ふうちゃんの軽井沢滞在日記2005

 ピーコと娘はずっと滞在していたが、私は26日の夜に一端帰京し、28日の午後、またこちらに来た。

 しかし、明日の早朝、全員で帰京するのでほんの短期の滞在となった。

 26日早朝に降った雪がまだそのまま残っており、晴天の青空と白のコントラストを味わっている。

 浅間山もよく見え、今年最後の姿を、近所を散歩しながらカメラに納めた。

 それから、サラサラのパウダー雪に水をかけ、雪だるまをピーコと作った。

 今年は、新年を東京で過ごすことにしている。

 元日にはサッカーの天皇杯を国立競技場で、3日は箱根駅伝を第一京浜のどこかで観戦を予定している。

 写真は、ブログ(落葉松林のデッキの下で)に掲載する予定。(12月29日)

 

 クリスマスを軽井沢で過ごすために、ピーコ、桃、私の3人で23日の早朝に東京を出た。

こちらに着いたのは、午前7時前だった。外気はマイナス7度、室内はマイナス2度、台所の水道の蛇口と

2階のトイレが凍結していた。水抜きをしてあるにもかかわらず・・・・・・

 寒さが急に来たために、凍ったものと思われる。佐久では、ちゃんと生活している家の蛇口も凍ったと

いうことである。家の暖房が暖まるまで時間がかかる。みそラーメンを朝食に食べ、寒いので、

炬燵に入って10時くらいまで寝ていた。それから、起きだし、雪掻きをした。

 夕食は、ルクルゼの鍋を使って作ったポトフーに、職場のTさんから頂いた蔵王産の白ワインを味わった。

この白ワイン、この夏に亡くなったご主人が愛飲していたものだという。さっぱりした味で、

冷酒で飲む高級な日本酒のような感じだった。

 12月21日でピーコと私は結婚30周年を迎えた。当日、私の職場の忘年会と重なったため、

軽井沢でお祝いしようということになっていた。ワインをおくってくれたTさんに軽井沢でお祝いに飲む

と言ったら喜んでくれた。あまりアルコールが好きではないピーコも美味しいといって少し酔っていた。

 翌朝起きてみたら、一面の銀世界。雪の華が咲いていた。カメラを手に散歩に出かけた。

 道路は白く、轍が少しあるだけ。その上を歩いていく。

そして、雪の華が咲いている木々をカメラに納めていく。

 このようなチャンスは、何回も軽井沢を訪れていてもめったに出合うことができるものではない。

 雪の華は風が吹くと飛んでしまうし、日が当たり気温があがると溶けてしまう。

 このような千載一遇の撮影の機会のめぐりあえたことをうれしく思う。

 結婚30周年にふさわしいホワイトクリスマスになった。 (12月23,24日)

 

 ピー子の運転する車で、昨夜(12月2日)の午後10時にこちらに着いた。

今回の目的の一つは、タイヤをスタットレスに履き替えることである。

スタットレスタイヤは、雪道や凍結した道路を通過するために必要である。

 11月中に履き替えておかないと、12月になって雪が降ったときに車が使えなくなってしまう。

今日の早朝、地下室においてあるスタットレスタイヤを出して、佐久にある自動車用品専門店に行った。

10時開店だというのに、もうすでに10名くらいの行列ができていた。

みな、タイヤの履き替えのために来ているようだった。

それというのも、昨夜、軽井沢に入ったら雪がちらほら降っていたし、

今朝も我が家のテラスにもにうっすりと雪が積もっていた。

浅間山に3回冠雪があると、ふもとに雪が降る、と地元ではいうそうだが、

すでにそのような状況になっていたからである。

 12時過ぎには、タイヤ交換を終了し、我が家にもどってきた。

 夕方、軽井沢の恵みシャーレのイルミネーションを見に行った。

寒さの中ではあったが、イルミネーションをカメラに納めることができた(12月3日)

 

  今回はふうちゃん一人でこちらに滞在している。

辺り一面落葉松の落ち葉の絨毯ができている。

ベランダにも落葉松の落ち葉がたまっていた。

今朝、散歩をしたときまだ残っている

落葉松の紅葉をカメラに納めることができた。

今年は紅葉全体が遅いので何とか落葉松の紅葉に間に合った感じた。

外を歩くと、落ち葉の上に霜が降りていた。

冬がもうそこまできている。(11月23日)

