〇温泉旅行
に行ってきたわけではありません。
行きたいなって話です。
今年はもう後僅かなので年明けにみんなで出かけませんか?
箱根とか湯河原あたりで充分なので
卓球ができて宴会しちゃいましょう。
日程が決まったら必ず告知しますので、是非ご参加を・・・
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〇この夏は京都行き
毎年子供達と3人で関西方面に行ってました。
今年のリクエストはズバリ「京都」です。
さっそくパンフレットをもらってきて検討中。
いつもは新幹線や飛行機で行ってたけど今回は車で行ってみようかな?電車の時間も気にせずに済むし、荷物も心配ないし。
普通のETC割引だけでも充分安上がりだしね。
さて、どこのお寺参りにしようっかな?
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〇東京マラソン
先月の22日に行われた東京マラソンに出場してきました。
今回で2回目。7倍の抽選に当ってラッキーでした。
朝7時に新宿に到着。ゆっくり支度をしてトイレに何度も行って
いざスタート!9:10。号砲から約5分でスタートラインを切った。
今回の目標タイムは4時間切りを目指すが、基本は完走が第一。
順調にタイムを刻んで走っていたが、20キロ手前ぐらいから貯金が無くなって行き、ここで頑張ってしまうと後が持たないので取りあえず
35キロまでは我慢の走り。とは言ってもそう楽なものでもない。
沿道の応援に元気をいただきながら騙し騙し走る。銀座を通過して
浅草の雷門を折り返しまた銀座に戻る。華やかなコースがいい。
東銀座を抜けて築地の交差点を左折するとここが35キロ地点。
ここから本人はスピードを出してるつもりなんだけど一向にタイムは上がらない。逆に橋を渡るアップダウンで体力が奪われていく。
38キロから先の4キロが相当きつかった。全然前に進んでいかないんですよ。やめたくって仕方がないんだけど、ここまで来たんだからと
自分を説得しながら足を出す。
我慢に我慢を重ねてやっとのおもいでゴールしたときは限界でした。
タイムは4:06。もう少しだったんだけど、まあいいや。
完走できてよかったです。ヘルニアの手術をしてまた走れるようになったんだもの。自分の身体に感謝。優しい言葉をかけつづけてくれるボランティアスタッフ、応援の方々に感謝です。ありがとう!
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〇三年ぶりの四国行き
来週の9,10,11日で久しぶりにお遍路に行ってきます。
前回たどりついた高知県の宿毛市が今回のスタートです。
あと、7キロも歩けば新しい県である愛媛県入りになるのです。
長かった高知とはこれでひとまずさようなら。
宇和島を通って松山市に向って歩きます。今回は始めて松山空港を利用して、宇和島までJR予讃線、その後バスにて宿毛です。
高知龍馬空港に何度通ったか。なんとなく淋しい気持ちと新しい風景の街松山が楽しみやらな複雑な気持ちですね。
あとはお天気次第。晴れたらいいけど、雨は雨も経験だしね。
帰ってきたらちゃんと報告しますね。久しぶりの旅だしね。
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〇新年あけましておめでとうございます
結局、去年は四国の続きが行けませんでした。
毎年1年に1,2度は行きたいと思いつつも仕事にかまけて不実行しております。でも、今年は行きます。そう決めました。
次回は高知県最後のお寺から少し進んだ宿毛からの出発になります。あと少しで菩薩の道場といわれる愛媛県に入ります。長かった高知県は修行の道場といいさすがに道のりはかなりのものがありました。
修行から菩薩に変るのです。とても楽しみですが愛媛に入り宇和島を過ぎるとまたしても山中に入り込みそうたやすく平穏な道にはしていただけないようです。そこを抜けると一気に松山に向うのです。
四国一の都市松山、正岡子規や秋山好古、実之兄弟のふるさとに今年中にたどりついて坊ちゃんで有名な道後温泉に浸かってみたいものです。
あー早く行こうっと!みなさんもどんどん旅に出てくださいね!
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〇韓国ツアー
先週の3,4,5の二泊三日で韓国に行ってきました。
今回はなんと6人。私以外全員女性。4年前に行ったメンバー+2人。みんなポイントワンの元従業員と現役さんなのです。
1日目はソウル着が15時半ぐらい。それから免税店やら連れ回らされてホテル到着が9時ちょっと前。今夜は東大門市場の屋台で飲むと決めていたので荷物を置いて早速GO!なところに+ガイドさん。
「一緒に行ってもいいですか?」「いいですよー!」で御一行さんができた。
タクシーで現地に到着。適当な屋台に入り先ずはビールで乾杯!モツ炒めやらトッポギやら韓国っぽーいメニューで舌鼓。ちょっぴり辛くてマシソヨー!ビールが進む。お腹を満たして次のお店に。
ここは日本で言えば養老の滝的な居酒屋。手巻き野菜とチヂミをつまみにジンロをがぶ飲み。ガイドさんの話や四方山話で花が咲く。
いい加減酔ってきたところでさて次は?カラオケに行くか?踊りか?
タクシーで相当遠い所まで連れて行かれた先はナイトクラブ。2件とも中まで入ってみたものの月曜日のせいか盛り上がってない。イマイチなのでやめることにした。みんなは少し疲れ気味。ここでホテルに帰る組とお別れ。残った3人で屋台飲みを続ける。今何時?
そろそろホテルに帰りましょう。お疲れさまでした。ガイドさんまたね。
で帰ってからも部屋飲みする。いったいどんだけ飲めば気が済むの?な1日目でした。
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〇秋山
今月の19、20日で秋の山登りにいく予定です。
場所は、奥秩父にある金峰山とミズガキ山。二峰とも百名山です。
いままでこの辺りの山には行ったことがないので敢えて行ってみたくなりました。中央高速を走っていると甲府の奥に見える山のあたり。
左側は夏に登った甲斐駒ケ岳のある南アルプス。
今度はこっちからその山々を見てやろうという企画です。メンバーは、夏のメンバーにプラス女性1名の5人。みんな勝手がわかっているいい仲間なので今からとても楽しみです。
2200〜2500mの山なのでこの時期でも充分紅葉が狙えそう。
お天気がよければ富士山、南アルプス、八ヶ岳、遠くは北アルプスが見えるのかな?泊まりは山頂近くの金峰山小屋。朝夕の眺めを期待しています。結局、がっつりと飲んじゃうんだろうな。
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〇奈良行き
毎年恒例になりつつある子供達と私の関西ツアー。
第一の目的は何と行っても大阪のUSJで遊ぶこと。
三年連続で行っちゃってます。
2日目は、去年大阪見物をしたので、今年はちょっと足を伸ばして奈良の世界遺産めぐりを企画しました。遊びと文化に触れる旅です。
近鉄奈良駅からスタートして徒歩でまずは興福寺に。奈良と言えば鹿。いきなり鹿だらけ。すでに釘付け状態。写真とりまくり。
しかせんべいは後にして、取りあえず歴史だ。
興福寺の国宝館は見事。国宝だらけ。中でも有名な阿修羅像はものすごく美しい。しばらく見とれてしまいます。
お次は東大寺。シカせんべいをシカに上げてから向いました。
参道の先には南大門。ドカーンとでっかい。仁王像がこれまたでかい。久しぶりの東大寺大仏殿はもっとでっかい。大迫力なんだけどその伽藍は青空に良く映える。気品のある美しさでした。
お線香を焚き中に入ると大仏の大仏たる姿にみんなびっくり。すごいよね。昔の人、相当昔の人が良く作ったものだ。合掌
お水取りで知られる二月堂に登る。 |
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〇夏山登山
8月3、4日で山に行ってきました。今回は南アルプスにある甲斐駒ケ岳と仙丈ヶ岳。ちょっと欲張って両方に登っちゃおうという計画。
夜中の12時にお店を抜け出して車で出発。メンバーは松さん、なっち、青ちゃんと僕の4人。順番に拾って中央高速で甲府経由芦安を通過して夜叉神の駐車場着が4時。車で仮眠。5時半のバスを待つ。
すっかり明るくなり今日もいい天気になりそうだ。バスに乗り込み広河原で北沢峠行きのバスに乗り換える。到着が7時半ごろ。
予約しておいた駒仙小屋の受け付けを済ませ準備をして8時半に出発。
今回は小屋〜仙人小屋〜駒津峰〜山頂〜駒津峰〜双児山〜北沢峠〜小屋のコース。コースタイムで登り4時間20分、下り2時間30分の中ぐらいな感じ。
ゆるやかな山道を順調に歩をすすめていくと30分で仙人小屋に着く。ここから先は急登が続く。みんなもくもくと登る。汗がしたたる。息を整え水分を補給しながら高度をかせぐ。
ハイマツの香りが漂う中視界が開けるとそこが駒津峰。まわりの山々が望める。前に甲斐駒そして横に摩利支天、うしろに仙丈、北岳、間ノ岳。どれも素晴らしい山容をあらわしている。
ここからガレた岩の稜線を登り下りして山頂に近づく、陽射しが肌を焦がす。分岐から巻道で摩利支天側に反れて白砂の斜面をじりじり登っていくと山頂はもうすぐだ。途中立川高校の地学の先生のレクチャーを聞きながら花崗岩を楽しむ。
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〇お見舞い
おとといの月曜日僕のおやじさんと二人で福島のばあちゃんのお見舞いに行ってきた。ばあちゃんは今年90歳になる。おふくろのお母さんだ。
おやじさんは今年に入ってとてもばあちゃんを気にしていて「お見舞いに行かないと落ち着かない」と言っていたので僕も付き合うことにした。
朝6時に出発して渋滞にも合わず順調に走行し、まずは叔母の家に立ち寄る。挨拶をして少し休んで次はおやじさんの兄の家に。一緒にお見舞いに行きたいということなので3人でおふくろの実家に。
叔父と叔母の案内で病院に向う。わずか5分の距離なので行きやすい。田舎の小さな病院だが新しくてキレイだった。病室に行く途中もスタッフのみなさんは気持ちよく挨拶をしてくれる環境だ。
建物の一番奥の奥にばあちゃんの部屋があった。
久しぶりのご対面。ずいぶんちっちゃくなっていた。口から食べ物を入れられず点滴の栄養剤で生きている。
「ばあちゃん。僕だよ。カズヨシだよ」僕の顔を目でしっかり追っている。その顔を見ていると僕がまだ子供だった頃のことを思い出した。
野良仕事で疲れているのに僕が好きだからとじゃがいもを薄く切ってお手製ポテトチップをこさえてくれた。夕ご飯はこれまた僕の好きなカレーを作ってくれたっけ。いろんな思い出がかけめぐる。自然に涙がこぼれてくる。
僕に代わっておやじさんが声をかけると突然しゃべった。
「さびしかんべ」と二度。おふくろが亡くなってひとりで淋しいだろうと。
この言葉はばあちゃんが元気なころかなりボケが進んでいたはずなのにおやじさんに話し掛けていた言葉だ。
そのときよりもっと進んでいるのに。しかも叔父も叔母も声を聞いたのは何ヶ月ぶりだと言う。そこにいたみんなはたまらなく涙した。
おやじさんも僕もお見舞いに来て良かったとこころから思った瞬間だった。「ばあちゃん、また来るからね!」後ろ髪を引かれる思いで病室を後にした。
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〇おそば
先日ひとり程が谷駅そばの宿場そばに立ち寄った。
以前東海道を歩いたときに一度行ったお店だある。
時間が中途半端なので店内には客がおらず、それがいい雰囲気だった。江戸時代の建物を模して作られた佇まいはまさにタイムスリップした空間だった。
ぽつんとひとり座敷に腰掛けてしずかにそばが運ばれてくるのを待つ。店に置いてある雑誌は「横濱」ローカルねたにはもってこいだ。
しかも神奈川の街道を特集した号だった。山道の写真は今の私にもってこいだった。まだまだこんな風景があるんだな。
あまりに静かな時間。ちょっとウトウトしてしまう。そんなところにそばが運ばれてきた。まさに手打ちのそば。ちょっぴり甘めのつゆに良く合う。そばの香りもいい。歯ごたえも丁度である。あっという間に食べ終わる。
そば湯が冷めないようにポットに入ってある。つゆに足しいれる。
白く濁ったそば湯はとろっと濃い目。こうじゃなくちゃそば湯じゃない。
これで焼酎を飲みたいところだ。そのまま飲んでも当然美味い。
帰りにご主人と立ち話。東海道で以前寄らせてもらったこと。ご主人は宿場好きで街道を残すボランティアをしていること。そばも手打ちで二八、一九、十割と打ちこなす。瀬谷区で蕎麦畑を栽培していること。
読売文化センターでそば打ち教室で教えていること等々。
ぷらっと立ち寄ってとても楽しいひとときであった。
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〇歩く
東海道ツアーを企画してぼちぼちと歩きながら
その土地の空気を感じて所々のお店に立ち寄りながら
仲間と楽しんでいる東海道ツアーも二ノ宮までたどり着いた。
東京から横浜近辺を通り過ぎて東海道線を利用するようになると
少しずつでも距離感が遠のいて行く。
次は二ノ宮〜箱根湯本あたりに到達する予定である。
ここまで行くとさすがにぬるい歩き方から卒業する距離になる。
いつまで?どこまで?行けるのだろうか?
とりあえず箱根越えが目標である。
今年中に実行したいものである。
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〇かれこれ
去年は3月に娘とパリに行って、4月に息子と京都に行って、夏休みに子供達と大阪に行った。ということは全く一人旅にでていない。
秋に四国に行こうとぼんやり考えていたのだが、入院してしまったので行けなかったのだ。そして今年もあっという間に四月。
そろそろ旅に出たい病が現れてきた。気持ちがギスギスしてくるのだ。こうなるとリセットが必要になってくる。仲間と東海道を歩くのも旅だがやはり一人になって淋しくなる気持ちとは違う。
ああどうすればいいかな?思い切って休んじゃおうかな?
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〇今年の旅は?
あけましておめでとうございます。
去年は秋に一年ぶりのお四国巡りをする予定でした。が、思いがけない病気で入院するハメになってしまいそれが実行できませんでした。今年はとりあえず続きのへんろ旅を考えています。
それからできれば韓国に行ってみたいな。前回お会いした韓国の僧侶に再会したいですね。辛いもの食べて飲んでの旅ですね。
季節が良くなってきたらバイクに乗って少し遠出して知り合いのペンションに泊まりにいったりお寺巡りにも行って見たい。蕎麦ツアーなんていうのもありですね。とにかく機会を増やしたいな。
あとは仲間との東海道ツアーのつづき。去年は日本橋から戸塚宿まで歩いたので今年はどのあたりまで行けるのだろう?これも楽しみですね。箱根越えができるでしょうか?
