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かってユーゴスラビアという国があった
'08・6・12〜16

ほんの4〜5日遊んだパッセンジャーの私たちには何も分からない。

アドリア海にのぞむ都市国家だったドブロブニクをいつの日か訪ねたかった。

初めてドブロブニクの名を聞いたのは30年前。紺碧の海に向って、3方を城壁に囲まれた美しい町と聞いた。

いかんせん社会主義の国ユーゴスラビアだったから、腰はあがらない。


世界は変化する。チトー亡き後の多民族の国家ユーゴスラビアは紛争の巣になった。

血を流して戦い国は五つにも六つにも分かれ、更に血が流れるかもしれない地域。

あこがれのドブロブニクが戦火の下にあるとニュースで見たのはいつ頃だったか。

“アドリア海の真珠”と讃えられた美しい町はどのくらい破壊されたのだろう。

時遷り人々が大挙して押し寄せるリゾートになったドブロブニクを擁する国の名はユーゴスラビアから独立を勝ちとったクロアチア。

雨と風と雲と陽がめまぐるしく行き来しても旧市街は観光客で溢れ、私たちも大勢の人並みに埋もれて城壁の上の回廊を巡り修復された街を見下ろし、ところどころに残る戦禍を被った家々も目にした。


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城壁に囲まれた旧市街は0,5km四方ぐらい。メインストリートのプラッツア通りをはさみ石造りの建物、旧い教会が並び、細い露地が縦横に敷かれ人々がそぞろ歩く。

戦後新しく葺き直した屋根瓦はさすがに冴えたオレンジ色で歴史を現わしていないけれど、充分中世の街の雰囲気がかんじられた。

→この巾ひろい城壁の外側は世界一美しい海の色と評判のアドリア海だ。

↓ ドブロブニクの宿に5連泊のなか2日を、現地の旅行社で隣国へのエクスカーションを申し込んだ。
1日目は同じユーゴスラビアだったモンテネグロの世界遺産であるコトルという町
規模も小さく、ドブロブニクに比し華やかさはないが、どうどう堅固な城壁の中は昔のままの街並を保つ。

数年前まで閑古鳥鳴く静かな古都だったらしい。が!私たち外国人で溢れんばかりだった!
露地はさびれ、猫がテリトリーを主張する臭い、荒れた空家も多数見受けられたが
奥の奥の露地にもお土産屋やオープンカフェのテーブルが置かれるのに時間はかからないだろう。

↓翌日はボスニア・ヘルツエゴビナの古都で、世界遺産の橋のある町モスタルに出かけた。
この国もかってユーゴスラビアだったのに国境は厳しかった。



↑上 町にはスタリ・モストという16世紀に建造されたアーチ型の石橋があった。その橋は今はない。
現在の橋は1993年のボスニア紛争で破壊された後、2004年に再建され民族融和のシンボルとして再び世界遺産となった。

民族、宗教、政治、経済がからみあう渾沌
道沿いの墓地は新しい十字架が冬枯れた林のように連なり、それこそいたるところ弾痕が残る破壊された建物があった。
ボスニア紛争は1992年から3年間続いて戦後13年、なお痛々しいこの現状だった。いかに激しかったか。

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