イッカク通信発行所 > イッカクへの旅 > イッカククジラの来る海で >

 イッカククジラの来る海で




809-35.JPG
ウルナイフをにぎるエリサピーの手が今日もアザラシ皮の上を動きつづける

第11回 アザラシのランプ(その2)


 アザラシのランプに代表されるように、イヌイットの人たちの文化を特徴づけているのは、数少ない限られた物質の中から生み出される知恵、だという気がする。僕がそれを感じたのは、北極圏に滞在していたときではなく、そこから遠く離れたときだった。
 その年の北極からの帰り、僕はカナダの首都オタワにある文明博物館に立ち寄った。そこはカナダの文明に関する膨大なコレクションを持っている大きな博物館で、その中でもとくに先住民族にかんする展示が充実していた。広々としたそのフロアには、ティムシャン、ハイダ、サリッシュ、クワキュートル……北東太平洋岸の先住民族の人たちが残した家、トーテムポール、大きなカヌーなどが置かれている。
 これらの展示物を見て回るうちに、僕はふとめまいを感じて近くのベンチに座りこんだ。高さのある大きなものが立ち並ぶ空間を歩き回った、ということもあっただろうが、めまいのもう一つの原因は、そのフロアがあまりにぜいたくにすぎるように見えてしまったからだった。そのぜいたくさの源は木だった。さまざまな動物の姿を刻み込んだ巨大な丸太、トーテムポール。丸太や大きな板を使った大きな家。丸太を削りだした大きなカヌー。木の箱、木の道具、木の仮面……。森林地帯にくらす北東太平洋沿岸の先住民族の人たちの文化は、豊富に存在する木を存分に利用した文化だった。
 寒帯から南の地域と違い、イヌイットのくらすツンドラ地帯には、ホッキョクヤナギという高さ数十センチの灌木以外に木は存在していない。植物はどれも足下サイズ。あとは岩石と氷の世界なのだ。そこでのくらしにしばらく浸っていた僕の目に、圧倒的なボリュームの木にあふれたくらしは、ぜいたくすぎるほど豊かなものに映ったのだ。逆に、その木の豊かさが存在しないシンプルな世界から生み出され、それでも人が生きていくのに十分な知恵、それがイヌイットの文化だった。

「これが使われていたのは、もうずっと昔のことなんだよね」
アザラシの油が燃えるのを見ながら、僕は何となくそうつぶやいた。すると、いっしょに炎を見ていたイヌーキーがこういう。
「いや、そんなことはないよ。うちの父さんや母さんは使ったことがあるっていうから、ずっと昔の話、というわけじゃない」
 アザラシのランプが活躍するくらしは今はもうないけれど、イヌーキーがいうようにそれは数十年前のことであり、考えようによってはほんの少し前のことだともいえるだろう。チャーリー父さん、そしてエリサピー母さんの時間の中には、その世界がついこの間まで存在していたのだ。