沖縄にも行って見たいね。のんびりと民謡酒場めぐりと沖縄文化に触れる旅。以前行けなかった戦跡にも。
いろいろ書いてみたけど果たしてどうなるのでしょうか?欲張りな私としてはいろんな旅がしたいです。行けたらいいな。そのときはここで報告します。みなさんもどんどん旅に出ましょうね。
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〇突然 〜10泊11日の旅
朝起きてみると右足に激痛が走った。あれっ、今度は右足に来たか?去年は左足の坐骨神経痛に悩まされた。鍼治療に通いなんとか克服したが、その痛みの比ではない。起き上がるのに一苦労だ。
とりあえず近くの接骨院に行き治療してもらうが効果なし。あまりの痛さで夜も眠れない。翌日に整形外科に行って痛み止めの薬をだしてもらい様子をみるが、まともに歩けない。自転車のハンドルにつかまり90度に腰を曲げて一歩一歩時間を掛けてやっと帰ってきた。
いったいどうなっちゃってるの?痛みをこらえて寝るしかない。それでもなんとか営業して酒で麻痺させて過ごす。2日明けてどうにも我慢ができずやっと起き上がるが歩けない。整形外科に電話して先生に状態を伝えると病院の紹介状を出すので誰かに取りに来るようにと対処してもらい父親に頼んだ。
その足で付き添ってもらいタクシーに後ろ向きで乗り込み病院に直行した。しばらく待たされてやっと自分の番。診察して即入院が決まった。レントゲンを取ったりCTスキャンに入ったり悪い個所を絞り込みブロック注射を試してみる。
痛みが薄らいでいく。久しぶりに真っ直ぐ寝れた。が、それも12時間どまり。夜中の3時に痛みがよみがえりまたもとの状態に。布団を抱きかかえて四つんばいになっているのが一番楽な姿勢。朝があけるまでが辛い。6時過ぎると人の気配やらで気がまぎれる。
つづく
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〇渡仏紀行 〜娘とパリへ 最終章
帰国
とうとう日本に帰る日がやって来た。振り返ってみるとあっという間の5日間だった。ここのホテルのシンプルな朝食ともお別れだ。
荷物をまとめチェックアウトをすませる。乗りなれたメトロの駅前をぐるっと目に焼き付けて地下に降りていく。
来たときはバスだったが、帰りは鉄道を利用することにした。
メトロで北駅まで行き、RERに乗り換えて空港を目指す。
切符の自動販売機は、カード利用または小銭のみ。私の持っているカードはことごとく磁気が弱いせいか反応せず、大量に小銭を両替えしてやっと手に入れる始末。かなり疲れた。
ホームには空港に向うスーツケース姿の乗客がたくさんいるのでわかり易い。が、急に電車が入って来るホームが反対に変わってみんな大慌てで飛び乗るありさま。
あとはCDG2で降りればよい。約30分ほどで到着。
ここの空港はものすごく広い。エールフランスのカウンターにたどり着きチケットを見せると9番だというので並んでいると、ここじゃなくて11番だというのでいって見るとここの隣だった。
そのつどオロオロさせられて父親の貫禄などあったものではない。
やっとの思い出チェックイン完了。これでひと安心。
空いた時間で買い物をしたTAXの返戻金の手続きをしようと思ったら、一度中に入ったら出られない。事情を言って出してもらうも残り時間が僅かに迫ってきている。これじゃだめだ。
あきらめて奥さんのおみやげを購入しようとDFSに娘に頼んでおいたので買おうと思ったら、このチケットはフライトの締め切りで買えないと言われたが、わからないふりをしていたら売ってくれた。
ギリギリになって慌てて搭乗口に走るとまだだったので助かった。
全く勝手がわからないとこうも苦労するものなのか。他の旅行者は何も無くやっているのだろうか?と思いながら機内に入った。
これでフランスの旅の話は、おわりです。この旅に娘と行けたまではいいのですが、あちこちで私の慌てぶりをしっかりと見られてしまいかなり頼りない父親であることが露呈してしまいました。
それでも月日が経つに連れいい思い出になった事は確かです。
またまた長くなってしまいましたが、最後までお付き合い下さいましてありがとうございます。みなさんとまた記上でお会いできますように。
おわり。 |
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〇渡仏紀行 〜娘とパリへ そん8
ディズニーランドパリ
娘にとって待ちに待った日。今日はディズニーランドパリに行く日。
朝方あいにくの雨でジョギングは中止。いつもの朝食を食べて、出かける準備。明日は、日本に帰る日。パリ最終日。
いざ出発!ホテルを出ると早くもスーパーが開いていたので、
「隣のスーパーでお土産買ってから出かけるか?そうすればたっぷりと遊べるよ。」の提案に「そうだね。そうしよう。」
ワインやサラミソーセージやお菓子やチーズをしこたま買った。
「これでよし。ホテルに置いてから出かけよう。」
もう一度いざ出発の仕切りなおし。
いつものメトロに乗って今日は、初めての郊外線RERに初挑戦。
切符を買ってから改札を通らなければならないのだが、メトロの切符を通したら入れてしまった。よくわからん。
近くの乗客にディズニーランドパリ行きの列車を聞いて乗り込んだ。
あとは終点まで乗っていれば良い。50分弱で到着、駅員に精算を告げて往復切符を買って改札を出る。これで帰りも安心だ。
さていよいよディズニーランドに入場だ。パスポートは44ユーロ(7千円強)ちと高いが仕方ない。この時点で11:40。たっぷりと堪能してもらわないと。場内は思ったよりも混んでいる。子連れが多い。
アトラクションは日本のとほぼ同じだがスピードと迫力が1,5倍。
絶叫系が好きな娘は相当喜んでいた。もうすぐ9:00の閉場時間に滑り込みでスペースマウンテンを立て続けに3回乗った。もうフラフラ。「これで満足したよね。じゃあ帰ろう。」
DLPの娘の評価は、乗り物は日本よりも楽しいがスタッフの態度や場内の清潔度は落ちる。エンターテイメントも日本の方が上だと云う。
なるほど細かいところまでチェックしているわけだ。
「帰ったら東京ディズニーランドに行きたくなってきた。」と、私は聞き流した。危ない危ない。
来た道のりを電車で帰ってホテルに着いたのは11:00過ぎ。
ぐったりと疲れた。そして少し横になるつもりが眠ってしまった。
今夜もお出かけなしに。真夜中に起きてパッケージをした。
明日は帰国日。パリの夜は遠かった。おお、パリジェンヌよ何処へ?
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〇渡仏紀行 〜娘とパリへ その7
パリ市内観光
次の日の朝も一人でヴァンセーヌの森までジョギングをした。
今日も同じカフェオレとクロワッサンの朝食。「今日も歩くよ。」
慣れたメトロに乗ってパリの北部モンマルトルへ。今日のスタートはサクレクール寺院から。坂道を少し迷いながら上り詰めるとお土産やさんが軒を並べていて人がにぎわっている。そこからすぐのところにあった。
丸天井のモザイクが美しい。中に入り一回りした。小高い丘から眺めるパリの景色もいい雰囲気である。ケーブルカーのヨコの階段が有名らしい。下り坂を降りてゆくとアダルトショップがたくさんあった。
そんな通りにあのロートレックで有名な「ムーランルージュ」がある。
ここは、まさに夜の街なのだ。記念撮影をして次は映画「アメリ」に出ていた「カフェドムーラン」で小休止。早くもビール。
今日の目玉であるエッフェル塔に向う。さすがに観光地だ。塔に登る人たちの長蛇の列。一番人が少なそうな所に並んだがそこは階段を歩いて登る口だった。下からの姿は圧巻である。よくも作ったものだ。
当時は景観を壊すので反対が多かったと聞くが、今では立派な観光スポットで観光収入もかなりなものだと思う。新しいものも時を経れば歴史になるのだ。第二展望台までの階段は650段あった。
ここから先はエレベーターのみで別料金。ここもたくさんの人が並んでいた。のであきらめることにした。
「お腹がすいた。」「もう少し我慢して。行きたいレストランがあるんだ。」メトロに乗ってモンパルナスに行く。雨が降ってきた。
「確かこの辺だと思うんだけど。あった。クーポールだ。」
フランス語でかかれたメニューを渡される。よし、ここは一番お父さんの見せ所。お任せあれ。娘のリクエストお聞き料理を注文する。
「すごいね、よくわかるねお父さん。」「うん、調理師学校のとき勉強したからね。会話はできないけど料理名はわかるんだ。」
少し食べて持て余しているようだった。「お腹がいっぱいになった。」
残念ながら娘の口には、おフランス料理がお好みで無いようだ。
ワインを飲んでほろ酔いかげんになり娘の分までたいらげた。
「これから行けばノートルダム寺院の閉館まで間に合いそうだ。」
シテ島に行く。昨日ジョギングしたので土地カンがある。
中に入る人達で広場はあふれていた。「写真で見たことがある。」
正面の造りからすると内部は想像以上に奥が深い。
すごいの一言。荘厳だ。薄暗い内部にバラ窓がひときわ美しく映える。すばらしい!時間に間に合って良かった。とても印象に残った。
帰りにお土産になりそうな物を探しにパリの老舗デパートであるBON
MARCHEに行って見る事にした。途中欲張ってサンジェルマンデプレ教会も立ち寄る。すごく古い教会で落ち着いた感じだった。
結局これといった物が見つからず、ホテルに帰る。今日は教会づくしかなりの移動距離をこなした。疲れきってそのまま眠ってしまい今夜も夕食おあづけとなってしまった。がっかり。
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〇渡仏紀行 〜娘とパリへ その6
オルセー美術館
ルーブルからメトロを乗り継いでオルセーに着いた。ルーブル美術館とセーヌ川をはさんで対岸にある。ここは、1900年に開催されたパリ万博のためにオルレアン鉄道の終着駅として建てられた駅舎だ。
オルセーに来るのが憧れだった。まさにその前に立っている。外観はアールヌーヴォー建築でとても美しい。ワクワクしながら中に入った。エントランスをくぐると奥まで見渡せる館内はとても明るく、清潔感に満ちていた。
地上階ー上階ー中階の三層からなる。先ずは上から攻めることにした。長方形の建物は回廊式になっていてとても見やすい。ここもあるある絵画の宝庫だ。時代的には印象派なので重厚感がなくあっさりと目に映る。
代表的な作品が並んでいる。アングル、クールベ、ゴーギャン、ゴッホ、スーラ、セザンヌ、ドガ、ドラクロワ、マネ、ミレー、モネ、ルノワール、ロートレック、ロダン等々。どれも教科書で観たことがあるものばかりだ。娘も少々興奮気味だった。しかもみんな平気で写真を撮っている。日本の美術館では考えられない。「ひょっとしてレプリカ?」か。
特に印象的だった作品は、ミレーの「落穂拾い」、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、ゴッホの」オーヴェルの教会」、ゴーギャンの「タヒチの女たち」、セザンヌの「日傘の女」等があった。
閉館間近だったので急ぎ足で廻り少し落ち着かなかったが、一通りこなす事ができて満足だった。この辺がいかにも日本人観光客だ。閉館を知らせる館内放送が流れとっとと追い出された。
今日の予定はこれで終了。ホテルに帰ることにした。夜はホテルの近くのレストランで軽く食事をしよう。そう思っていながらホテルに着くなり二人ともベッドに横になってしまい、気がつくとすっかり夜になっていた。
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〇渡仏紀行 〜娘とパリへ その5
美術館めぐり
外はまだ雨降り。散歩を続けるのは厳しそうだ。とりあえずアルノ橋まで行ってみた。止みそうも無いので予定を変更して、屋内ツアーに切り替えることにした。「よし、ルーブルに行こう。」メトロで移動。
地下道をたどって行くと駅からすぐのところに入り口があった。チケットを買い求める人達でいっぱいだった。少し並んでチケットを購入。
やはり先ずは「モナリザ」だ。ドノン翼という入口から入るのが近い。
さっそく古代彫刻の部屋があり、少し階段を上った踊り場に「サモトラケのニケ」像が待ち構えていた、辺りの人たちは写真を撮っている。
日本では考えられない光景だ。しばらく見とれていた。
案内に沿って歩いて行くとひとだかりの部屋があった。中に入っていくとジャーン!中央に一点だけの「モナリザ」が掛けられていた。
順番を待って絵に近づいた。「うーん、これがモナリザかあ?」
本で見るのとは大違いであった。実際は明るい感じがした。胸元が特に明るく、表情が素敵だった。「やっぱり本物は違うなあ。」
しっかりと目に焼き付けて次の部屋に移る。
フランス絵画の部屋では、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」が強烈な印象だ。ジェリコの「メデュース号の筏」、ダビッド等の大作からアングル、コロー等々の人物画があった。特にアングルは以前横浜美術館で観た作品があって親近感がわいた。
どれもこれも凄いものばかりである。展示数も半端ではない。じっくりなんて観ていられない。すでにお腹がいっぱいになってきた。
そんなところに「ミロのヴィーナス」に出会えた。美しかった。これで癒された気がした。今回のルーブル美術館はこれでもういいと思った。
「よし、次はオルセーに行くぞ。」ルーブルを後にした。
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〇渡仏紀行 〜娘とパリへ その4
パリ市内観光とお買い物。
初めてのメトロ(地下鉄)は、意外と簡単だった。10枚綴りの回数券(19ユーロ)を窓口で求め、早速利用する。メトロの範囲であれば何度乗り返してもどこまで行っても均一料金である。これは、便利。
目指すは凱旋門。ここが今日のスタート。一度乗り換えてシャルルドゴールエトワール駅に到着。階段を上り地上に出るや、バーン!目の前に登場!これが、凱旋門だ。写真で見たままだ。(当たり前!)
来たぞ!来たぞっ!って感じがした。「よし、さっそく登ろう。」意気揚揚の私。10時の開門を少し待って登ってみた。下からはずっと螺旋階段をぐるぐる上って行く。狭いし目が回る。屋上の手前にお土産コーナーの広い部屋がある。そこから少し登ると屋上だった。
「ふぇー!ここがパリだあー。」放射状に広がる道路と街並み、全体が見渡せた。シャンゼリゼ通り、エッフェル塔、新凱旋門とぐるっと一回りする。もう少し天気がいいともっと素晴らしいんだろうな。しっかりと目に焼き付けて後にした。
次はパリの目抜き通りであるシャンゼリゼを通ってアルマ橋に向うことにした。歩き出すと雨がポツポツ降ってきた。{んーいやだなあ。」
ブランドショップが軒を連ね、ここがフランスの看板という感じの通りを歩く。すると娘が反応した。LVだった。「興味あんの?」「ちょっと・・・」
雨も降ってきたことだし立ち寄ってみることにした。店内に入ると今まで何処にいたの?というぐらいに日本人観光客がいた。私はちっとも興味が無いので適当に見て周っていると、娘はあきらかに何かを探しているようだった。「何か欲しいものあるの?」「べつに。」
言葉とは裏腹に商品に目が釘付けだった。私は内心打ちの娘も女なんだ。ブランドに興味を持つとしごろなんだ。と感慨にふけっていた。
「お父さん、バッグって高いよね。」「バッグに限らず全部高いんじゃないの。」「でも、日本で買うより安いかな?」「どうだろう?元々値段しらないからわかんないけど、少しは安いかもね。」とあいまいな返事。
「やっぱいいや。」「よし、行こう。」雨の降る外にでた。信号待ちをしているあいだに「欲しいものがあったの?」「まあね。」「何?」「いいよ。」「あるんだったら買えば。」「でも、高いし。」「後で後悔するぐらいだったら、思い切って買っちゃえば。思い出にもなるし。」
ということでまたLVに戻った。「財布なんだけど。」「どんなやつ?」
いわゆる普通のLVマークの付いた三つ折の財布だった。
330ユーロ也。子供が持つにしては高価だが思い切って購入した。
「お父さんありがとう。」「まっ、またいつくるかわかんないしね。」
と、言いつつ明らかに私の財布にひびいてきたのだった。
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〇渡仏紀行 〜娘とパリへ その3
パリの街をジョギング
旅の疲れからかワインを少し飲んで寝てしまった。
その分次の朝はすっきりと目覚めてジョギングに出かけた。
かなり気温が低い。きっと5℃ぐらいか?パリの街の感覚をつかむ為にもジョギングは有効だ。セーヌ川を目指して走り出す。
いい感じで走る。辺りは夜明け前でまだ暗い。そして肌寒い。
古い街並みに仕込み中のカフェ。ここはパリだ。うっすらと明るくなってきた。とても気持ちよい。バスチーユ広場を通り過ぎ、パリ市庁舎を左に折れるとそろそろ川岸に出るころだろう。
空が開けた。遠くにエッフェル塔が見えた。思わずぐっときた。川沿いは大阪の中ノ島のよう。橋を渡ったところがシテ島だ。ぐるっと一回りをして戻ることにした。ワンブロックを過ぎたところにあった。
ノートルダム寺院だ。写真で見て知っている。あたりには人も居ずシーンとしていた。ここかあ?走ってこれるんだと感激だった。
また来るね、と後にした。帰り道で何人かのランナーに出会った。
こちらが笑顔で声をかけると、「ボンジュール!」とかえしてくれた。
「おー、これだよ。」とっても嬉しかった。「早く帰って朝食を食べよう」
ホテルに戻るとすっかり明るくなっていた。よし今日もいい天気だ。
安宿の朝食はマシーンのコーヒーとパン。極めてシンプル。ベーコンや卵料理などは一切無し。それでも美味しかった。カフェオレ良し、コーヒー良し、クロワッサンがとくに良し。持って帰りたいぐらい。
「今日はパリ市内観光だ。あちこち周るから覚悟して!」
こうして2日目が始まろうとしていた。
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〇渡仏紀行 〜娘とパリへ その2
現地時間、同日13:45着シャルルドゴール空港(SDG2)
やはり12時間のフライトは長かった。やっと開放されたのだが、これまた思いっきり開放された状態だ。初めての土地で何がなんだかわからなそうだし。ツアー会社のステッカーを付けてみたものの迎えがいるわけでもなし。意味が無い。わかっているのに。
ホテルまでの行き方はわかっていたが、とりあえずインフォメーションカウンターで確認してみる。きりっとした感じの黒人女性(別に差別しているわけではありません。フランスは黒人が多いのです。)に「そこなら、バスがあるわよ。」って感じで教えてもらい乗り場を見つけた。
「ここだ。」時刻表どおりに運行されている。「ちゃんとしてるね。」
我々が待つバスは30分に一本。待つこと20分。「来た来た。」バス停に違うバスと乗るべきバスが重なった。私達は日本人。お行儀良くバス停で待っていた。すると何事も無いかのように行ってしまった。
「普通順番どおりにくるじゃん。」少なくともハワイではそうだのに。
「行っちゃった。。また、30分待つのかよ。」といらいらの私。
「お父さん、すぐだよ30分ぐらい。待ってよう。」とどっちが大人なの?
