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 イッカククジラの来る海で




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イッカクが引き上げられてしばらくすると、クジラジラミたちは牙の根元のすき間から分散していった

第8回 牙をめぐる物語(その3)


「それ、とったばかりだと、手にくっつくんだよ」
僕が手にしたものを見て、ニコがそういった。手にのせたそれは、指でつまむと、たしかに手の皮膚にくっつくような感触をみせた。それ、とはチャーリー父さんがしとめたイッカクに付着したクジラジラミのことだ。
 イッカクの体には、この大きさが1センチにも満たないこのクジラ類につく寄生虫がしばしばついている。イッカクの体についているのは、おそらくクジラの中でもイッカクだけにつき、イッカクの皮膚だけを食べて生きている、そういう種類だろう。だから僕は少し敬意をこめて、それをイッカクジラミとよぶことにしている。
 イッカクジラミは、すべすべした体の表面にはまず見られないが、水流を受けにくいへこみにしがみついている。たとえば大人のオスには牙が生えており、その牙は上唇を突き破って生えているのであり、その牙の根元と皮膚とのすき間には、たいていイッカクジラミが多数もぐりこんでいる。
 寄生生活を行う生きものにはたいてい感じることだけれども、とくにこのイッカクジラミの生き方というのは、半ば奇跡的だと思う。いったいどうやって寄主までたどり着くのだろう。あるイッカクの牙の根元でくらすイッカクジラミは、その子孫を北極海の海中へと送り出すのだろうが、彼らはいったいどうやって次のイッカクの体へとたどり着けるのだろう。何か特別に、広く冷たい北極海の中でピンポイントにイッカクを探し出すしくみ、でも備わっているとでも考えなければ、ほとんどのイッカクの体にこの小さな生きものがたくさん寄生していることが理解できない。体つきは小さいけれど、きっとアクロバティックで、スケールの大きな旅をしている生きものなのだ。
 イッカクの牙の根元に付着したクジラジラミに感心しながら、僕は一つの物語を思い出した。
 僕がその物語に出会ったのは、北極圏への旅に出る何年も前、イッカクについて調べ始めたころのことだったと思う。イヌイットの民話を集めた本の中にあったその短い物語は、そのころの僕にとって、数少ないイッカク情報の一つだった。「どうしてイッカクイルカは牙を持ったか」と題されたその物語は、グリーンランドのイヌイットのものとされていた。

『昔、一人の老婆が、孫息子、孫娘とともに、村から遠く離れて暮らしていた。孫息子は盲目だった。
 ある日のこと、一頭のホッキョクグマがイグルー(雪でつくられた家)にやってきた。老婆は孫息子にいった。
「私がねらいをつけてやるから、おまえが弓を射なさい」
老婆がねらいをさだめ、孫息子は矢を放った。矢はホッキョクグマに当たっていたが、老婆は、矢ははずれた、といってあざわらった。老婆はそのクマの肉を兄には与えることなく、孫娘と二人で食べてしまった。妹は兄をかわいそうに思い、狩りがうまくいったことをこっそりと教え、肉も分け与えた。そして、のどが渇いた、という兄を湖までつれていった。
 兄が湖に座っていると、一羽の鳥がやってきて、自分の首につかまるようにいった。兄がいわれたとおりにすると、鳥は水中へともぐっていった。水面に顔を出しては、またもぐっていく。兄はだんだん息が苦しくなってきたが、一方で、見えないはずの目がだんだんと見えるようになってきた。四回目にもぐり、再びあがったときには、もう何でも見えるようになっていた。
 ある朝、三人が浜に出ると、そこにシロイルカの群れがやってきた。兄はモリの用意をして綱の端を妹の足にむすんだ。これによって、彼が獲物をしとめると、妹は同じだけの肉がもらえるのだ。それを見ていた老婆は、自分にも結んでほしいといい、兄はもう一本のモリの綱を老婆の足にむすんだ。
 兄はまず妹に結んだ方のモリで、小さなシロイルカをしとめた。
 老婆の足につながった方のモリは、大きなシロイルカに打ち込んだ。大きなシロイルカは老婆をひっぱって沖へ泳いでいった。老婆はひきずられ、海岸の氷を渡り、海に落ちてしまった。
「ウルー(イヌイットの女性が使う扇型のナイフ)を投げてくれ!ウルー、ウルーを!」
 そのとき、回転するうず巻きによって、彼女の髪は長く、かたく、びっしりと編まれていった。シロイルカは彼女を底へと引きずり込んだ。
 そこで、老婆は長くねじれた牙を突き出すイッカクに変身した……』

