Makihiko Arase
Cumberland Presbyterian Minister
Pastor, Megumi Cumberland Presbyterian Church

カンバーランド長老キリスト教会 めぐみ教会
牧師 荒瀬牧彦
めぐみ教会「こころを高く上げよ」
礼拝説教保存庫(1999〜2004年)のページ
上北台3丁目通信 「牧師の日記」保存庫(1998年11月〜2008年1月)
めぐみ教会牧師の日記 megumiboxy.exblog.jp
『神の民の礼拝 カンバーランド長老教会礼拝書』紹介ページ
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やや長ったらしい自己紹介
2歳の頃に転居し、横浜市保土ヶ谷区(後に旭区となる)笹野台という典型的な新興住宅地−−−ベットタウンと森や畑のせめぎあっているような風景の中で育つ。悪がきたちと毎日、野球をしたり、裏の森をぬけて田んぼの中の道を自転車でひた走り、保土ヶ谷カントリークラブ横の池(今から思えばゴルフ場から出る汚水であった)で筏を浮かべたり、だだっ広い造成地で戦争ごっこをしたりと、遊び呆けてすごした。 横浜市立希望が丘中学校、横浜市立桜丘高校と、平凡な学校で平凡な生徒として過ごした。保土ケ谷の丘の上にあった高校では、適当に勉強し、適当に遊び、単車で学校に行き喫茶店でタバコを吸ってと、適当に悪いことをし、なんだか不完全燃焼だった。 上智大学法学部法律学科に入った。カトリック・イエズス会の経営している学校だから、神父もいっぱいいるし、周囲にカトリックの学生やプロテスタントのクリスチャンが割合多かった。活動の盛んなESS(英語研究会)に入り、そのお蔭で1979年東京サミットの会場(大学のお隣のホテルニューオータニ)で外務省下働きのアルバイトをしたりして、世界が広がった。ESSの活動の後は、四谷のしんみち通りに繰り出す日々。 1980年の春に洗礼を受けた。神父さんや修道士さんの影響も受けたのだから、カトリック教会に行ってもよかったわけだが、非常にタイミングよく、隣り町の教会の牧師が「話をしにきませんか」と誘ってくれた。両親がその数年前から行くようになった希望が丘の教会である。タイミングよく、と言うのは、その電話があった数日前の晩に、部屋でベッドにすわって『わが涙よ、わが歌となれ』という本を読んでいる時、説明のつかないような強い感動に襲われ、不覚にも涙がぼろぼろとこぼれ、「ああ自分は大きな神の御手にのっているんだなあ」と全身で感じるような、不思議な経験をしたのである。ジョン・ウェスレー流に考えれば、あれが私のコンバージョンの体験だったということになろうか。その時の部屋の様子をはっきりと思い出すことができる。そんなことがあったところだったから、牧師が電話してきてくれた時には、とても素直に「伺います」と答えていた。希望が丘教会牧師の瀬底正義という先生は、せんだみつおに似た小さな人だったが、大きな目でこちらをじっとみつめて、いろいろと繰り出す質問に一所懸命答えてくれた。 大学4年になる春休みに、フィリピンに京葉教育文化センター主催のスタディ・ツアーで行った。地方の小さな町で、教会にクリニックを開いて、町の人たちに仕えている修道女たちのところに何日か滞在した。今は亡き千葉の名物牧師、石丸
実先生も一緒だった。彼女たちは、マザーテレサのように有名でもないし、どこにでもいそうな普通のおばさんであった。でも、本当にキリストの手となり足となって、貧しい人々の友となっていた。その力強さに圧倒された。その夜、聖書を読むと、民数記の「兄弟が戦いに行くというのに、あなたがたはここに座っていようというのか」という言葉が、まさに神の語りかけとして私に迫ってきた。 →このへんのことは、『神に呼ばれて 召命から献身へ』という本(日本キリスト教団出版局 2600円)に書きましたのでお読みください。23名の牧師や神父たちがなぜどのように“その道”にはいったかを綴ったエッセイ集。神様って人それぞれの仕方で導いてくださるんだなあ、って思います。 大学卒業後、東京神学大学に編入学し、学部2年、大学院2年の計4年間をそこで過ごした。修士課程の一年目に結婚。妻は幼稚園教諭。川崎市高津区下作延、南武線が目の前を通るアパートに2年間居住。 神学校を出てすぐに、静岡県富士宮市北部、名勝白糸の滝のすぐ近くの丘にプレハブを建て、開拓伝道を開始。一所懸命やったが、大石寺のお膝元での伝道は困難をきわめ、非力を痛感した。初めて知る挫折だった。3年しかいることができなかった。その間に、二人の子供が与えられた。3年の間にそこでつきあった高校生たちは皆、進学してよその土地へと旅立っていった。今はどうしているかな。 1990年4月から日本中会主事という仕事を一年間やらせて頂いた。これは教会政治の良い勉強になった。 その後、アメリカの神学校に留学する機会を与えられる。テネシー州メンフィスにあるカンバーランド長老教会の神学校 Memphis