気を取り戻して目の前にあるマックで時間つぶし。初めてお金使う。
甘いものを食べたら少し落ち着いた。時間どおりバスが来た。行く先を確認すると間違いなかった。「これでひと安心。」いざ出発だ。
工場地帯やら民家やらあちこち走り回ってようやくporte de monteille
に1時間以上かかって到着。バス停からホテルまでは2分ぐらい。
ホテルの部屋はこぢんまりとしていた。テレビも映りが悪い。少し淋しい気がした。安いツアーだからしかたない。それよりもビールだ。
「お父さん、飲み物やら買い物行ってくるね。」ホテルのとなりがスーパーだった。これは便利!辺りをぶらっとしてみた。近くで飲めそうなBARを探しながら。
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〇渡仏紀行 〜娘とパリへ その1
先月、パリに行ってきました。ずうーっと前から行ってみたかった。
本場のパリジェンヌをこの目で見たかった。
娘がこの春から高校生になります。公立高校に入ってくれたので、そのご褒美に旅行をプレゼント。「何処が良い?」「パリに行かない?」
で、決めました。妻は「寒いんでしょ。私は留守番してるから二人で行ってくれば。」というので娘と二人で行くことにしたのです。
もうギリギリの申し込みなので空いている日で決まるしかなく、22日出発の6日間という限定でした。とりあえずエールフランスの直行便。
ずっと前から行きたかったのに決めてからもあまり実感が湧かず、事前学習もおろそかで、行きの飛行機でガイドブックを読んだだけ。
ホテルは聞いた事も無いような、ガイドブックにも載っていませんで、かなり不安なので、これはネットで調べておいた。
初日、朝9:35発、かなり早起きで家をでました。車を預けてチェックイン。両替でユーロにして(1ユーロ=165円ぐらい)。早速ビールを飲んじゃった。これから12時間のフライトなので酒でも飲まなきゃやってられないし。乗り物に乗るときはやっぱビールだし。
定刻通りに出発。機内では映画やゲーム等各自で選べるので楽しい。日本映画の「うどん」と「トリック2」の二本立て。「うどん」を観ていたら食べたくなっちゃった。これからフランスなのに。
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〇四国遍路一人旅
四国遍路久しぶりに一人である。前回は「黄門様御一行遍路ツアー」でもう一度一番から打ち始めた。その前は今中断している「四国巡拝〜飲んだくれへんろ旅」であった。そして、今回はその続きである。
前回、K村さんと須崎から窪川の37番岩本寺を打ち、中村にたどり着いた。あれから早2年半の月日が流れた事になる。黄門ツアーに比べると随分と割の悪い遍路旅であった。
37番から38番金剛福寺の道のりは四国88ヶ所の中で一番長い90キロの行程である。3日がかりでたったの一つしか寺を回れなかったのである。黄門ツアーは、3日間で10ヶ寺歩けた。
その中村が今回のスタート。今は四万十市と市名変更された。いつもは朝一番の飛行機で現地入りして始めたが、今回は余裕を持ってゆっくりと入り、兼ねてから気になっている目的を果たすべく高知に着いた。
その目的とは、私が崇拝している山本玄峰老師ゆかりの33番雪蹊寺にての出来事。以前訪れたときこの寺で記念品を買い求めるつもりだったのだが、禅寺らしく質素にお守りすらも置いてなかった。
納経所を勤めるお坊様は(玄心さまという)、ずっとトイレを我慢しておられて私の顔を見るなり「ちょっと待っててや。トイレに行かんと持たんわ。」と行ってしまった。丁度目の前にお寺の葉書が一枚置いてあった。百円と。
これしかないのか?と思いポケットに手を入れ小銭を探したが、あいにく300円しか無かった。これは納経代にと取っておいてさきほど賽銭で納めてしまったのだ。うーん?辺りには私しかいなかった。
で、そっと失敬?いただくことにした。賽銭で100円納めたからいいやな。と自分勝手な理屈を付けて。遍路といえば修行僧の端くれ後ろめたかったが、自然に手が伸びてしまった。 そんないきさつ。
あれから月日が流れて今は38番を目指そうとしている。そして、今回スケジュールをやりくりしてどうしても雪蹊寺に立ち寄りはがき代を支払いに行きたい、そして玄心さまにもう一度お会いして山本玄峰老師のお話をしたかった。
余裕を持ってのスケジュールを立てた。にも関らずJAL便の訳のわからない理由によって1時間30分の遅れを余儀なくされた。高知に入りバスで33番寺に着いたのは4時半を回っていた。久しぶりだった。
お参りを済ませて納経所に行くと今は玄心さまでは無かった。
「玄心さまはお元気でしょうか?」「はい、元気にしております。今はお昼に私の替わりに一時間ほどしか納経をしておりませんので。」
「はあ、以前寄らせていただいた時に山本玄峰老師のお話をうかがいまして。」「ああ、そうですか。毎日5時過ぎにはお線香の片づけやらで境内に来るんですが。」「それなら少し待っています。」
帰りのバスの時間まであまり無かったが、ぎりぎりまで待つことにした。5時を回り納経所を閉めて先ほどのお坊様が出てきた。
「玄心さん部屋にはおらんですね。」
「忠魂碑に行くゆうとったわ。」境内で吊るし柿等を売っているおじさんが教えてくれた。
「すぐ裏にお墓があります。そこにおるんかもしれん。」
「行ってみます。」だがいくらも時間が無かった。少し探したが結局会えなかった。飛行機が遅れなければもう少し時間があったのに。
恨んでみても仕方が無い。これも運命かとあきらめた。
こうしてまた雪蹊寺に寄れ、はがき代を納めただけでも良かった。
はがきの件はどうにも言い出しにくくお賽銭で勘弁してもらった。もし玄心さまにお会いできたら正直に言うつもりだった。そのはがきは、私の納経帳にある。道中のお守りにして大切に持ち歩いている。
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〇おくの細道
最近かの有名な松尾芭蕉の残した「奥の細道」に興味がある。
いまさらと思うかもしれないが、意外とちゃんと面と向った事が無い。
江戸の深川を出発して白河の関、松嶋、平泉を経由して山形立石寺に立ち寄り、酒田、象潟、村上、出雲崎、金沢、敦賀、彦根そして大垣にたどり着く。5ヶ月あまりの行脚であった。
月日は百代(はくたい)の過客にして、行きかう年も又旅人也。で始まる文章の奥深さは現代人の我々にはなじみが薄いが、声を出して読み進めていくうちに自然としっくりしてくるものである。
「奥の細道」の最初の句 草の戸も住替る代ぞひなの家
今まで住み慣れた草庵も旅立つにあたり人に譲った。今度は妻も娘もある人が住人となったので、華やかに雛などがかざっているよ。
多少の惜別が感じられる句である。
旧暦3月27日に深川を出発。
〜千住と云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそく。
行く春や鳥鳴き魚の目は泪
と詠んでいる。かなり感傷的な気分が伝わってきますね。
こんな具合にこれから不定期にではありますが、芭蕉先生の俳句を紹介したいと思います。お楽しみに!
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〇ああ懐かしや大阪
この夏休みに子供2人と私とで富士山に登ってきました。とても充実した計画になり、皆満足できました。そのご褒美として大阪のUSJ行きを約束していたので8月の最後の月、火で行って参りました。
朝早い飛行機で伊丹空港に降り、USJ行きのリムジンバスで1時間。やって来ましたUSJ、夏休みとあってチケット売り場は長蛇の列。
照りつける太陽の下、汗を流し流しアトラクションを次々とこなして行った。TDLよりもスリリングな乗り物が多くて楽しいですね。
ロケーション的には徹底振りが落ちて外の高速道路とかばっちり見えたりしてがっかりですが。中には普通にビールとか売っているけどここで飲んじゃうとどっと疲れそうなので夜までオアズケにしました。
結局閉園時間の9:00までいました。充分満喫しました。
今夜泊まる大阪駅前の第一ホテルにチェックインして、その足で夜の道頓堀まで繰り出しました。小学生にはちと遅い時間でしたが、保護者付きなので良しとしよう。心斎橋で地下鉄を降り、心斎橋筋を戎橋に向って行く途中に大阪大丸があります。
「お父さんが大阪に来て最初にここでアルバイトしたんだよ。」
「へえ、ここで?何のアルバイトをしたの?」
「屋上のビアガーデンのウェイターやってた。」
「へえー、知らなかった。」「そりゃそうだよ。言ってないもん。」
いろいろ説明をしているうちにお目当てのグリコの看板に着いた。
「ここが例のグリコ。なんかすごいでしょ。以前はこんなバリケードみたいなものが無かったんだけど、阪神が優勝したときにみんなここから飛び込んじゃうから透明なバリケードにしちゃったんだ。」
「次は大だこ行こ。」大阪名物のたこやき屋さんにはいつも行列ができている。「ここのは横浜で食べるたこやきと違ってて周りはパリッとしていて中身がトロっとしていてうまいんだ。熱いからやけどしないようにね。」店の脇で立ち食い。これが大阪流。バシッと決まったOLさんだって店の脇っちょで立って食べちゃうんですわ。
で、次はお好み焼だべさ。とりあえず超有名なお好み焼店に入る。
「大阪のお好み焼きはお店の人が焼いてくれたのを自分のテーブルの鉄板の上でコテで食べるんだ。これが大阪流。」
「すごーい!みんなうまそう!おなかペコペコ。」
みんな大満足。「よし、もう遅いからホテルに帰ろう。」「うん。」
こうして朝から晩までとても長ーく充実した一日を過ごしました。
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〇夏山登山
〜今年は、どこの山に行こうかな?
毎年のことでありますが、中々決まりません。
日程的に行ける所が限られてしまいます。
いつもは多少のリクエストがあったり、雨で山頂からの展望がなく、リベンジ登山であったりしたのですが、今年はもうひとつ強い意志が感じられずにいます。私からの提案で、常念岳から蝶が岳のコースを考えていますが、いかがなもんでしょうか?
どうしても夏山というと、北アルプス、南アルプスに目が行ってしまいます。が、山はそこだけじゃない。中央もあれば、八ヶ岳だってある。
東北の山もあれば、尾瀬だってあるんです。
わかっているのだけど、またここに来た。来れた。と思えるところに行ってしまうんですね。ようはそこ以外あまり知らないので計画をたてずらいと言う所でししょうか?安心路線です。
2泊できると幅が広がるんですが、私の都合でどうしても日曜発になると休みが多くなってしまうのが気がかりなものでね。
今月の20、21日で行く予定ですので、帰ってきたら書きますね。
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〇そろそろ一人旅に出たいなあ。
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〇春休みハワイにて。
〜しばらく「四国巡拝」〜飲んだくれへんろの旅日記をお休みします。
3年ぶりのハワイ。そうそう休んではいられないのですが、思い切って行くことにしました。その代わり3泊5日の一日短縮版です。
今回の私の目的 あくまでものんびりする。ビールを飲む。読書をしながらビールを飲む。ジョギングをしたあとでビールで一息つく。多少のことでイライラしない。家族の意見を優先にする。空いた時間でサーフィンをする。レンタカーで出かけない。ので、出先でもビールが飲める。食事を楽しんでお酒をいただく。こんなところかな。
1日目。土砂降りのハワイ。
「止んでくれー!」と思いつつ早速ABCストアでビールの買出し。
少し小降りになってきた。我慢しきれない息子が「プールに入りたい。」と言い出した。いつもなら「一人で行ってきな。」というところだが、付き合ってみた。現地時間で午前7時過ぎ。早いプールタイムだ。
2日目。朝から雨。止みそうにない。あきらめてみんなでアラモアナSCにお買い物に行くことにした。バス乗り場に行く途中だった。街角を曲がったところに日本人の男性が立っていた。一瞬にして家族が買い物をしているのを外で待っているんだなと見た。なんとなく横顔をチラッと見た。「えっ。」見覚えがある顔だ。覗き込んだ。
「えっ。」「おっ。」「何でここにいるの?」同級生のM村だった。お互いにビックリした。それもそのはず。旅行に出る2、3日前お店で会ったときにはお互いにハワイに行くなんて言ってなかった。
そして、その夜娘(娘同士も同級生だった。)を連れてホテルを訪ねて久しぶりの再会を楽しんだ。こんなこともあるんだねえ。ビールをご馳走になる。
最終日。曇り空のうちにジョギングした。雨がぱらついてきたが、あまり気にならない程度なので息子と2人海に行くことにした。
「よし、サーフィンやろう。せっかく来たんだからな。」半年以上ぶりの波乗りだ。「んー、上手く行かんな。」あっという間に時が過ぎた。
息子もチャレンジ。悪戦苦闘しながら頑張った。
これを機会に「日本に帰ったら練習するべえ」と、思った。
今夜は、ラストの日なのでちょっと奮発してご飯を食べに行こう。
色々注文して大ジョッキのマルガリータを飲み、ワインを飲み大いに楽しんだ。みんないっぱい飲んでいっぱい食べた。大満足。
息子も欲しかったスケートボードを手に入れて大満足。
ずっと雨がからんだハワイは初めてだったが、これはこれで楽しめた。「また、来ようっか。」最後の夜をゆったりと過ごした。
P.S とりあえず目的は全て達成。読書もちゃんとビールを片手に植村直己著「エベレストを越えて」を読んだ。
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〇「四国巡拝」〜飲んだくれへんろの旅日記 その十一
やっと二日目です。
結局もう一軒はしごして、コンビニで酎ハイとおにぎりを買ってホテルに帰ってきたのは、何時だったのだろう?
「マスターお帰りなさい。」いくらか元気を取り戻した様子。
「すいません起こしちゃって、寝ていたんでしょう。」
そして、朝。7:00すぎに起きて出発準備。
「8時19分のしまんと1号ですよね。途中でうどんでも食べましょう。」
ホテルをあとにして駅に向った。「うどん屋さんないですねえ。」
結局駅まで無かった。「じゃあ、駅の立ち食いにしましょう。」
探してみたが、駅には立ち食いそば屋も無かった。
かわりに「喜多方らーめん」の看板。
「なんで?高知で喜多方らーめんなの?」四国はうどん文化だと決め付けていた私たちは許せなかった。
「しょうがないから、コンビニで弁当でも買いましょう。」
電車に乗り込み、早速嬉しそうにパンを食べ始めるK村さん。
私は、二日酔い気味なので窪川まで1時間余りを休養に当てる。
「マスター、このパン美味しいですよ。」昨日とは違い元気そうだ。
「良かったですね。」そっけない私にいろんなパンをちぎってくれる。
「あ、すいません。ずいぶんいろんな種類を買ったんですね。」
これはおいしいだの、これはイマイチだのとやっているK村さん。
ひと眠りすると目的地の窪川に着いた。
駅から数百メートルで今回一つ目の札所である第37番「岩本寺」に着いた。「やっとお寺に会えましたね。」お参りを済ませた。
初へんろのK村さんは、納経帳を求め納経していただいた。
「今回のご褒美ですね。」境内の空気をたっぷりと吸いこんだ。
「さて、行きましょうか。」2月の終わりにしては、うららかな陽射しのいい天気であった。今日もただひたすら歩く。
中村まで40数キロ。どこまで行けるのだろうか?今日が始まった。
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○「四国巡拝」〜飲んだくれへんろの旅日記 その十
まさに飲んだくれ。
今日の行程を振り返りつつ飲むビールは格別であり、身体に沁みた。車窓から眺める田舎の風景は懐かしいような物悲しいような。
二人とも靴を脱いで足を伸ばし身体の力を抜いている。
「マスター、足大丈夫ですか?」「ええ、大丈夫だと思います。」
「僕は、足の裏がだいぶきていると思います。でも、今確認するのが怖いので宿についたら見てみます。」
「でもK村さん、よく頑張りましたね。この電車無理かと思いましたよ。」そんな会話をしているうちに心地よい揺れに一眠りしていた。
高知駅着。とりあえず今夜宿泊する高知パレスホテルにチェックイン。お腹がペコペコなので、部屋には入らずそのまま食事に行く事にした。あらかじめ電車の中で店を探しておいたので繁華街に直行した。
やはり歩くのがつらそうなK村さん。それとは対照的な私は、酒を飲む事が楽しみでつい足早に歩いてしまうのだった。
どこも似たような店の作りで迷ったが、当てずっぽうに「一寸法師」という居酒屋に決めて入った。「ちょっと失敗だったかも?」と思いつつカウンター席についた。初老の男性がひとり笑顔で飲んでいた。
高知と言ったら「かつをのたたき」じゃき。生ビールと他2、3品注文した。「お疲れ様でした。かんぱーい!」私は喜びの絶頂にいた。
「あー、うまいッスねえ。たたきだ、たたき。高知に来て初めて食べますよ。今までほとんどが遍路宿で民宿料理ばっかりで居酒屋に行ける事が無かったですからね。いや、前回高知に泊まって居酒屋に行ったなあ。なんでかつを食べなかったんだろう?」とはしゃぎ気味。
ビールを2口ぐらい付けた所でおとなしくなってしまったK村さん。
「どうしました?」
「ちょっと、トイレに行ってきます。」かなり疲労困憊状態な顔だった。
「あ、はいどうぞ。」つまみが並んでご機嫌な私。
「次は何を飲もうかな?やっぱ焼酎だな。これボトルでください。」
トイレから出てきたK村さん。顔色が良くない。(あまりわからないけど)「大丈夫ですか?焼酎頼んじゃいましたよ。」「ええ。」
「電車で空きっ腹で飲んだビールが効いたみたいです。」と言ってまたトイレに行ってしまった。相当疲れてしまったようだ。
「僕、先ホテルに戻ってます。マスターゆっくり飲んで来てください。」ほとんど手をつけていないつまみと焼酎を残して行ってしまった。
私はそんな状態のK村さんの事よりもまるまる一本ある焼酎を一人で飲みきれるのか?を心配していたのだった。ひどいっ!
