私説ヤマハ・ミニ・ツイン縁起
僕とヤマハ・ミニツインとの関係です。
プロローグ
僕が、ヤマハ・ミニ・ツイン、つまりAT90から始まる空冷2ストローク90CCツインを初めて見たのは、1979年頃だ。
近所の大学のバイク置き場に放置されていたキャンディ・レッドのHX90を見たのが、おそらく最初だったと思う。
一番の印象は、とにかく小さくてかわいいエンジン、だった。その頃、僕はホンダのCB50JX−1を持っていたので、CBの4スト・シングルよりも小さく見える2スト2気筒エンジンのシリンダに特に惹かれたのだ。HX90自身も明らかに125クラスより小さく纏まって見えたし、僕の知っていたHXの後継にあたるRD90なんかよりはるかに魅力的に感じたのを憶えている。
もっとも、この頃の僕は、HXを旧車としてはみていなかったからだろう、すでにその頃すでに時代遅れだったフロントのドラムブレーキやフォークブーツについてはあまり感心しなかった。これでディスクブレーキがついて、フォークブーツが無ければ最高なのに、と思った。少なくともスタイルそのものは決して時代遅れではなかったのだ。
僕は、こいつが欲しい、と思った。けれど、いかに放置されている(しばらく乗られていないらしくホコリが積もっていた)とは言え、ナンバーも付いているから、勝手にもっていくわけにもいかない。
ナンバーは県内のある町のものだったので、僕はその町の役場に持ち主を問い合せてみたけれど、教えてはもらえなかった。
もっとも、教えてもらったとしてもはたして商談が成立したかどうかはわからない。その頃の僕はいわゆる浪人でお金には充分不自由していたのだから。
というわけで、結局このHXについては諦めざるを得なかった。
第1章:ヤマハ・スポーツ90 HS1
さて、これから2年くらいはHXについてはすっかり忘れてしまっていた。翌年、なんとか大学に入った僕はさっそくホンダの400ccを手に入れて、90ccに対する興味はなくしていたのだ。
そんな、大学2年の頃、オートバイのサークルの先輩がどこからかゴールド・メタリックのHS1を見つけてきて整備していた。僕はそれまでHS1のことは知らなかったけれど、そのエンジンには見憶えがあった。あの、「とにかく小さくてかわいいエンジン」だったのだ。
先輩に少し乗らせてもらった。初めての90ツイン。とてもスムーズで、そしてきびきびした印象だった。それから何度か、路上でHS1を見つけた事があった。しかしどれも現役であり、オーナーも、譲る気はない、と言う事だった。それはそうだろう、放置しているならともかく、そんな古いバイクを使っている以上、何等かの思い入れがあるのだ。
しかし、しばらくしてチャンスが訪れた。
休みに実家に帰っていた僕は、友達のクルマの助手席から、自転車屋の店の前にあのエンジンのバイクを見つけた。メタリックブルーのHS1だ。
僕は家に帰って、すぐにその自転車屋に電話をかけた。
「あの、店先のヤマハは売り物ですか?」
自転車屋の主人はこう答えた。「あれは、売り物じゃないよ」
「あ、そうですか・・・」
「でも、欲しいならあげるよ」
「え?!」
もちろん、僕はさっそく自転車屋へ向かった。
その店内には、自転車の他に、かなり程度の良いヤマハのRD50と、FT−1と、ジッピーが置かれていた。昔、ヤマハのバイクを扱っていたのだという。
自転車屋の主人によると、HS1はその頃のお客さんが自転車購入の下取りに持ってきたのだそうだ。たしかにその自転車屋のステッカーが貼ってある。もちろん、その当時ですでに15年近く経っていたわけだから、引き取った、ということだろう。
さて、そのワンオーナーのHS1は、もちろん各所に15年近いキャリアを伺わせるものだったけれど、グローブカバーが付いていたせいか、クラッチ・レバーはスムーズに動いたし、キックすると圧縮も充分、全体として基本的にはしっかりしている印象だった。前のオーナーについては訊かなかったけれど、ノーマルのアップハンドルとグローブカバーや、純正のキャリアからすると、年配の人がトランスポータとして使っていたのだろう。走行距離は13,000キロを示していた。
僕が、「近日中に引取に来たい」というと自転車屋の主人は「置く場所が無いから、店の前だよ。無くなっても知らないよ」というので僕はその場でトラックを持っている友達に来てもらわなければならなかった。
タダで、というのも気が引けたのでそう言うと、販売証明に2000円、で話がついた。しかも、前オーナーに連絡してキーが有ったらもらってくれると言う。そして後日、キー(ハンドルロック用も!!)を手に入れる事ができたのだ。
