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近づいてくるもの

 ツンドラにかぎったことではないが、たいていの生きものは悲しいかな人が姿を見せれば、かくれるかもしくは逃げ出してしまう。ホッキョクノウサギは尾根の向こうに走り去り、レミングは近くのトンネルに駆け込み、鳥たちはサッサと飛び立つ。その生きものが逃げなかったり、ましてや近づいてくるようなら、何か特別な事情があるにちがいない。その事情の一つとは子育てにかかわることだろう。7月終わりのツンドラで、僕に向かって飛んできた2羽のシロハラトウゾクカモメの場合もそのようだった。
 晴れて暖かなその日、村はずれのツンドラを歩いていた僕は、遠くのゆるやかな尾根を飛ぶ2羽のシロハラトウゾクカモメと、それに追われているらしい1羽のワタリガラスを見つけた。
 何が起きているのだろうとその方向へ歩いていくと、やがて彼らがワタリガラスを追うのをやめ、こちらに向かって飛んでくるのが見えた。2羽は僕の前方上空にさしかかるとそこでホバリングしはじめた。と同時に、「キャウ、キャウ、キャウ……」という少し甲高い声を発している。どうやらそのエリアに近づくものすべてに対してこうやっているようだった。
 それを見上げながら先へ進んだら、さらに近づいてきて、鳴き声のトーンも上がってきた。そしてある地点までさしかかると、まるで僕が何か目に見えない一線を踏み越えたかのように、トウゾクカモメは急降下をはじめた。
 かすかなシューッという音とともにまっすぐ僕の顔か頭のあたりめがけてやってくる。来る来る!もう少しでぶつかる!その手前、ギリギリのところで空気を裂くような「ブワン!」という音を残して旋回、上昇。少し離れたところまで上がってホバリングしているのを見てホッとしていると、再び急降下、寸前で急上昇。
 何度もくりかえされるこの威嚇ダイビングに肝を冷やしてわかったことは、どうやら彼らにも本気で激突するつもりはないらしいということだった。一度も体が触れることはなかった。ただ、その必死さには、こちらの足をとめ体をかがませるるだけの威力が十分にあった。

Copyright © 2004 Mamoru Yasuda