「 籠 」

「今日付けで製造開発部二課に配属になりました、大塚尋史です。よろしくおねがいします」
しかし大塚の自己紹介に反応する者は一人もいない。
別に聞こえているのに意地悪で反応していないわけではなく、皆聞こえてないのだ。
ドアのすぐ脇に立ったまま大塚は立ち往生する。
まず自分の席がわからない。
そして移動しようにも通路という通路に寝こけたままぴくりとも動かない大きな芋虫たちが転がっている。
「あの…」
オロオロしているとドアが開いて一人の男が入ってきた。大塚より少し年上らしい。
よれよれのシャツに申し訳程度に引っ掛けられたネクタイ、かけられた黒いフレームの眼鏡には無造作に前髪が覆い被さっていた。
そして手にはなぜか扇子を持っている。
「ほーらーもう就業時間ですよー全員起床ー」
そういいながらその男はのんびりとした口調とは裏腹の軽いフットワークで通路に寝転がっている芋虫たちの外側を外していく。
中からでてくる者は皆一様に眉間に皺を寄せ、寝足りなさそうにしながらのそのそと這い出てくる。
「はーい、今日からうちに来ることになった大塚君です、顔は覚えといてね」
どんよりと曇ったような目をして力なく立っている同僚であろう男たちに紹介され大塚は頭を下げる。
「大塚尋史です、よろしくおねがいします」
「よろしく。僕がここの課長やってる東啓二です」
隣に立っていたよれよれのシャツの男が口元を開いた扇子で隠しながら笑った。
その扇子に書いてあった言葉は『あんたが大将』。
配属先に来てまだ二十分。大塚は早くもこの製開二課が【掃き溜め】だと言われている由縁を知った気がした。


思えば子どもの頃から要領が悪かった。決して成績も悪くないし、人間性に大きな問題はないと思う。
ただ要領が悪い。
基本的に頼まれ事を断りきれない性質なので皆が敬遠するような仕事は毎回やってきたように思う。
フォローをしていたはずなのにいつの間にか他人のミスが自分のミスになっていることも多々あった。
 『いやー悪いねー大塚君』
 全く悪びれない表情で上司が頭を掻いた。濃い色のスーツの肩にはフケがぱらついている。
 『いえ…』
 どう返答していいものかわからず大塚は曖昧な表情を作る。
 途端にへらへらと笑っていた中年の目が変わった。
 自分の体裁を整えるための生贄がいることに気付いたのだ。
 『まあ今回の件は元をただせば君のセッティングの悪さが原因だからねぇ』
 『はぁ、すみません』
 『すみませんじゃないだろう?』
 本来なら二人で組んでやるべき仕事を一方的に押し付けた挙句、不用意な発言で契約を不意にしてしまった上司。
 しかしこの男に言わせれば、すべての原因は今回のセッティングをした大塚の不手際であるらしかった。
 先ほどから鼻息荒く、そんな内容のないことを何度も何度も激昂しながらわめきちらしている。
 だが大塚は反論することすらできない。
 心の中で「それは自分のミスじゃない」と思っても、同時に「やっぱり自分が悪いのかもしれない」という考えが出て何も言えなくなる。