その日のうちにHS1を引き取って、すぐに友人のうちでエンジンを掛けてみた。その時まだイグニッション・キーは無いから、キー・アッシからのソケットを調べてトグルスイッチを使って即席のイグニッション・スイッチとした。
バッテリーは12Vだったので、クルマのものを使って、まずはキック一発。あっけなく90ツインは息を吹き返した。
鋭いピックアップ。もちろんCB50の4スト・シングルとは較べものにならない。あたりまえだけれど。
HS1はタコ・メータを持たないから、点火パルスから回転を調べる(友人のうちは自動車整備工場だったので)と軽いレーシングで7000回転くらいまでヒュンヒュン廻る。
古くなった2スト・オイルが燃える匂いが辺りにたちこめた。
この後、2年ほど通学や遊びに使った。もちろん、グローブカバーとキャリアは外し、ブリッジ付きのハンドルはGR50のセミフラットのものに替えた。
このHS1は、たまにギア抜けし「ウオーン」と雄たけびをあげるのも気に入ったし、比較的多めの白煙も新鮮な感じだった。操縦性の素直さもいい。最高速度はメータ読みで105q/h。
このロング・ストロークのツインはうまくすればスロットル操作でウイリーができるくらい低速トルクがあった。しかも不思議なことにピーキーでもあり、中速域からの伸びも楽しい。
フロントのドラム・ブレーキはシューを新品に替えても、おそろしく効かなかったけれど、馴れるとそれなりの走りができることがわかった。
HS1のおかげで、片道5キロほどの通学はとってもエキサイティングなものとなった。町乗りには最高なのだ。
ちなみに、HS1のあとでしばらく乗ったスズキGT100はHS1に較べると決して褒められたものではなかった。一口に言うと大味すぎたのだ。
大学を卒業するとき、就職する4月まで約1か月間が暇になったので、この機会に少し手を入れる事にした。
エンジンを下ろして、フレームを洗浄し再塗装。
だいぶ色褪せていたタンクも再塗装したが、そのブルー・メタリックにホワイトのピン・ストライプの入ったタンクの、ホワイト、シルバー、クリアブルーからなる三層塗りには驚かされた。ホワイトのラインは、下層の全面塗装だったのだ。新車では大型車でもすでにタンク・ラインは、ステッカーがあたりまえだった。それに、HS−1はたかが90CCだ。
僕だって再塗装はホワイトとブルーメタリック+クリアでお茶を濁したのに。
ベースが腐っていたシート、破れてきたフロントフォークブーツ、クラッチワイア、減ったポイント、ピストンリング、ダイオードむき出しの整流器、ウインカ・リレーなどは、ヤマハの代理店でパーツを仕入れた。先輩が欠品だといっていたタンク・エンブレムもなぜか手に入った。代理店のストックかもしれない。サイド・カバーのチェッカーフラッグをモチーフにしたステッカーはだめだったけれど。代理店のパーツ・リストにはHS90で標準装備になるタコ・メータ(オプションか)も記載されていたけれど、僕のHS1のクランクケースのケーブルの取りだし口は初めからキャスティングで埋められている。どうやって付けたのだろう。
灯火器類の新調は、現行のヤマハ・メイトと同じなのでいつでも手に入るだろうと思ってやめた。
こうして軽いレストアを受けたHS1は、1985年から1年間、主に遊びに使われた。ミニ・ツイン(その時はリトル・ツインと呼んでいた)の集まりにも参加した。数十台からなる、ヤマハ・ミニ・ツインとスズキ・ウルフなどの集まりで、奥多摩湖にでかけた。僕のHS1は他のHS1と較べても充分に速く、エンジンの調子も良い事がわかった。これは嬉しい事だった。
このあと、HS1は僕の部屋にオブジェとして置かれ(あの寮の部屋にバイクを持込んだのは僕が初めての筈だ)、1990年に再度分解されて実家の僕の部屋の中で再びその快音を響かせる時を待っている。
第2章:ヤマハ・スポーツRD125
僕としては、このRD125をミニ・ツインというかどうかには、いまは懐疑的ではある。125のツインは比較的ポピュラーで、RD125やRG125は、比較的最近(1982頃?)まで輸出向けに製造されていたはずだし、ホンダのCB/CD系は4ストではあるがいまも健在である。
もっとも、この種の2スト125ccツインがこれから製造されるかというとそれはきわめて考えにくいので、とりあえずここに入れてみた。それになにより、僕はミニ・ツインとしてRD125に触手を延ばしたのである。
HS1を路上から引き上げてしまうと、幾許かの寂しさが感じられた。
