俊樹の部屋(?)

俊樹の部屋(第2回)


(96.6.8アップデイト)

5月30日、歴史は始まりました。ついに布川俊樹のホームページがスター トしたのです。ここ何カ月かはギターを弾くよりとにかくこのホームページ 製作に追われる日々、日夜Macに向かっておりました。この「俊樹の部屋」 は毎回僕がたわいもないことをエッセイ的に書き連ねていこうという結構しょう もないページです。

さて、初のアップデイト、連載「俊樹の部屋」2回めです。今回からたわいもな いこと第1弾として 「ファックな思い出」シリーズの連載を開始します(1回で終わるか もしれない)。まず今回は名付けて 「初レコーディング.ダブル.ブッキング事件」で行き ましょう。

音楽生活を長くやっていると、いい思い出とかってあんまり思い出しません。 窮地に立ってそれを何 とか切り抜けたこと(切り抜けないこともある)なんかが強い印象として残る もんです。さて、ミュ ージシャンにとって自分のファースト.アルバムの録音というのはかなり人生 の重大なイベントでは ないでしょうか。そのアルバムの録音日にダブル.ブッキング(同じ時間に2つの仕 事を入れること…。自 分のクローンでもいない限り2つこなすことはできない。)をしたしょうもない奴が いました。それは僕 です(笑)。

僕のファーストアルバム「ヴァリス」をクラウン.レコードで録音したのは90年1 0月、その頃まで実は けっこうナツメロ、ロカビリー関係のバックバンドをやっておりまして…、それとダ ブル.ブッキングしち ゃったわけです。まあちょっとした連絡の行き違いがあって…(そんなことあるか、 まったく)。レコー ディングはたしか音録りがわずか4日(予、予算が…)、トラックダウンが2日とい うものでした。その 音録りの4日のうち1日め、2日めがなんと「ロカビリー3人男なつかしのコンサー ト」にあた っちゃったんですね。いやー、まいりました。何とかロカビリーをキャンセルさせて いただこうと思った んですが、これも義理あって…。

そんでもって結局両方やることになりました。予定の8曲をレコーディングするため には初日に2曲、2 日めに3曲は必須という状況。私の記憶が正しければ、初日は「ビート.パニック」 と「ポロロッカ」、1 曲めの「ビート.パニック」を録音後、ボーヤのバイク(渋滞でも平気でしょ)の後 ろに乗って、溜池のク ラウンのスタジオから五反田のゆうぽおとに向かいます。コンサートが始まる30分 位前に着いてタキシ ードを着て(ふー…)。そう言えば、ロカビリーのリハ及びサウンドチェックは、当 時はまだ弟子だった 矢堀君にやってもらったなあ。2時間半位のコンサートで踊って弾いてまたバイク便 で引き返します。ち なみに僕がいない間は藤陵氏のソロのダビングをやってもらうという段取り(帰った らもう何本も重ねて いてサックスのサウンドじゃなくなってて凄いことになってた。いやー、鬼のいぬ間 にってわけです。で も、かっこよかったけど)。戻ってすぐ「ポロロッカ」の録音。

大変だったのは2日め、この日のベースは青木(智仁)君でした。「パロット.コッ プス.カミング.スーン 」「ステッピン.イントゥ.ユア.ブレイン」の2曲を終え、今度は川崎です。バイク で新橋まで行ってそこ から電車で川崎へ、川崎からはタクシー。この日のコンサートはもう長引いちゃっ て、たしか3時間位に なっちゃった。終わってタキシードも着たままタクシーで首都高を使って溜池へ。そ したら今度は渋滞に はまってもう大変、どじょうが出てきてこんにちは、ぼっちゃん一緒に遊びましょ、 じゃねーよ、バカヤ ロー。もう朝から何にも食っていないし泣きたいよ。僕がいない間は溜池では「カリ ブ」のリズム.トラッ ク打ち込み。スタジオに戻ると即、演奏でした。

でもいま考えるとあの2日間のプレッシャーと集中力は凄かった。結果的にはほとん どソロも1テイクか 2テイクで決まったし、3日めの方がかえって気が抜けちゃった位。人間、なせばな ります。しかし、 ファーストアルバムの録音ということで気合いも入ってるし、用意万端、僕なんかス タジオの近くのホテ ルまでとってたんですよ。まったく、抜けてると言うか、バカですよね。最後に今回 の話の教訓を、「 我が身は1つ」。優柔不断はいけません。「Age.35」じゃないけど、女性関係、男性 関係のダブ ルブッキングにも気を付けましょう。


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