「 紅 」

「オレと、け…結婚してください!」
コロッケを食べる手を止め、光の具合で少し灰色がかって見える瞳がオレを捉える。
新色なのと、前に彼女が自慢していた綺麗な赤が三日月の形に持ち上がった。
「隆、知ってる? 恋愛と結婚は別なのよ」
問答無用の笑顔でそういうと彼女は食事を再開した。
周りのざわめきが急に耳に入りだし、この場は社員食堂であって、彼女とオレの二人っきりの空間ではないということを思い出させた。

プロポーズするなら今だ! って思っちゃったんだよなぁ…。
まぁ、朝からやってる占いで『今日のラッキーさんは八月二十七日生まれ』っ言ってたから、ちょっとは調子に乗ってたかもしれない。
念には念を入れてラッキーカラーだった紫の靴下選んで、ラッキーポイントって書いてあったオレンジジュースまでランチのメニューに入れる徹底振り。
その結果が…これか。
残ったフライを腹に入れる気分にもなれない。なんだ、オレ案外ナイーブだったんじゃん。
あんまり好きではないオレンジジュースをただ持っているだけのオレの目の前で、彼女はきれいな仕種でみそ汁をすすった。
超シュール…。


「出したファイルはちゃんと元の場所に置いててくださいよ。すっごい探したんですから」
がちゃがちゃと物が積み上げられている机にがっくりと突っ伏している井森口に大塚の容赦ない言葉が降りかかる。
「ちょっとリロさん聞いてます? いくら資料用だからって会社でゲーム出しっぱなしにしないでください」
「…おかん、俺今ハートブレイクだからそっとしといて」
「誰がおかんですか。自分より年上の子どもなんかいりませんよ。ほら、元気出してください。祐羽子さんがクールなのはいつものことじゃないですか」
「あぁっ! 今その名前は聞きたくなかった! 実家に帰らせていただきますわ」
「はいはい。不用意な発言してすみません。福井に戻るのは自由ですけど、来週のプレゼンの資料は全部仕上げてしてからにしてくださいね」
突っ伏したままの井森口を無理やり起こそうと後ろから羽交い絞めにした格好のまま大塚はボソッと囁いた。
「次会社に来た時へこみたいなら別にいいですけど…」
「…三ヶ月前の初々しさが嘘のような成長振りだなーヒロポン」
「おかげさまで。とてもいい先輩に恵まれましたから」
パチパチと軽く火花を散らしながら井森口と大塚がじゃれ合っている。
「はーい、いちゃつくのはそれくらいにして、はいお手紙でーす」
背後の大塚を、首を回して見上げていた井森口の額の上に、東は三つ折りにしてあるプリントを置いた。
「かちょー。意地悪されてて手紙が読めませぇん」
「心の目で読んでくださーい」
井森口の不平をスルーして東は自分の席に着いた。えらく上機嫌で鼻歌まで歌っている。
「慰安キャンプ? しかも今度の土日じゃないですか」
額の上に乗せられていた手紙を開くと大塚は不思議そうに呟いた。
「あー、もうそんな時季かー。やっぱ夏休み入る前に行かなきゃだよなー」
毎年七月に会社の保養所の近くにあるキャンプ場でキャンプをするのが、表向きは『ただ飯食い』な製造開発部二課の慣例だった。
「保養所があるんなら保養所に泊まればいいんじゃないですか?」
「わかってないなー。いいか、うちのキャンプ場はな、それはもう見事なカブトムシやクワガタがわんさか取れるんだぞ!」
「そんなの虫フェチのリロさんが嬉しいだけでしょう!」
「嬉しいに決まってるだろ。しかも、もうすぐ井森口宅飼育ルームでは孵化のシーズン到来なんだぞ」
「自宅でカブトムシの増殖やってるのはブローカーくらいですよ。何してるんですか!」
とにかくカブトムシが取れるからいいキャンプ場なのだと、子どものように言い張ったまま井森口は自分の仕事へと向かう。
製品開発のための資料だと始めたゲームはすでにレベル六十…ラスボスも余裕な勇者達に成長していた。
こういう行動が他から非難される原因になっているのだが、実際このゲームが資料になり次の製品開発の足がかりになるのだから、なんとも言えない。
もともとゲームが得意ではない大塚はゲームの画面を見るのもそこそこにして、次のプレゼンテーションのための原稿を書き始めた。
 チラリと向かいの席に座っている、井森口の恋人である一祐羽子(にのまえ ゆうこ)を盗み見る。今まで半ば無理やり聞かされていた、井森口からの情報というノロケ話を総合すると、今日の昼休みに付き合って三年になる年下の恋人からプロポーズされ、あっさりと断っていることになる。
しかし目の前の女性はそんなことを微塵も感じさせず、いつも通り休むことなくキーボードを叩いている。
「大塚くん、あんまり見てるとトラウマになるまで触っちゃうぞ」
泣く子も黙る『祐羽子スマイル』に大塚は顔を強張らせ急いで詫びると自分の仕事へと意識を戻した。