そんなことが何度も重なり、秋の人事で営業部からこの製品開発部二課へと異動になった。
異動させられるほどミスを擦りつけられる自分にも嫌気がさしていたし、元から人付き合いが得意な方でもなかったので営業に向いてないと思っていたのも事実だった。
製品開発部二課についていい話は一度も聞いたことがなかったが、それでも仕事的な面から見れば営業より向いているかもしれないと少しだけ前向きに考えていた。
「これは…ここまでは想像してなかったな」
小さなテレビを大の男が取り囲んで昼間からゲームに励んでいる。それも会社で。
とりあえず宛がわれたデスクに座ってみたが何をすればいいのかわからない。
「大塚君」
途方にくれている大塚の机を東が指で叩く。慌てて顔をあげた大塚に東はにっこりと微笑んだ。
「とりあえず今日は僕のを貸しとくから」
どんっとまとめて机の上に置かれたのは漫画本。
「デューク東郷はすごいんだぞー。なんと初登場がブリーフ一枚!」
それだけ言い残すと自分の机へと戻っていった。
しわくちゃのシャツの背中を見ながら大塚はため息をついた。
机の上に置かれた漫画を読む気にもなれず、ぼんやりと周りを眺める。
ここは本当に会社なんだろうか…。
今までいた部署と同じ会社内のはずなのに空気が全く違う。それぞれが思い思いのことをしている様子は小学校の昼休みのようだった。
しかし、一緒にゲームをやることもできないし、だからといって渡された本を読んでいいものかどうかも迷ってしまう。
壁にかけられた時計をみると、十時半を回っていた。
「あの…」
「んー?」
「私は、ここで何をすればいいんでしょうか」
「さっき渡したじゃない」
「…いえ、読めと言われても、ちょっと……」
「あーごめん。劇画好きじゃなかった?」
「そういうことじゃなくてですね、仕事が…製造開発部の仕事は、何かないんでしょうか」
「んー…」
椅子に座った東の下から向けられる視線に、思わず目を伏せる。
体の前で組んでいる手のひらがどんどん汗ばんでいくのがわかった。
(やっぱり言わなきゃよかった…!)
「合格。みんなーオペレーションT完了でーす。通常業務に切り替えまーす。えーじゃない。はーい、電源切ってー。ああ、セーブしてからでいいよ」
パンパンと手を打って、のんびりした口調のまま東が他の社員に告げる。
何事が起きたのかついて行けずに大塚は目を丸くしたまま固まっていた。
「改めてよろしく、大塚君。うちの仕事の説明をするね」
黒縁の奥、少し垂れた目を細めて東はにっこりと笑った。
「大塚君はここのことどんな風に聞いてる?」 「え…あー…」
今まで社内で聞いたことのある『製造開発部二課の噂』は本人を前にして言うのを少しためらうような内容ばかりだった。
開発という名目で毎日遊んでいるだとか、徹マンでしょっちゅう泊まりこんでるだとか…。
「言いにくいよねー。昼行灯の給料泥棒とかでしょ?」
「はぁ…、まぁ」
肯定するのも失礼に当たる気がして大塚は曖昧に頷いた。
「電子玩具市場におけるうちのシェアがどれくらいか知ってる?」
「確か…四割弱だったと思います」
いきなり話が飛んだことに戸惑いながらも、記憶を手繰り寄せ大塚は答える。
「そう。で、残り約六割を大手三社が競い合ってるのは知ってるよね」
「はい」
「うちは頭一つ分出てるんだけど、それでも競争は激しくてね。それで敵を欺くにはまず味方からという作戦に出たんだよ」
「はあ……」
東の言わんとすることが何なのかわからず軽く眉間に皺を寄せながら頷く。
「つまり、一課にはリークしてもかまわない情報を置いて、社内でも『左遷先』で通ってる二課が実際のところ製品の開発をしてるというわけ。わかった?」
「へぇ………えぇっ?」
「お、やっと繋がったなー」
一瞬遅れて事の重大さに気付いた大塚をからかうように東が閉じた扇子の先でつつく。
「ちょ…え、じゃあ、それだと俺がここに何で配属になったのかわかりません!」
驚きのあまり一人称に地が出てしまったことにも気付かず大塚は慌てふためいて尋ねる。
「まぁ二課の正体知ってるのも普段僕らが会わないようなお偉いさんばっかりだからねー。ナベさんも窓際配属のつもりで大塚君を二課にしたんだろうね」
自分の父親ほどの年齢の営業部部長を事も無げに「ナベさん」と呼びながら、ぱっと広げた扇子で扇ぎながら東は笑った。
「もっとも、ホントに大塚君が仕事出来ないんだったら取らなかったけどね」
あっけらかんと言い放つ東を半ば放心したように大塚は見つめる。
「何はともあれ製造開発部二課へようこそ。僕らは君を歓迎します」
「頑張ります! よろしくお願いします!」
ぶんっと音がしそうなほどの勢いで頭を下げる大塚に東は柔らかく微笑みかける。
「でね、今言っちゃうけど、今日歓迎会するから。予定平気?」
「え…今日、ですか?」
「あ、用事あるならいいよ」
「すみません…」
大塚は謝りながら俯く。
嘘だった。
用事なんて何もない。ただ飲み会が苦手なだけだった。
酒が飲めないわけでもないし、大勢での食事が嫌いなわけでもない。
独特の雰囲気が苦手なのだ。
上辺だけの付き合いの当り障りのない会話…酒を飲んでもまったく酔えない。
そんな空気がたまらなく苦手だった。
元々人付き合いが得意な方ではなく、他人に自分の感情を吐露するのに抵抗があった。
そこそこの距離を取っておけば深入りされず、深入りせずですむ。裏切られて傷つくこともない。
「じゃ、今度前もって言っとくから開けといてね。えーと今日は…そうだなー、隣の井森口君の手伝いをしてて」
「はい」
精一杯の作り笑いを浮かべて大塚は自分の席へと戻った。