そんな心配をよそに飲み食いは進んでいた。隣で嬉しそうな笑顔の旦那さんがずっと気になっていた。お互いに一人同士になった。
「失礼ですが、お近くにおすまいですか?」声をかけてみた。
「いいえ、東京からです。」「私は横浜です。近くからですね。」
「私も以前は横浜に住んでいたことがあります。」「奇遇ですね。」
話が弾む。へんろの旅は出会いの旅でもある。一日中誰とも遭うこともなく歩き通し、たどり着いた宿で人と出会い、語らう事ができたときなんとも優しい気持ちになれている自分がいる。それが旅である。
結局、全部たいらげてしまった。ああ、満足。旦那さんに納め札を渡し、店を後にした。(この納め札をたよりに1ヶ月後はがきをいただいた。嬉しいものだ。)
さて、ここでまっすぐホテルに戻らないところが飲んだくれたる所以である。次なる店を求めて彷徨う。「まだまだ夜はこれからだ。」
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○「四国巡拝」〜飲んだくれへんろの旅日記 その九
特急電車に間に合うか?
あと二時間弱で7キロ。普通のペースならば問題にならない距離なのだが、今のK村さんの歩きではかなり辛そうだ。
自動車が行き交うライト以外に街灯も無く、心細い道のりである。
「ヘッドライト持って来てないんですか?」と聞くと、「そんなに暗くなるとは思ってなかったので持って来ませんでした。」「そうですか。」
歩きの旅は、山登りと同じ装備なのを伝えなかった私が悪かった。
「マスター、電車に間に合うペースで先を行ってください。なんとか目標にして歩きますから。」「わかりました。あまり無理をしないで。」
と、言ったものの今の時点でかなり無理をしているのだ。
歩き出して数分も経たないうちにどんどん差が開くいてしまう。杖もなく明かりも持たないその姿はとても物悲しくみえた。結局途中途中で待って様子を窺ってみるが牛歩のごとく右左と足を前に出すしかなかった。「あと、5キロですよ。このペースだとギリギリです。」
「気力はあるんですが、足が辛くって。でも、頑張ります。」
なんでここまでして頑張らなきゃいけないんだろう?と思うが田舎の道に流しのタクシーが走っているわけもなく。自力かヒッチハイクをするしか手は無いのだ。黙って歩くしか。
K村さんを待つ度に私は何度も空を眺めていた。「なんて素晴らしい星空だろう。こんなにたくさんの星を見るのは久しぶりだ。」
あと一キロ弱の所から国道をそれる。駅は近くにありそうだが線路が見当たらないが田舎の駅前らしい商店街があった。あと10分強あるので先に行って酒屋に飛び込みビールとつまみを買い求めた。
「これで楽しい電車の旅ができるぞ。」ワクワクだった。
「間に合ったあ。K村さん良く頑張りましたね。お疲れ様でした。」
窪川駅に到着。列車出発まであと5分を切っていた。
19;47発「しまんと10号」に乗り込んだ。高知駅まで1時間10分、ゆっくりとビールが楽しめる。
「足の方は大丈夫ですか?」「今みるのが怖いんで宿についたら見てみます。」「ほんとうにお疲れ様でした。乾杯ーぃ!」
空きっ腹にこのビールが仇となってしまった。 つづく。
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○「四国巡拝」〜飲んだくれへんろの旅日記 その八
あたりは、とっぷりと日が暮れてしまった。
峠を登ってきたわりには道が下っていない。少しペースを上げようと思っていたが期待できなかった。口数がめっきり少なくなっている。
「大丈夫ですか?」と声をかけてみると、「はい、気力はあるんですが、どうも足がしんどくなってきました。」
この道と平行して鉄道が走っている。今夜は高知駅前泊まりなのでいつでも電車に飛び乗ればなんとかなる。が、いかんせん本数が少ないので上手く時間を合わせないとロスになる。
相当足が辛そうだ。歩く速度もかなり落ちてきた。
「今日無理すると明日がきつくなりますよ。ここまでくれば途中で終わっても明日またここから始めればいいだけですから。」
「はい、大丈夫です。気力はあります。」
「すいません、六反地駅はどこですか?」
近くを通りかかった軽自動車のおかあさんに尋ねた。
「ああ、駅ね。ちょっと通り過ぎたよ。どこまで行くんかいね。」
「一応窪川まで行こうと思ってるんですが、電車の時間に間に合うかどうかって感じなので、この辺から電車に乗ってしまおうかと。」
「なんなら、次の駅まで乗せてってあげようかね。」
「どうしますか?K村さん。僕はどちらでもいいですよ。」
「んー。」何を考えているのかわからないけど相当悩んでいる。
かなりの時間考えている。(ああ、この時間がもったいない。)
おかあさんもこの時間に付き合ってくれている。
「電話で窪川の宿坊に頼んであげようか?」と、おかあさん。
「ありがとうございます。でも、高知に宿をとっているので戻る予定なんです。」この会話の間も無言で考えている。と、突然口が開いた。
「行きましょう。取りあえず窪川まで行きましょう。」やっと決まった。
「歩けますか?あと7キロ少しありますよ。」
「はい、行きます。」決心は固かった。
「おかあさん、お忙しいところありがとうございました。」別れを告げた。
「では、頑張って行きましょう。目標の窪川まで。」
空は満天の星が輝いていた。
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○「四国巡拝」〜飲んだくれへんろの旅日記 その七
「いいペースですね。」ようやく遍路の調子がつかめてきた。
焼坂峠を終えて国道に戻る。黙々と歩きつづけている。
「マスター休まないで歩くんですか?」K村さんの一言。
「いえ、休みますよ。でもあまり休まないかな。」
「ちょっと靴下がずれたので止まっていいですか?」
「あっ、どうぞどうぞ!直して下さい。休みたいときは遠慮なく言って下さいね。」「はい。」
しばらく行くと今日の2つ目の山道である「そえみみずへんろ道」にかかる。
〜この道は土佐中央と南西部を結ぶ往還として古くから人馬でにぎわってきた道で遍路先人達も多く辿って行った〜
今回の楽しみの一つにしていた。のだが、何処でどう見落としたのか国道コースに来てしまった。がっかり。
「K村さん、スイマセン。山道に行くつもりだったんですが標識を見落としたようで。」「この道でも行けるんでしょう。だったらいいですよ。」
車がスイスイと上っていく坂道の端をテクテクと歩く我等。
「七子峠まであと6km」と看板があった。
「ななことうげ。これか。(ななこ=菜々子)これに引き寄せられたのか。」自分で勝手に納得していた。
あと、5km、4kmと快調に登り続けた。段々嬉しくなってきた。
そんな事には関係ないK村さん。「きつい峠道ですね。足に応えますね。」「アスファルトの道は足にはきついんですよね。」
この時点ですでに結構足に負担がかかっていた様子だ。
調子がでてきた私は、一向にお構いなしでスタスタと登っていく。
「あと、1kmですよ。上に着いたら少し休みましょう。頑張って!」
午後5時。七子峠(いい響きだ。)着。
食堂があるがそこまでゆっくりはしていられない。
そとの販売機で暖かいミルクティー缶を飲み、おにぎりをほおばる。
かなり疲れが見えてきたK村さん。
「大丈夫ですか?ここからは下りであと13キロぐらいです。今5時だから目的地からの電車の時間がどうなるか?ですね。結果的には国道を上がって来て正解だったかも?」「そうですね。」言葉少なげだ。
「体が冷え切らないうちに行きましょう。」やや重い腰を上げた。
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○「四国巡拝」〜飲んだくれへんろの旅日記 その六
「やっと着きましたねえ。」あくびながらの一言。
一年ぶりの須崎駅。12:29到着。へんろ姿に変身。
「さあ、ここからスタートです。頑張って歩きましょう。」GO!
話をしながらてくてく歩き。いつもとちょっと違う感じ。
しばらく行くと大善寺前、ここで初めて気が付いた。肝心の数珠を持ってこなかった。そして、もうひとつ大事な物、お経本もだ。
「何やってんだ。我。」これは独り言。
気が抜けている証拠だ。へんろの時はいつも肌身はなさず持ち歩いているのに、今回に限って忘れてきたとは。「ああ情けない。」
今回のへんろで一つ目のへんろ矢印を発見。
「K村さん、へんろの標識わかりましたか?」
「えっ、なんですか?それ。」
「おへんろさんが道を間違えないように所々にステッカーが貼ってあるんですよ。」
「どこにあったんですか。」
「そこの鉄柱です。」
少し戻って一生懸命探すK村さん。漸く見つけたようだ。記念にデジカメに収めている。
線路ずたいに歩く。へんろみちは、山に入って行く。焼坂峠だ。
少し前からペースが上がっているK村さん。調子が出てきたようだ。
いきなり急登の山道に入ると完全に姿が見えなくなってしまった。
こちらもペースを上げてみるが全然追いつけない。
「大丈夫かなあ?ここではぐれるとちょっとまずいんだけどなあ。」
汗だくで登り着くと立ち止まって文丹を食べていた。
「マスターも食べませんか?ちょっと酸っぱくてすっきりしますよ。」
自然の恵み。落ちている文丹を拾い私もいただく事にした。
「ひゃー、酸っぱいですね。でも、疲れが取れる感じがします。自然のお接待ですね。それにしても、歩くのが早いですね。全然追いつけないですよ。」
「山の会に行くと僕より早い人ばかりですよ。」
「へえ、すごいですね。」 〜まだまだ先は長い。
歩きの勝負が始まった事なのかな?
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○「四国巡拝」〜飲んだくれへんろの旅日記 その五
「あと5分でバスが出まーす。高知駅までの券です。」
空港から駅まで約35分。前回のへんろ旅は、空港から歩き出したのだった。「ああ、懐かしいなあ。この道をあっちに歩いていったんですよ。」
説明せずにはいられない私がいる。
興味深げに「へえ、そうなんですか。」人のいいK村さん。
陽気がいいのでちょっとうとうとしている内にバスは高知駅に到着。
電車の時間まで少しあるので食料を調達タイム。
それぞれ買い込んで電車に乗り込む。
四国の鉄道は、電化していないので全てがディーゼルカーである。
その分電線がないので景色的には空が見渡せて良い。
各駅停車なので、これから須崎までたっぷりと一時間強のらなくてはならない。その間に腹ごしらえをしておこう。
私は、軽くおにぎりとおかずで済ませる。K村さんは、体の割に大食家であった。「そんなに食べるんですか?いつも。」
「ええ、朝と昼はしっかり食べないと動けないんです。」
「へえー。」感心する私。
隣で美味しそうにパンを食べているK村さん。
「マスター、ここのパン結構美味しいですよ。」と言って少しずつちぎってくれる。「味見です。味見。」
「ああ、ありがとうございます。これもお接待ですね。」「あ、はい。」
腹が落ち着くと電車に揺られていい気持ち。眠くならない訳はない。
目を覚ますとのどかな田園風景。
「まだですかね。」「あともう少しです。」私よりも詳しそうなK村さんであった。
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○「四国巡拝」〜飲んだくれへんろの旅日記 その四
「飛行機に乗るとなんかビールとか飲みたくなるんだよね。」
とは言ってもへんろ中はさすがの私でも酒は飲まない。(当たり前)
「右側の席でよかったですね。こちらは眺めがいいですよ。」
言うまでもなく、先程から窓にへばりついて外を眺めるK村さん。
「お天気が良いので山が綺麗に見えますよ。」
離陸後15分ほどで富士山が見えてきた。今回も素晴らしい眺めだ。
「あれが南アルプスですよね。」少年のように目を輝かすK村さん。
「そうです。その横が中央アルプスで、その奥が北アルプス。右の方が八ヶ岳ですね。」いかにもガイド風に説明する私。
少し眠っているうちに飛行機は高度を下げてきた。眼下には四国の景色が見えていた。少し高い山には雪が残っている。
「あの高い山が徳島県の剣山だと思います。四国って結構山が多いですよね。」「そうですね。」
グンと高度を下げ海岸線がくっきりとしてきた。久々の景色だ。
「あの海岸線をてくてく歩いたんですよ。その手前の突端が室戸岬で、その山にお寺が見えますか?そこが高知県の始まりの寺です。
最御崎寺(ほっつみさきじ)といって、徳島の最後の寺から80キロです。長かったです。で、今回は、それよりも更に10キロ長い道のりに差し掛かります。」
飛行機は10時5分高知龍馬空港に無事到着した。
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○「四国巡拝」〜飲んだくれへんろの旅日記 その三
「いざ出発!」
そして、当日。
朝6時に起きてのんびりと用意をする。昨夜「空港まで送ります。」と名乗りをあげてくれたアコ嬢に甘えて、いつもの緊張感は無かった。
7時過ぎに拾ってもらい羽田空港へ。
「いいのかなあ?楽しちゃって。」と私が言うと、
「これもお接待ですよ。」とアコ嬢。「はい、ありがとうございます。」
ANA専用にオープンした第二ターミナルは、初めてだ。
8時の待ち合わせ通りK村さんと合流。
「お茶でも飲みたいところだけどあまり時間がないね。」
「気にしないで行って下さい。」
「ごめんね。」
「気をつけて行って来て下さい。」
「はい、行って来ます。ありがとうね。」
見送ってくれるアコ嬢の姿に、まるで愛人としばしのお別れみたい。
などと不謹慎な事を考えたりしていた。(ほんとにへんろに行くの?)