「てっきり自分達でテントを張るんだと思ってました」
社有の保養所の駐車場に車を置いて十分ほど歩いた小さな林のあちこちにバンガローが建てられていた。
ログハウス風の外観は共通しているが、それぞれ屋根の色は違っている。建てられて随分と経つのだろう、少し色がくすんでいるが逆にそれがいい味を出していた。
「それも楽しいんだけどね、なかなか面倒だから」
小さく苦笑いしながら東が答える。その言葉に大塚は「そうですよね」と頷く、が表面上は平静を装っていても東の隣りにいる人物の存在にどうしても動揺してしまう。
「ヒメもリロくんたちと遊んできていい?」
「うん、お母さんと一緒にね」
「おかーさん、もうゆうこねーさんと一緒に行っちゃったよ」
「…早いよ眞姫さん」
父の呟きを待たずに、東の愛娘・小姫は井森口たちが着くなり荷物も置かずに遊んでいる小川へと駆け出す。
「ヒメ、走るとあぶな…」
言っているそばからつまずいている。小川の方からそれぞれが大丈夫かと声をかけているのが聞こえた。
「まさか、娘さんがいるとは…」
「かっわいいでしょー。小姫もかわいいけどね、眞姫さんもかわいいんだー」
元からのほほんとした人物だが、家族の話を振るとそれはケタ違いのものになる。
とどまることを知らない東一家のラブエピソードを聞かされながら、大塚は皆の荷物をバンガローへと運んだ。

新入りの動揺など知るはずもなく、川遊び組はやってきた小さな友達を笑顔で迎えていた。
「ヒメちゃん。こっちこっち、ゆっくり来てごらん、おさかながいるよ」
ジーンズを膝までたくし上げ、田舎の子どものようにはしゃいでいる井森口が小姫を呼ぶ。
「わぁ…ホントだー。かわいいねー、みんなでお話ししてるのかな」
「そうだなー、今年もヒメちゃんが来たって喜んでるかもしれないね」
流れる水の冷たさを心地好く感じながら井森口は小姫と共に川遊びに熱中する。
そこから少し離れた木陰には川に素足を浸した祐羽子と眞姫がいた。
「こうやってると夏なんだなーと感じるわー」
「祐羽子姉さん、おっさんになってる」
「眞姫も同期に向かって『姉さん』はないんじゃない」
「しょうじゃないじゃん、『姉さん』は『姉さん』なんだから」
まあいいけどねと息を吐いて祐羽子は腕を伸ばす。
柔らかな木洩れ日と小鳥のさえずり、川のせせらぎや木々の香りが、じんわりと染みこんでいく感じがする。
「で、柄にもなくへこんでるのはやっぱりリロ絡み?」
「……ポーカーフェイスってよく言われるんだけどねぇ」
「祐羽子ファンですから。リロが気付かなくっても私は気付くよ」
あいつが鈍感すぎるんだと心の中だけで唇をとがらせる。
あのプロポーズを断ってから、井森口はどこか遠慮をするような硬い態度のままで、これまでのように祐羽子と軽口を言い合うようなこともなくなってしまった。
常に物言いたげな視線を送っているくせに、祐羽子の目が井森口へと向くとツイと視線をそらす。
元から仕事中はあまり感情を外に出さない性質だが半ば意地のように井森口に悟られまいと、傷ついている自分の気持ちを必要以上に押し隠していた。
そのくらい気付けよと小さく呟いている自分の視線がいつのまにか川で遊ぶ青年に向けられていることに祐羽子は自分では気がついてなかった。