 

 今、軽井沢は紅葉真っ盛りといっていい。碓氷峠のトンネルから新幹線が

抜け出すと、色づいた木々が目に飛び込んでくる。

落葉松は、まだ、十分に色づいているとは言えないが、

モミジは真っ赤に色づいている。

 今朝、6時半から雲場池に行ってきた。

 駐車場が近くにでき便利になった。

 池の周りは三脚を建てた本格的なカメラマンが撮影をしていた。

 私も負けずにデジカメのシャッターをきった。写真はここから

 東京の家の近くに洗足池がありよく、早朝に散歩に行く。広さはここよりも広い。

 しかし、木の密度が違う。雲場池(軽井沢)の方が、圧倒的に高いように感じる。

マイナスイオンも多いことだろう。

 そんな中で、散歩をしながら、明日の都会での生活に必要なエネルギーを蓄えている。

(11月6日)

 

 初冠雪の浅間山が視界に入ってきた。

朝の散歩でのこと。

 昨夜はたたきつけるような雨だった。

 千葉では日本シリーズが霧のためコールドゲームになったとのことだが。

 いつもより遅く、7時にピーコと散歩に出かけた。昨日と違い日が差していたので、

色づきかけた 紅葉も色が鮮やかに見える。

 日が森に差し、その間に霧があるような幻想的な光景もカメラにおさめた。

 そんななかでのこと。今まで雲でつつまれていた浅間山姿を現した。

 なんと上半分が雪で覆われている。初冠雪の浅間山を目にした瞬間であった。

 デジカメのシャッターを思わず押した。

 昨日の天気予報で、上信地方の山には雪が降ると言っていた。

 下界の激しい雨が、浅間には雪をもたらしたのだ。

 ここ数年、何回も軽井沢に足を運ぶようになった。

 しかし、こういう決定的な瞬間を見ることは初めてだ。

 収穫のある朝の散歩だった。(10月23日)

 

 今回の滞在の大きな目的は、ここで携帯が使用可能かを確認することである。

 今まで、tu−kaを使用していたのだが、我がP&Fでは圏外となり、使用不可能であった。

 しかし、docomoとauが使用可能であることは確認していた。

 娘といずれdocomoに買えようかと話していた。

 しかし、電話番号が変わること、解約すると様々違約金がかかることがあり、そう簡単に

進められるものではなかった。

 ところが、10月1日にtu−kaとKDDIが合併するというお知らせが、8月に料金請求書

とともに届けられた。

 私は娘に「これは何かの動きがあるかもしれないよ。」と予言した。

 それは、次の請求書とともに、tukaからauに切り替えることができるというお知らせが

届いた。予言は的中した。

 10月1日の新聞紙上で、10月11日から交換できる。という発表があった。

 そして、11日にtu−kaショップに行って交換の手続きをした。

 あまりにも希望者が多いため交換手続きは、数日間で中止されてしまったのだが、

先手必勝、我が家では「au」を、今、使っている。

 そして、確かに、今、ここP&Fでauはアンテナが3本立っている。

tu−kaからのメールに対する答えは、丁寧だが、いつも同じだった。

「圏外になることは調査して確認しました。しかし、改善の予定は今のところありません。

今後の計画に反映させていただきます」というものだった。

 合併吸収される会社に、設備更新の能力はなかったということだろう。

(10月22日)

 

 雨が降っていて、だいぶ寒くなっている。炬燵に入ってのんびりしてると眠くなってくる。

 P&F渓流に植えた水芭蕉でポットに入れたままにして置いたものが水に流されて倒れたり

向きが違っていた。

 ポットから出して、直に渓流の底の土に植え直した。

 初めから直に土に植えた物は、根が着いたようで無事だった。

 土に根を張ることが大切だと感じた。

 それから、渓流の脇に真っ赤実ががなっている。小さな実の固まりが大きな房のようになり

一つの花のように見える。

 草花館のHPに10月草花が掲載してあり、マムシグサではないかと分かった。

 マムシグサ、カルイザワナンテンショウなどのc区別はつきにくいということで、

もしからしたら、カルイザワナンテンショウかもしれない。

 http://www4.ocn.ne.jp/~kusabana/FI-10-f-20041010mamushigusa.htm

 去年、この赤い木の実の存在に気付かなかったし、

 今年、花の咲いている初夏の頃にも、その存在に気付かなかった。

 新しい発見があり、感動した一日だった。(10月9日)