定刻を少し遅れてANA561便は、高知に向けて飛び立った。
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○「四国巡拝」〜飲んだくれへんろの旅日記 その二
「さーて、今回はどこまで行けるのだろう?」
前回終えた須崎駅(高知県須崎市 JR高知駅から西へ特急で40分ぐらい)から歩き始めて西へ西へと足摺岬を目指す道のりになる。
「三日間かあ?」本来であれば5日から6日をかけて一気に愛媛県側に入りたいところだが。「そうは店も休めないし。」
ひとりあれこれ考えながら、「四国遍路ひとり歩き同行二人」とにらめっこしている。この本は「へんろみち保存協会」の製作で歩き遍路さん必携の一冊である。が、少々載っている情報が古く、食堂とか現在営業していない所も数多い。やっと食事ににありつけると思うと廃業していたという事もしばしばあった。
「往復の移動に一日取られてしまうな。」実際に歩ける時間は二日間とすると、窪川を経てせいぜい四万十川の中村あたりまでであろう。
中村まで約70キロだ。「もし一緒に行くとしてもK村さんは、山歩きで慣れているから大丈夫だろう。」これが旅のキーワードになった。
「どうですか?休みが取れそうですか?無理しないで下さいね。」
「なんとか休みます。」行く気十分のK村さんであった。
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○「四国巡拝」〜飲んだくれへんろの旅日記 その一
「ああ、そろそろ「四国」に行きたいなぁ。」
ポツリと呟いた私の一言に素早い反応を見せたうちの女子従業員。
「えっ、いつ頃行くの?」と最近出番の少ないつぶらちゃん。
「まだ決めてないけど。そろそろって感じかな。なんで?」
「できれば2月の27日から3日間ぐらい休みたいんですけど。かなちゃんも。」
「ああまた韓国行く予定を立ててんのか。」
「イエーッ!」行く気満載の娘たち。
「そうか、従業員がいないとお店開けらんないしな。そうするか。」
これで休みの理由ができたわけで、一年ぶりの四国を実現できそうだ。
そこに常連のお客様である「火曜日の男」のK村さん。
「マスター、おへんろさんいつ行くんですか?」
「まだ本決まりじゃないけど、2月の27日から3日間ぐらいかな。」
「ポイントワンスキーには参加できそうにないけど、その辺の日程なら休みが取れるかも。」
「えっ、K村さんも行きますか?四国に。」
という訳で、私の四国巡りに初めての同行者ができたのです。
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○ハングルツアー その12
前回の「ハングルツアー」から随分と間が空いてしまいました。
それと言うのもこの旅の目的であったお坊さん達との再会を果たしてしまったので気持ちが萎えてしまった様に思います。
〜帰国
前後不覚で眠り込んでしまった次の朝。娘達からのモーニングコールで目を覚ます。あー、とっても二日酔い。時計を見るとすでに約束の8:00をかなり過ぎている。
「おはようございます。マスター大丈夫ですか?」
「あー。チカちゃん、おはよー!大丈夫じゃないでーす。ちょっと時間を頂戴。用意ができたら連絡するから。」
「はい、わかりました。こちらももう少しかかりそうですから。」
やっと起き上がると、ベッドの横に靴があり、枕もとに靴下があった。
「こんなにした憶えはないけどなあ。おかしいなあ。」
後から聞いた話によると、娘三人が泥酔状態の私を面倒を見てくれたのだった。
今朝も昨日の辛いものシリーズのトイレタイムに苦労した。
シャワーを浴びてやっとの思い出準備完了。
「オーケー!行けるよー。」「はーい。今行きまーす!」
「おはよう。昨日はゴメン。東大門に行けなくて。お坊さん達と別れた後の事全然憶えてないんだ。ところで、このパーカー誰の?」
「カズのだ。昨日お父さん寝かしつけてるときお父さんの隣でカズも一緒に寝ちゃったんだよ。」と、かな。ウンウンと頷くチカ。
「えっ、マジで。なんか変な事しなかったよね?」と私。
「だいじょぶさー。お父さん死んだように眠ってたさー。」カズ。
「でも、何で隣に寝てたんだ?」(これには返答がなかった。)
「さあ、どこに行くかな?やっぱ明洞かな。」
地下鉄で移動してロッテデパートに立ち寄り、それから明洞に。
「ここでは、買い物の目的が違うから別行動にしよう。」
そして、私とチカ、かなとかずの2チームに分かれた。
「チカちゃんは、なんか買いたい物とか無いの?僕と一緒でいいの?」
「はいっ。無いです。マスター1人だと淋しいかな?と思って。」
「えっ、大丈夫だよ。僕ひとりで。」
「あっ、でもいいんです。マスターと一緒にいます。」
でもって、私のフットサルシューズ探しに付き合ってくれた。
途中、「私、あの赤いお餅みたいの食べてみたいんですが。」
「ああ、食べてみれば。トックね。」
早速購入し食べ歩きのチカ。早起きでお腹が空いていたんだね。
私がショップに入ってシューズを探している間、外でトックを食べながら待っているチカ。これを何店舗か繰り返したが、結局サイズが無かったのであきらめた。
一方、トックを食べ終えたチカの次の希望は?
「あのう、後いいですか?」チカ。「なに?」私。
「長いソフトクリームに挑戦したいんですが。」チカ。
「ああ、買っておいで。」
アイスの部分が20cmはゆうに超えたソフトクリームを食べているチカの嬉しそうな顔。やはり色気よりも、なんだなこの子はと思った。
そうこうしているうちに約束の時間。ミリオレの前で合流。
冬ソナグッズをおみやげにゲットしたかなとかず。
「急いで戻らないと迎えの車が来ちゃうから行こう。」
ここまでが、「ハングルツアー」の出来事でした。
あとは、現地係員に送られて強制の「キムチ屋」に立ち寄り、空港に到着。そしてお別れをして、飛行機に乗り込み離陸。
無事帰国の途に着きました。
ひょんなきっかけで出かけた韓国への旅。おかしなメンバーながらもとても楽しい旅でした。たった三日間でしたが色んな思い出がいっぱいありました。笑顔が絶えない旅ができました。
最後まで「ハングルツアー」にお付き合いいただきましてありがとうございました。そして、同行者の娘三人にも「カムサムニダ。」
また、次の旅のお話まで。「アンニョンヒ カセヨ。」
おわり。
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○ハングルツアー その11
〜笑顔
テーブルを隔てて日本代表P1チームvs韓国僧チーム。
「早速何を飲みますか?」と智玄さん。「はいっ、メッチュ(ビール)をいただきます。」「料理は私にお任せでいいですか?」「はい。」
智玄さんだけ最初からソジュ(真露)。みんなに注ぎ渡り「それでは、韓国にようこそ!」「コンベー(乾杯)!」「かんぱーい!コンベー!」
出てきた料理は、鯛やヒラメの刺身にはじまり天ぷら、焼き魚、といった和風そのもの。どれも美味しい。ビールもガンガン飲む飲む。
私は途中から焼酎に切り替えいい気分。韓流は小さなグラスにストレートで飲む。私も真似してストレートで飲む。
いい加減酔って来た所で本空さんからのプレゼント。この日の為に用意してくれていた手書きの「光明真言」、そして私にもう一つの品。
自分で彫った観音様のプレートだ。これを見て思わず合掌。
シンプルな柔らかい線で描かれた観音様のお顔である。
「どうぞ、ワタナベさんのお店に置いていただければ。」
「はい、素晴らしいです。是非飾らせていただきます。」
(実際、お店の壁に飾らせていただきました。見にいらして下さい。感動ものです。)
飲んで食べて上機嫌な我等。
「ところで、本空さん。韓国の仏教では「般若心経」を唱えるのですか?」「もちろんです。朝晩2回毎日お経を唱えます。」
という事で「般若心経」の大合唱。日本の淡々としたリズムではなく、
とっても明るくリズミカルな調子で発音もちょっと違うが大体解る。
私は酔いに任せて超ご機嫌。娘達は若者同士楽しそうに話しをしている。英語と日本語と覚えたてのハングルをごちゃ混ぜで。
テーブルに残った食材を一度下げて辛ーい鍋にしてくれた。これが、メウンタンという海鮮鍋なのだ。さすが本場の味。かなり辛いが美味しい。一層酒が進む。私は終始笑顔。「チンチャ、キッポヨ!」(とっても嬉しいです。)
後から娘達に聞いた話では、「お父さんキッポヨ、キッポヨって嬉しそうに何回も言ってたよ。」と言われました。
とっても満足、目一杯満腹「そろそろ行きましょうか?」「はい。」
「ケサネジュセヨ。(お勘定して下さい)」「ここは、私達に任せて下さい。」「えっ、そんな。それは、まずいです。」
「お坊さんは、お金かかる所がありません。大丈夫ですから。」そう言われご馳走になってしまった。「チャルモ ゴスミダ(ご馳走様)。」
ホテルまでの帰り道、私と本空さんは腕を組んで歩いていました。
別れが惜しいので「ここで(ホテルの喫茶室)お茶を飲みましょう。」
と誘いにのってくれあれこれと何の話をしたんだか?
「そろそろ帰ります。明日も学校がありますから。」「そうですね。今日は本当にありがとうございました。今度は私に払わせて下さい。」
「わかりました。ご馳走になります。」
「また、お会いしたいです。」「ワタナベさんもそのときまでお元気で。」
一人ひとりと握手をして名残を惜しんだ。
「それでは、また会いましょう。」「お気をつけて!また。」
あんなに飲んだのに車を運転して帰っていきました。
その後の事は全然記憶にありません。夜から東大門に行こうという約束はすっぽかし、気がついたら次の日になっていました。
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○ハングルツアー その10
〜再会
すっかり満腹になったので、残りの施設をさらっと見学して切り上げることにした。pm3:00、ぎりぎりで無料シャトルバスに滑り込む。
スウォンまでただ乗りだ。「ラッキー!」
全員爆睡しているうちに駅に着いた。「あー、気持ちよかった。」
地下鉄に乗り来た道を帰る。電車の揺れに任せているうちにまたしても睡魔がおそってきたチカ。首をこっくりこっくりとさせるチカを3人で眺めて楽しんでいる。そのうちにみんな眠ってしまった。
「まだ、お坊さんたちに逢うには少し時間があるから途中の東大門で降りてみるか?」と私の提案にみんな賛成。
下車して歩いてはみたものの、興味のある市場が見つからず、あまりゆっくりもしていられないのでホテルに戻ることにした。
「今夜ゆっくりと来る事にしようよ。」「そうだね。」
6:20、ホテルに戻りフロントに来客が無かったかと尋ねると「はい、皆様喫茶ルームの方でお待ちになっています。」
少しキョトンとした様子のフロント係り。それもそのはず、なんで韓国人のお坊様とおじさん&3人の娘達の不思議な日本グループが知り合いなのか?想像しかねるところであろう。
早速、喫茶ルームを覗いてみると居ました居ました。智玄さん、本空さん、碧松さんと初顔の若僧が。
「わぁー!アンニョン ハセヨ!」私は超興奮状態。
「アンニョン ハセヨ!ワタナベさんお久ぶりです。韓国によくいらっしゃいました。」「だいぶ待ちましたか?」「いえ、少しだけです。」
授業を終えて、学校のある金浦から1時間半の道のりを駆けつけてくれたのです。「やー、またお会いできて嬉しいです。」まだ興奮状態。
「これから食事に行きましょう。何が食べたいですか?私達もここの土地は初めてなのでどんなお店があるかよくわかりませんが。」
「できたらポゴ(ふぐ)を食べたいですが、無ければお任せします。」
「お刺身とか魚料理でも大丈夫ですか?」「はい。」
「私達がこの格好で食事をすると周りの人が気にするので、個室のある所でないと都合悪いのです。」 「なるほど。」
日式とある看板のお店に入る事にした。「オセオセヨー。」
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○ハングルツアー その9
〜韓国民族村
タクシーで30分。「たどり着いたー!」ここが、ミンソクチョン(民族村)だ。後ろの2人は、睡眠中を起こされ寝ぼけ調。「もー着いたのお。」周りの景色も街の様子も興味ない。 当然チカは、パッチリ元気。
入場料は11000ウォン。ガイドブックには8500ウォンとなっている。
「これって軽く値上げじゃない。」「そうだよね、ちょっと高いよね。」
中に入るとみやげ物を売る店が並びそのあたりに学生の姿、日本の制服に似ていると思いきや修学旅行の生徒達であった。
さらに奥に足を進めると懐かしいかんじの古民家が建ち並び当事の暮らしを再現している。日本の田舎に似ているのだ。土と木の文化。
においまでがそっくりなのだ。私が子供のころ嗅いだ田舎のにおい。
心が落ち着くような、複雑な思い。木の柱、土の壁、茅葺の屋根、土間、農具、吊るしてあるとうもろこし。「おんなじなんだよな。当たり前なんだ。」と今さらながら自分に言い聞かせていた。
娘たちには、どういう風に見えるんだろうか?
官庁の屋敷には刑罰を受ける道具があり、尻をたたかれている写真が滑稽だった。となりの牢獄は薄暗くて気味が悪かった。
ヤンバン(両班、氏族の意味)の屋敷は、民家に比べて流石に立派で丁度武家屋敷の赴きがあった。
「さあ、ここらへんでお昼にしよう!」「はーい、賛成。」
昔の雰囲気を残した食べ物屋があり、それぞれの所で注文してもらい受けるフードコート形式になっている。
参鶏湯、ビビンパ、チヂミと天ぷら、韓国酒。お膳いっぱいにならべて「チャルモッケ スムミダ(いただきます)」みんな笑顔である。
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○ハングルツアー その8
〜2日目
「明日は8時出発ね!」と昨夜就寝。そして朝、早くも韓国入りの洗礼トイレ。
昨日食べた明洞餃子店のキムチは辛かった。私ひとり欲張ってカナの分まで平らげたお陰でお尻も辛かった。移動する前にすっきりさせて置きたかったので、あくまでも慎重に取り組んでいた。プルルルルー♪内線が鳴っているが遠い。
やっと出動準備完了。こちらから娘達の部屋に連絡。「お待たせ!トイレ入ってたから。もう出れるよ。」「はーい。」朝から元気全開風のチカちゃんの声。
「ゴメン、30分遅れた。」「いいの、いいの。私ら2人もゆっくりモードだったから。
チカちゃんは6時ぐらいからスタンバッテたけど。」 「よし、出発!」
今日は予定通り「韓国民俗村」に行く予定。ここは、ソウル市内から1時間強地下鉄に乗って水原(スウォン)まで行き、そこからバスで30〜40分。
「水原ていう駅まで買えばいいのぉ?いくら?」「そう、1500ウォンだな。」
「安くない?」「かなり遠いのに安いね。」地下鉄に乗り込み、1号線に乗り換え延々と乗っていく。地下鉄は途中から地上を走るので街の様子が見えて楽しいが、どんどん郊外に向かっていくのでそのうち殺風景になってきた。
「もうすぐだね。」かなり飽き気味の3人。私の方は隣に座ってきた女子大生らしきカワイコちゃん(言い方が古い?)なのでちょっと意識していた。(何を?)