荷物を運び終わった東と大塚も加わり、その一帯はやにわに活気付く。
一番どんくさいと思われていた大塚がことの他身軽で、濡れた飛び石の上も安定した足取りで易々と移動していた。
「あ、そっち滑りやすくなってるみたいだから気をつけてくださいね」
小姫をエスコートするように誘導しながら後の二人に声をかける。
「ヒロポンみたいなモヤシっ子がこういうこと得意っていうのは反則だろ!」
先ほどから幾度もなく足を滑らせ、すでに髪までぐっしょりと濡れている井森口が非難の声をあげる。
「そんなこと言われても…、ガタイがいい割に鈍いリロさんはどうなんですか」
「ヒメ知ってる! そういうのを『よるとしなみにはかてない』って言うんだよね」
「うわー! よくそんな難しい言葉知ってるねー。ヒメは偉いなー」
親バカ全開でニコニコしている東を見ながら、そういう言葉をケロっと口に出来る五歳児は如何なものだろうと大塚は額を押さえた。
「だいぶ遠くまで来ちゃったみたいだね」
「そろそろ戻った方がいいかもしれませんね」
今まで歩いてきた方向を振り返り東が呟く。
途中で通り越してきた祐羽子たちに手を振ってみるが、二人は話に夢中なのか気がつかない。
 
ぼんやりと祐羽子たちのいる方を井森口は見ていた。
どうにかふっきろうと別のことに全力を傾けるが、ふと我に帰ってしまうとあのときの祐羽子の言葉が何度もよみがえる。
そのたびに胸の奥にある想いが重く沈んでしまうようだった。
(さっきも何か俺のこと見てたみたいだったしな…)
ここ数日を思い返して、知らずため息が出てしまう。
嫌われていてもそれでもやっぱり自分は大好きで、しゃべりかけるタイミングを図ろうと祐羽子を見るが、いつもより心なし苛ついている様子に臆してしまう。
祐羽子に向けられるはずだった言葉は飲み込まれ、全然違う形で祐羽子以外の人物にくだらない話となって出て行ってしまう。
来た道を戻っている大塚たちに倣って井森口もきびすを返す。
しかし、あると思っていたはずの川底はなく、ドポーンと派手な音をたてて井森口は急に深くなっていた川の溝へと落ちてしまった。
考え事の真っ最中という無防備な状態で落ちてしまったので、反射的にもがき近くにあった岩で頭を強かに打ち目の奥で火花が散る。
ガボッと肺にあった空気が出て行くのが自分でもわかった。
「リロさん、リロさん!………」
キラキラと揺らめく景色の中遠くで大塚の声を聞いた気がした。


