捨てるための、そして実際に選択肢したことを楽しむことにフォーカスするための機会になると私は考えている。減らす生活をを探求するにつれて、私は1つの真実を見いだした。それは、全ての選択は完璧に正しいということだ。

この記事は、Leo Babauta(レオ・バボータ) さんがUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。当サイトの翻訳文書に関するその他の注意事項については、翻訳文書についてをごらんください。