 

 9月17日より今日25日まで、21,22日を除いて滞在した。

 軽井沢は、秋の様相を呈していた。

 当初、P&Fの敷地内に群落をなして咲いている黄色い小さな花の名前を

探すことに努めた。

 デジカメ写真(プリントせず、ディスプレイで)を軽井沢植物園の人に見せたが

分からなかった。(実物を持参していくことがよいみたいである)

 WEB「植物園へようこそ」の検索ソフトでようやく探し当て、

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html

 軽井沢草花館の軽井沢草花情報で確認し名前を知ることができた。

http://www4.ocn.ne.jp/~kusabana/flowerinfo.htm

 その名はヤクシソウ。

 それから、渓流付近にはサラシナショウマが群落をなしている。

 これも、東京ではなかなか見ることのできない草花である。

 http://www.sas.janis.or.jp/~l7pandf/05syui1.htm

 次に、軽井沢ユースホステルの跡を探し求めた。

 http://www.sas.janis.or.jp/~l7pandf/karuizawa_yh1.htm

 ピーコの青春の思い出の地、そして、その印象が今まで消えることがなく

ここ軽井沢にP&fを建てることになった遠因にもなっている。

 後半は、このHPの作成に努めた。

 内田康夫作品の中の軽井沢は、写真と作品の引用文を掲載していたが、

ふうちゃんの所感を載せるようにした。

 そして、茜屋珈琲店をはじめ既載の内容を更新したり、軽井沢町役場等

新しい項目を起こした。

 http://www.sas.janis.or.jp/~l7pandf/asami1.html

 このHPは軽井沢に来なければ更新できないので精力的に取り組んだ。

                          (9月25日)

 鹿児島旅行から戻って、21,22日と軽井沢で過ごし、23日の朝、東京に戻る。

21日、22日ともに、恒例の朝の散歩をピーコと行う。

 昨年は、気付かなかったが、野生の草花に興味をもつようになった。

 草花の名前が何か気になり、図鑑等で調べたりしている。

 オミナエシ、オトコエシ、オカトラノオ、フシグロセンノウ、ツリフネソウ、

キツリフネ等の名前が分かってきた。

 6月の散歩でなんだろうと思っていたものが姥百合、タマアジサイであることが

分かったりした。散歩の楽しみが増えてきている。

 そんな関係で、深沢紅子美術館に行って来た。

 名前が分かってきた植物が絵に描かれていた。

 そんなものを見ていると心が豊かになってきたようにも思える。(8月23日)

 

 1週間の軽井沢滞在の前半が今日で終わる。

明日から2泊3日で、鹿児島旅行に出かけるので、今夜、ひとまず東京に帰る。

 今回の滞在は、いろいろなことを体験することができた。

 12日は、女子プロゴルフの試合を見に行った。

 NEC KARUIZAWA72というトーナメントで、72北ゴルフ行われていた。

 ゴルフをしない私は、ゴルフを実際に見るのも、ゴルフ場にいくのも初めての

体験であった。普段、テレビで見ているおなじみのゴルファーが目の前でプレイ

しているのを見ることができる。野球、サッカー、ラグビーよりももっと近くで選手を

見ることができるので驚いた。宮里藍、横峯さくら、不動裕理、優勝したアメリカの

ポーラクレーマなど実際に見てきて満足した。

 13日は、午前中は庭の草むしり。芝の種をまいて芝が育ったがその中に雑草も育っている。

小さい、草を根気よく取った。

 夕方から夜にかけて、頼まれた学校経営の事例集の原稿書き。

東京では暑くてなかなか原稿を書く気にならないが、こちらは涼しいので、そういう気力も起きてくる。

 15日は、東京へ告別式に日帰りで出かける。

 16日は 軽井沢植物園に行く。植物の名前をいろいろ教えてもらってくる。

 17日は HPの更新。

 この間、毎朝、ピーコと朝の散歩に行き、植物の観察をする。

 変化のある6日間であった。(8月17日)

