変化の痛み、変化の美点

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変化の痛み、変化の美点

著者:
Leo Babauta
原文:
原文公開:
2013-9-18
日本語訳:
日本語訳公開:
2013-9-29
日本語訳更新:

苦しいのは、人生の変化に抵抗するからだ。

そして、人生とは変化のことなのだ。

私も人と同じように変化に抵抗する(そして苦しむ)が、それでも適応することを学んできた。柔軟性を身につけたと言ってもいい。私が気づいたのはこういうことだ。

全ては変わっていくし、それは美しい。

変化の痛み

変化に抵抗することが苦しみにつながるとは、どういう意味だろうか。
私たちを苦しめる出来事の例をいくつかみてみよう。

  • 職場で怒鳴られる。ここでの変化は、私たちが他人から親切に、公正に、尊敬を持って扱われることを期待しながら、現実は必ずしもそうではないというところだ。私たちはこの現実に抵抗し、望み通りの現実になることを願う。そして腹を立て、あるいは傷つき、気分を害する。
  • 三歳の(十三歳でもいいが)子どもが言うことを聞かない。ここでも、子どもにある特定の振る舞いを期待しているが、もちろん現実はそうはならない。そして現実が期待通りにならないとき、私たちはストレスを感じる。
  • 失業する。これはあなたの経済的安定だけでなくアイデンティティをも脅かす、大きな変化だ。教師であるあなたが職を失ったら、自己認識の修正を迫られることになる。これは容易なことではないかもしれない。このような変化に抵抗すること(そして仕事を失ったことに伴う経済的な不安)は、大きな痛みを伴うことが多い。
  • やるべきことが多すぎて何をしていいのかわからない。ここでは何が変化しているのだろう? 私たちは物ごとがコントロール下にあってほしいと考えるが、もちろんそうはならない。新たなタスク、新たな情報、新たな依頼、新たな要求が入ってくる。これは容易ではない変化だ。一日がコントロール下にあると思っていたのに、そうではなくなってしまったからだ。そしてどうしていいかわからなくなり、ストレスを感じる。
  • 愛する人の死。もちろん死は究極の変化のひとつだが、具体的には何が変わったのだろう?まず、その人はもういない(少なくともこれまでと同じ形では存在していない)ことは間違いない。そして同じくらいの痛みを伴うのは、自分がもはやその人がいた頃の自分ではなくなってしまったということだ。以前と同じ自分のままではいられない——今や夫ではなく男やもめであり、娘を亡くした元・父親であり、友人に取り残された元・友人だったりするのだ(たとえば)。人生が以前のままであってほしいのにそうではないので、私たちは悲しみ、苛立つのだ。

そしてこれは始まりに過ぎない。物ごとは常に変わり続け、私たちは抵抗する。日々は変わり、人間関係も変わり、人は期待を裏切り、私たち自身も変わり続ける。簡単に対処できることではない。

そう、これが変化の痛み、コントロールできないことの痛み、期待を裏切られる痛みなのだ。

どのように対処したらいいのだろう?

変化の美点

変化の痛みを乗り越えるために、私たちは様々なことをする。腹を立てて大声を出す。酒やクスリに手を出す。ジャンクフードを食べる。テレビその他で時間をつぶす。あるいはポジティブな手段でストレスや痛みや怒りに対処することもある。エクササイズをしたり、問題について友人と話したり、何らかの方法(プランニング、何か行動を起こす、状況を変えるために思い切って話をするなど)で状況のコントロールを試みたりすることだ。

あるいは、変化を受け入れることもできる。

人生の基本が変化ならば(実際、人生とは変化意外の何ものでもない)、なぜ抵抗する必要があるのだろう? なぜそれを受け入れて楽しもうとしないのだろう?

変化の美点に目を向けよう。

簡単なことではない。私たちは変化に抵抗することにあまりにも慣れてしまっているからだ。

しばらくの間、抵抗や判断を脇に置いて、変化の中の美しさを探してみよう。

  • 職場で怒鳴られる。その人は痛みと不満を抱え、腹を立て、それをあなたにぶつけている。人生というカオスをコントロールしようと(無駄に)試み、失敗している。共感できるだろうか。あなたも同じように感じたことはないだろうか。私たちはみな似ているということ、同じ痛みを感じていること、人として繋がっていること。そこに美点がある。心の中にこの美しくも痛みに満ちた人間を受け入れ、その痛みを感じ、思いやろう。
  • 三歳の(十三歳でもいいが)子どもが言うことを聞かない。驚くべきことに、あなたの子どもは独立を主張しているのだ。彼女は命令に従うだけのロボットではなく、立派な人間であることを示している。あなたもそのような立場に置かれたことはないだろうか。あなたを支配しようとする他人に不満を抱いたことはないだろうか。独立心、闘争心、反抗心の中に美点がある。それこそ人生だ(そう、人生は変化だと言ったが、同時に支配に対する抵抗でもある)。美しいものに対しては微笑み、愛し、子どもに成長の余地を与えよう。
  • 失業する。困難な状況には間違いないが、それは終わりであると同時に始まりでもある。新しい旅の始まりであり、人生をリフレッシュし、自分自身を再生する機会でもある。そこにある、「今までのやり方」からの自由という美点があることに気づこう。
  • やるべきことが多すぎて何をしていいのかわからない。これは疑いなく厳しい状況だが、タスクと情報と要求が渾然一体となったカオスに手を挙げて降伏してしまってもいいのだ。全てを一度にやることはできないが、何もかもを完全にコントロールするという欲求を手放すことはできる。人生とはランダムでクレイジーなものなのだから。同時に抵抗の痛み、闘うことの美しさにも目を向けよう。そして一度にできることは一つしかないとしうことを認識し、その通りにしよう。一つ終えたら次に移ろう。カオスを受け入れ、その中に美を見いだすことで、圧倒されてストレスを感じることは少なくなる。
  • 愛する人の死。ここにあげた中で最大の困難かもしれない——疑う余地なく悲しいことだ。しかし死は終わりであり、終わりは必ずやってくる。終わりは美しさに不可欠だ。さもなければ私たちは何かに感謝することもないだろう。いつまででもあるのだから。終わりとは美しさそのものだ。死とは究極の終わりであり、人生という美しいものが終わらないうちに感謝することを思い起こさせてくれる。死は始まりでもある——来世という意味ではなく、生きているものにとっての始まりという意味で。大切な人を失ったかもしれないが、失業のときと同様、終わりは再生の瞬間でもある。悲しいかもしれないが、愛する人の死によって、私たちは人生の再生を強制される。再生は機会につながる。素晴らしいことだと私は思う。もちろん、死はその人が生きたことを記憶し、与えてくれたものに感謝するための機会でもある。

変化との闘いの中に美しさを見出せば、そこには無限の可能性がある。それ自体、素晴らしいことだと私は思う。

この記事は、Leo Babauta(レオ・バボータ) さんがUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。当サイトの翻訳文書に関するその他の注意事項については、翻訳文書についてをごらんください。