
西尖山
(xi jian shan=約150m)
(2004年4月11日=濃霧)
▽ガイド 黄海に面してせり上がり、山海の自然が満喫できる
▽交通 路線バス406、901路などの「東北財経大学前」、路面電車202路の「弘基書香園」で下車
▽ルート いくつもあり、山頂に延びる山道をたどれば頂上に着く
■またもや濃霧に視界遮られ
穏やかな陽気に誘われ、日曜日(4月11日)に単独ハイキングへと出かけた。行き先は、黄海の海岸に面した西尖山。昨年6月3日以来、2回目である。
前回の山行は、SARS騒動の影響を受けて大連鉄道学院を休学していた時で、霧が立ちこめ展望はほとんど効かず、おまけに大連水産学校のキャンパス内に迷い込んでしまった。だから、海岸沿いにせり上がる山からの景色をどうしても見たかったのだ。
私が住んでいる住宅地の「幸福小区」は半島のほぼ中央に位置する内陸部。きょうは青空がのぞいて期待を持たせる。海岸に出る路線バス「711系統」に乗ってバス停を2つ、3つと進むに従って空の様子が怪しくなってきた。大連医科大学のバス停に着いた時は、空も周囲も霧に包まれていた。
山からの展望は絶望的だろうが、せっかく来たので、「霧もまた良し」と思い直し、予定通り西尖山を目指すことにした。大連医科大学から路線バス「406系統」に乗り換え、バス停3、4つ先の東北財経大学前で下車。時間は午前9時55分。ここから幹線道路の黄河路を横切り、路面電車「202系統」の「弘基書香園」駅の横から広い道を南へと進んだ。
5分ほど歩いたところで、道幅が狭くなり、ここから左手の山道へと入った。視界は50メートルほどだろうか。北側の街並も霧のとぎれとぎれに見えるだけである。この山一帯は墓場になっているようで、墓碑がところどころに群れとなって建てられている。
その墓碑は、日本の彼岸と良く似た清明節(4月5日)が過ぎたばかりなので、造花や生花が飾られ、お金を意味する紙が墓碑に束で置かれている。本来ならば、この紙を燃やして祖先が現世へと戻ってくる旅費にしてもらおうというものだが、山で火を焚くことは厳禁なので、束にして置いてあるのだ。このお金の紙が、風にあおられ、松の木に引っかかっていたり、斜面に散乱したりしている。自然の美観は損ねるが、これも致し方ないことである。
松林の急登に息を切らせて一気に登り詰めると、岩肌の山頂に出て来た。午前10時10分、歩き始めからわずか15分での頂上である。残念だが、展望はまったく効かない。北側の街部だけが霧の切れ間から時折、見えるだけだ。でも、霧に閉ざされた漁船のエンジン音、海猫の鳴き声が、想像力を高めさせてくれる。
頂上の一角には、屋根のない壁面だけの建物がある。中をのぞくと、「極楽浄土」「阿弥陀仏」「弥勒仏」「観世音菩薩」の文字とともに、仏像の絵が描かれている。大連は比較的、仏教とのかかわりは少ないように思えるが、この西尖山はラマ教に近い仏教の聖地なのかもしれない。
ここから西の方角へと下山。少し下りたところで、水産学校へと続くきれいな歩道に出た。これを横切って山道に再び入り、5分ほど登ったところで三角の鉄塔に出て来た。この辺が西尖山の西隣にある山の頂上だが、地図上に名前は記されていない。日本だったら、どんな小さなピークにも、それらしい名前がついているが、中国はおおらかなのか、名前のない山もけっこう多い。たまたま出会った中国人の青年に、「この山は何と言う名前ですか」と聞いたが、答えはやはり、「我不知道」(しらない)だった。
山頂付近の岩場に生えていた低木に、桜のような花が咲いていた。この名前も青年に聞いてみたところ、「桜花」だという。確かに桜のようだが、日本で見かけたことはない。すくっと伸びた枝に白っぽい小さな花をつけていて、ソメイヨシノやヤマザクラとは趣が違う。樹高は1.5メートルほどで、控えめな可憐な姿が逆に周囲の風景から浮き上がらせている。
日当たりのよいところには、黄色い花が咲いていた。花びらはニガナに似ているが、草丈は2、3センチほどしかない。松の樹間には白っぽい花、そして紫のスミレもある。小鳥たちもいつになく、にぎやかにさえずっている。シジュウカラがツッピーン、ツッピーンと元気な声を上げ、キジの高らかなケーン、ケーンという鳴き声もこだまする。山全体が早春のたたずまいを見せ、自然界の命の始まりを感じさせてくれるのだ。

霧は一向に晴れる気配はない。ここまで来たら、海を見たいと思い、南へと続く道を下りることにした。
大連の山のいいところは、ルートがいくつもあり、カンを頼りに歩いても、道に迷うことはほとんどないことにある。この日も、ほんの少しの先さえ見えない濃霧に包まれていたが、下って行くうちに潮の香りが強くなって来た。やがて打ち寄せる波の音まで聞こえ、判断に間違えはなかったようだ。
足下を見ると、約30メートル下に浜辺が続き、海藻がゆらゆらと波間に漂っているのが見えた。霧が晴れていれば、山と海の取り合わせが、素晴らしい景色となって広がるのだろう。楽しみは次回の「三度目の正直」に預けることにしよう。
帰路は、水産学校の寮の西側に昨年、完成したばかりの歩道を登り、先ほど西尖山から西隣の山へ入る時に横切った場所に着いた。ここから歩道を真っすぐ歩いて帰るルートもあるが、西尖山の山腹を巻いて伸びる右手の山道へと回って下り、午前11時45分、車が激しく行き交う黄河路と路面電車202系統が交差する登山口へとたどりついた。そこには集合住宅も密集し、自然味豊かな山塊と一線を画した都市の風景が広がっていた。
都市機能と棲み分けながら山域と海岸部が広がる大連。西尖山は、そんな環境の素晴らしさを実感することができるのである。
写真は上から
霧の切れ目から、ほんのわずかに見える街並
お参りのあとのお墓
山頂には仏の像が鮮やかな色彩で描かれていた
山頂付近に咲いていた花の数々(4点)
黄河路と路面電車が交差する登り口