 

 8月11日、やっと暑い東京を離れ、軽井沢に来ることが出来た。軽井沢で新幹線のドアが

開き、軽井沢の空気に触れたときの爽やかさが何とも言えない。

 軽井沢を肌で感じる瞬間である。そして、信濃追分へ。しなの鉄道も、夏場はお客が沢山

乗っているし、信濃追分駅に駅員さんがいたり、産直野菜の販売を農家の人がしている。

 初めて、タクシーでここまで来た。1810円だった。

 普通なら歩くのだが、あと1週間はスポーツの制限があるので(大腸ポリープ切除のため)

タクシーに乗ってみた。

 運転手さんと小泉首相の話をしてきた。

 前回、7月30,31,8月1日とこちらに来て写真の更新はできたのだが、

この日記にまでは手が回らなかった。

 今回は1週間連続で滞在する予定である。(8月11日)

 

 7月16,17,18日の3連休を利用してこちらに来た。

 途中で、軽井沢インターからすぐ近くにある浅間山荘事件の犠牲者を顕彰して建てられた

「治安の礎」を訪ねた。

 浅間山荘事件は私が社会人になる年に起きている。関係者もほとんど同世代の者たちで

あった。

 梅雨明け間近であったが湿気が多く、P&Fの地下が結露していて、ピーコと2人で雑巾で

水滴をとった。住林に連絡をして、対応策を考えた。換気扇をつけて、空気の流れを変える

ことがよさそうということであった。

 庭の芝生が育っていて、その間に生えてきた野草(雑草)をとった。

 朝の散歩では、沢山の草花を見つけた。名前が分からないものもあり、

調べてみたいと思う。(このHPで教示を呼びかけた)

 草木の名前が分かって来るに連れて散歩の楽しさも増していく。

 木になっている桑の実を初めて口にした。とても、甘くかった。

 「山の畑の桑のみを、小かごに摘んだは幻か」と「赤とんぼ」のうたにあるが、

この実のことだったのかと、初めて実感することができた。

 この次来るときは、夏休みに入っている。

 8月には1週間連続で滞在する予定である。(7月18日)

 

 6月26日(日)の夕食後、ピーコと2人でこちらに来た。

軽井沢で信濃追分に向かう電車の待ち合わせが1時間あったので、

矢ヶ崎公園の大賀ホールまで、行って来た。

コンサートは開かれていなかったが、ホールと周囲の樹木が

ライトアップしてあり、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

9時をまわっていたので私たち以外に歩いている人はなく、

デート気分を味わうことができた。

 駅への帰り道「軽井沢殺人」に事件に登場する草西老人の茜屋珈琲店を見つけた。

今回はカメラを持ってこなかったので、次回、撮影しHPに掲載したい。

 信濃追分についたのは、午後10時10分。暗い夜道を2人で、こちらまで歩くことにした。

こんな時間に、物好きと思われるかもしれないが。

 懐中電灯1本で歩いた。

 かなり早足になった。

 小動物か何かと会うかと思ったが、フクロウの鳴き声を聞いただけでだった。

こちらに向かって走ってくり車とすれ違ったのは、2台のみ。

 午後11時20分につくことができた。

普通に歩くと、1時間20〜30分位かかるところを1時間10分で歩いてしまった。

 かなりの汗もかき、体脂肪も少しは燃焼したかもしれない。

 入浴午後、ビールと焼酎を飲んでしまったので、効果があったかは確かでない。

 翌日になって鳥の鳴き声と蝉の声を聞きながらこれを書いている。

 今朝も早く起きて、2時間以上散歩した。

 振り替え休日の朝、どうしてもこちらで散歩がしたくて急遽こちらにやってきた。

これから温泉に入って、レストランで食事をして、夕方には東京に帰る予定である。

 すごく、贅沢な休日である。(6月27日《月》 午前11時53分)

 