スウォン到着。結局1時間15分程かかった。「どっちに出ればいいのか、聞いて来るね。ちょっと、待ってて!」戻って見るとおばさんと何か話しているかづ。
「どうしたの?」私達。
「韓国人のおばさんに道尋ねられた感じなんだけど、何言ってるのかわかんなかった。」ちょっと困っていたらしい。
「へへーん。かづ韓国人だと思われたんだよ。良かったじゃん。コリアだかづ。」
「うるさいなあ。」からかわれている。
観光案内所に尋ねると、民族村行きのシャトルバスは1時間に1本で次まで25分ぐらい待つようだ。「4人で行くならタクシーがいいって。早いし15000ウォンで行ってくれるらしいよ。」「そうしよう。」意見が一致。初タクシーも楽しい。
韓国のタクシーは2種類あって、黒が模範タクシーで初乗りが4000ウォン、お行儀がいいらしい。それ以外が一般タクシーで1500ウォンから、普通の感じ。
迷わず一般タクシーの列に。
運転手にガイドブックを見せて、「ヨギカジカ ジュセヨ。」(ここまで行ってください。)あまりピンと来ていないようだが、取り合えず乗り込んだ。
2004・11・19記
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○ハングルツアー その7
〜そして、夜のつづき
マッコリ飲んで調子付いて更にもう一軒。行きがけに気になったオモニの屋台。
ここは、お酒類を置いていない食堂的なお店で、飲みが足りない私達は近くの酒屋で真露と梅酒を持ち込みカウンターに並んだ。
「アンニョンハセヨ!」ご機嫌な我等。
「はい!今晩は。」日本語が話せるオモニ。「何食べるか?」
「何があるの?」かづ。「そば?うどん?」オモニ。ここの得意はうどん系らしい。
「んー、両方。そばハナ、うどんハナ。」じっと待つ4人。私とチカは持ち込みのメッチュ(ビール)を飲みながらオモニの手馴れた調理を見つめる。唐辛子の量は?スプーンを見せられビビルカナ。「ううん、もっと少なく。」結局後で足してもらった。
おでんが入っている鍋でうどんを温め結局そのだし汁がスープになる。万能だし鍋なのである。うどんは韓国でもうどんで、そばは、うどんが細めなだけ。はい、できたー。「食べな食べな!」嬉しそうな娘達。
「マシソヨー!美味しいー。」ネタケースにあるイカも注文した。これもおでんの鍋で茹でる。万能だし鍋は、イカのうまみも加わるのだ。「なるほど。」
ついでにもう一品。味付けされた肉らしきものを指差し「イゴ、ムォエヨ?(これは何ですか?」私。「豚、豚の胸の肉。日本では無いよ。」オモニ。「テジ?」
「そう、テジ。」「チュセヨー!」
かなりにんにくが効いているいい香りがたちこめ、酒呑みにはたまらないつまみになりそうだ。コリコリしていてとてもうまい。結局もう一度おかわりした。
「もう、お腹いっぱいで食べられなーい。お父さん、うどんとそば食べてー。」
「僕もお腹いっぱいだよ。」困った時のチカだのみ。「チカチャンが食べてくれるよ。」
「そうだ。」みんな頷く。「はい、食べます。」と快く引き受けてくれどちらのどんぶりも完食。
「困ったときはチカチャンだよね。」感心している3人。「もったいないですから。」
「たくさん食べても太らないからいいよね。」気になる女心。
「微妙に動きが多いから、運動量が自然と多くなるんだよ。」と分析しつつ頷く3人。
「そう、チカチャンて軽く挙動不審じゃなーい。」さらに突っ込むかづ。(この言葉は旅行中良く使われたが、あだ名にはしづらかった。))
あとは、言うまでも無く飲み進み更け行く韓国の初日の夜を楽しんだ。
「チャルモッケスンミダ-(ご馳走様でした)。」 1日目おわり。
2004・10・28記
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○ハングルツアー その6
〜そして、夜
ひとまずホテルにたどり着く。ノブレスホテルといって、ソウルの中心から20分ぐらい東に行った長漢坪(チャンハンビョン)という地下鉄の駅から徒歩5分ぐらいにあるビジネスホテル。2003年にオープンしたばかりで新しくきれいなホテルである。
部屋に入るとダブルベッドとシングルのツイン。「よし、よし。ダブルに2人シングルに1人で大丈夫だね。」これで私一人この部屋を使う事ができるわけだ。
「お父さんひとりで使うの?淋しくない?」心配をしてくれる娘達。
「ありがとよ。悪いけど伸び伸びと使わせてもらうね。後で遊びにおいで。」
早速T山さんからお借りした携帯電話で韓国の学生僧の智玄(チヒョン)さんに連絡をと思い使ってみるが反応しないのでフロントに尋ねてみると、「これは使う事ができません。」と日本語でのやり取り。困っていると親切に「ホテルの電話をお使いください。」とお借りして明日の約束が取れた。これでひと安心。
部屋に戻り娘達とビールを飲みながら、かなり古い日本のドラマ放送を観ていた。「よし!これから外に飲みに行くか?面倒くさいから近場でいいよね。」
「いいでーす。行こう!行こう!仕度して来まーす。」さすが若い娘達。体力が余りきっているに違いないのだ。「ちょっと寒げだから、あったかくしておいで。」
いざ、外の街に繰り出すが、どんな感じだかわからない。ましてやハングル文字の看板は読みきれない。同じ所を行ったり来たりして目に飛び込んできたマッコリに釣られて決めた。外に置かれたテーブルに椅子だけの店?というか、日本でいう立ち飲みスタイルのテーブルあり番。「ここでいいかな?」と聞くまでもなく「どこでもいいさー。」笑顔の娘達。
「マッコリ ハンビョン(一本) ジュセヨ(下さい)。」ハングル体験だあ。
「マッコリ?」お店の人。「イェー。ネー。」我等。
あとは指差しでおでんと豚足を「ハナ、ハナ。」と注文して「コンベ-!(乾杯ー!)」「ヒャ-、マシソヨー(美味しい)!」全員細かく頷く。ソウルの夜にまっこりとした時が流れて行く。
ps、まだ1日目が終わらない。すいません。
2004・10・22記
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○ハングル体験ツアー その5
〜あだ名
夜になると一層賑わう明洞の街。2人のいる汗蒸幕(ハンジュンマク)の店にたどり着く。pm6:30すぎ(韓国との時差はない)つやつやした2人が出てきた。
「すごーい!気持ち良かったあ。チカちゃんもやれば良かったのにぃ。」笑顔満面のカナとかづ。「はあ?はい、うん」と言葉にならないチカ。
「カナちゃんなんか1kgぐらい垢が出たって感じで。」
「おねえさんが汗だくで、ほんとボリボリ出るわ、顔に飛んでくるんだそれが。」
確かにひと皮むけた感じの2人。「ツルツルになったあ?良かったね!」
「もうツルツル。」といいながらチカちゃんに触っている。「エステやってないのになんでこんなに肌がきれいなの?なんか悔しい。若いっていいよね。」お前らも十分若いやんけ。それが女心というやつか?
「はいはい、お腹が空いたでしょう。なんか食べに行こう。何食べたい?」
すかさず「焼肉ー!」のかづ。「今、減量した気分なのにもったいなくない?」と冷静なカナ。なんでもいいから付いて行きます状態の腹ペコチカ。
「T山さんおすすめの餃子屋さんを見つけておいたけど、行って見る?でもすごい並んでるよ。」私の意見がとおり「明洞餃子(ミョンドンマンドゥ)」店に行く。
「ほんとだー、すごい並んでる。何分ぐらい待つんだろう?」「ちょっと聞いてみる。」よしここでハングルだ。「シガニ オルマナ コリョヨ?」(どれぐらいかかりますか?)を胸に店内に入ると、「いらしゃいませ。スグですよ。」ときた、いきなり日本語だ。戦意喪失。「何分ぐらいですか?」こちらも日本語になる。「15分ぐらいです。」「いいじゃん、ここにしよう。」結構並んでいるのに回転が速い。
「汗かいたから早くビール飲みたい!」カナとかづ。」「賛成!」チカ。そして、私。
「ビール置いてないみたいだけど?みんな水のんで餃子食べてるよ。(がっかり)
だから早やいんだね。」(世の中うまく行かないものである。)
「軽く食べてホテルの近くで飲もうよ。」「そうしよう、そうしよう。」
「おいしいけど辛ーい」キムチと韓国風うどん&マンドゥを食べてひとまず落ち着く。ホテルに帰る途中の地下鉄で、エステ後ノーメイクの2人の会話。
「よく見るとかづの○って、ほんとに小さくなーい。」ズバリいいはなつアネゴ肌のカナ。「うるさいなあ。いいでしょうこれでもちゃんと見えるんだから。」可哀想なかづ。追い討ちをかけるように「つぶらだ、つぶら。今度からつぶらって呼ぼう。」「それって、軽くいじめじゃない?そういうカナちゃんだって、肉削っていた(シュラスコ料理の事です)お兄さんに二の腕つかまれてプルプルって言われてたじゃん。」かづの反撃。
なんとも恐ろしげな2人の会話。こちらに飛び火しないように聞かない振りをしていたチカと私。でもみんな仲良しである。
2004・10・20記
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○ハングル体験ツアー その4
〜街中
カナとかづがすっぽんぽんで垢をすられている間、私ら散策組は、韓国の歴史を探訪して歩いた。曹渓寺(チョゲサ 1395年に創建 韓国仏教の最大宗派曹渓宗の総本山)を拝し、景福宮(キョンボックン 李氏王朝創始者の李成桂が1394年に建てた王宮。)に入ると10月3日は韓国の建国記念日で勤政殿(クンジョンジョン 韓国最大の木造建築)前で舞踊を見物できた。
全体の造りは中国の紫禁城の規模を小さくした感じ。やはり中国に隷属していたので遠慮があるのだろうか。)
「お寺とかお宮とか勝手に来ちゃったけどいいの?」私が聞くと、東洋史学選考の元気娘「はい、私一人でもお宮とか行こうと考えていたので。むしろありがたいです。」「よしよし!」
続いて昌徳宮(チャンドックン)にも足を伸ばしたかったが時間がなくなるので、仁寺洞(インサドン)の街に繰り出す事にした。ここは伊勢佐木町のような通りで、伝統工芸品や骨董品の店、伝統茶店、食堂、安宿などがあり、特に楽しいのは街角ずつにあるパフォーマンス的な出店(飴きり、飴細工、針金細工、似顔絵描き、おでんや、パンケーキ屋?等等。見ていて飽きない。)ひと昔前のお酉様の露店の趣きで懐かしさを憶えた。
「あれこれ食べてみたいけど夕食が食べられなくなるといけないから。」すり身状のおでんとビールで我慢。後から考えたら機内食ぐらいしか食べてなかったので欠食気味のチカちゃんに悪いことをした。
「そろそろ明洞(ミョンドン)に戻ろう。」すっかり日が落ちて寒くなってきた。
ビール片手に飲み干すチカ。「さすがに歩きながらビールを飲む韓国の女性はいないからね。」「そうなんですか?悪っ!」「まあいいさ。」
お肌ツルツル身も心もきれいになったであろう2人を迎えにソウルの夜の街を急いだ。
2004・10・19記
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○ハングル体験ツアー その3
〜ソウル上陸
さて、最初の免税店に到着。「あっ、ここ来た事ある。」13年前、私がお隣の焼肉屋さんの店長さんのお誘いで初めて韓国に来た時寄った所だ。「懐かしい。」
「はい、みなさまここでどんどんお買い物して下さい。」韓さんにうながされバスを降りる。私以外の乗客は全員女性。とりあえず付いて行く。
店内を一周してさっさと外に出る。集合時間まで間があるので近くのコンビニでビールを購入。にやり。街角の出店で海産乾物を売っている。よく見るとイカげそ発見。またしてもにやり。「イゴ ハナチュセヨ!」(これひとつ下さい。)すると網にのせてかるくあぶってくれた。「オルマエヨ?」(いくら?)と言ったものの返ってきた数字がわからなかった。(2000ウォン也)
店から出てきた娘達「あれ、お父さん(私のこと)ちゃっかりビール飲んでるよ。あっ、イカも食べてる。いつ買ったの?」「こういうのがうまいんだよ。」
この後、2件のお店に連れて行かれやっと解散。午後3:00すぎ。
さて、これからどうするか?考えているところに、
「私達、垢すりエステに行きたいんだけどぉ。」カナとかづ。
「チカちゃんは?」「私はいいです。」「若いからまだいいよね。」(嫉妬気味?)
それで2チームに分かれた。エステ組と男、いや散策組。
「どこにあんの?そのエステ。」「明洞(ミョンドン)のここです。」地図で確認すると、「天地燃火汗蒸幕」とある。いかにも汗がでそうな店の名である。
「大体わかると思う。そこに行くから。じゃあね。キレイにしてもらうんだよ。」 成功を祈る。
2004・10・16記
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○ハングル体験ツアー その2
〜到着
わずか2時間程で韓国仁川(インチョン)空港に到着。日本は雨模様であったがこちらはきれいな青空が広がっている。「何かいい事がありそうだ。」
新しくてとても近代的な作りの空港だ。でもこれでは日本にいるのか韓国にいるのか、少しはその国のお国柄みたいなものをデザインにいれればいいのに。
と、改めて成田空港を思い返す。入国審査を終えて、荷物を受け取り先ずはファンジョン(両替)。「ねえ、ねえ、いくら取り替える?」娘達。「大きな買い物をしなければ、そんなにいらないと思うよ。」私。「2万円ぐらいでいいかな?」「いいんじゃない。」韓国の通貨はウォン。1000ウォン=約100円。なので、2万円だと20万ウォンになる。とてもお金持ちになった気分だ。
到着ロビーにすでに待ち受けている現地係員と合流。では最初の挨拶。
「アンニョンハセヨ。」「みなさま、お上手ですねぇ。」係員の韓(はん)さん。
「韓国は初めてですか?」「はい!いや、ネー(はい)。」かなりやる気のかづ。
(そうだ、日本にいるときから仕事ほっぽらかしで一番勉強していたね。)
「これから、ソウル市内の免税店に寄ります。みなさま、ショッピング楽しみですね。」「ネー!」笑顔のかづ。
「私、お金あまり持ってきてないから、いいや。」ボソッとつぶやくカナ。
私達(私も含まれている)には関係ないっす!と言わんばかりの元気っ娘チカ。
それぞれの個性を乗せてバスはソウルの街中へ。
(また、長くなりそうな予感。)
2004・10・15記
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○アンニョンハセヨ! 娘三人ハングル体験ツアー(保護者付)
△出発▽
10月3日AM5:00ポイントワン前集合。(早や-!)時間通り全員集合。
「パスポートちゃんと持ってるー?」「はーい!持ってまーす。」「じゃあ行くよー」
7月のある日、ランチの女王と何とない会話。「韓国は秋がおいしいんだよね。」
「そうなんですかー?いいなあ。行ってみたいなあ。」「そうだねー。」とその夜。
久々のライブが終わった頃、坊主頭小林寺拳法風の2人の男性。お店の外で入ろうか否か迷っている姿に気づき「どうぞ!お入りください。」
話をすると、なんと韓国から研修で来日中の学生僧さん達であった。
50代の方は日本語が達者で、30代のもうひと方は英語での会話。従業員共々お互いにたどたどしくも楽しいひとときを過ごし、「すごーい!昼の話の韓国つながりですねー。」「不思議にそうなっちゃたね。」笑顔の私。
それから3ヵ月後の今、ソウルに向けての機上にいる3人の娘達と私。
傍から見るとどんなつながりにみえるのだろうか?(元気印!チカちゃんがいてるから。「シャチョーさーん」ツアーには見えないだろう。などと心配をしつつ。)配られたビールで喉をうるおす。朝から2本目。「お父さん、嬉しそう!」との声。
さて、どんな旅になるのだろうか?おたのしみに。 「席がちょっとせまいなあ。」
2004・10・12記
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▽釜飯の思い出
まだ私にヒゲも無くマスターでもなかった小学4年生の夏休みの出来事です。
毎年夏休みになると丸々1ヶ月の間両親の田舎である福島に行っていました。父方の実家は和菓子屋を営んでおり、手伝いだといってはお菓子作りの失敗作を自分で食べたり、いとこのあんちゃんが遊んでくれるのを楽しみにしていました。たっぷり田舎暮らしを過ごした帰りの電車。子供1人で返すのは心配だったのか三歳年上のいとこが一緒に付いてきてくれました。家に持っていけと重い梅干やら味噌やらの荷物をみやげに。(当時は宅急便といった便利なシステムが無く、駅から駅に届くチッキというやり取り、または、人力で運ぶしかなかったわけです。)でこの頃の私は鉄道好きのずる賢い子供で、どうにか特急運賃をごまかせないかと苦心したものでした。得意の手は食堂車に粘り続けるというどうにも忍耐の要る手段ですが、これが結構有効だったのを憶えています。
東北本線の郡山駅から「特急ひばり号」に乗り込み、たくさんの荷物を引っさげて座り込み開始。オーダーはカレーライス。ゆっくり食べ終えるとしばらくしてからジュースを注文。車窓から見える景色は田んぼ田んぼ田んぼの連続、目にいい緑ではありますが、あっという間に見飽きてしまいます。そうこうしているうちに最初の停車駅(だったと思います。)黒磯駅に到着。「そうだ、ここの名物の釜飯を親に買って帰ろう。」と思いつき急いで飛び降りたのです。ホームの売店に走り釜飯を2つ買ったところで、なんとビックリ!特急ひばり号の扉がプシューと音を立てて閉まってしまいました。「えっ、なんで!」私、まだ、乗ってないよ!無情にも列車はいたいけな少年を置き去りにしてゆっくりと動き出し、シュー、シュー、と上野駅に向かって走り去って行っちゃたのです。このときとっさに考えた事は、食堂車に残したいとこの事と何よりも梅干や味噌やらの大荷物のことでした。「大丈夫かな。ひとりで持ちきれるかな?」それも束の間、ここでこうしていられない。近くにいた駅員に「すみません。今の列車に乗り遅れたんですけど。上野行きの電車は次何分ですか?」と聞くと「僕、特急券持ってるの?」(やばい、キセルばれたかな。)と思いきや、「いえ、まだ買ってません。」と答えると、お金を持っていないと思われたようで「それなら隣のホームから各駅の上野行きが1分後にでるから急ぎなさい。」「今の電車停車時間短くないですか?」と聞くと「あれは、この駅に30秒停車だよ。」(そうか、不覚にも停車時間を聞いてなかった。)言われるままに飛び乗りました。今おもえば、次の特急まで待てば良かったかなと。とっさにあと1分後に出るという言葉にあせってしまったのだと思います。こうなればゆっくり帰るとするか。電車の先頭にへばりつき、ずっと運転手さんの動作を見つめつつ前の線路を呑みこんで走る列車を楽しんでいました。(鉄道好き少年の醍醐味ですね)とりあえず上野に着いて、家に電話をすると誰も出ず、いとこが待ってはしまいかとあたりを探してみたものの見当たらず。諦めてひとり家に帰って来ました。すると、鍵が掛かっていて家には入れず、釜飯をもったまま遊びに行くわけにもいかずで、このあとどうしたかは憶えていません。
その後の話では、先に上野に着いたいとこは心配して家に電話をし、それを聞いた母親はこれまた心配して上野まで迎えに行ったという話です。
行き違いになったのですね。でも、荷物持ちが増えて良かった。
みなさんもホームに買出しに降りるときは、くれぐれも気をつけてくださいね!