そんなとき、とある整備工場にHS1が置いてある、という話を聞いた。
売り物かどうかもわからないけれど、僕は冷やかし半分で見に行った。同好の士ならばそれはそれで楽しかろう、というわけだ。
実際、その持ち主は同い年くらいの人で、モト・グッツィの350を駆るひとだった。HS1に関しては譲ってもいいとのことだったけれど、30000キロ以上を走破したそれは大分くたびれていて、あまり魅力的ではなかった。他に何かないか、と尋ねるとRD125があるという。程度もHS1より良く、値段もリーズナブルなものだったので、購入することにした。
このRDは1977年型で、直線基調のスタイルをもつものだ。
僕はそのくすんだ赤のRDをいじることにした。その直線基調のスタイルが、一昔前のイタリア風(70年代のモトグッツィ?)だったので、外装を明るいイエローに、メッキ部を艶消しの黒に塗装し、スワロー・ハンドルとバーエンド・ミラーを付けた。あとはバック・ステップがつけばいい。しかし、この頃の小排気量車に共通する構成である、フレームの外側にスイングアームが取り付けられる構成は、バック・ステップの取り付けがきわめて困難であり、しばらくその方法を考えていた。
ところが、その前に難問が生じた。フロントの油圧・ディスク・ブレーキのフェードである。とにかく、一度フル制動すると、もう全くダメ。ブレーキの弱いバイクには馴れていたつもりでも、あれは悪夢である。特に、下り坂などでは一つ前のコーナーではそこそこ効いていたブレーキが、次では全く無くなってしまう(効かなくなるというレベルではない)のだから、何度か心臓がせりあがるような目に遭わされた。
しかも、HS1に較べれば年式も新しく5割も馬力の多いRDは結構速い。実際このピーキーな125ツインは、そのパワー・バンドでは充分にエキサイティングなものなのだっただけに、タチが悪い。(もっとも、その排気音はリード・バルブ特有の品のないもので、あまり好きにはなれない。僕はこと排気音については4ストでも4バルブのものより2バルブの方が好きだし、2ストの場合もピストンバルブの方がリードバルブよりいいと思っている。2ストの場合は排気音というより吸気音かもしれないけれど、たとえばカワサキのピストンバルブ・トリプルの音なんてとてもいいと思う)
決定的だったのはパッドを新品に交換しようにも、古いパッドが錆びついて取れないことだった。
僕は、こいつを手放す事にした。RDはHS1とは明らかに異なった乗り味を僕に与えた。少なくとも町乗りとしてのバランスではHS1が勝っていると思う。
このRDにRZ125あたりのフロント系を移植して、モンキー・Rあたりのステップを付ければ、それはそれできっと面白いのだろうが・・・。
僕は出入りのタイア・ショップの個人売買のボードに、僕が買った時と同じ値段を付けて依託した。「誰か好きものが買ってくれるだろう」
しばらくして、売れた、と言う連絡が入った。もう、廃車済で譲渡証も付けておいたので新しいオーナーと会う必要はない。それでもタイア・ショップの人に、どんな人が買っていきました?と、訊いてみた。
すると驚いた事に、その人は僕にRDを売ったその人ではないか。
彼は、そのRDが以前自らのところにあったものだと気付いた上で買ったのだろうか。彼とはそれからも会っていないのでこれは未だに謎である。
でも、買ったあとで各部をじっくり観察したならきっと気付いたと思う。自分が所有して整備した事のあるバイクだ。
オートバイ乗りとはそういうものだろう。
第3章:ヤマハ・スポーツHX90
最初に書いたとおり、HX90は僕がミニ・ツインに興味もつ根源になったモデルだから、いつか必ず乗りたい、と思っていたモデルだ。
だから、もちろんいつも気にしていた。雑誌の売買欄には必ず目を通してリーズナブルな価格と地域(さすがに九州や北海道では旅費や運送費が馬鹿にならない)の売り物には連絡した。そして「もう、売れてしまったんです」と言われ続けていた。
でも、僕には、いつか必ず手に入る、という確信のようなものがあったから、じっと待っていたのだ。
僕は、まだHX90には乗ったことがない。だからいま、心配なのは、HS1とどう違うのだろうか、ということだ。僕のHS1の評価はきわめて高いものだけれど、なんとか同程度の印象を僕に与えてほしい。RDの失望感はもう味わいたくない、というのが正直なところなのだ。
(これは雑誌のプレゼントが当たったという連絡をもらった直後にそれまでを思い起こして書いたものです。そして、このあと、HX90を引き取り走れるようにすることになります…。)