 6月に入ってすでに半ばを過ぎている。17日の夜にこちらに来た。

17日の早朝は奈良公園

を散歩し、鹿を見たり大仏を拝んだりしていた。

 一日の移動距離が700キロを超えた。

 軽井沢の駅は霧に包まれていた。

 翌日、散歩したが緑は半月前よりはるかに濃くなっていた。

 やまぼしの花が今盛んに咲いている。

 我が家でも庭に草花を植え花壇を作った。

 庭の様子がだんだんと変化していく。(6月19日)

 

 念願かなって浅見光彦倶楽部に行って来た。浅見光彦クラブができたとき、

すぐ会員になり2200番台の会員番号を持っていたのだが、

会費未納につき「除名?」ということになってしまった。

軽井沢に来るようになって以来、家にある内田作品を改めて読み直している。

どういう訳か一度読んだことがあるはずなのにほとんど内容を覚えていない。

初めて読むような感動を味わっている。

 浅見光彦倶楽部だが、作品に出てくる小道具、大道具が展示してあり、

そのときに作品の記述が添えてある。

 私もこのHPで、「内田作品の中の軽井沢」を立ち上げ、作品に出てくる軽井沢を

写真と作品の記述で紹介していきたいと思っている。

 再度、浅見光彦倶楽部の入会手続きを済ませ、

浅見光彦倶楽部の帽子を手に入れて帰ってきた。(5月30日)

 

 振り替え休日を利用してこちらに来ている。早朝、5時前から散歩に出かけた。

 我が家(P&F)の近くにある森林を散歩してきた。

 途中で、バードウオッチングをしている人に出会った。

 キツツキ(アカゲラ、コゲラ、アオゲラ)の声が聞こえてくるという。

 その声に、耳を傾けてみると、P&Fからでも聞こえるものだ。

 P&Fの周囲にもキツツキがいて、木を突っついていると言うことが分かった。

 前回、こちらに来た連休明けの頃に比べて、一段と緑が濃くなっている。

 濃い緑が我がP&Fを覆っている。(5月30日)

 

 連休の最終日、P&Fの敷地内に樹木を植えた。P&Fが出来るまでは、

自然な木の茂る山であった。この建物を作るために切り倒した木の数は16本。

主に落葉松が多かったと思う。それを、そのまま復元することは不可能なのだが

少しでも、樹木を植えて、復元したいと思っている。

 そこで、この連休中に樹木を植えることを計画の一つに加えていた。

 つつじ、レンギョウ、ヤマブキ、白樺、ユキヤナギ等を植えた。

 ピーコがどうしても白樺を植えたいとこだわった。しかし、木が大きくならないと

私たちイメージしているような幹が白い白樺にはならないという。いつになったら

白くなるのか、ここP&Fに来る楽しみが増えたことになる。

 また、紅葉も実生を植えた。これも、白樺より小さい。木になるまでは何年かかるか?

 明日から東京の生活に戻る。今回植えた樹木が、次回来軽するときにどうなって

いるのか楽しみである。(5月8日) 

 

