時間を無駄にすることが罪ではない理由

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時間を無駄にすることが罪ではない理由

著者:
Leo Babauta
原文:
原文公開:
2012-7-6
日本語訳:
日本語訳公開:
2012-7-8
日本語訳更新:

最近、ある人の書いた旅行のコツについての文章を読む機会があった。彼は「時間を無駄にすることは罪である」ことをいつも心がけ、たとえ飛行機に乗っているときでも、空き時間を少しも漏らさず活用しているという。「良い本を読む。ロゼッタストーンで外国語を学ぶ。しばらく連絡を取っていない世界中の友人たちに手紙を書く」という具合だ。

読書をしたり外国語を学んだり友人に手紙を書くことに全く異論はない。私が賛成できないのは、空き時間は効率的に活用されなければならないという考え方だ。かつての私ならその考え方に完全に賛同していたが、今では全く異なる考え方をしている。人生は生きるためにある。生産性のためにあるのではない。

一瞬一瞬を最大限に活用する

生産的な人々は、朝起きた瞬間から一分たりとも無駄にせず、最大限に活用しようと考える傾向がある。私は知っている。それほど遠くない昔、私もそうした人々のひとりだったからだ。

電車や飛行機に乗っている? もし仕事をしないのなら、何か自己を高めるような勉強をするのがいいかもしれない。

ミーティングの前に隙間時間ができた? To-Doリストを整理し、メールを何通か書き、今取り組んでいるプロジェクトについてメモのいくつかでも書いてはどうだろう。電話を何本かかけ、カレンダーに予定をまとめて追加するようSiriに命令するのいいかもしれない。自己啓発本のオーディオブックを聴いてもいいだろう。

家族とテレビを観ている? 同時にメールに返信したり、腹筋やストレッチをすることもできる。

友人とランチ? ビジネスの話をすれば、生産的なミーティングの時間になるかもしれない。

これが、私たちに求められている考え方だ。時間は無為に過ぎていく。時計は時を刻んでいる。砂時計の砂は落ちていく。だから一瞬一瞬が重要だ。

私もそのように考えてきた。しかし、今は少し違う見方をしている。

人生とはこういうものなのだろうか?

時間を一瞬たりとも無駄にしないというのは、賢く生産的な考え方に思えるかもしれない(いずれにしても時間が貴重なことには間違いない)。しかしここで一歩引いて、全体を見てみよう。

これが人生のあるべき姿なのだろうか? 止まることのない生産的なタスクの連続が? 一生続く労働時間が? 生産性と効率性に最適化されたコンピューター・プログラムが? 機械の中の歯車が?

喜びはどこに行ったのだろう? 芝生に寝転んで目を閉じ、まぶたに陽が当たるのを感じているときの愉悦は? 電車の中でうとうとするときの素敵な気分は? 自分を高めるためではなく、純粋な高揚感から読む小説は? 心からその人と一緒にいたいからという理由で誰かと一緒に過ごすことは? 何か生産的な目的に邪魔されず、目標にも汚されない、人との純粋な繋がりを作ることは?

自由はどこに行ったのだろう? 仕事に縛り付けられない自由、常に向上し続けなくてもよい自由、終わることのない仕事の退屈さからの自由は?

代替案

時間を無駄にすることは罪ではない——そもそも、表現自体が間違っている。時間を「無駄に」するかどうかが問題なのではない。楽しむかどうかが問題なのだ。

もし代わりに「この瞬間を最高に楽しむにはどうすればいいだろう?」と自分に問いかけたとしたら、命題全体が組み替えられてしまう。

今や、それが喜びをもたらしてくれるのなら、この時間を仕事をして過ごしてもいい。しかし、リラックスして何もせず、首筋に微風を感じながら過ごしてもいい。大切な友人との会話に時間を忘れてもいい。恋人と毛布の中で抱き合ってもいい。これが人生だ。喜びと驚きに満ちた人生だ。

この記事は、Leo Babauta(レオ・バボータ) さんがUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。当サイトの翻訳文書に関するその他の注意事項については、翻訳文書についてをごらんください。