私たちはなぜ予定を詰め込みすぎるのか

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私たちはなぜ予定を詰め込みすぎるのか

著者:
Leo Babauta
原文:
原文公開:
2012-4-12
日本語訳:
日本語訳公開:
2012-8-16
日本語訳更新:
「良い旅人は計画などしない。どこかにたどり着こうという意思もない」
(老子)

私にも、他の多くの人にも共通して言えることがある。それは過度に楽観的であるということだ。

私たちは一日のうちに非常に多くのことができると考え、結果として計画しすぎに陥る。あまりに多くの予定を詰め込み、全てを達成できると考える。予定のほとんどは達成されないし、やろうと思ったことのほとんどは、願いに反して実行されなかったという経験則は無視される。

私たちは考える。確かに以前は思った通りにできなかったかもしれない。でも今回は違う。今回はもっとうまくやれる。今度こそきちんと、生産的に、より多くのことを達成できる。

素晴らしい計画だ。結果をぜひ教えて欲しい。
ヒント:私はうまくいったことはない。最近の例を紹介しよう。

休暇で学んだこと

先週書いたとおり、最近私は家族とともに、陽光満ちあふれる素晴らしいサンディエゴで4日間の短い休暇を過ごした。いつもの通り、私には数多くの目標があり、期待があった(それを無くすことは私には無理のようだ)。

本は「眠れる女と狂卓の騎士」を持っていった。四日間の休暇中に読了するつもりだった。つまり、一日約150ページということだ。まあ、いけるだろう!

それからヨガのDVDも持参した。毎朝子どもたちが起きる前にヨガをするつもりだったのだ。

毎朝ビーチでランニングもするつもりだった。海岸から一ブロックしか離れていないところに滞在していたからだ。

旅の間に済ませようと思っていた仕事もたくさんあった。

そしてもちろん、一日中サンディエゴの街を歩き回って探検し、何時間もビーチで過ごし、あちこちのレストランで食事をするつもりだった。

さて、そのうちどのくらい達成できたと思うだろうか? 本はそこそこ読めた。とはいってもだいたい半分くらいだった。ヨガのDVDは、ビニールの包装を破りもしなかった。仕事はほとんど何もしなかった。ランニングは一回だけ、十分くらいやった。街歩きと食事とビーチで過ごすことはたくさんした。だが、他にはほんの少ししかしなかった。

私は予定を詰め込みすぎたのだ。私は楽観的にすぎた。目標も期待も多すぎたのだ。

そう、私はここしばらくの間、目標を立てるということほとんどせずにいた。しかし、つい古い習慣に戻ってしまうことも頻繁にあるのだ。

人生の詰め込みすぎを防ぐために

もちろん、旅慣れた人ならみんな、私が旅における基本的な間違いを犯したことがわかるだろう——予定の詰め込みすぎは、旅行者の犯す典型的な失敗であり、旅の上手い人はほとんどの場合最小限の予定しか立てない。私はそのことを知っているし、普段はそのようにしている。今回の予定は、私の無意識が勝手に立ててしまったようだ。旅の間の自分に期待を持ちすぎていたこと、気づかないうちに目標を設定していたことに私が気づいたのは、旅行の半ばになってからだった。

そしてここにひとつの事実がある。旅人なら、旅に目標は不要であり、予定を詰め込みすぎるべきでないことを知っている……では、それ以外の人生ではどうだろう?

旅行のときは目標と計画を最小限に抑える人も、普段の日常生活ではこの知恵を無視することがほとんどだ。

日々の生活や仕事となると、私たちは過度に予定を詰め込み、自らの容量をオーバーしてしまう。自分たちがどのくらいのことができるかということについて、楽観的にすぎるのだ。あまりにも多くの目標を設定し、期待を持ちすぎるのだ。

日常生活における詰め込みすぎと過度な目標設定を防ぐために、今回の休暇(そしてこの二年間の経験から)から学んだことをあげよう。

計画はミニマルに。何もしないということではない。しかし、計画は可能な限り最小限にしよう——計画したことのほとんどは、いずれにしても達成されないのだ。なぜ絵空事の計画を立てる必要があるのだろう? 時間の決まった少数のアポイント以外は、オープンな時間のブロックを可能な限り残しておこう。

流動的に行動できるようになろう。一日のほとんどをオープンな状態だとしたら、どうやってそこを埋めればいいのだろう? 柔軟に埋めるのだ。計画も目標もない。そのときどきに流動的に優先度を判断できるようにするのだ。今、最も夢中になれることは何だろう? 今できる最も重要なことは何だろう? 今できることで人生に最も大きな影響を与えるものは何だろう? これは、訓練によって身につくスキルだ。事前の計画というのは、常に状況が変化する中では意味がない。

私たちは決められた道を歩いているのではない。波に乗っているのだ。ほとんどの人は、行き先を決めるようにまず目標を設定し、その後に道順を決めようとする。その考え方は、そこが変化の非常に少ない土地で、予測できない障害はあるにしても、地面は常に固く、目的地は常にそこにあることを前提にしている。しかし、それはまったく真実ではない。人生はむしろ海に似ている。決まった道も行き先もなく、常に変化している。ならば究極のスキルは行き先(目標)も道順(計画)も決めず、波に乗ることだ。波乗りでは、来た波がどんなものであろうと受け入れなければならない。波を判断できるようにならなければならない。事前に計画したようにではなく、変化し続ける波に乗れるようにならなければならない。それは(文字通り)流れに乗ることであり、流れに応じて行動を変えるということだ。

計画は崩壊するかもしれない。しかしそのことによって人生はより良いものになる。私の旅は一見全く望み通りにならなかったが、私は完璧に満足だった。私たちは探検し、新しいことや初めての遊びで一日を過ごした。その一瞬一瞬を生きていれば、望み通り仕事ができなくても、ヨガができなくても、本をたくさん読めなくても構わなかった。人生の中で物ごとは変わっていく。私たちが、好きになれかったりストレスを感じていたりする目標や計画に固執してしまうのはそういうときだ。来た波に乗れるようになれば、何が起こっても私たちは幸福でいられるのだ。

この記事は、Leo Babauta(レオ・バボータ) さんがUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。当サイトの翻訳文書に関するその他の注意事項については、翻訳文書についてをごらんください。