 2日、東京で仕事をして、夕方新幹線で軽井沢に向かった。

18時28分発の列車であったが、軽井沢まで立ったままであった。

8月のお盆にも同じ時刻の列車に乗ったが、一人だけなら何とか座れた。

5月の連休の人出のすごさを感じた。

 こちらについてみると、いいお天気で満点の星が私を迎えてくれた。

北斗七星がP&Fの真上で輝いていた。

一つ一つの星の輝きと大きさが違うので驚かされる。

 翌日、交代で東京に帰る母を軽井沢駅まで送り、車を軽井沢駅前の駐車場におき、

旧軽井沢まで散歩をすることにした。

 8時を少し過ぎたばかりだったので、まだ、空いていた。雲場池に行った。

新緑と満開を少し過ぎた桜に出会った。周囲一週を歩いた。

 湖面に菖蒲があり、花が咲いたらさぞ綺麗だろうと連想された。

旧軽井沢の通りを歩く。観光会館に行くと碓井峠見晴台までのバスの案内をくれた。

一人、往復800円。これが高いか安いか、価値観によるが

我がピーコ殿は高いという。

「車で行けるなら、明日の朝、早く起きて車で行きましょう」と提案をした。

 昨年の夏から行きたいと思っていたのだが、

雨や霧の日はバスが運休になってしまう。行く機会を逃していた。

そんなことで「今日は天気がいい」のにと言うと、

「明日もいいお天気だと言っています」との返事。

私もすぐに納得、ピーコの提案を受け入れることにした。

 中軽井沢で食事でもして帰ろうと、回ってみると、渋滞がひどくて驚く。

裏道を回って、追分に戻ってきた。

 そして、今日(4日)7時にここP&Fを出て、念願の見晴台まで行って来た。

良いお天気で、眺望がよく、いい写真を撮ることができた。

 古事記で日本武尊が「我妻や」と叫んだとされる碓井峠だが、

そのことを十分に連想できるような眺めに満足した。(5月4日)

 

 軽井沢の春を楽しんでいる。

 兄が訪ねてきて、30年前に撮った写真を手がかりにその場所を探し出すことに挑戦した。

昨年の夏ここにやって来たときに試みたがうまくいかず再度の挑戦で、私も同行した。

写真に写っているのは、酒屋、神社、学校、民宿(古い宿)などである。

 信濃追分の駅を降りてから、かなり長く歩いて18号を越えたという記憶がヒントになっている。

 18号を越えたところに西部小学校がある。ここのような気もするが、

建物が新しくなっているようではっきりしない。

神社というこで浅間神社に行くが、明らかに写真のものとは違う。

郷土資料館の人に写真を見てもらったはっきりしない。

ここの神社ではなく、諏訪神社かもしれない。ということだった。

 諏訪神社を目指して、西に向かって追分宿の旧道を歩くことにした。

レストランの奥さん、米屋のご主人に写真を見てもらったが、

諏訪神社らしいこと、学校は西部小学校ではなことが

はっきりしてきた。

 そして、雑貨屋の奥さんに写真を見せた。

 ます、はっきりしたのが酒屋の正体。

 兄の記憶では、国道18号に面して南向きだが、実際は、旧道に面していて北向き。

そして、今は食品製造販売(ジャムなど)店になっている。

 神社はもちろん諏訪神社、実際に訪れて30年ぶりのご対面(人ではなく建物とその周囲の風景)

ここは、まったく当時と変わっていないということで、兄は感激、感激!!

 学校と記憶していた広いグランドと建物は、おそらく東京のある区の保養施設ではないか。

 今はもうその区のものではないかもしれない。

周囲を何回も探し回ったがその場所を確定することはできなかった。

 古い宿については、確認できなかった。

 「人の記憶は曖昧であり、事実としての写真、

あくまでも事実を伝える」ということがわかり面白かった。

 こぶしさくらが同時に花開く軽井沢で楽しいひとときが過ごせた。(4月30日)

 

 

 春が確実に近づいている。P&Fの雪解けが進んでいる。北側の斜面が建物の日陰になっているので、

雪が残っているところがあるが。ウェルカムボード、アプローチの周囲にはほとんど雪がなくなった。

 朝の散歩時、以前に比べて小鳥のコーラスが耳に入ってくるし、容易にその姿をとらえることが

出来るようになってきた。カメラに納めようとすると、難しい。シャッターを構えているうちに、飛び立って

しまう。やっとのことで1枚だけ、かろうじてその姿をとらえることができた。逆光で、姿が陰のようになって

見えるが記念に掲載しておくことにする。今度、こちらにくるときは、月末の連休になる。

新緑の姿をカメラに納めることを楽しみにしている。(4月2,3日)

 

 3月19日、3時に起きて軽井沢に出発した。この早い時間ににもかかわらず、

スキーやスノーボードを積んだ車が何台も高速を走っていた。ノンストップ、松井田妙義経由で

2時間45分で到着した。こちらでは、到着と同時に、春が確実に訪れていることを感じることができた。

 2週間前雪に埋まっていたウエルカムボードが雪から顔を出していた。前回雪掻きをしておいた

駐車場とアプローチの階段は雪が解けていて、快い状態で使用することができた。

 雪掻きの成果をこの場で実感することができた。

 朝は、時間をかけてオナーズヒルの中を散歩した。外に出ると、小鳥たちのコーラスがどこから

ともなく、聞こえてきた。冬の頃より、多くの声がにぎやかに聞こえるように感じた。

 新しい家が出来ているのを確認したり、浅間山の風景を眺めながら2時間程度を費やした。

 (3月、19日、20日)