 チャーリー父さんの中に、子どものころから変わらず流れつづけていることの一つが狩りをすることだとするならば、エリサピー母さんのそれはきっと皮仕事だといえるだろう。「氷の海とアザラシのランプ」に登場するキールークと同じく、エリサピー母さんは今でもアザラシやカリブーの毛皮を使いさまざまなものをつくりだしている。
 アザラシの毛皮がミットやブーツやさまざまな毛皮服になるためには、いくつものしごとが必要になる。
 まず、アザラシ皮にはかなりの脂肪がついたままだから、それをきれいにとりのぞかなければならない。そのためにはウルと呼ばれるイヌイットの女性が使う扇型のナイフが使われる。皮を足つきのまな板のような台にのせ、ウルで皮についた脂肪を丹念にそぎ取っていく。ウルをにぎるエリサピー母さんの手はシャッシャッシャッ……とリズムよく動き、皮から脂肪がきれいにかき取っていく。まちがえて皮に穴を開けてしまうこともない。大きなアザラシであればその面積はたたみ一畳分にもなるから、これはかなりの重労働だ。
 きれいになった皮は木の枠に張って乾燥される。天気が良い日に何日か外においておくと、皮は乾燥し固くなる。次には皮を柔らかくしなければならない。そのためにはまずスクレイパーというにぎり柄のついた金属製のヘラを使う。皮の端を片手で強く引っ張りながら、皮を曲げるようにスクレイパーを押しあてて動かす。固まった皮に多数の曲げぐせを細かくつけることで柔らかくしていくわけだ。
 しかし、それでもまだ皮にはとても柔らかいとはいえない。そして次の工程で活躍する道具は歯なのだ。歯でかんで皮を柔らかくする。皮の端を口にもっていき歯でしっかりとくわえ、反対側を手で強く、皮が伸びるほどに引っ張る。さらに皮を重ね、丸めて、同じように歯にくわえて強くひっぱりねじる。そうして柔らかでしなやかな皮にしていくのだ。僕も一度やらせてもらったのだが、皮は想像以上に固くゴワゴワしていて、とてもじゃないが歯で支えてなどいられなかった。かつてのイヌイットの人たちの歯がみな平らになるほどすり減っていたという話がうなずける。
 アザラシ皮はここまできて、ようやく毛皮服の素材となる。アザラシの皮は防水性にとりわけ優れ、ミットやブーツ、春先のパーカーやズボンによく使われるようだ。
 ミットを例にして工程をみていこう。それは、手の甲にあたる部分、手のひらの内側にあたる部分、親指にあたる部分の三枚の部品からつくられる。皮と皮は糸で縫い合わされる。かつて、糸には細く裂いたイッカクの腱を使ったのだという。水に濡れたときに糸自体が膨張して縫い穴をふさいでしまうからだそうだ。現在エリサピーはワックスを含んだ合成の糸を使っている。それでも、そうしてできたアザラシ皮のミットは完全防水になっているという。つまりその縫い合わせ目からも水が入らないほど、それだけステッチが細かくしっかりとしていてすき間がないということなのだ。実際エリサピーの針仕事を見ていると、少し離れている分には、その縫い目や糸が見えないほど細かい。
 これらの行程の中で細かいステッチワークとともに不思議だったのは、最初の皮の切り出しだった。エリサピー母さんは、皮を切り出すときに形を下書きしたりサイズを計ったりしない。いきなりウルを使って、たとえばミットの部品をフリーハンドで切り出してしまう。それでいて、できあがったものはその人が使うのにちょうどよさそうなミットになってしまうのだ。これは不思議だった。
「エリサピー、いったいどうやってその部品の大きさとか形を決めているの?」
 あるとき、いつものように台所の床に座ってミットを作っていたエリサピー母さんにそう聞いてみた。ただし彼女が使えるのはイヌイット語だけ。チャーリー父さんのように片言の英語も使わない。だから、ちょうどとなりに座っていた娘のロザンヌに聞いてもらったのだった。
 エリサピー母さんは、この人は何でそんなことを聞くのかね、という顔をしていくつかイヌイット語を口にした。ロザンヌを通して帰ってきた答えはこうだった。
「お母さんは今までたくさんのミットを作ってきた、って。たくさん作ってきたから何も見なくても切ることができる、自分の手が知ってるんだ、って……」
 エリサピー母さんの皮仕事をする手の動きは見ていて飽きることがなかった。僕は家の中にいてひまがあれば、そのしごとをながめつづけた。動物の皮と糸だけから、人がこの環境の中で生きていくのに必要な衣服をすべて生み出すことのできる手なのだ。その動きは、無駄がなくてある種の美しささえ感じるほどだった。その美しさは、冬の厳しい寒さや北極海の冷たい水から家族の体を守るためのたくさんの毛皮服を、何度も何度も作りつづけることで生み出された美しさ、だった。
 さらにもう少し目を遠ざけてみるならば、それが彼女一人の経験の蓄積ではないことも見えてくる。エリサピーは小さいころからその母の皮仕事の手の動きを見て育ち、学んだのだ。そしてその母もさらに母の手の動きを見て育ち……。つまりイヌイットの女性の手は、それこそはるかなる昔から受け継がれてきた手、なのだろう。

 アザラシのランプに灯がともされることはなくなった。村のスーパーマーケットの棚には、南からやってくるさまざまな種類の食べものとともに、コールマン製のガソリンバーナーが、ごついゴム製ブーツが、ナイキのナイロンジャケットが並ぶ。
 それでも、チャーリー父さんはキャンプに出て狩りを、エリサピー母さんは床に座りこんで皮仕事を、今でもつづけている。


前のページへ ←     → 次のページ