大塚が製造開発部二課に配属になって半月が経とうとしていた。
初日に東が言っていた歓迎会についてはあれ以降何の動きもないので、立ち消えになっているのだろうと安心していた。
まずは課内の基本を知らせるのが目的らしく、大塚の仕事はもっぱらアシストだった。
資料整理などといったいわゆる雑用。
それ以外の時間は今まで開発された商品の詳細やプレゼン用資料を見て過ごしていた。
子どもの頃自分もテレビで見たヒーローになれると思って親に変身セットをせがんだことをふと思い出した。
そんな商品を開発できる立場になっていることが妙に嬉しい。
「大塚ー、ちょっといい?」
東がちょいちょいと手招きするのに気付き大塚は気持ち慌ててそちらへ向かう。
「お昼ってお弁当?」
「え? あ、いいえ。社食で何か適当に…」
「そう、じゃあさ、ちょっと外に行かない? いいお店見つけたんだよー」
言うやいなや東は立ち上がり大塚の腕を掴むとずんずんと歩き出した。
連行されたのが約三十分前。目の前には既に食べ終わった東が満足そうな顔でお冷を飲んでいる。
そこそこ可愛いがやたら無愛想なウェイトレスがコーヒーを置いていく換わりに最後に食べようと思っていたミニトマトが残してあった皿をさげてしまい、少々名残惜しげに大塚は見送った。
「歓迎会、いつがいい?」
「…え…えっと…」
いつがいいかと尋ねられても、毎日特に用事があるわけでもない。
ただ出たくないだけなので、断るいい口実もぱっと思いつかない。
「大塚さ、出席する気ないでしょ」
ずばっと言われ言葉に詰まる。
「…すいません」
「何で?」
「え…と、酒…飲めないんですよ」
「へぇそうなんだ。でもそれも嘘でしょ?」
「本当なんですって」
「ふーん。僕はてっきり人付き合いが苦手なんだと思ってたよ。お酒だったんだ苦手なのは」
東の図星をついた言葉に大塚は押し黙ってしまう。
どうしてわかってしまったんだろう…。
コーヒーカップを持った手が小さく震え、コーヒーが微かに波立つ。
「あのね、出来ないことは『出来ない』って言ってもいいんだよ?」
粗相をしてしまった幼児を諭す柔らかさで東が話し出す。
「謙虚と遠慮って違うからね。もう小さい子じゃないんだから、責任持って自分が出来ることをしてるんなら誰もとがめないから」
東が言っているのが今回の歓迎会のことだけではなく営業部時代のことを言っているのだと気付いて、大塚はハッとする。
指先が白くなるほどカップを握り締めている大塚に優しく苦笑しながら、きちんとセットされた前髪をわざとくしゃくしゃにする。
「うちで黙っていてもひどい目に遭うだけだよ、みんなやりたい放題だからさ。立ってる人間には何を頼んでもいいって思ってるみたいで。僕課長なのに、全員分の買い出しにしょっちゅうやられたりするんだもん。そのうちコンビニに公共料金払いに行かされそう」
少々大げさな感もあるが、コンビニで大量のペットボトルや煙草などを精算している東の姿が容易に想像できた。
「それは…大変ですね」
「そう! だからさ、言っときなよ。今のうちにさ」
「……はい」
一度大きく息を吸って、大塚はニコッと笑ってみせる。
「うん、いい顔。じゃあ歓迎会はどうする? 大塚がまだ先がいいっていうならそれでもいいけど」
「いえ…やりましょう。私はいつも空いてるんで、皆さんの都合がいいときに」
「…それ、社交辞令じゃないよね」
「違いますよ!」
「そうだろうね。だって大塚嘘つくとき眼鏡さわるもん」
にやりと笑って見せた東に大塚は何か言い返そうとするが、いい言葉が見つからない。
「あ、もう戻んないと。遅刻するとだいたい何かイタズラされてるんだよ」
やや焦りながら時計を見て立ち上がったのに釣られて大塚も慌てて立ち上がる。
「イタズラ?」
「そう。机にプリキュアのフィギュアがぶわーっと飾られてたり、僕の席にでっかいクマのぬいぐるみが座らせてあったりするんだよ〜」
眉を下げながら、それでもどこか嬉しそうな表情に課内の和気藹々とした家族的な雰囲気を感じ取る。
「帰ったら、とりあえずいくつか企画書出してもらうから。覚悟しといてね」
「はい!」
 