 

 3月5日の午後から6日まで1泊2日で滞在した。

 前日の4日は、東京でも雪が降り辺りが白くなっていた。

 軽井沢でも積雪があり、3日から出かけたピーコと桃は雪かきで大変だったと言っている。

 6日(今日)目覚めると、2センチくらいの雪がベランダに積もっていた。

 車に積もった雪をほうきで払い、壁のようになっているアプローチの雪を崩して道幅を広た。

 さらに、西側の水道栓のあるところに出来ている雪の壁を崩して、水抜きの作業がしやすいように

した。

 それから、ピーコと散歩に行った。

 浅間山がよく見えたが、青い空が春のようにかすんでいた。そして、雪が解けた道路から

湯気が立ちこめていた。雪の中にも春を感じることが出来た。(3月6日)

 

 3連休なので、こちらにやってきた。前回の来軽以来、

あまり大雪が降っていないようであった。

でも、駐車場の周辺とアプローチを確保するための雪掻きは、必要であった。

 午後、東京から友人がやってきて一泊した。温泉に行った。浅間山が綺麗に見えて満足して

もらえた。彼は北海道の出身なので、雪に囲まれた風景が懐かしいようであった。

 翌日、堀辰雄記念館と追分郷土資料館を案内した。午後は、旧軽井沢と思っていたのだが

急に寒気におそわれ、軽井沢の駅で失礼してしまった。

 この間に、わかったことだが、我が家にいると感じないのだが、床の上を歩くと足の裏が寒く

なってくることだ。堀辰雄記念館でとくにそう感じた。床下からの寒さを直に感じると言うこと

のようである。我が家の床下には、ものすごい厚さの断熱材が入っているとピーコが言ってい

る。なるほど高冷地仕様とは、そこまで配慮しているということが分かった。

 それから、うちに帰って食事以外は寝て過ごした。

 寝ていても、部屋から見える雪景色は趣がある。

新しい椅子が届いた。写真 (2月13日)

 

 久しぶりに軽井沢にやってきた。この前来た以後、記録的な大雪が降ったので、こちらの

様子を確かめるのと、ウインターフェスティバルの氷彫刻展を見るためである。

 大雪の影響はまだ残っていた。駐車場のスペース、玄関までのアプローチがすっかり雪で

埋まってしまっていたので、まず、そのスペースを確保するために雪掻きをしなければならな

かった。雪掻きの道具が車の中に置いてなかったので、私が長靴で雪を一歩一歩踏みしめながら、

家までたどり着き、道具を持ってくるところから始めた。

 ズボッズボッと雪を踏みしめることは、気持ちがよかったが、長靴が雪で埋まりそうになった。

雪掻きは普段使わない筋肉を使うので、体のいろいろなところがだるくなってしまった。

 雪掻きを終え、午後に軽井沢駅近くの矢ヶ崎公園で行われている氷の彫刻展に行った。

 アニメのキャラクターを氷の彫刻にしてあった。

 それからケーキデザインコンテストが行われていた。

 子供たちから夢のケーキのデザイン(絵で表現)を募集し、入選者を招待し、パティシエ

とともにデザインした夢のケーキを作るというのである。

軽井沢にはケーキの店が多くあり、パティシエの多く働いているという町の特色を生かした

すてきなイベントだと感じた。(1月29日) 写真

 

 朝起きてみたら、昨夜降った雪のため、雪の花が咲いていた。我がP&Fのフィックス窓ごし

に雪の花が咲いている。おなじみの景色になったが、いつ見ても軽井沢にいるという実感を得

ることができる。外に温度計を出してみたら、マイナス6℃であった。マイナスの世界が身近な

ものになったような気がする。(1月10日)写真

 

 軽井沢駅南口のアウトレットへ行った。中軽井沢のスーパーへ行くことになっていたのだが、

娘がアウトレットに行ってみたいというので、軽井沢まで足を延ばすことにした。

 ほとんどの店舗が衣料品を扱っている。

 私は何となくお付き合いという感じである。

 たまには、家族とこういうことがあってもいいか。

 衣料品やアクセサリーを見てはいたのだが、買ったのは、信州名物の「おやき」だけ。

 目の保養、ウインドショッピング等を我が家では昔から、

 「買わないもの」と言っている。

 「買わないもの」で、ひとときを過ごした、軽井沢の一日であった。(1月10日)

