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 イッカククジラの来る海で




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大きな枝角もはじめは柔らかな毛皮の中でつくられていく


第4回 カリブーの袋角の先端


 僕たちはチャーリー父さんの帰りをテントで待っていた。何度となく遠くのツンドラを探したがそれらしき姿は一向に見えてこなかった。チャーリー父さんが出かけたのは昨日のお昼ころのこと。もう丸一日が過ぎようとしていた。空はくもり、風が吹き、気温も低い。
 チャーリー父さん、イヌーキー、ニコ、僕の四人は、村から遠く離れたところに狩りのためのキャンプを張っていた。キャンプ二日目の昨日、イヌーキー、ニコ、僕の三人は一日中ボートでイッカク狩りに出ていた。僕にとっては一年ぶりとなるイッカクとの再開をはたすことができたのだが、狩りをするとなるといずれも距離が離れすぎていてチャンスはなく、結局手ぶらでテントへと戻ることになった。
 一方、チャーリー父さんはただ一人ホンダにまたがり狩りに出ていった。ホンダ、とは小型四輪バギー車のことなのだが、そのメーカーである日本の企業の名前が今ではそのまま固有名詞として使われている。そのホンダでカリブーを探してくる、ということだった。
 ところがそのチャーリー父さんが帰ってこない。夜になって僕たちが眠るころになっても帰ってこないのだ。そのときはまだ「ハンターってこういうものなんだ。まだカリブーを追いつづけてるのか……」などとのんきに感心していた。ところが翌日のお昼過ぎになってもまだ帰ってこない。白夜の季節だから真っ暗になることはないけれど、やはり夜には気温が下がる。おまけに昨夜は雨が降っていた。そうなるとさすがにこれは心配すべき状況なのだとわかってきた。
「マモル。父さんのホンダが壊れたということらしい。これから探しに出かける」
HFラジオにかじりついていたイヌーキーが真剣な顔でそう言った。HFラジオとはいわゆる無線機で、電波の状態がよければかなり遠くからでも村と連絡することができるほど能力のある通信手段で、いまやイヌイットたちのキャンプでの必需品となっている。その無線を使った情報収集でチャーリーの消息がわかったらしい。ツンドラで一人歩いているチャーリー父さんに偶然出会った人がいたらしく、その人によれば、今は歩きでキャンプ地に向かっているところだろうということだった。
 ボートを海岸にそって走らせながら捜索していたら、川の河口付近を歩くチャーリー父さんをイヌーキーが発見した。ライフルひとつをたすきがけにしてトボトボと近づいてきて無事に合流することができた。
「カリブー、三頭のカリブー、とった。雨たくさん、川深い。流れとても強い。ホンダ、水の中、落ちてしまった。昨日の夜から歩いてきた……」
さぞかし疲れ果てていることだろうと心配したが、テントで少し眠ったと思ったら夜中にはもう起きだして、無線装置をいじり、外に出てアークティック・チャーを釣りはじめた。いつもながらタフな人だと半ばあきれ、安心した。

