36.草の根で活躍する人たち


■□■変化■□■

日本にいると、海外のNGOはどのような活動をしているのか把握することが難しい。今回特にそう感じたのは、資金提供を受けながらも使途不明金が多く、友人たちからもその活動の在り方に疑問の声が上がっている一方で、資金提供がなく活動資金のやりくりを必死に行っているが、友人たちからの活動に対する評判が良いということがあったからだ。

私は今まで、海外のNGOに対する資金提供が本当に有効なのか、何に使われているのか把握することが難しく、疑問を抱いていたために、長い間、どのNGOの会員にもならずにいた。会員にというお誘いがあっても、入会しなかった。それは、私が直接、目に見える形で関わりたいという気持ちがあったから。しかしその一方で、個人に何ができるのだろうかと考えていた。

だから、現地の知人が言うように「あの人は資金を受けるのが上手い」ケースがあっても、二十歳を過ぎた頃の私のように憤ることはなかった。「ああ、やっぱり・・・」という気持ちのほうが正直なところだ。今回の滞在の結論から言うと、遠く離れた国から、どのようなプロジェクトを実施しているのかを把握することはとても難しいということだ。私は学生の時、NGOスタッフの現地訪問や教員の視察場面に居合わせたことがある。NGOでは、成功例を語り、成功例の現地を案内していた。これでは本当の活動が伝わらないではないかと疑問を抱いたのは、23歳の時。今私は思う。それは、もう、仕方がないこと。資金提供を受けているのに、「このプロジェクトがうまくいかなくて・・・」とか「これはうまくいかなかったため継続していない」などと報告はできない気持が、わかるようになった。

1997年に共に生活をしていたスタッフが、現在責任者として活躍している。独立してNGOを設立し、活躍している人がいる。海外からの資金提供を受けずに国内のNGOから期限付きの資金提供を受け、その先のことを案じながら活動している人がいる。共通するのは、彼らが「人々のために働くのだ」という意識を明確に抱いている点である。この記録にも、時々、活躍するNGOスタッフや女性ワーカーが登場しているが、2008年春の滞在記の最後に、今回最も感銘を受けた人物を紹介したい。

■□■事件■□■

当時、NGOの現地職員としてA地域で生活をしながら活動していた彼は、ある日、「土地の所有権に関して村で話し合いを行う」ために村を訪れたところ、地主から激しい抵抗にあい、地主に投げられた石が後頭部に当たり、流血。入院治療することになった。
大変だったのはその後だった。警察が事情聴取ために病院に来る。NGOの現地事務所に来る。チェンナイ事務所にも来る。インドでは警察に賄賂を支払うことが多々あり、その地主も警察に賄賂を支払い、このスタッフを訴えたのだそうだ。

驚いたのはNGOの経営者だった。警察沙汰になるなんて、なんていうことをしたのだと驚き、下した判断は、「彼がこれまで滞在していた地域の事務所を閉鎖し、彼を別の地域に異動させる」ことだった。しかし彼は、これまで培った地域の人々との信頼関係を壊したくない、努力して繰り広げてきた活動を止めたくないという気持ちで移動を拒んでいたのだが、その願いは聞き入れられなかった。

彼は私やスタッフと共同生活をしていた頃に弁護士になる勉強をしていた。彼曰く、「人々と共に活動をしていて感じたことは、彼らの問題は法律が関わることが多い」ということ。そして、「弁護士たちは、必ずしも抑圧されている人たちの立場に立つとは言えない」ということだった。弁護士に交渉しても相手にされないことが多かった彼は、「それなら自分が弁護士になろう」と奮起して、猛勉強の末、見事司法試験に合格したのだった。

その彼が、活動中に怪我をし、地主から彼の活動が訴えられたのだった。
しかし残念ながら、その時彼が所属していたNGOは、彼を守ってくれなかった。
所属していた弁護士会が、裁判所の前で彼の活動の正当性を訴える大きな集会を開いたのだが(新聞記事にも掲載されるほど大きな集会だった)、すぐ近くにあるNGOオフィスからは、誰も参加しなかったという。この事件が起きてから、決着がつくまで、誰一人として助けてくれなかったそうだ(ただ一人、「少しだけ助けてくれた」先輩がいたようだ)。

地主からわいろを受け取った警察は、彼を訴えるために「事情聴取」を行ったそうだ。当時、彼は結婚をしたばかりで、妻は妊娠中。彼が入院している間にも警察官が自宅に事情聴取に来るため、妻は毎晩泣きながら、NGO活動は二度としないよう彼に訴えていたのだという。その時に話し合ったことは、「もし有罪になり服役をしなければならなくなった際には、その期間中、安全な実家に帰り、子どもを産み育ててほしい」ということだったという。

当時の新聞記事を見る限り、この事件は私の想像を遥かに上回る大事件だったようである。本件に関して、アムネスティインターナショナルの本部にもレポートが送られていたのだった。
結果、彼は訴えられずに済み、同時に所属していたNGOも退職。退職と同時に現地事務所も閉鎖されたが、彼は自らNGOを設立し、この事務所を彼のNGO事務所として契約し直し、これまで住んでいた地域で活動を継続しているのだった。

