向上の欲求を捨てる

Renji Talk Top > レオ・バボータ関連翻訳 > Zen Habits > 向上の欲求を捨てる

向上の欲求を捨てる

著者:
Leo Babauta
原文:
原文公開:
2011-12-13
日本語訳:
日本語訳公開:
2012-7-1
日本語訳更新:

長年の間、私の生き甲斐のひとつとなっていたのは、自分を向上したいという欲求だった。私の読者の方々にとっても、おそらくそうだろう。

同じことは驚くほど多くの人に当てはまる。私たちは常に自分を向上しようとしているのだ。もしそうでないとしたら、それ自体が改善されるべきことだ。

あらゆるところに存在するこの欲求は、どこから来ているのだろう。それは私たちの文化に組み込まれている——米国ではベンジャミン・フランクリンに始まり、初期の巨人起業家たちまで、誰もが自らを向上しようとしてきた。それは完璧な個人という古くからの西欧の理想にまで遡ることができるが、特に盛んになったのは20世紀、デール・カーネギー、ナポレオン・ヒル、そしてスティーブン・コヴィーらによってだ。そして今、ブロガーたちによって全盛期を迎えている。そう、私自身もそのムーブメントの一部だ。

ところで何が問題なのだろう。人々が常に自らを向上しようとするのは素晴らしいことではないだろうか。しかし、終わりはどこにあるのだろう。自分が自分であることに満足できるのはいつのことだろう。自分はまだまだだと私たちは教えられてきた。だから向上しなくてはならない。そして私たちは常に、自分には少しだけ何かが足りないように感じるようになってしまった。

どれだけ達成しようと、それは変わらない。あなたは既に1000個の目標を達成したかもしれない。しかし、あなたの腹筋は割れているだろうか。あなたのおっぱいは大きくてハリがあるだろうか。肌のお手入れは完璧だろうか。古典文学の名作を全て読んだだろうか。高級ワインや優れた芸術、クラシック、ジャズからパンク、ロックに至る素晴らしい音楽家についての知識があるだろうか。起業家として、あるいは著述家として成功しているだろうか。数カ国語を話せるだろうか。世界を旅したことがあるだろうか。所有するモノを100個以下まで減らしただろうか。家はミニマルだろうか。ランニングで好タイムを出せるだろうか。100マイルレースを走っただろうか。クロスフィットができるだろうか。BIG3(ベンチプレス・スクワット・デッドリフト)で1000ポンド上げることができるだろうか。家は完璧だろうか。本格的な料理が作れるだろうか。親としての役割を完璧に果たしているだろうか。完璧なワーク・ライフ・バランスを維持しているだろうか。ヨガと瞑想とジャグリングと手品ができるだろうか。旨いコーヒーと旨いお茶を煎れられるだろうか。旨いビールを醸造できるだろうか。シェリーやシェイクスピアやホーマーを暗唱できるだろうか。ナンパが上手いだろうか。非の打ち所のない友人であり、恋人だろうか。情熱的な夫だろうか。良妻だろうか。一流の職人だろうか。プログラマー兼ハッカーだろうか。手芸ができるだろうか。日曜大工が得意だろうか。不動産投資に造詣が深いだろうか。完璧な目標管理システムを知っているだろうか。完璧なTo-Do管理ソフトを使っているだろうか。携帯電話は彼のと同じくらい優れているだろうか。バッグは彼女のと同じくらい素敵だろうか。かわいいブーツを持っているだろうか。ひげそりは男らしいだろうか。借金を全て返済しただろうか。車を手放しただろうか。グルテンを摂らない食生活を送っているだろうか。保護施設でチャリティ活動やボランティア活動をしているだろうか。アフリカの子どもたちのために学校を作っただろうか。あなたのテレビは私のテレビと同じくらい大きいだろうか。あるいはあなたのペニスは。

あなたは充分だろうか。そのことに自信を持てるだろうか。

私たちは永久に何かが足りない。永久に完璧にはなれない。永久に自信を持てない。永久にもっと良くなれる。永久に自分自身を認められない。永久に満足できない。永久にたどり着けない。永久に満たされない。