 クジラジラミという寄生虫から、なぜ僕がこの物語を思い出したのかといえば、別の本で見つけた同じ物語に、そのクジラジラミが登場するからだった。その本には最後に一行だけ、おまけのように話がつけたされていた。
『……老婆はイッカクとなった。これが、どのようにイッカククジラが生まれたのか、の話だ。同じとき、クジラジラミもまた生まれた』
 つまり、老婆の髪にシラミがついていて、だから今でもイッカクの牙の根元にはクジラジラミがついている、ということだろう。この一文は、昔のイヌイットにとってもイッカクにいつも付着するこの小さな生きものたちの存在が気になっていた、ということをあらわしているんじゃないだろうか。

 このイッカクにまつわる物語と僕とのかかわりは、イッカクジラミを見て思い出したということにとどまらなかった。このあとでもう一度出会い直すことになる。
 それはやはりイッカク狩りに出かけたときのことだった。むき出しボートの荷物の上に座り、いつものようにニコとあれこれ話していたときのことだった。ニコがこんなことを聞いてきたのだ。
「マモル、どうしてイッカクが牙を持ってるか、知ってるか?」
「どうしてかって?……聞いたことはあるけど……」
僕はニコの質問の意味がよくわからなくて、このとき、たとえば、イッカクはその牙を何のために使っているのか、という意味にうけとめていて、牙の役割にはいろんな説があるし、さてどう答えたものか、などと考えていたのだろう。
 つぎにニコがはじめた話を聞いて、僕は自分のかん違いに気がつき、そして驚く。
「昔のことだけど、一人の老婆がいた。
 老婆は孫の兄妹と暮らしていた。兄の方は目が見えなかったそうだ。
 ある日、家にホッキョクグマがやってきた……」
 ニコがはじめた話、それはあの、イッカクがどのようにして生まれたか、の物語にちがいなかった。途中から僕もその物語を思い出し、たしかめたくて、口をはさみながら聞いた。ニコの語った物語は、かつて本で読んだものと同じ内容だった。僕は話が終わったあと、こんなことを聞いてしまう。
「その物語、僕も知ってるよ。日本にいるときに本で読んだことがある。……ニコもそれは本で読んだのかい?」
あきれた顔をしてニコはこう答えた。
「いいかい。これは、物語、なんだよ。お母さん、そしておばあちゃんから聞かせてもらったんだ……」
 僕も間抜けなことを聞いたものだ。けれど、それにはちょっと理由があった。僕の中には、ニコをはじめとして若いイヌイットたちに一つのイメージがあったのだ。
 村で見たり話を聞いているかぎり、彼らはまず暇を持てあましているように見える。そしてどこかの国の人と同じような方法でその暇をつぶしていることが多い。たとえば、ポテトチップをかじりながらテレビゲームにはまりこみ、友達と長電話し、何時だろうが遊びにでかけ、といってもそれは友達の家くらいなものなのだが、金になるような話はないかと聞いてまわり、タバコを吸い、ときにはマリファナや酒を手に入れる。そしてしばしば聞くのが「何もすることがない」「何をしたらいいかわからない」という言葉だ。
 彼らの親の世代、つまりチャーリー父さんが若者だったころは、狩りをすることがそのままくらすこと、生きることであり、そこでははるか昔からゆったりと流れてきたものを受けついで生きることができる、そういう時代だった。それが急速に変わりつつあることは、ほんのわずかしかここにくらしていない僕にも見えるほどだった。たとえば、イヌアラック家の子供たちの中に、父親と同じようにハンターとしてやっていきたい、という人はすでに一人もいないのだ。そういったことを見てきた僕には、若い世代の中に、物語世界のようなものがいまも受け継がれてきているということを想像することができなかった。
 それでも、たとえばニコの中にイッカクの物語は受けつがれていた。時代がかわり、人がかわり、くらしがかわっていくのだとしても、ゆっくりと流れてきたものの中に、しっかりバトンタッチされ生きていくものがあるのかもしれない。
 ニコは、秋から大都会オタワに移り、大学に通うことになっている。ビジネスについて学ぶのだそうだ。それでもニコはいう。
「夏にはイッカク狩りをするためにここに戻ってくるさ。ここを出ていくことはいやじゃないんだ。でもイッカク狩りだけはここに来て、やりたいと思う」
 狩りの意味もきっとかわってきてはいるのだろう。それでも、北極海の冷たい風と波の音をバックに、ニコの口から流れるイッカクの牙をめぐる物語を聞いたとき、僕は、まだ間にあっているのかもしれない、まだ間にあうものがあるかもしれない、と思ったのだった。


注:「どうしてイッカククジラは牙を持つようになったか」の物語は、ハワード・ノーマン編「エスキモーの民話」(青土社)および Jens Rosing「The Unicorn of the Arctic Sea」(Penumbra Press)を参考にして、自分訳したもの


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