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瀬戸物の町の瀬戸
'10・1・22

日常使う陶磁器をせともの[瀬戸物]という

瀬戸物の名前の由来がこの瀬戸という町からだったとは、焼き物の産地に[瀬戸]というところがあると知ってても思いいたらず、瀬戸物のイメージと、※日本六古窯の一つで1300年の歴史が結びつかなかった。

当然それらしい歴史と文化を感じられるに違いない。
日帰り圏、思いたったら吉日、飛び出した。

※日本六古窯は瀬戸、信楽、常滑、越前、丹波立杭、備前の日本古来から今に続く代表的な焼き物の産地

尾張瀬戸の駅前はどこでも見られる地方都市の顔、5分も歩かないうちに焼き物の町の顔があった。

瀬戸川の欄干は瀬戸焼き、表通りには陶磁器の店々。
地図を頼りに昔日の焼き物の町の雰囲気を今に残す“窯垣の小径”に向かう。

何度見ても“窓垣”と読んでしまう[窯垣(かまがき)]は、作品を窯に仕込み並べる際の棚、台、支えの柱などの小道具で、石に替えて法面や石垣に使うので窯垣。

常滑信楽も使用済みの窯の小道具などを石垣や道路に埋め込み焼き物の町の雰囲気をかもし出していたが
瀬戸のそれは美しくデザインされ景観としてなかなかのもの。

↑窯垣の小径、今は道幅が1mぐらいの、所々苔むし起伏のある細道でノスタルジックな気分で散策したが、ひと昔前は焼き物に携わる人々が住み、行き交い多くの窯元があったとのことだ。

瀬戸の土と1300年の歴史をさまざまなかたちでひきついで今の時代にも息づき、陶器のみならず磁器もつくる。すぐれた職人もいなければならないし、技術革新も怠らず、若い作家のアートな作品もあれば、人間国宝の方もおられるとのことだ。

→登り窯のある大きな窯元の工房。

瀬戸の町を歩くとあちこちに窯元があり、それぞれに特徴もあって見学、好みの陶磁器を求めることができる所もあるが、今回は瀬戸の街並と雰囲気だけを楽しんできた。

焼き物の製作の過程で形作ったものを窯で焼く焼成という工程があり
昔の野焼き、穴窯(古窯)、江戸時代後半からは大量に製品を焼く巨大な登り窯になって
人手と技術とエネルギーは大変なものだったらしい。
昭和の中頃からは重油、石炭などで最近は電気窯 、ガス窯に移行したけど登り窯は文化財として残された。
↓ 登り窯と聞くと血が騒ぐ私は瀬戸に残る二つの登り窯を訪ねた。



↑瀬戸市文化財の一里塚本業窯、往時に比べれば半分程の規模らしいが
大きさはおおまか奥行きが16mで四つの部屋に分かれ、横巾は9mだそう。
上段左/手前の三つの穴は薪を焼べる所。右/窯の最後尾の炎と煙が排出する穴
下段左/窯の側面。分かれた部屋に焼き物を出し入れする出入り口、使用時のイメージで薪を積み重ねてある。
右/四部屋のうちの一部屋で案外広くて、物置きになっていた。見える穴は火炎の通り道。

もう一カ所の文化財の洞本業窯を有する工房も訪ねた。
寒い日の昼下がり、開けっ放しの仕事部屋にどなたもいなかったので、そっと写真を撮らせてもらう

↓左/焼き物のの装飾に使う釉薬が入れてある瓶が並ぶ。↓右/登り窯はその名の通り斜面を利用して築かれる。

焼き物の産地に由来する神社など、瀬戸らしい街並を巡ってるうちに
夕闇がせまり知らない町でいい大人が迷子は困る。駅方向を探すうちに立ち入り禁止の看板の採土場に行き当たった。
↓働く人たちも引き上げてトラクターが静かに休む向こうの採土場を眼前に見たくて
まわりを見まわし忍び足で覗いたら、採土した広大な穴が湖となっていた。

壮大とも言え、荒涼としたとも言える、しばし佇むほどのこんな景色が、瀬戸の町の背後に控えていたのね。
ここより更に広大な採土場跡の俯瞰図がパンフレットにありいつか見たいものだ、

↓繁華街の方角にあたりをつけて、賑わいの感じられない瀬戸銀座を通り抜けたらこんな遊びを見つけた
駐車場を囲むブロック塀に並ぶ焼き物の人形たち。

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