2004・9・9記
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○みんなでワイワイHAWAII巻 part9
明日は帰国日。ギリギリで海に入ったついでに、やり残したことがもうひとつあります。それは、ワイキキビーチにて夕陽を待ちながらのカクテルタイムです。
ベタな感じがしますが、潮風にあたりながらトロピカルドリンクをいただく雰囲気は格別なものです。最も私はビールですが。「せっかくハワイに来たんだからどこかのBARで飲みたいなぁ。」の声。せっかくのハワイ、外に飲みに出るのはとっても楽しい事です。でもよりによって最後の夜だけになっちゃたのね。
「よしそれならば、僕に着いてきて。」毅然と言う私。アウトリガーホテル1FにあるバーレストランDuke’s Canoe Club Waikikiにまっしぐら。「どこへ行くんですか?」「あ、直ぐだから。とっても雰囲気のいいとこだよ。」といかにも知ってる風を気取ってスタスタ歩く。「はい、ここです。今、席があるか確かめるからちょっと待って。」(実はとても有名なお店で雑誌に紹介されていたのをチェックしておいた所です。一度行って見たいと思っていました。)「わぁー、素敵なバー!さすがマスター!」「でしょう。ここから夕陽が見れるよ。最高だよ!」
目の前でサーフィンをしている人を眺めながら、どこからともなく流れてくるハワイアンミュージックをBGMにのんびりとした時を過ごす。これが正当なハワイスタイル、気分が良くて当たり前。すっかり海に陽が落ちて、「そろそろ戻ろうか。」
これで満足かと思いきや「今夜で最後なのでもう一回りして帰ります。」えっ、また買い物ですか?「ハイ、ハイ。悔いの無いようにどうぞ。いってらっしゃいませ」これでハワイのお話は終わりです。次の日は予定通り無事帰国。そのまま何も無かったかのように私はそのままお店を開けました。
今回のハワイは女性が多かったのでお買い物中心になりがちでしたが、私の両親も一緒に大人数でワイワイと家族旅行では味わえない楽しい旅行になったと思います。「もう行く事ができない。」と思っていた母もどうにか参加できてとても幸せそうでした。良い思い出になった。と今だからこそ思えます。一緒に行ってくれたメンバーに心より感謝します。ありがとう!そして、もうお買い物はゴメン!
2004・9・7記
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○みんなでワイワイHAWAIIの巻 part8
「今日はサーフィンをやってみまーす。」と女性陣の申し出に従ってビーチに出かける。やっと海に出る気になってくれたようだ。さっそくボードを借りに行き、仲良し3人は1枚のボードを交代で使うというので順番に付き合う。1番手はアネゴのJちゃんから、少々パドリングに疲れ気味ではあったが波に合わせて押してあげると乗る事ができ、「わぁー、楽しー!気持ちいー!」とすっかり気に入った様子。「もっと早くやれば良かった。」とJちゃん。「でしょー、そうでしょー、楽しいでしょー!」ハワイに来て5日目にして海に入るんだよね。今まで何してたんだろうねぇ。あちこちお買い物で忙しかったものね。仕方ないよねー。
2番手のN代さんはうちの奥さんに任せて私は自分のサーフタイム。喉が渇いたので浜に戻ると、「Nちゃん見ませんでした?」とJちゃん。「知らないよ、うちの奥さんと一緒じゃないの。」しばらくして重いボードを持ったN代さんが戻って来た。「どこにいたの?」「スミマセン、パドリングしてたら潮に流されたみたいでそのうちに波にゆられて酔っちゃいました。それできがついたら、ピンクのホテルの前まで行ってしまったのであきらめて浜にあがって歩いて来ました。」「えー!あんなとこまで行っちゃったんだー。大変だったね!お疲れさん。」
そんなこんなで3番手のTかちゃん「私泳ぐの苦手なんですよ。」と引き気味で、
「大丈夫、大丈夫いいからやってみなよ。」「は、はい。」でパドリング開始。と、言うもののレンタル時間も残り僅かでちょろっと触っておしまいになっちゃたね。
「私が返してきます。」とやる気満々になってくれたJちゃん。「返してきました。」
「あれっ、Jちゃん。僕はじっと見てないんだけど、胸のあたりが肌色のようだけど。」「えっ、あらやだ。水着がめくれているのに気がつかないでいたんだ。」とあわてて治して「レンタル屋のオニーちゃんに見られたかも。まーいいっか。」「僕は見てないから。正体まではね。ほんとだよ。」「いいです、いいです。減るもんじゃないし。今度から気をつけないと、白のラッシュを着てるときはね。透けてみえちゃうものね。」みんなで大笑いのサーフ体験でした。
ps.Jちゃんは、これをきっかけに日本でもサーファーとして今日にいたります。
2004.9.4日記
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○みんなでワイワイHAWAIIの巻 part7
滞在4日目。今日こそはジョギングをしようと昨夜の飲み会をほどほどにして、迎えた気持ちのよい朝。ずっと楽しみにきたはずが、結局私ひとりでのジョグタイム。カピオラニ公園をぐるっと1時間ほどのランでホテルに戻る。ハワイに来たらこういう1日の始まりがいいんだよな。朝食を済ませ午前中は親とビーチに出る。2時間10$のサーフボードを借りて一人海に入る。ポイントの勝手がわからないが、スクールの様子を見て感じを掴む。「みんなやればいいのに!」と思いつつワイキキの海を楽しんだ。昼食をとり午後からワイケレショッピングセンターに行く。それぞれのお買い物をすませると雨が降ってきた。夜道に段々と雨脚が強くなってきて前が見えない。おまけにハワイの車線は白線ではなくてリベットが打ってあり、これがまた見にくいのだ。途中ワードウェアハウスに立ち寄る。以前来た事があるスパゲッティ屋で夕食にする。内装はしっかりと凝った作りを
しているわりに料理はたいして上手くない。「パンが一番おいしい!」とパパちゃん(マスターのお父さん)の声に全員が頷いていた。「疲れたからさっさと帰ろう!」フードパントリーでビールを買ってホテルに戻る。今夜は飲み会に参加せず部屋で本を読んで寝る事にした。
2004・8・26記
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○みんなでワイワイHAWAIIの巻 part6
「さあ、行くぞー!」朝9時すぎにホテルを出発。今日の目的地はノースショア。99号線カメハメハハイウェイを北上して途中ドールパイナップルギャラリーに立ち寄る。この先の道の両側は赤い土のパイナップル畑が一面に広がりいかにもアメリカって感じがする。そこから40分ほど走った所に私の好きなハレイワの町がある。それを更に進んでサンセットビーチに到着。ここは年中大きな波が立つサーフィンの聖域だ。「わあ、すごーい波。でっかーぃ!」の歓声。軽くダブルオーバーヘッドの波に挑むサーファー。「かっこいいー!」ほんとにすごいのです。駆け出しサーファーの私などは海に近づくだけで足がすくむほどだ。暫くの間、ブルーハワイ色の海をギャラリーに混じって眺めていた。「そろそろ行こうか。」
「はーい」「私、ナンパされちゃった。」嬉しそうなJちゃん。「されちゃえばよかったのに。そのままハワイに居残ってれば。」とお友達の声。「そうだよねー。」すっかりその気になりかかっている。「はい、はい車出して。行くよ。」
ハレイワタウンに戻って昼食。雑誌にのっていたローカルサーファー御用達の店L・Lランチにて。大盛りライスにでかいBBQリブ、全部食べるとサーフィンが出来なくなりそうなので、ほどほどにしてショップに移動。surf n seaでボードだけ借りようとしたが断られ仕方なくサーフレッスンを受ける事にした。1人$69.
結して安くはないがサーフィンができなくなるならやむを得ない。子供達は女性陣に預けて、レッスンに参加。今日は親とも別行動なので気楽でいられる。
始めに陸上で延々2時間の説明。しかも英語で(あたりまえか)。海の事、波の性質、カレントやリーフの事、ルールやマナーに関する事をしつこくしつこく丁寧に説明してくれるのだ。「もーいいっすよ。早く海に入ろうよ。」しびれてきたところでようやくボードをあてがわれ、今度は1,2,3で立つ練習。これも何度も何度も。やっとの事で海に入る事を許された。波のポイントがかなりアウトなので、今度はひたすらパドリング。「ああ、ランチを残しておいて良かった。」まき餌を撒くところだった。奥に行った分ロングライドが出来て気持ち良い。何度か波に乗って終了時間。total4時間のレッスンだった。満足、満足。そして、現実。雨が降ったりのあいにくの天候でお連れの方々は、かなり煮詰まっているご様子。「スイマセン。遅くなっちゃて。早いとこ帰ろうね。ごめんなさいね、ハイ。」
2004・8・19記
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○みんなでワイワイHAWAIIの巻 part5
ジョギングするのを楽しみで来たのに、昨夜の飲みですっかり台無し。みんな二日酔い気味で行動がにぶる。マスター家はいたって元気そのもの、おにぎりをこさえて海に行く支度をしてスタンバイ状態。「はい、はい行きます。今用意するから待ってくらさい。」両親と子供と海に出る。子供たちは親に任せて私はここぞとばかりに寝に入る。そろそろお昼、近くのマックに買出し。子供達はハッピーセットならぬハッピーミールがお目当て。日本とは違ったおもちゃが付いてくる。
女性陣はフラレッスンに行って来たようで、楽しかった人とそうではない人に別れたらしい。「あー楽しかった。明日も行こうかな。」の声と「前のおばさんがあーだこーだしきりすぎなんだよね。すっかりやる気なくしちゃった。」の声。あとから
聞いた話では「私もちょっとやる気がなくなってきて、後ろを振り向いたらすでに座っている人がいたからズルイッ!私もやーめた。」そうだ。誰とだれだ?
ホテルに戻りレンタカーのpick upを待つ。マスター家御用達のアラモレンタカー
ここが一番安いのだ!Jちゃんと私で車係り。ビュイックのセダンとカマロのコンバーチブル(かっこいい!)を借りてホテルに帰る。「お待たせしました。」
「とりあえずドライブしよう。」走りだしてから地図が無いのに気づき、フリーウェイに乗りそこね、住宅街に迷い込み、右往左往してやっとの思いでハナウマベイを通りサンディビーチを右に見る。ここは、ボディボーダーのメッカ。きれいな波にきれいな砂浜。とてもアメリカっぽくていい感じだ。もう少し走ってパーキングに車を止める。岩のすきまから間欠泉のように海水が吹き出るスポット。「わあ、すごいすごい!あーあそこにカメ(ホヌ)が泳いでる。」とみなさんお喜びの様子。よしよしそれでいいのだ。車を北に走らせ私が気になっていたコックローチビーチに到着。サーフポイントなのだが誰もいないし何もないのでちょっとガッカリ。
あきらめてカイルァビーチに向けて足を伸ばす事にした。空がくもって来た。
少し迷って到着。(後続車のカマロさんごめんなさい。)
カイルアビーチはウィンドサーフィンのゲレンデで、あの有名なロビー・ナッシュのショップ「ナッシュハワイ」があるのです。(知らないか)ここは長ーぃ海岸線が続くとてもきれいなビーチで私のお気に入りの場所。「はーい、海ですよー。」といっても誰も入ろうとしない。それもそのはずちょっと寒い。私と息子だけ海に入り、1時間ほどで切り上げ「帰ろうか。」となる。66号線を下ってワイキキに戻ると空は明るくすっかり晴れている。ここは晴天率が高い。遠出しないでワイキキにいるのが一番かも。「で、明日はどこに行く?ノースまで出かけて見るか。」
2004・7・29記
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○みんなでワイワイHAWAIIの巻 part4
一休みして子供達の要求に従いホテルのプールに付き合う。このとき女子はそれ以前の話。「可愛い水着見つけて来まーす。」と町に繰り出して行きました。
もう直ぐ4月のハワイですが、日陰や風はやや涼しくプールに入るとちと寒いのですが、子供には平気のようで恐れ入ります。ちょっとだけプールに入って、あとはずっと隣のジャグジーで冷めた体を温めておりました。(いつも子守りは私)
夕食は?部屋別の通りにバラバラ、マスター家は親子三代水入らずのお出か
け。近所のデニーズにて。この店の前から見る夕陽は本当に美しいのでおすすめです。奥様は、女性陣と化してお次はハワイアンジュエリーのお買い物に。
ブラブラ歩いてABCにて寝酒とつまみを買ってホテルに戻ると、少し、いや大分興奮気味の婦女子達。あれがいい、これにする。と話あっているさなか、我が家の奥方はいきなり「現金でいくらある?」と来たではないか。「えー、いくらって」
「妹に頼まれたのを合わせて1100ドルぐらいかかるんだけど。」「えっ。」ちょっとビックリした。マジですか。確かにあなたの誕生日のプレゼントは今回に持ち越しにしてあるけど、1100ドルって日本円でなんぼ?なの。「カードでもOKなんだけど、それだともう少し割高になっちゃうんだよね。」「はいはい、わかりました。そんなに欲しければどうぞ」ちょっと不機嫌。後はあまり買い物しないで下さいお願いしますよ。現金もうないよ。「ありがとう!」でまた出かけて行っちゃた。
長ーぃ27日を振り返り女子部屋で最後の仕上げ。すごく楽しそうに夜の宴が延々と続きお開きは午前4時頃か?あれハワイに来たら朝のジョギングするって言ってたけど?とりあえず今日買ってきたお飲み物は無事完飲。お疲れ様。
2004・7・22記
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○みんなでワイワイHAWAIIの巻 part3
ホテルにチェックインする前にオプションの説明がある。ツアーにはありがちだ。
私達にはそんな必要はなし。早く自由な身になりたいので、パス。ホテルに送ってもらい放免。私とN代さんは、かねてより楽しみにしていたウクレレレッスンに参加するためしばしお別れ。運良くRoyal Hawaiian Shopping Centerに近く滑り込む。ここは、RHSCのサービスの一環でいろいろなイベントが無料で受けられる。ウクレレレッスンは週3回ほど、朝10時に行けば楽器を貸してくれるので手ぶらでもOKなのだ。集ってくる人達もいろいろで、現地住まいのお年寄りや子供たち、私達のような旅行者や通りすがりの人だったり、誰でも参加できるのがオープンな感じでヨロシイ。まさにアロハ!気分。私の隣のN代さんはにやけた笑顔でとても楽しそう。「ね、いい感じでしょ!」「はい、来て良かったです。」老若男女13〜14人ほど集りみんな笑顔でポロンポロン。先程の雨もすっかり止んで気温が上がってきた。レッスンを終えて徒歩でホテルに向かう。
今回のお泊りは、ワイキキバニアン、クヒオ通りに面した立地にあるコンドミニアムだ。受付に立ち寄るとすでにチェックインできたらしい。これは、ラッキーだ。
部屋に着くと早くも子供達が水着に着替え「早くプールに行こうよ。」とまくし立てる「えっ、今着いたばかりなんだから少し休ませて。」先ずは、大切な儀式。開けても暮れても先ずはプシュ!ハワイに来たらビールを飲む。車で出かける用事が無いときは朝起きた瞬間から飲む。これは、仕事である。(いつもか?)
