決めつけない

決めつけない

著者:
Leo Babauta
原文:
原文公開:
2014-1-27
日本語訳:
日本語訳公開:
2014-4-2
日本語訳更新:
2014-4-12

これまで身につけてきた物ごとの中で、私をいちばん幸福に近づけてくれたもののひとつ。それは人について何かを決めつけるのは危険だと知ったことだ。

私は決して人のことを決めつけたりしないなどと言うつもりはない——決めつけるというのは人類に先天的に備わった機能か、もしくは先天的に備わった機能の結果として身についたものだと私は考えている。誰もが人を決めつける。私も例外ではない。

それでも自分が人を決めつけているのだということを、以前よりは意識できるようになった。そしてそれが悪い兆候であると認識できるようにもなった。

決めつけること自体が悪なわけではない。ただそれは有害な何かの兆候なのだ。ここで「悪い」というかわりに「有害」という言葉を使ったのは、決めつけることなくその害を観察したいと思うからだ。

私が人を決めつけようとするとき、その裏に潜んでいる有害な原因/状況をいくつかあげてみよう。

  • その人の置かれている状況について、私はまったくの無知だ。
  • 私は状況を理解していない。
  • 私は人に対して非現実的な期待を持っている。
  • 私は自分が他人よりも優れていると思っている。
  • 私には感謝の心がない。
  • 私は自己中心的である。
  • 私は知りたいと思う気持ちがなく、学びの機会を閉ざしている。
  • 決めつける立場にいたままでは、本当に状況を改善する助けにはなれない。

具体例

理解しやすくするために、架空の、しかし典型的な例をお見せしよう(症状が現れている部分を強調している。うるさかったら申し訳ない)。

私には親戚がいる。彼女は健康を害するようなことばかりしている。太りすぎで糖尿で煙草を吸い、いつもジャンクフードを食べ、他にも体に悪いことばかりしている。彼女が習慣を変えれば健康状態を改善できることを私は知っている。彼女の行動を私は批判する。悪く思い、失望し、その価値もないので無視する。こうしたことは私だけでなく誰にでもしばしば起こることだ——登場人物を配偶者、同僚、子ども、友人に代えて、不健康な習慣の部分をあなたの気に入らない別の何かに変えてみればいい。

この例では何が起こっているのだろうか? まず私は彼女が何を経験し、どんな状況にあるのかを理解していない。健康問題のせいで彼女は気落ちし、罪悪感を感じ、行き詰まり、恐怖を感じ、自分を信用できなくなっている。こうした悪感情があるために、彼女は健康問題には触れたくないと思っている。そして煙草とジャンクフードの力を借りて気分を高めようとしている。彼女はただ幸福になろうとしているだけなのだ。実際、私もしょっちゅう同じようなことをしている——何かがうまくいかない。嫌な気分になる。自分を慰めようとする。だから私は彼女より優れてなどいないのだ。たとえそう感じていたとしても。

もっと悪いことに、健康問題にもかかわらず彼女は素晴らしい人であるということへの感謝の念がない。彼女は素晴らしい人だ。彼女を決めつけることに気持ちが向いているせいで、私にはそれが理解できなくなっている。自分の方が優れていることや失望させられていること、彼女の痛みと比較した私の失望の重要性に意識が向き、自己中心的になっている。私は彼女をもっとよく知りたいという気持ちを無くしている。彼女がくぐり抜けていることやその理由を知ろうとするかわりに決めつけ、その機会は失われてしまう。決めつける立場から人の助けになることはできない。対話の機会を閉ざし、彼女を切り捨ててしまっているからだ。

こうした態度がいかに有害かということがわかるだろう。失望と不満をもたらし、愛すべき人との関係を傷つけてしまう。コミュニケーションと学びを妨げる。彼女を助ける邪魔をする。彼女が与えてくれるものに対して扉を閉ざしてしまう。そしてこれは一部に過ぎない。

どうしたら決めつけないでいられるか

まず人のことを決めつけているということを自覚し、危険な行為だと認識しよう。決めつけること自体が恐ろしいことを引き起こすわけではないが、あなた自身と他者に有害な何かが進行しているということの明白なサインではある。

これには慣れが必要だ。しかし、決めつけを示す一般的な症状がある——誰かに対して腹が立ったり、失望したり、無視したくなったりすることだ。文句を言ったりかげ口を言ったりすることだ。これらは、あなたが他人を決めつけていることを示すサインだ。そのことを自覚しよう。

危険な兆候に気づいたら、立ち止まって考えてみよう。自分に腹を立てる必要はない。ただ考えるのだ。

  • なぜ決めつけているのだろう。
  • どんな非現実的な期待をしているのだろうか。
  • その人が経験していることについて何か推測できるだろうか。
  • 他に何かわかることはないだろうか(いつでもというわけではないが、わかることもある)。
  • その人の中で、認められる部分は何だろうか。
  • 自己中心性から抜け出して、他人の靴に足を入れてみることはできるだろうか?
  • 似たような状況に自分が置かれたときのことを想像してみることはできるだろうか。

そこまでできたら自問してみよう。自分に何ができるだろう? この人は何を必要としているのだろう? ある場合には単に耳を傾け、友人になり、決めつけず、受け入れればいい。ときにはもっと多くのものが必要だ——助言し、導き、抱きしめること。

決めつける立場から、人の助けになることはできない。決めつけたい気持ちを手放し、受け入れ、理解したいと思い、共感する。その場所に立つことができてはじめて本当に人の助けになれるのだ。ついでに言えば、その過程であなた自身もずっと幸福になれる。

この記事は、Leo Babauta(レオ・バボータ) さんがUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。当サイトの翻訳文書に関するその他の注意事項については、翻訳文書についてをごらんください。