 ホッとしたものの問題はまだ残っていた。川に置き去りにされたままの食料である三頭のカリブー、それに生活にかかせない乗り物であるホンダをとりに行かなくてはならない。
 翌日、僕たち三人は、ガソリン、オイル、工具、少しの食料などを分担して背負い、ツンドラを歩き始めた。
 チャーリー父さんがいうには問題の川までは何と15マイル(約24キロ)ほどあって、その川の中ほどにホンダが水没してしまっているのだという。そこまではツンドラを歩いていき、ついたら川からホンダを引き上げ、さらに修理して動かせるようにして帰ってくる、ということをしなければならない。三人横並びになってどこまでもつづくツンドラを歩いていると、まるで実現困難な救出作戦に向かう特別チーム、といった気分になってくる。
 スゲの仲間のマットがでこぼこする湿地に足をとられ、植物の生えていない砂と石むき出しの丘を越え、鮮やかなオレンジ色の地衣類のはりつく岩だらけの斜面を下り、手を入れてみると驚くほど冷たい水の流れる川を渡り、ひたすら歩く。遠くからは一様になだらかに見えるツンドラも、歩いてみるとけっこう変化に富んでいる。幸いなことに空は晴れて風が弱い。しばらくするころには体を動かしていることもあって汗ばむほどの気温になってきた。イヌーキーなどついには上半身裸になって歩いているくらいだ。
「そういえば、小さいころのカリブー狩りはホントきつかったな。ホンダなんてなかったからこうしてずっと歩くんだ。そしてエモノがとれれば今度は重たいカリブーを背負ってまた歩いて帰らなきゃならないんだから……」
ニコがそんな話を聞かせてくれる。
 テントを出て歩くこと6時間。いい加減いやになってきたころ、ようやく川に到着した。川幅は40メートルほど。浅いところはそれほどでもないが、中ほどは腰くらいまでの深さがあり、うねるほどの強い流れだ。この水もきっとおそろしく冷たいにちがいない。そして中心近くにホンダが上下ひっくり返って浸かっている。雄大なツンドラを流れる川の真ん中にひっくり返るホンダの四輪バギー車。どことなく非現実的で逆におかしく感じてしまう。
 何とかここまでたどり着いたけれど、これを引き上げることなんてできるんだろうかと初めて不安に感じた。装備といっても大したものがないのだ。腰までの長靴が一足。細いロープが少し。それだけ。誰かが流れの中に入りロープをホンダに結びつけ、それを引いて岸に上げる。たしかに原理はそうだが、はたして……。
 まずはイヌーキーが長靴をはき、腰にロープをつけて流れに入った。ゆっくりゆっくり進んでいく。はじめはひざ丈だった流れは、少し行くうちに腰までになった。流されてしまわないか見ているこっちがハラハラする。それでもイヌーキーは着実にホンダに向かって進む。
 もう少しでホンダまでたどりつく、というところになって問題発覚。ロープの長さがわずかに足りないのだ。せっかく流れの中ほどまで進んだイヌーキーが岸に戻り、足しになりそうなヒモを探す。ライフルのストラップ、ブーツのヒモ、ザックのヒモとありったけのヒモをつなぎ合わせると何とか届きそうだった。イヌーキーがもう一度流れに入り、再びゆっくりと進む。何度かバランスをくずしながらも無事ホンダにたどり着き、ロープが結ばれる。
 今度はこちらの出番。
「1、2……3!」
合図とともにイヌーキーがホンダを起こすように持ち上げ、僕とニコがロープを岸から力一杯引っ張る。動く気配なし。もう一度!ところがここで急に手応えがなくなった。何とロープが切れてしまったのだ。イヌーキーが戻ってきて、切れた部分のロープをはずし、再びホンダまで川渡り。そしてまた力一杯ロープを引っ張る。
 ツンドラを流れ下る急流。そこにひっくり返るバギー車。張りつめたロープを必死になって引く男……。これじゃまるで健康ドリンクのコマーシャルみたいだ。もちろん必死に力をこめているのだが、この状況をどこかからながめている自分もいて何だかおかしくなってくる。
 と、力の入れ具合がよかったのかホンダが少しずつ持ち上がってきた。ニコと二人でさらに力を入れる。そしてホンダをひっくり返すことに成功。ところがその起きあがったホンダが今度は下流に向かって勝手に少しずつ動き出した。今まで上になっていたタイヤが水に浸かることで浮き袋の役目を果たしてしまっているのだ。このままでは深みに流されていきいよいよ回収不可能になってしまう。それを見た僕とニコはロープをつかんで下流側に走り、さらに力を出して引っ張る。「ファイト!一発!」というコマーシャルのセリフを思い浮かべながら。僕は一体ここで何してるんだ、と思いながら……。
 川につかるイヌーキーのかじ取りがよかったのか、ホンダが近づいてきてついに岸に上陸した。水浸しになったエンジンも、水抜きをしてオイルを交換すると動かすことができた。そしてもう一つの大事な目的であった三頭のカリブーの肉も無事を確認。普段それほどはしゃいだりしないイヌーキーとニコも手をたたき合って喜んでいる。

「マモル、こんなの食べたことあるかい?」
さっきから荷台にカリブーを積みながら、その肉をつまみ食いしていたニコが聞いてきた。見ると、ニコはナイフを使ってカリブーの角の先端を1センチほど切り取り、それをうまそうに食べた。
 角といってもあの固く白い角を直接かじるというわけではない。カリブーの角の仕組みはシカと同じで、毎年生え替わる。その角は生え始めてからしばらくの期間までは毛皮をかぶった袋角となっていて、秋に皮が破れてあの白くて固い角となる。そしてこの袋角の先端部分を食べる、ということらしい。
 僕も試してみる。先端1センチくらいのところにナイフをあてると、たしかにすんなりと切ることができた。皮を裏返すようにして中身の白い組織を口に入れる。角といっても少しも固くなく、柔らかめの軟骨に近い食感にカリブー独特のコケのような風味とほんの少しの甘みがまじる。この角になりかけとでもいうべき先端部分はけっこうおいしい。空腹だったこともあって、三匹のカリブーの袋角の先端を三人でかわるがわる切り取っては食べてしまった。それにしても袋角というのは不思議な存在だ。固い角のイメージと毛が短く密生した手触りとが何とも結びつかない。
「これはどうだ?」
と次にニコがさばいたのは耳。耳の皮をむいて中の軟骨を食べるのだという。こちらも口に入れてみると、味はほとんどしなくてまさしく軟骨をかじっているようだ。袋角の先にしろ耳にしろ、たくさんとれる部分ではないから、いってみればイヌイットのオヤツ、といったところだろう。
 こうして一仕事を終え、ちょっとかわったオヤツを食べると、僕たち救出作戦チームはホンダにまたがり、夜中の夕焼けの中をチャーリー父さんの待つキャンプ地めざして帰り着いた。

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