ABCストアから、誰かが気を利かせて買ってきたビールをいただく。機内でもらったナッツをつまみで飲む。ここからが正しいハワイの始まりなのだ。
部屋割りは、マスター家三代部屋と女性陣部屋。この部屋割りを境に行動パターンが別れて行く。いったいどんな風に?さあ?それは、これからのお話で。
2004・7・14記
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○みんなでワイワイHAWAIIの巻 part2
期待を胸に膨らませての空路、最初のお楽しみは機内食&ドリンク、待ってましたとばかりに先ずはビールから。(おつまみは現地用に持ち帰り)食事が運ばれて、次の飲み物は?ここで、ガツガツしてはいけません。あくまでも食事のお伴としての、結して「只だから飲んでやる」的な発想を悟られないように、旅なれた感じで優雅にいただきます。「次はワインかな?」と考えていると、すでに赤白
ダブルゲットの仲間達。笑顔がステキです。「いただいてまーす!」
ほろ酔い気分で映画を見終え、明日の為に一眠り。大事な睡眠時間です。
ハワイまで約7時間、長いようなフライト時間も、もうすぐ終了。着陸態勢のベルトサイン。ぐっと高度を下げ、雲の下へ。眼下には海、久しぶりのダイアモンドヘッド。「ホノルル国際空港の天気は雨」のアナウンスを聞いてちょっとがっかり。
ほぼ定刻通りに到着。飛行機を一歩出ると、熱気につつまれる。通路の係員に挨拶をする。この瞬間がたまらなく気持ち良い。外国に来たぞ!という気分だ。入国審査をすませ、バッゲジをとって表に出る。何もかもが久々だ。現地時間でもう一度27日、午前9:00すぎ。外は、あいにくの雨。迎えのバスを待つ。
「スカっと晴れてくれないかなぁ!」みんなの願いを乗せてホテルにGO
2004・7・10記
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○みんなでワイワイHAWAIIの巻 part1
2002年冬
point oneにていつものメンバーが集い飲んでいた。
ほろ酔い気分で楽しいお話。誰からともなく「毎日寒くて。どこかあったかい所に
行きたいなー。」「南の方がいいね。」「マスター家は、来年にハワイに行くんで
すか」「たぶんね。行くなら春休みだね。」「いいなぁ、行きたいなぁ。」「行こう行
こう、みんなで行くと楽しいよ!」のノリで決まりました。ハワイ行。
そして、2003年3月27日に出発予定。
世界はイラクに注目している。世界中で拡がる反戦デモをよそに戦争が始まる
のだ。イラク市街地に空爆を開始。TVの映像から火柱が映し出されている。
HAWAII行き当日、成田に向けて。
メンバーは、マスター家4人、両親、非常勤バイトのN代さん、酒姫ことJちゃん、
追加参加のTちゃんは現役のバイトさん、(男3女6)の9名。そこそこの団体に
なりました。お店に16:00集合、Jちゃん経由でいざ成田。18:30に到着。
久々の空港はイラク戦争の影響でガラ空き、かなりのキャンセルが出たようだ。
そんな事はお構いなしの御一行、フライトのアナウンスですっかり浮かれている
様子。チェックインを済ませ、両替えをすれば準備完了。後は大切な燃料(黄金
色の液体)の買い出しだ。「えー!もう飲んでる。」「私も飲もーっと!」
成田空港のロビー、フライト待ちのソファーの客は何故か態度が大きい気がする
(自分を含めて)。セキュリティーチェックを受ける、テロ対策かかなり厳しい。
免税店を眺めると旅行気分が高まる。21:00発のNW022便をゆっくり待つ。
搭乗開始、機内に乗り込む。空席が目立つ。おかげでゆったりと座って寝てい
けそうだ。さて、今回はどんな旅行になるのだろう。
2004・7・3記
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▲日本人なら一度は登ってみたい山 (その七)
〜家路〜
やっとたどり着いた5合目の小屋で一杯50円の洗面器の水でほこりを落とす。
「ありがたや」貴重な水で顔や手を洗い流す。これで、富士登山は終了。
ビールで乾杯!「もうここに用はない」バスを待つのも面倒なので、乗合でタクシーに乗車。(これも予定通り)まー直ぐな下り道を御殿場駅に向けて爽快に走る
車。腹ぺこだー。「駅に着いたら弁当を買って電車でたべましょう。」(ボックスに座ってビールを飲みながら悦にひたる姿を思い描いて)駅で「鯛めし」とビールを購入。電車に乗り込む。あれっ、ほぼ満員。予定外。つり革に掴まりながらそっとビールを飲む。お弁当はおあずけ。虚脱感でヘナヘナとなるが我慢、我慢。
国府津まで立ち通し。ホームのベンチで食べようかと思ったが、こうなれば東海道線のボックスで再挑戦。電車が入って来た。嫌な予感。最新型の車両「快速アクティー」号。キレイ、二階建、しかも都心に向けて。私達、登山後泥姿。早く帰りたいので乗り込む。また満席。どうなる「鯛めし」。電車で食べてこそ駅弁。
さあ、どうする?確実に近づいてくる大船。ここでやりますか。二階建てステップに腰掛けてひろげる弁当。やっとありつけた。まわりキレイな乗客。われら、登山後怖いものなし。ガツガツ食べる。「まずい!」こんなに美味くない弁当も珍しいぞ。大船着、昨日の今日だがずいぶんとながい1日だった。ここで、お別れ。
私はもう一本ビールを買って京浜東北線に載乗る。うつらうつらしているうちに、石川町着。キップがない!さっきビールを買ったときに落としたらしい。駅員さん
にうまい事言って150円で改札を出た。
2004・7・2記
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▲日本人なら一度は登ってみたい山 (その六)
〜下山〜
ガラガラした道を下り始めると、あっという間に頂上は上の方になっている。下りはとても早いものだ。登山者とすれ違うが、下れば下るほど同情が強くなってくる。登りと違うコースなので勝手がちがうが、このルートの登りもかなりきつい。
赤い砂利をザクザク下りるが道のりは遠い。宝永山火口(スロープの線が美しい自然の作り出したフォルムだ)を右手に見ながら無言でずり落ちる。高度が下がったせいか息苦しさが無くなった。後はマラソンである。二人とも頭の中が空っぽになって強いられた道をひたすら下る。8合目の「わらじ館」に着く。山小屋というよりも農家のようだ。先述のバイト君が泊ったようだが、いかにも彼らしい素朴な小屋だ。何故か外には三ツ矢サイダーの空き瓶がたくさん積まれてある。
初老のじいちゃんが一人で守っている。下りが楽だとわらじをすすめられ、高邑さんは心優しく購入。装着してもらい、いざ砂走り。どんなものかと待ち続けた砂走り。わらじの高邑さんに対して、私の隠し技(靴下スパッツ・使い古しの靴下の先っちょを切っただけ)を履く。おそるおそる駆け下りる。ほこりがすごい、ずれ
落ちる、ほこりがたつ。延々としらけた下り。風景も行為もいささか飽きてきた。
「まだかよ」そんな思いが伝わってくる高邑さんの後を追うが、追いつけない。
焼けた砂地に這うように生きているフジアザミ。この環境で、強い。
森林限界を境に木々の中を歩く。落ち着いてくるものだ。あと少し、あと少し。
やったー!やっと着いたー!(そうとう辛そうに語ったが、わずか3時間弱で下りきってしまった)疲れたー、
「でもこのルートを登る人は、神様の顔を何度も拝めたに違いない」(1995年の日記より)
2004年7月2日記
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▲日本人なら一度は登ってみたい山 (その五)
〜登頂(御来光)〜
時計を見ると午前2:00を少し過ぎている。真夜中の山登り。周りの人につられて準備をして、外に出る。ひどい寒さだ。夜通し登ってきた人が外のベンチで休んでいる。みんな憔悴した顔をして一息ついている。小屋で休みたいところなのだろうが、夜は泊り料金になってしまうらしくあきらめて外で休んでいるのだ。
2:20出発。少し休んだだけ身体は楽になったが、登りはまだまだきつい。
空を見上げると、満天の星だ。夏空なのにオリオン座が出ている。他の星座がわかればもっと楽しいだろうに。流れ星もときどきみえる。人工衛星も一定の速度で回っている。休んでは登り、登っては休む。
3:20(9合目 3500m)8合目で吉田口と合流してから渋滞が始まり思うように登れない。おまけにあちらは、観光風団体客で前に離されまいとぞろぞろ歩きで迷惑きわまる。人、人、人、ものすごい人の数。疲れ果てて脇で寝ている人
あり、酸素を吸ってる人あり、しゃがみこんでる人あり。山頂近くは岩を掴みながらゆっくりとすすむ。人が多くてとても危険な状態だ。
最後の鳥居をくぐると、山頂である。4:30登頂。東の空がうっすらと明るい。
「やったー、よく登ってきたな!」満足顔でお互いの微笑む。剣が峰の方に移動する途中、大日岳で4:58、御来光。気温4度。雲の中からにょきっと頭を出し上がって来た。とても神々しく美しい太陽に思わず合掌していた。しっかりの目に焼き付けてから移動する。しかし寒い。じっと待っているので、とにかく寒い。
郵便局のポストに江戸屋で書いたはがきを投函する。後は富士山測候所を目指して最後の坂を上がれば目的地となる。この急勾配の坂道がきつい。まるで人工でつくられたような坂。なかなか進めない。息も苦しい。ここでおしまいだと自分に言い聞かせてついに到着。3778m剣が峰(日本最高峰)で固い握手。
記念撮影、展望台にあがって影富士を眺める。素晴らしい景色だ。
どこかで乾杯だ!座れる場所を見つけてプシュッ!「お疲れ様です。」達成感が全身にみなぎる。寒くてビールが美味しくないが、ここで高邑さんのうらワザ。
ジャーン、ほていのやきとりの登場です。(隠し持っていたのだ)お見事なつまみです。おいしい!これでビールが活きてきた。一本飲んだら、もう帰りたくなってきたので御殿場口より下山開始!「下山靴に履き替えろー!」うそっ。
2004・6・29記
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▲日本人なら一度は登ってみたい山 (その四)
〜登山中〜
5:15−5:55−6:20と小休止を取りながら登る。山の歩き方を知らないので
ガシガシと大股で登るので段々きつくなってきた。(本来は小股で静移動、静荷
重の足取りが基本)6:50やっと6合目。7:30星が見えてきた。7:55、7合目
の小屋のおばちゃんが泊って行けとしきりに勧める。先はまだまだなのに誘わ
れるとグラッときて、ここに泊ってもいいかなという気分になってくる。高邑さんの
顔をみると動じてないので先に進む。下を見下ろすと上がって来た道と駐車場
が良く見える。まだ、こんなものか。8:50、本7合目。かなり寒くなってきた。
手がしびれてきた。頭もポーっとしてくる(これはいつもか)。この小屋の主か?
森本レオ風の優しい声で泊りを勧めてくる。ここでもいいかなと思う、危ない誘
惑に負けそう。そこで、高邑さんの顔を覗く。「コーヒーでも飲んでいきますか。」
まだまだ行くぞ!という事だ。普段は入れない、砂糖とミルクをしっかり入れて
飲む。甘くて美味しい。とっぷりと日も暮れてヘッドライトの明かりを頼りにひたす
ら登る。無言。息ハーハー。9:30、8合目江戸屋着。3250mこの地点で、日
本第2位の北岳(3192m)の高さを越えている。(最もこの時はそんな事も知ら
なかったが。)今日は、もうこの辺で泊りましょうよ、の気持ちが通じたのか。「こ
こにしましょう」とお許しが出て中に入る。テーブルで一杯やってるのがみえる。
よしよし。中を見渡すと皇太子の登山記念写真があり、ここに泊られたようだ。
これか、高邑氏は大の皇室ファンであったのだ。納得。外はかなりの寒さだが、
小屋の中は安心だ。ホッとため息をつきふたりで熱燗を注文する。おでんとぺヤ
ングをつまみながら疲れを癒す。私は山頂で投函するためのはがきを書く。
10:40ごろカイコだなのような窮屈なベッドにもぐりこむ。湿って重い布団が不
快だが、無理やり寝ようとするが、なかなか寝付かれない。そこに他人のイビキ
の音。酒を飲んだせいか、心臓がバクバク言っている。うとうとしているうちに御
来光狙いの客が起こされる。もちろん私達も起きる。あーねむい!
8合目江戸屋 素泊まり5000円、食事つき7000円(カレー&お弁当)
ビールとお酒が600円、おでんとぺヤングソースやきそばが800円。
汚いトイレとやる気のなさ気な従業員付き。
2004・6・24記
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▲日本人なら一度は登ってみたい山 (その三)
〜実行〜
そして、当日。大船で待ち合わせ、早めに着いて待っていると現れた高邑氏。
挨拶を交わす。「僕もちょっと早めに着いたので、そこで生ビールを一杯飲んじゃ
いました。」T氏。「えっ、そこって何処?」私。「ホームにあるんです。」「えっ、生
が?」「はい」「ちょっと気になるなー。時間あるから行ってみましょうよ!」ほんと
だホームにスタンドバーがあるなんて、大船って素敵だー。(現在は無いです)
で、「生ビール2杯!」朝からの緊張も一気に和らいで行く瞬間です。ウマイっ!
「いいねー」ここでマッタリしてはいけません。予定より一本早い電車に乗り込み
国府津に向かう。御殿場線に乗るのは初めてだった。函南トンネルが開通する
まではこちらが、東海道線の本線であったと聞く。気持ちまでもが昔に戻った様
だ。沼津行きをホームのベンチに座って待つ。私は以前より茅ヶ崎からこっち大
磯、二ノ宮あたりののんびりした空気が好きだ。特に海風が心地良い。
14;52御殿場着。須走り口行きのバスまで少し余裕があるので、新橋浅間神
社にお参りをして、コンビニでおにぎりを購入して戻る。15;40バス出発。
須走り宮上を過ぎると急な登り坂で、バスはクーラーを止め、牛歩のごとくゆっく
りと進む。、開けた窓から冷たい空気が流れ込む。寒いぐたらいだ。
5時少し前に新5合目(約2000メートル)到着。たちこめる霧の中、登山道に向
かう。金剛杖やおみやげの売店を左に見つつ5分程で小さな祠の建つ古御岳
神社。登山の無事を祈る。さて、ここから山登り、高山植物や鳥のさえずりを聞
きながら小気味良く歩を進める。
「雲霧のしばし百景をつくしけり」 芭蕉
2004・6・19記
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▲日本人なら一度は登ってみたい山 (その二)
〜計画〜
1995年7月27日記より
店では富士登山が密かな話題を呼んでいる。高邑さんはじめ、松っつぁん、佐藤くんなどかなり真剣に計画を練っているようだ。今は丁度シーズンなので人も
多いだろうが、その分不安が取り除けそうだ。云々。
富士山行に向けて早速隣の本屋で地図を購入。昭文社刊「富士・富士五湖」
山の地図をてにするのは初めてである。これで、富士山がぐっと近くなった気がした。とてもワクワクしてきた。ついでに「るるぶ 富士山」も買った。これから勉強だ。「富士山ってこうなっているんだ」なにもかもが目新しい。時刻表を片手に
計画を練って行く。私の最も好きな時間である。色々な事を想定して、幾通りかのパターンを作って行く作業。想像するだけで楽しくなってくる。
高邑さんとの話し合いで、富士登山予定日が8月13日(日)に決定した。
私達が盛り上がっているさなかに、バイトの佐藤君が先に行ってしまった。
それもなんと徒歩で。山登りは歩きに決まってんじゃん!ですが、それを横浜から歩きで行ってしまったのです。3日がかり、野宿。臨港パークの海水(いわゆる0メートル)を汲んで山頂にかける。なんともキザったらしい事を。しかも我々が計画してるのを知ってるくせに。(しかも横浜からなんて。)
633年 役ノ小角(えんのおづぬ)初登頂 「世界登頂年代記」マルセル・クルス著より
2004・6・16記
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▲日本人なら一度は登ってみたい山 (その一)
〜序章〜
「富士山」(3776m) 世界各国にはそれぞれ名山がある。しかし富士山ほ
ど一国を代表し、国民の精神的資産となった山はほかにないだろう。われわれ
日本人はどれほど豊かな情操を富士によって養われてきたことであろう。もしこ
の山がなかったら、日本の歴史はもっと別な道を辿っていたかもしれない。
(深田久弥「日本百名山」より)
今でこそ高い建物に遮られて、素直に望む事が難しくなった「富士山」。この日
本一の山に 「山登り初心者」な男達が挑戦する物語である。(かぜの中のす
ばるー♪ おっといけない)
1995年夏。この年は、いつもと違っていた。今となっては憶えていないが、どう
いう訳か「富士山」が気になっていた。そこに(生涯の山の友となる)高邑氏が
現れた。無頼の酒好きで楽しい仲間である。いつもの様にローヤルの水割りを
飲んでいる。少し酔い加減の私が、「このところ富士山が、気になっているんだ
けど、登ってみませんか?」と、きりだすと「僕も、そう思っていたんですよ。」と
不思議と話が合った。二人とも小さい頃に大山ぐらいにしか登った経験が無く、
それとても辛い思い出であった。にもかかわらず何故だったのだろう。
2004・6・9記
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●2004年6月6日 |
合羽からげてー三度笠ぁー♪
今月から、いよいよ旅の話が新たに加わります。
遠い地平線が消えて、
ふかぶかとした夜の闇に心を休めるとき、
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、
たゆみない宇宙の営みを告げています。
満天の星をいただく・・・・・・・・
今宵お送りするみなさまのナベゲーターは、
わたくし、城 達也。と、言いたいところですが、
わたくし、ヒゲマスター。
山行あり、温泉あり、海外での出来事あり、お遍路の旅あり。
私の旅の話にお付き合い下さい。 乞うご期待!
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