 

 ADSLの設定を完了し、ADSLが使えるネット環境が完備した。

 ここに至るまでには、次のようなドラマがあった。

 昨年の暮れ、P&F用にパソコンを購入することになった。

 ほとんどの店で、今、パソコンをADSLとセットにして売っている。

 ADSLの契約を同時にすれば、パソコンの値引きをするという売り方が多い。

 そこで、あるパソコン販売店で、お気に入りのパソコンが見つかり、P&FでADSLが利用

できる環境にあるか念のため調べてもらった。

 「ADSLが使用可能なネット環境は、電話局との距離が至近でなければならない。」

ということがあるからである。東京のような都市では、何の問題にならないことであるが、

長野県のような地方では、このことが大問題になる。

 我がP&Fでは、中軽井沢の電話局から10キロあるので、ADSLは使用できないと

いうことが分かったのである。

 これでは、電話回線を使うか、時代を逆戻りさせようなISDNを使うしかないのだろうか?

 会社のHPの更新をしている、オナーズヒル軽井沢のWさんに相談した。

 Wさんが、電話回線を使って、HPの管理をしているとは思えなかったからである。 

 Wさんは、長野県にあるの農協系のjanisというプロバイダーを紹介してくれた。

 長野県は、電話局からの距離が離れているところ多いので、

そういうところでもADSLが使えるプロバイダーがあるといことであった。

 Wさんをはじめ、オナーズヒルにも利用者が複数いるとのことだった。

 そこで、暮れのうちに申し込み、年が明けて、今日、使用可能となったわけである。

 今日、ADSLをパソコンの設定を行い、開通させることができた。

 この日記もそうしたADSLを使ってUPしている。(1月8日)

 

 箱根駅伝の2日目。ここ数年泉岳寺駅前で直接観戦していた。

このHPにも写真を掲載していた。

 しかし、今年は軽井沢からの直接観戦は絶対に無理。

 そこで、初詣に行くことにした。と言っても散歩をかねてである。

 軽井沢大橋・・・1985年頃には軽井沢の秘境の一つであり、

           内田康夫の軽井沢殺人事件の舞台になっている・・・・・・・・

の近くにある天狗社というほこらである。

 いつも散歩のときの休憩場所になっている。

 雪の道を歩いて軽井沢大橋まで行くのは、ちょうどよい運動になる。(写真)

 ところで、年末年始の休暇も終わろうとしている。明日は東京に帰る。

 次回は、8日からを予定している。そのときにはADSLが使えることになる予定である。

 今回は、ここにいて、FROM KARUIZAWAのページを軌道に乗せたことが、一つの

収穫である。では、また。(1月3日)

 

 今朝は南側のベランダに足跡を発見した。昨日、ベランダの雪かきをしたところに

霜が降りて、その上に足跡がついていた。だから、霜が降りてからやってきたことに

なるので、明け方に動物が現れたのだろう。

 裏の山からベランダまで雪の中に足跡が続いている。

 一度、その正体をこの目で見たいと思うが、ここを通っている証があるだけでも

心が和んでくる。(1月2日)写真

 

 新年を軽井沢で迎えた。昨夜は雪が降っていた。

朝になってベランダを見て驚いた。

足跡があったからだ。

 裏の山から、玄関のところを通り、ベランダに出て、

そこを通り抜けて渓流に水を飲みに行ったと思われる。

 12月の中旬に、ベランダに緑色をした小動物がいるのをピーコが目にしている。

おそらく、そのものの足跡と思われる。

 二階から、外を見ると渓流の近くに足跡らしきものが多くあった。

 雪が降った後、何もない白いところに多くの穴のようなものが点在している。

 ここに住む先住民たちの活動の場がここ(我が家を通り抜ける渓流)にある。

 彼らとの共生を考えていきたい。

 新年早々、楽しくなる発見であった。(平成17年1月1日)写真