バカみたいだと思った。
安全な狭い籠の中で安心しようとして自由がないことに気付かないフリをしていた。
籠の扉は開いていて高い空へと続いていたのに。
自由な空はリスクがある分きっと籠の中では得ることのできない物をたくさん手にすることができるだろう。
傷ついて落ち込むことがあっても、飛ぶことを諦めなければ可能性はなくならないはずだから。


「ちぇー、帰ってきちゃった」
「あと五分。ほら煙草でも吸っておいで」
少しだけ長い昼休みになってしまった大塚達を待っていたのは例のイタズラだった。
ただ、まだ準備段階だったらしく、途中で見つかってしまいそれぞれが色んなことを行っている。
パッと見た限り、さっき東が言っていた類のイタズラでないことはわかった。
机の上も、椅子の上も、無事だ。
「あぁーーーっ!」
東の絶叫がさほど広くもない部屋に響き、思わず大塚は肩をすくませた。
「ブックマークが全部消えてる! せっかく見つけたのにー! 僕の赤い彗星っ!」
「バックアップならここにございますよー課長殿。なーんか、甘いものが食べたーい。みんなー何かデザートが食べたくないー?」
一枚のフロッピーをヒラヒラさせながら嘯く社員に東は両手を合わせて懇願していた。
(大変だなー)
そんな様子を見ながら、自分のパソコンを一応確認する。
外傷なし。
しかし、スクリーンセイバーが変わっていた。
画面に延々と、童謡・桃太郎の歌詞が表示されていく。
マウスを動かして画面を戻そうとしたが、パスワードをかけられてしまっていてどうしようもなくなってしまっていた。
仕方なく画面の文字を見て、大塚は感心する。歌詞が七番までフルで入っていた。
「うわぁ、すごい」
「感心してる場合じゃないぞー。さーぁ今日の運命共同体。一緒に今からコンビニダッシュ!」
結局ブックマークを取り返すために買い出しをすることを選択したらしい東が後ろから力なく寄りかかってきた。
「そうですね。僕もパスワード教えてもらわないと仕事にならないですもんね。行きましょうか、東課長」
苦笑しながら立ち上がり、東と二人で十二人分のアイスを買うべくコンビニへと向かう。
ここでなら少しずつでも変われるかもしれない。
新しい自分を大塚は予感した。





END


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