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大連から長春へ旅行した2005年5月末、何と往復の飛行機が大幅に遅れてしまった。行きは11時間、帰りは3時間の遅れ。おかげで予定はすっかり狂ってしまった。その時、中国人の友人が言った言葉が「計画没有変化快」だった。
直訳すると、「変化は計画より早い」ということになるだろうか。計画はあくまで計画で、現実は何が起きるかわからない、ということ。中国語で言われると、「まったくその通り」と妙に納得してしまい、怒りも収まってしまった。
笑いを取るときなど、比較的よく登場してくる言葉。「炒ヨウ魚」はクビにする、「老板」は社長のことで、「私が社長をクビにした」と言う意味になる。「我給老板炒ヨウ魚了」ともいう。
本当にクビになった時と、別の会社に転職する時にも使われる。いかにも面子を重んじる中国人らしい言葉で、クビになっても胸を張って、「オレの方から社長をクビにしてやったのさ」。 私も日本の会社を辞めて中国に来たことを中国人の友人話したら、「炒老板ヨウ魚了」と大笑いされてしまった。
「ku子」はズボン、「放屁」はオナラをすること。従って、直訳は「ズボンを脱いでオナラをする」ということになる。その意味するところは、「わざわざ無駄なこと(面倒なこと)をする」である。
中国の友人がこの言葉を言ったのは、ゴミの出し方の話をしていた時だった。私が「ゴミは、台所の生ゴミと一般のゴミを分けて出している」と言うと、その友人は笑いながら、「脱ku子放屁」。中国ではゴミを分別して出さなくてもいいので、生ゴミであろうと、燃えるゴミ、燃えないゴミであろうと、すべて一緒の袋。「なぜそんなに無駄なことをするの」と不思議がられてしまった。そう言われてみればそうなんだけど!?
新聞記事を翻訳していて、はたと困った。「石を投げて路(道)を聞く?」。いつも使っている3つの辞書にも載っていない。ひょっとして四文字熟語の成語かな、と思って調べたらあった。元の意味は、暗闇で前が見えない時、石を投げて、その反応によって前方の状況を知るということ。それを、探りを入れる、探索する、打診する、という時に使われているようだ。中国人には常識の言葉だというが、“素人中国語使い”にとっては、やたらと解明に時間ばかり費やした4文字だった。
この「投石問路」が新聞記事に使われていたのは、伊万里市が特産の「三水梨」を大連で売り出したニュース。新聞記事曰く、「三水梨の売れ行きがよければ、伊万里市は伊万里牛、伊万里焼きも中国進出させたいと考えている」。そして、「投石問路」の役割を担っていたのが三水梨だったのである。しかし、石を投げるのは物騒だから、せめて「投梨問路」にして、梨があたったら食べさせてもらいたいものだ。
「あの二人は、性格がよく似ている。どっちもどっちだね」。けんかした友人二人について、中国人の友人にコトの顛末を話していたとき、「中国では、『魚找魚、蝦找蝦』と言いますね」と教えてくれた。魚は魚を探し求め、エビはエビを探して、魚とエビは一緒にならない、という意味。どちらかというと、けなし言葉になるようだ。日本で言う「同類は同類を呼ぶ」「同じ穴の狢(むじな)」の類い。私もそんなことを言われないように、エビの友達を探すことにしよう!