Theological Seminaryで1年間学び、神学的にも随分と頭を活性化され、多くの友を作り、家族もすばらしい経験をした。礼拝学への興味も与えられて帰国。 帰国して、1992年12月に東大和へ移住。国立のぞみ教会を親教会とする開拓伝道を開始した。1993年1月3日に最初の主日礼拝。Tさんが提供してくださった小さな家の10畳のスペースで5年間礼拝を守った。最後の頃は、もう本当に文字通り立錐の余地がなかった。時には階段にすわって礼拝を守る人も! 1993年以降今までの信仰の冒険については、またいずれゆっくり書いてみたいと思っている。 1999年秋 |
2011年10月7日更新 やってることなど カンバーランド長老キリスト教会 めぐみ伝道教会 牧師・小会議長 Cumberland Presbyterian Church 東大和9条を守る会 代表呼びかけ人 書いたもの
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趣味
東大和に来てから、山歩きの楽しさに目覚め、1995年頃から奥多摩や奥秩父を歩くようになりました。が、1999年あたりから月曜・火曜にも時間を取りにくくなり、最近はほとんど行かれなくなってしまいました。あ〜、山に行きたいなあ。 かつてプロレスを熱愛しておりました。技をかけては教会のかわいい中学生たちを泣かしてしまうこともよくあった。ごめんね。今はもう会場に足を運ぶこともありませんが、かつては新日本プロレスの興行に行って「イノキー!」なんて絶叫していたときもあるんですよね。あはは。 音楽の話になると書ききれませんが、好きなミュージシャンは、エリック・クラプトン、ジャクソン・ブラウン、B.B.キング、フレディ・キング、アルバート・キング、小田和正、沢 知恵、ジュエル、キャロル・キング、カーリー・サイモン、キャスリーン・バトル、ジェシー・ノーマン・・・。2002年10月、ブラジルに行った際、トッキーニョのCDを買ってきましたが、とっても気にいっております。 ゴスペル(ブラック・ゴスペル)、アフリカン・アメリカン・スピリチュアルズを愛好。CDもよく聞きますが、なんといってもゴスペルはライブに限ります。アメリカで黒人教会の礼拝に出席すると、血液の温度が実際に10度ぐらいあがったような感じになりました。苦境の中で、ただ神に信頼をおいて生きぬいてきた人々の汗と涙がしみこんだ歌。ソウル(魂)のこもった歌は、人に勇気を与えます。 最近買った宗教音楽のCDでとても良かったのは、メンデルスゾーンの詩編歌集(指揮ミシェル・コルボ リスボン・グルベンキアン財団管弦楽団&合唱団)。詩編42篇、95篇、115篇、114篇、98篇の詩編歌が入っています。「詩編を歌う」ことは教会の大切な財産。自分の教会でもこのテーマを追及していきたい! 家族 妻と一男一女 牧師室 教会の玄関を入って左手にある階段をのぼり、つきあたりを右手にまがると牧師室がある。会堂建設委員長のKさんが作ってくれた、壁二面全部を覆う書棚と大きな机がしぶい。我が教会には玄人肌の木工職人が二人もいるのだ。 さて、この牧師室をいろいろな人が訪れ、 胸のうちにある思いを語ってくれる。私は何もできないわけだが、とにかく一所懸命に話しを聞いて、思いを受けとめようとする。アドバイスできることがあればアドバイスするが、できないときや、しないほうがいいときもある。そういう時は、一緒にため息をついたり怒ったりするだけ。その人の抱えている問題が、押入れの奥にしまわれてしまうのでなく、神様の光のもとにおかれるよう手伝うのが私の仕事。そして、その人の傍らで、その人と共に神様に心から祈る。 影響を受けた人物 ラインホールド・ニーバー 一般にはセレニティ・プレアーの作者として知られていますが、キリスト教信仰によって現実の政治を少しでも良いものにしていくことを真剣に考えた稀有の神学者です。東京神学大学で書いた修士論文の題は、「ラインホールド・ニーバーの政治哲学 キリスト教現実主義の研究」でした。(東京神学大学神学会編 『神学』49号 1987年教文館 所収) マーティン・ルーサー・キング・ジュニア |