他人のために生きる

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他人のために生きる

著者:
Leo Babauta
原文:
原文公開:
2012-05-16
日本語訳:
日本語訳公開:
2012-05-20
日本語訳更新:

多くの人が、人生の中で現実的に必要とは思えないという理由で、ミニマルな生き方をしない。しかし多くの場合、その意味するところは人から変に思われたくないということだ。

毎日同じ服を着ていれば、友人や同僚から変に思われるかもしれない。車を持っていないと変わり者だと思われるかもしれない。スマートフォンを持っていないと時代遅れになるかもしない。非常に小さな家RV車に住んだりすれば、よほどお金がないか、さもなければ頭がおかしいと思われるかもしれない。肉も卵も乳製品も食べない絶対彩色主義者だと言えば、周囲の非・菜食主義者に目をむかれたり非難されたりするかもしれない。

しかし、私たちはいったい誰のために生きているのだろう。私は人を助けるためにはできる限りのことをしたいと思っている。しかし、他人の期待を満たすために生きれば、結果的に自分の望まない人生を生きることになる。そして、たくさんの人の期待に沿って生きたとして、私たちは何を得られるのだろう。みんな本当はそんなことはどうでもいいのだ。ただ、何かが違うということが気に入らないだけなのだ。何かが変化すると落ち着かないからだ。しかし、みんなと同じことをしたとしても、みんなの幸せにはつながらない。ただ、みんなに人生の再考を強制しないというだけだ。

ところで、このような人々の期待というのは、いったいどこから来るのだろう。その人たちが作り上げたというわけではない。それは、私たちに高額なモノを買う習慣を植え付けようとする企業によって、長年にわたり、多くの場合極めて意図的に作り上げられてきた慣習だ。私たちはたくさんの服や小物などを持っている。ファッショナブルであるためには、成功するためには、女性らしい気分になるためには、テレビに出ている人々のように素敵であるためには、そうした服が必要だという考えを、広告によって植え付けてきたからだ。しかし昔から常にそうだったわけではない。そしてこれから先もそれでいいのかということは、私たち自身の選択にかかっている。

社会を捨てて森に住むべきだと言っているのではない(それは悪い選択ではないが)。私は社会の中で生きているが、いつも同じ服を着ていても誰も気にとめない。私がクリスマスプレゼントを買わないと聞いて怒り狂う人もいない。家にケーブルテレビも車もないと聞いて目を丸くする人はいるかもしれないし、絶対菜食主義者であることについて説明は必要かもしれないが、誰も腹を立てたりはしない。彼らは彼ら自身の人生を生き続けるだけだ。そしてもちろん私も。

他の人と同じことをしてもうまくはいかない。モノがたくさんあっても、人は幸せにはならない。車に乗ってばかりいれば、ストレスと不健康と公害のもとになる。標準的なアメリカ人の食生活は人を不健康にする。みんながそうあるべきだと思う方法がベストとは限らない。流れに逆らおう——他の魚にも、どこに向かっているかはわからないのだ!

人に対しては、進んで助けの手を差し伸べ、思いやりを持って接し、感謝しよう。しかし、彼らの期待に基づいて生きるのはやめよう。そうすれば、無意味な慣習の足かせから自由になり、生きたいように生きられるようになる。

この記事は、Leo Babauta(レオ・バボータ) さんがUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。当サイトの翻訳文書に関するその他の注意事項については、翻訳文書についてをごらんください。