それこそが自己啓発やフィットネス、クールなガジェット、素敵な服、より良い車や家、バッグ、ブーツ、整形手術、ドラッグ、セミナー、講座などを私たちが買い続ける理由だ。そこには終わりがない。なぜなら、もうこれで充分だと感じられることは、永久にないからだ。

私たちは向上しなければならない。全ての自己啓発をテーマにした本を読まなければならない。ブログで読んだメソッドを試してみる必要がある。なぜならそれは向上につながるからだ。誰かが何かを達成した経験、彼の目標管理システム、起業家としてのライフスタイル。彼女のヨガの習慣、生活記録の付け方、読書歴。そうしたものを読んだら、自分でも同じことを試してみなければならない。私たちは人のしていることを読んでばかりいる。もしかしたら自分自身の向上につながるかもしれないからだ。そして人のしていることを試してばかりいる。全てのダイエット、全てのシステムを試している。人の向上につながったことなら、自分の向上にもつながるかもしれないからだ。そのうち究極のソリューションが見つかるかもしれない。それはすぐそこにある。まだ見つかってはいないけれど、もしかしたら今年こそは。

2012年こそが、私たちが完璧に到達する年なのかもしれない。

あるいは、死ぬまで同じことを繰り返すのかもしれない。それは人生の一部なのかもしれない。人生とは常に向上を目指す過程であり、その努力を止めるわけにはいかない。なぜならそれは死んでいるのと同じだからだ。違うだろうか。それによって「自分はもっと向上できたのではないか」と死の床で思うことになるとしても。人生の終わりに思うことが「私は人として足りているだろうか?」だったとしても。それが自分自身に永久に満足できないことを意味するとしても、少なくとも満足しようと努力はしている。違うだろうか。

では、もしも自分自身に満足できるようになったらどうなるだろうか。

何が起こるだろうか。

向上を目指して努力することを、私たちは止めてしまうのだろうか。満足し、常に自らを向上する必要が無くなったら、それは悲惨な事態だろうか。私たちは怠け者になってしまうのだろうか。そうではなく幸福になり、向上ではなく幸福を目指すようになるのだろうか。幸福になったら他の人にも幸福になる方法を教えたりするのだろうか。頭がおかしくなったと思われるのを承知で書くが、もしかしたら私たちは、人々が自分を不充分だと感じずにすみ、モノにお金を注ぎ込まずにすみ、全ての時間を自己改善に使わなくてもすむ、幸福の小革命を起こすことになるかもしれない。

満足の革命だ。

この革命が、人生をどのくらいシンプルにしてくれるか考えてみよう。
あなたが読んだり、車の中で聴いたりしている自己啓発本の数を考えてみよう。自分を向上するためにどれだけモノを買っているか考えてみよう。向上を期待しつつ、どれだけの量の記事をオンラインで読んでいるか考えてみよう。自己不足感を解消するために、どれだけたくさんのことをしているか考えてみよう。この革命がどれだけの時間を、どれだけの精神的エネルギーを解放してくれるか、考えてみよう。

自分はすでに完璧だと気づこう。あなたは既にそこに到達しているのだ。
もう、安堵のため息をついてもいいのだ。

自分を向上したいという衝動はまた浮かび上がってくる。そうしたら、自分の魂を欺こうとしている小さなピエロだと思って眺めていよう。ただしそのことで嫌な気分にならないようにしよう。小さなピエロに反応してはいけない。彼の攻撃に痛みを感じてはいけない。好きに踊らせ、好きにしゃべらせておこう。やがてどこかにいなくなるだろう。

改善したい、向上したいという欲求を抑えこもう。それはあなたに自己不足感をを抱かせるだけのものだから。

満足の世界を探検しよう。それは驚異の世界だ。

満足は、最大の宝である
(老子)

この記事は、Leo Babauta(レオ・バボータ) さんがUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。当サイトの翻訳文書に関するその他の注意事項については、翻訳文書についてをごらんください。