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南イタリア・旧市街をさまよう
'12/10/13〜19

イタリアとして統一される前は、いくつもの都市国家が並び立ち、しょっちゅう戦いがあったらしい。

カステッラネータ

はじめてのイタリアで、オルビエートのカテドラルを見に行ったとき、山の上のオルビエートの町にバスで上ったのだけど、朝霧のなかを映画の1シーンみたいにフェードアップされていった印象が忘れられない。
何故不便な山の上に町があるのか不思議のまま。

それから十数年後ガルガノ半島に花を見るツアーでまわったのだけど、やはり山の上に旧い町、そしてアドリア海の岸壁すれすれにも旧市街がある。何でだろう。

今回の3度目のイタリア旅の宿はブーツの形の土踏まずのあたりに位置する人口2万人弱のカステッラネータにある秘密の隠れ家的なB&Bレオの家

この町にも峡谷の崖際にせりだしてはみださんばかりに旧市街。

かくかくくねくねの細い道、行き止まりの路地を気侭に歩けば、改装する工事中の家を見かけ
壁の漆喰がぼろぼろに剥がれた建物なのに窓にはサッシを嵌め込み、玄関も既成の扉を嵌め込み
住まいとしてだけでなく、物置きや倉庫にも使われてるのもあるみたいだ
かとおもうとある一画はお屋敷街かな?真っ白な壁、洒落た扉、洒落た石畳、玄関脇には草花の鉢。

左/いかにも旧市街の一方通行の細い道に沿う曲り角の建物は車が通行しやすく(多分)削られ
三角コーンみたいな役目か、白く塗られたコンクリの固まりが要所要所に置いてあった。
右/あらっ?   改築は自由?

オストーニ

オストーニの町はなだらかな丘の上で、海や谷のがけっぷちではないけど、いかにも堅固な城壁に囲まれていた。
そうか、そうだったのか!と今頃納得がいく!そう絶えず戦いがあったのだ。

真っ白で分厚い城壁のわずかな隙間のような門を入ると、旧市街がひろがっていた。

↓左/隙間の向こうにオリ−ブ畑がひろがる。
由緒ありげな建物を結ぶアーチ型の門?の向こうに、バラ窓が美しい15世紀に建てられたカテドラル。

↓左/城壁の隙間から旧市街に入る目立たない細い道に、崩れかけた門というかアーチがあって
補強なのか20本ぐらいの木材でつっかえ棒。よく見ると石造りの建物がたわんでいた!

中/通路の片方は頑丈な城壁で住居になってて、だから城壁の外側にも窓があるのね?もう片方もずらっと戸口が並んでる。
右/路地の奥の階段の行き詰りには何軒の戸口があるのかな。

ヨーロッパの旧市街の路地を歩いてると、建物の1階部分がアーチのトンネルなってて、こんな道日本にあるかしらと、いつもわくわくしながら通り抜ける。

それから旧市街でしばしば見られる建物と建物の間のつっかえ棒のようなアーチはなんの為?

アルベロベッロ

←この特異な形、石を積みかさねて屋根の部分は円錐形に石瓦がむき出しにとんがり、壁になる部分は白い漆喰を塗った家、イタリア語でトゥルッリと呼ぶそうだけど、いつか見たい、いつか行ってみたい場所だったイタリアのアルベロベッロとトルコのカッパドキア。

が、個人旅行がやれるほどの勇気も能力もなく、うろうろおろおろ躊躇しつつよそ見をしているうちに、両地とも観光地としてすっかり定番になり大手の旅行社が30人40人のツアーを組み気軽に訪れられるようになり、そうなったらなったで、へそ曲がりのわたしにはかえって遠い国になりにけりで、行きそびれていたが、今年こそと、net検索でレオの家を見つけ、ブーツの踵の辺りのアルベロベッロや洞窟住居で有名なマテーラを訪れることができた。

↑開けられた小窓で壁の厚さが分かる。

本来トゥルッリは田舎での農作業のための仕事部屋、農具置き場と寝泊まりを兼ねての家だったらしい。
知床半島の漁業に携わる人たちの番屋みたいなもの?