■□■熱意と共に■□■

弁護士としての活動は、「これまでソーシャルワーカーとして活動していた頃より活動しやすくなった」と言う。現在彼が取り組んでいるプロジェクトは、土地問題である。行政が土地のない人々に対して無償で土地を提供し、その土地を耕して野菜を作れば栄養状態が改善される、余剰分は市場で売ることもできると見込んだ事業があった。しかし土地を手にした人々には、野菜の苗を購入する資金がなかった。銀行に行っても融資を受けることができない。そこで向かったのが、ハイカーストのところだった。

苗を購入した人々は、畑を耕すための道具がないため、再びハイカーストに借金をした。度重なる借金の申し出に、やがてハイカーストは、彼らにいくらかの土地代を払い、それと引き換えに彼らの土地を奪った。当時何も疑問を抱かなかった人々は、いずれ使い果たしてしまう少額の土地代と共に土地を引き渡したため、畑を耕して野菜を作ることができず、栄養状態が改善されることもなく、現在もなお、貧しい生活をしているのだった。

そこで、弁護士となった彼が活躍する。彼はNGOで働くソーシャルワーカーであり、法律の専門家だ。地主からどんな事を言われても、圧力をかけられても、それが法律に違反しているのか否かを判断できる。そして、村の人々が抱える問題を法律に則して解決できるのであれば、その情報を住民に提供するのだ。行動するのは住民。しかし専門的な知識を与えるのは彼の役目。こうしたアプローチは、弁護士になる前にはできなかったことだと彼は言う。

また、異なるカースト同士の結婚の際に「弁護士として」証人になることもあるそうだ。インドでは宗教、言語、カースト、生年月日など様々な条件が適合した人と「お見合い結婚」することが多い。最近では「恋愛結婚」も増えているが、両親から反対されることもある。その多くが、「異なるカースト同士の結婚」だ。私が一年間滞在していた当時、スタッフだった女性が恋愛結婚をすると言った際にも、大変だった。当時チェンナイで共に生活をしていた際に知り合った、私と同い年のスタッフは、NGOの研修で知り合った彼と恋に落ちたが、彼はヒンドゥ教徒でハイカースト。彼女はキリスト教徒でカーストには所属しない。条件が合わないと言うことで彼の両親から猛反対され、「二度と顔を見せるな」と宣言されたのが最後。結婚式にも彼の家族は出席せず、子どもが生まれた現在も、彼の実家には訪問していないという。

弁護士として活躍する彼のNGOで働いているスタッフの兄も、同様の問題を抱えていた。ある日彼がスーパーに出かけると、レジを担当していた女性に一目ぼれ。その後毎日スーパーに出かけ、恋に落ち、いよいよ結婚という時、ハイカーストである彼女の両親が反対したのだった。それでも、彼らは両親の反対を押し切って結婚の道を選択した。だから彼らは挙式をしない。役場に婚姻届を提出するという、「書面での結婚」だ。役場に書類を提出する日、私もその場にいた。きれいなサリーをきた彼女とNGOスタッフの兄は、書類と証明写真を提出し、弁護士の証明書を添付。その他多くの書類を準備し、役場の窓口に提出をした。その際には新郎側の家族が、その場にいる行政職員や人々に菓子を振る舞い、花嫁と花婿に大きな花輪がかけられた。周りの人は拍手。どうやらカメラマンを呼んでいたようで、その場で二人の写真撮影があった。

■□■人々と働く■□■

「弁護士として、できることは何でもするのだ」という彼は、このNGO運営にかかる資金を集めるのに苦労している。時には遠方の村まで出かけるが、村に出かけるにはガソリンが必要だ。スタッフに支払う給料は、決して良いとは言えない。事務所の家賃や光熱費も支払い、家族を養っていかなくてはならない。「活動地域も広げたいけれど、それには経費がかかる。現在、資金を受けているのはチェンナイにあるNGOからで、あと1年という期限付き。この先、どうやって資金を集めたら良いのか」というのが彼の悩みである。

弁護士事務所で働けば、収入には困らないのでは?という私の質問に、彼も同様のことを考えたことがあるが、「NGOワーカーとして、地域で人々と共に働くことを決意したのだ」と語った。彼は、この地域ではちょっとした有名人のようで、「住所が間違っていても名前で郵便物が配達されるよ」とのこと。住民の立場に沿った彼の活動は何度かマスメディアに取り上げられ、地元の新聞にも掲載されている。

これまで私が出会った人たちは、自らの生活が苦しくても、地域のために、人々のために、人々と共に活動をしていた。早朝から深夜まで、休日を問わずに働くその姿があった。特に、以前共に生活をしていた友人たちが独立し、あるいはNGOの責任ある地位に就いて活躍している姿に出会うことが多かった今回の滞在。
そんな彼らに共通しているのは、活動資金が不足していること。決して大きなNGOではないのだが、地域で活動するには資金が必要だ。今後、彼らの活動はどのように変化するのだろうか。数年後、この記録にどのような記録が書き足されるのか。何か変化がありそうな予感と共に・・・今回の滞在記は終わります。


■ またお会いしましょう!