見知らぬ天井に一瞬ひるみ、今キャンプに来ている最中だと考え至る。
恥ずかしいことに自分は川で溺れたということにも…。
「やっと気がついた? 何やってたのよバカ!」
聞き覚えのある叱咤の声にぼんやりとしていた頭が急に覚める。
嬉しさ半分、気まずさ半分で井森口はモソモソと寝返りを打って祐羽子に背を向ける。
「…迷惑かけてごめんなさい。もう大丈夫だから皆のとこに行ってください……」
背中越しに小さく息を呑む音がした。カタリと椅子が鳴り立ち上がった気配を感じる。
一緒にいてほしくないのに、出て行ってほしくない。
自分勝手なアンビバレンツに耐え切れず井森口は目をギュッとつむった。
「こ…のあんぽんたーん!」
「がっ……!」
いきなりわき腹にものすごい衝撃が走り息が詰まった。
「何よ、自分一人が傷ついてます、みたいな顔して! バッカじゃないの」
「どーせ俺はバカだよ。祐羽子さんはそんな年下のバカのことなんて嫌いなんだろ? いいよ無理していてくれなくてもさぁ!」
みるみるうちに強張っていく祐羽子の表情に、後悔しても遅かった。
一度出てしまった心無い言葉は相手を傷つけ、相手を傷つけてしまったことで自分をも傷つける。
「…ほんっと…バカよ。どこの誰が一度でも隆のこと嫌いだなんて言ったのよ」
「ゆ…こさん…」
恐る恐る伸ばした手は、勢いよく払われた。
潤んだ気丈な瞳は井森口の心に後悔という形で深く焼きついた。
静かな部屋、聞こえるのは外で鳴いている名前も分からない虫の声だけ。
「…じゃあ、井森口くんも大丈夫そうだし、私戻ります」
ただの仕事仲間に対する口調で告げる祐羽子に何も言うことができない。
行き場を無くした手を持て余しながら、自分よりも随分と小さな背中を見る。
ノブを回そうとしたところで固まっている祐羽子に疑問を覚え、どうしたのかと後ろから覗き込む。
「ん、ありゃ、どっから入りこんだんだろ」
ノブの近くを懸命に登っているカナブンを見つけ、祐羽子越しに井森口はひょいとそれを摘み上げる。
「………っ」
「ね? …えっ、なに?」
「い…………っきゃぁぁぁぁっっーーーーー!」
「え? えっ?」
突然目の前で上げられる悲鳴に井森口は目を丸くする。
「リロっ! 女性を襲うなんて男として最低だぞ!!」
悲鳴を聞いて駆けつけたにしては、いやに早いタイミングで、ドアを開けて東が登場する。
その後ろには眞姫、大塚をはじめとするキャンプの参加者一同。
「ちがっ…! 俺何もしてない!」
「嘘付け! 祐羽子さん泣き叫んでるじゃないか!」
「言い訳なんて男らしくないわよ」
「そうですよリロさん!」
「ちゅーか、早すぎだろ! 皆で盗み聞きしてたな!」
「…問題のすり替えとは感心できんな…。大塚、事情聴取の準備!」
「………て…」
わいわいと盛り上がっている中にもう一人の当事者である祐羽子の声が小さく混じる。
「いいからそれをどっかにやって!」
「え? こ、これ?」
いきなりの指示に井森口はついていけず、持っていたカナブンを祐羽子の目の前へと掲げる。
「きゃーっ! バカバカバカバカバカ!」
子どものように勢いだけで言い捨てると、祐羽子は眞姫にしがみついた。
「…リロ、祐羽子ね虫が全然ダメなの」
「へ?」
「信じらんない、何素手で掴んでんのよ」
眞姫越しに井森口を見ながら祐羽子は涙をボロボロ流しながら訴える。
「あ、え、じゃあ…」
どうしようかと一瞬考えて、一番ドアから離れた窓を開けカナブンを放す。
「これで、い…い?」
振り向くと東たちの姿は、さっきの騒ぎが夢じゃないだろうかと錯覚させられるようにいなくなっていて、小さく震えている祐羽子が非難するような目で井森口を見ているだけだった。
「オレと結婚できない理由っていうのは、ひょっとして…」
「いくら好きな人とでも、自宅で虫を大量に飼育しているような人とは結婚できるわけないでしょ!」
「よかったぁー! 絶対嫌われたんだと思ってたー!」
「だから最初から言ってたじゃない、別物だって」
嬉しさに任せて抱きしめようとして、額に正面からチョップをくらう。
「ガハッ」
「…虫触った手で触らないでね」
必殺の祐羽子スマイル。
「…はい」
うなだれた井森口の唇に、突然柔らかく温かな感触。
「手を洗ったら早く外においで、一緒に花火しよう」
思わず自分の唇に触れて確認する。掌にはあの日の綺麗な赤。
自分の大好きな人の色。
「もちろんダッシュで!」

意気投合したのか、小姫と大塚がふたりで線香花火レースをしている。
端に置いてあった袋から花火を二本取り出して井森口は祐羽子に渡した。
火をつけると青い火花が散っていく。紫、黄色、橙、赤と色が変化していく仕掛けになっているらしい。
「綺麗ね」
花火を持っている井森口の右手の甲に祐羽子の右手が重なる。
「キャンドルサービスの練習…なんちゃって」
「ゆうこさぁん」
「あぶなっ…、コラ、花火持ったままこないで!」
「だーって祐羽子さんがー」
人のいない方を向けてはいるが、花火を持ったまま抱きつく井森口の頭をペシペシと叩くがあまり効果はないようだ。
諦めて、仲間たちの茶々いれを期待して周囲を見るが全員見て見ぬフリをしている。
まあいいか、と仰ぎ見た高い夜空には、満天の星が輝いていた。





END


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