踵のつけねの白い街オストーニから土踏まずの辺のカステッラネータに帰る道中
幹線道路の道沿い、石を積み重ねた境界線の内側にもオリーブ畑が広がり点々とトゥルッリのとんがり屋根が見られる。

左/オリーブ畑の入口にトゥルッリを見つけた。幾つか並ぶとんがり屋根のうち
2ツのとんがり屋根が住宅として使われ真っ白な漆喰、窓の手摺と入口への階段は赤く塗りなんとお洒落なトゥルッリ。
今は農村のトゥルッリには別荘として活かされたのもあるそうだ。

右/はアルベロベッロの町の一角のトゥルッリが並ぶ住宅地
ここは静かで美しく、けど人の住んでる気配が見えないのは?
通りを挟んでやはりトゥルッリが立ち並ぶ地区は反対に観光客のためにホテル、レストランなど、現代的に活用。

ある時代あるときの為政者のお達しでアルベロベッロの町に住宅として
集団的に建てられたと、ものの本に書いてある。

マテーラ

河岸段丘の崖にあたる部分に石器時代のヒトの住処だった洞穴が点々と。
その上の丘には中世の町。この写真では見えないけど奥には新市街がおおきくひろがる。

↓石器時代〜からのヒトの足跡の一端を一望にする!

住処が洞穴から、石造りの家々の住居らしくなった中世になってからの街並。といっても何時頃からなのだろう。
マテ−ラ洞窟住居群は洞穴を利用しつつ掘り出した岩を入口に積み重ね更に広く使い、やがて家らしく発展させたとか。

小さな洞窟教会もあれば大聖堂もある世界遺産の町マテーラは近世になって貧民窟化して
一旦は国の政策によって住民が退去させられたけど
1993年に世界遺産に登録されたことで、人々が戻りはじめ復興しつつあるということらしい
どうりで人々の息遣いが感じられるほかの旧市街と違って歩く靴音が響きわたるわけだ。

↑左/上段の写真の建物群の裏側。当たる夕日が序々に陰る様はドラマチック
右/よくよく見ると、レストランのお隣がまだ空家だったので、ちょっと寂しかったり・・

↑地図を見ると南北に菱形の形で連なる洞窟住居群の南側はよりプリミティブな洞窟住居が残る。

↑う〜んと唸ってしまう。
マテーラは太古の昔海だったそうで、石灰岩は大谷石のように柔らかく、奥に深く掘り
冬には洞窟の奥深くまで日がさすように段差があるのだとか。家畜も同じ洞穴に一緒に住んでたそうだ。
日本の東北地方で見られる曲屋のような感じね。きっと。

この洞窟住居の空家を再利用するべく工事中の一軒があった。
内部を乾かし漆喰を塗り、水洗トイレも備え、家具と調度品を置き、人が生活する!温かくなりそうだ。

←ここにもあった“つっかえ棒”
このつっかえ棒が何の為か何十年も気になっていた。

ここにきてやっと調べたんです!フライング・バットレス(飛梁・とびばり)というのだそうで、レンガや石を積み重ねた建物の屋根の重み、壁のたわみを支える役目をしているそうで、見る人がみれば“梁”とすぐ分かるのに。

パリのあの有名なノ−トルダム寺院の本体の建物の両脇にずらりと並ぶ支柱!あれは装飾?ちっとも美しくない!と思い込んでいたけど、あれがフライング・バットレスで建物をより大きく立派にする重要な役目をはたしてるんですってね!

←峡谷をはさんで対岸にも洞窟住居群

廃虚の街クラーコ

1900年代半ばに地震と地滑りで廃虚となったクラーコ↓の街を訪ねた.

レオの家からゆるやかな丘陵地帯の牧草畑や、麦畑がひろがる農村地帯をちょっと遠距離ドライブ
丘陵地帯には幾つもピークがあって、そのうちの一つが廃虚となったクラーコの街
四方を見渡すと遠く幾重にも重なる丘陵の見晴らしの良いピークごとに町が見える。
その町ごとに旧市街があるのかな。一つ一つ訪ねてみたいなぁ

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