若い人が目上の人にほめるときの言葉。直訳は「ショウガはやっぱり古い方が辛い」となるが、日本流に意訳すれば「さすがに、亀の甲より年の功ですね」といったところだろう。年齢を重ねてきた人は経験が豊かで、知識も豊富にあり、的確な判断を下し、アドバイスもできるからだ。
中国料理はショウガをたくさん使うので、こんな言葉が生まれてくるのだろう。しかし、この話を聞いていた日本の友人が、「ショウガは古い方が辛いのでしょうかね」と怪訝な顔をした。そういえば、新ショウガもけっこう辛い。そこで、今度は中国の友人に聞いてみた。すると、「ショウガは古い方が辛いのは当たり前。信じられないのなら、今年と去年のショウガを食べ比べたらいい」と一蹴されてしまった。
あまりきれいではないうえ、女性にはわかりにくい話題で恐縮。これは高速道路の男性トイレに掲げられた標語(?)だ。直訳は、「近付いて用を足せば、文明も近付いてくる」。
小用を足す時、便器から放れ過ぎると、床面が汚れるので、なるべく便器に近付いてください、という注意書き。日本でも見かける「一歩前進」の類である。噛み砕いて言えば、「マナーを守って、便器に近付いて用を足しましょう」ということになるのだろう。 しかし、マナーを呼びかける文章に「文明」の文字が登場してくるところが、いかにもスローガンの国らしい。こうなると、「あすへの文化、文明」に向かって、一歩も二歩も前進したくなってくる。
「お嬢さんの誕生、おめでとうございます」という意味の祝い言葉。「千金」は他人の娘さんに対する「令嬢」「お嬢様」という敬称で、「女の子は千金にも勝る宝物」ということを表している。ちなみに「坊ちゃん」は「貴子」(gui zi)という。
三上吉彦さんは、友人や同僚に子供が誕生すると、スーパーマーケット「家楽福」で電動モップ式掃除機(168元)を買い、この「祝ニイ喜得千金(貴子)」と、「這是我的礼物」(zhe shi wo de li wu=贈り物)などの言葉をカードに書いて贈ることにしている。 中国では原則的に「一人っ子」なので、「千金」か「貴子」のどちらかになってしまう。それだけに子供は大切な宝物であり、大事に育てられている。そんな子供たちを「小皇帝」(xiao huang di)とも呼んでいる。
大連ソフトウエアパークの日本総監・三上吉彦さんが、同僚の中国人と出張で日本を訪れた時の話。東京の駅構内で三上さんが「中国のように、日本には唾や痰を吐く人は一人もいないでしょう」と、説明したとたん、近くにいた日本人男性が「ぺ−ッ」と唾を吐いた。
立場がなくなってしまった三上さんに、中国人同僚が慰めたのがこの言葉だった。「林子大シェンマ鳥都有」。だだっ広い林にはいい鳥も悪い鳥もいるよ、という意味。中国語は、機智に飛んだ言葉が実に豊富だ。
大連鉄道学院の老師(先生)が授業中に教えてくれた言葉で、直訳は「天には龍の肉、地上にはロバの肉がある」。ロバの肉はとてもおいしい、というたとえ話であり、「天にはとてもおいしい龍の肉があるが、だれも食べたことはない。その代わり、地上にはそれと同じくらいおいしいロバの肉があるじゃないか」という意味だ。そう思うと、大連の街中で生ゴミや廃油を満載した荷車を引いて走るロバもおいしそうに見える!?
![]() 「天上的龍肉、地上的驢馬肉」によく似た表現方法で、「空には天国あり、地上には蘇州、杭州あり」との売り文句だ。蘇州と杭州は地上の天国、楽園であるとの最高級の自慢であり、褒め言葉でもある。「上有天堂、下有蘇杭」のあとに「應該去看々」(見に行くべき=ying gai qu kankan)を付け加えてワンセットの言葉として使う。蘇州、杭州の人たちが、胸を張ってこの言葉を口にする姿が浮かんでくるようだ。 ![]() 知人の中国人青年が日本の会社に就職して、半年ぶりに大連へ帰省してくることになった。久しぶりに会って、いろいろと話をしたかったが、彼の家は大連から遠く、私と会う時間はとれない。そこで彼がメールに書いてきた言葉が「来日方長」。 「来日」は将来のことで、「方長」はまだ長い、の意味で、「この先はまだ長い、何かやるには時間が十分ある」という成語。彼が言いたかったのは、「今回は残念ですが、まだ先は長い。これからも会うチャンスはいくらでもあります」ということだった。 そういわれると、残念という気持ちは薄れ、「じゃぁ、今度会える時を楽しみにしよう」と思えてくるから不思議だ。つくづく言葉は生き物だと思う。 |