人生に対して自分を開くには

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人生に対して自分を開くには

著者:
Leo Babauta
原文:
原文公開:
2012-8-24
日本語訳:
日本語訳公開:
2012-9-9
日本語訳更新:
「手を開いていれば、砂漠の全ての砂を通すことができる。手を閉じてしまえば、感じられるのはほんの少しの砂塵だけだ」
(弟子丸泰仙)

私は様々な形で人生に対して自らを閉ざし、その可能性の全てを受け入れずにいる。他人に対しても同じように自分を閉ざしている。自己防衛のひとつの形として。

これは誰にでも当てはまることだ。あなたが若い頃、自分を開いていたがために傷つくことがあっただろう。そのときの痛みが、様々な形で自分を閉ざすよう私たちに教えたのだ。他人を受け入れてはいけない、距離を保つにはユーモアを使え、傷つけられる前に傷つけろ、新しいものには近づくな、などなど。

自分を閉ざせば、私は世界に触れる機会を失う。人生の可能性を失うのだ。

そこで、私はもっと自分を開けるようになろうとしている。時間のかかることだが、小さな積み重ねを通じて、私は多くを学んできた。そして、今までにないほど自分を開けるようになっている。

自分を開くとはどういうことだろう。それは、人生のより多くの部分を評価せずに受け入れ、何が来ようと幸福になるということだ。人を評価することを減らし、批判することを減らし、もっと受け入れ、その人がその人であることの素晴らしさにもっと目を向けられるようになるということだ。

それは、私が今までになく人生をフルに経験しているということを意味する。ここで人生に、そして他人に対して自分を開くということについて、少しだけシェアしたい。あなたにとっても役立つことを願って。

1.評価することを減らす。もっと多くを受け入れる。

人を評価するのは自然なことに思えるが、そうすることによって私たちはその人たちの本当の姿に対して自分を閉ざしてしまうことになる。周囲のもの全てに同じことが当てはまる——それを評価するとき、私たちは物ごとをもっとよく知る機会から自らを閉ざしてしまうのだ。もし無意識に評価してしまうとしたら、その自動操縦装置を外してもっと意識的になるべきだ。何かを評価していることに気づいたら立ち止まり、それを理解する方法はないか、受け入れることはできないか探ろう。好きになる方法はないか、苦痛を和らげる方法はないかも。周囲の全ての人、そして世界に対する期待を捨てるべきだ。人をありのまま受け入れ、本当の彼ら自身として捉えるべきだ。受け入れるということは何も変えないということではない。期待通りにならないとき心を乱したり苛々したり落胆したりせず、苦痛を和らげる方法を探すということだ。

2.目標を捨てる。

目標を捨てるという私の実験については、読者の多くがご存じだと思うが、誰もがその理由を理解しているわけではない。最も大きな理由のひとつは、目標を立てることによって可能性を制限してしまうということだ。それは行き先(つまり目標)を決めてしまうということだからだ。たとえばあなたが「6ヶ月後にマラソン大会に出たい」と思ったとしよう。そして目的地に到達するために必要な行動(マラソンを走るためのトレーニング)に絞る。しかし、マラソンのトレーニングをするべきときに、誰かからサーフィンに誘われたらどうだろう。あるいはマラソン大会に出るという目標を決めたときには知らなかった新たなレースが開催されることがわかり、そちらの方が魅力的だとしたら? 目標に執着し続けたら、あなたはサーフィンあるいは新しいレースという可能性に対して自分を閉ざしてしまうことになる。これはひとつの例にすぎない——目標が仕事に関するものだった場合、問題はもっとずっと目に見えにくい(そしてわかりにくい)ものになる。なぜなら可能性があまりに広範囲に及ぶからだ。決して目標を設定するべきではないと言っているのではない(検討する価値はある)。しかし、日々刻々と変化する状況に対応して、目標を手放す柔軟になる必要はある。

3.自己防衛機能を認識する。

痛みを伴う経験から私たちが長年築き上げてきた自己防衛機能には様々なものがある。より重要なのは、私たちがはほとんどの場合その存在に気づいていないということだ。だから防衛機能は知らないうちに発動し、簡単には打ち負かせない力を持ってしまう。だから認識できるようにならなければならない。ある特定の何かをせずにいる自分を発見したら、なぜなのか自分に問いかけよう。過去に何か嫌なことがあったのかもしれない。人を傷つけている自分がいたら、なぜなのか問いかけよう。人や経験を拒絶している自分にがいたら、それも問いかけよう。

4.空のようになる。

鈴木俊隆老師による素晴らしい例えがある。空は物質(気体、塵、水)からできている。しかし、それは全てを受け入れるよう開かれている。空は他のもの、例えば植物がそこに向かって成長することを許す。私たちの意識は、空のようになるべきだ——物ごとを分け隔てなく、そのままの状態で受け入れるべきだ。例えば「これは美しい、これは美しくない」と口にすることで、私たちは何かを拒絶することになる。そうではなく、空っぽになるのだ。全てのものを、大きな家族の一員であるかのように、自らの手足のように扱うのだ。

5.恐怖心と向き合う。

意識しない間に発動する自己防衛機能の底にあるのは恐怖心だ。恐怖心は、自己防衛機能と同様、その存在に私たちが気づかずにいるとき、無意識の暗闇の中に潜んでいるときに力を持つ。恐怖心によって、私たちは他者、世界、新たな経験に対して自らを閉ざしてしまう。心を静め、静けさの中で自らの声を聴くことによって、恐怖心と向き合おう。注視し、光を当てることで、恐怖心は力を失い始める。そうすればあなたは新しいことに対して、いやどんなことに対しても、心を開く自由を手にすることができる。

6.コントロールを手放す。

私たちは常に何かを——他者、自分、そして周囲の世界をコントロールしようとしている。目標、計画、成果の測定、期待、まだまだある。驚くほど多岐にわたる方法で、私たちは物ごとをコントロールしようとしているのだ。もちろんコントロールは幻想だということを私たちは知っている。それだけではない。それは世界のほとんどをシャットアウトしてしまうための方法でもある。もし世界を、そして未来をコントロールできるのなら、私たちはこれから起こる出来事を決めてしまっていることになる。そして他の可能性を閉ざしているのだ。ではコントロールを手放したらどうなるだろう? 可能性が開けてくるのだ。

7.何も持たない。

手放しで世界を歩き回る。難しいことではない。手は開いている。何も持っていない。何かやってきても、世界をありのまま受け止める準備はできている。

「刃を歩き、氷を渡り、梯子を通らず、崖に手放し。」
(禅の公案)

この記事は、Leo Babauta(レオ・バボータ) さんがUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。当サイトの翻訳文書に関するその他の注意事項については、翻訳文書についてをごらんください。