31.人々の力強さ


■□■元気良く!■□■

日本人は過労・・・というが、ここ、インドのNGOスタッフも激務である。フィールドスタッフの責任者は、早朝から深夜まで、ひっきりなしにかかってくる携帯電話と、スタッフの「ちょっといいですか」のやりとりに追われていた。昼食後、ようやく一息ついたかと思えば、例えば車で14時にでかけて、村や支部事務所をいくつか訪問し、プロジェクトの進行状況を把握。帰ってくるのは21時から22時。その後、夕食を食べ、夜の紅茶(チャイ)を飲みながらディスカッション。「ちょっと村に出かけよう」という「ちょっと」は、日本と異なる。「近くの村」が車で往復7時間かかる。村の滞在時間より、車に乗っている時間のほうが長いのだ。だから、活動範囲は「この3つの地域」という「地域」は、とても広い。

ある日、夜9時を過ぎた車の中で、まだ10代のスタッフが「家に帰りたい」と言った。私たちはあと一つ、村を訪問する予定だった。しかしそれを聞いた責任者は、激怒した。採用の際に最初に確認するのは、「この仕事は9時から17時までの定時の仕事ではない。フィールドワークというのは、時間で区切れない。時には休日も働くことがあるが、それでも良いか?」ということだった。「その時にYESと言ったではないか!!!」というのだ。「そんなことを言うならもう明日から来なくていいから、もう降りなさい」、という責任者。「帰らないから次のフィールドに一緒に行く」、という彼女。そのやり取りが続いた後、結局、彼女の村の近くを通りかかった際に、彼女を降ろした。もちろん彼女は翌日出勤したが、これは特別な話ではなく、スタッフはいつも、休みなく働いているのである。こうした姿を見ていると、過労死という言葉が流行った日本よりも、ここ現地スタッフのほうが、はるかに過労なのではないかとさえ思えてくる。

今回に限らず、ここのスタッフと共に生活をしていた10年前の共同生活でも、彼らは何てハードワーカーなのだろうと思っていた。特に村を訪問する際には、深夜まで村で話し合いをし、帰ってきてからスタッフミーティング。泊り込みで村に滞在することは、珍しくない。10年前、「こういう仕事は、家族が嫌がっているんだ(自宅に帰ってこないから)」という声が何人かから聞かれたが、そうしたスタッフが今も元気に働いていた。フィールドが好き、人が好き、というスタンス。定時では終わらないんだよ、という先ほどの言葉は、私たち日本のソーシャルワーカーにも当てはまる。地域や人と関わることは、容易ではない。困難にも立ち向かい、早朝から深夜まで休みなく元気に活動しているスタッフ。元気良く、前向きに。。。

■□■責任者の仕事■□■

フィールドオフィスの責任者の仕事は、多い。抱える課題も多い。例えば朝は6時から、庭掃除などのスタッフを取りまとめる。研修施設を使った研修生が投げ捨てたペットボトルの回収、ビニル袋の回収、お菓子の食べかすが散らかっていて、アリがたかっている椅子の掃除・・・。「回収されても良い場所に、まだペットボトルが残っているではないか!あれから一時間、一体、何をしていたの?!・・・え、お喋り?!何してるの!・・・ほら、ちょっと、そこ!」という具合に、指示して歩く。どうも、労働の様子が、日本と少々異なるようだ。

大変なのは、スタッフのマネジメント。効率的に仕事をするように・・・。担当プロジェクトの把握はできているか、今日のトレーニングの段取りはできているか、配布物は用意できているか・・・。意外に、用意できていないことが多く、朝になって大慌てで配布物の内容を検討したり、買いに出かけることが多いのである。例えば配布物は、綿の手提げに、ノート、鉛筆、消しゴム、鉛筆削り、折りたたみ傘、懐中電灯、NGO発行の雑誌などが入っている。夜間の村の訪問時、外灯がなく真っ暗な道を歩くのは危険なので、懐中電灯。折り畳み傘を持っている人は少ないので、傘を。NGO発行の読み物は、そこに書いてある情報が村の人に伝わるようにという願いを込めて。

そして次は、村で活躍するスタッフのマネジメント。これが一番大変。何故なら、一人が約9〜11の村を担当する体制の現在、そのスタッフが月にどれくらい村に足を運び、人々と話し合い、村の状況を把握しているのか、わからないから。ミーティングで「月に7回訪問している」と聞いていても、いざ村を訪問するとココナツを植えた土地は荒れ放題で、スタッフなど全く来ていないという住民の声を聞く。そこでスタッフミーティングを開き、村を訪問し、人々の声を聞き・・・「まずこれをして、次に何をして、それからこうして・・・」と責任者は話をするのだが。問題は、こうした村レベルのスタッフは、特にソーシャルワークなどの専門があるわけではなく、村に入って仕事をしたいという気持ちがあるわけでもなく、「ただ、仕事が欲しい」という気持ちで来る人が多いそうである。そんなわけで、責任者は毎日、頭を抱えているのである。その他にも、NGOの現地プロジェクトの進行状況を把握しチェンナイオフィスに報告したり、村での問題解決のために朝から晩まで走り回る。・・・あっという間に、一日が終わるのである。

■□■女性の力〜共済組合〜■□■

今回、女性の力強さを感じたのは、新たに女性共済組合を立ち上げたという話を耳にし、活動を見学した時のこと。一口100ルピー(約300円)を払い、会員になり、資金が必要になった際にはここから借り入れることができる。身分を問わず、女性なら誰でも参加できる。昨年11月にスタートし、8ヶ月経過時点で、メンバーは502名。8月には700名に達し、この勢いだと3月には1000名になるのではないかということである。

この資金は、結婚持参金など返済不可能なものに対しては貸し付けることはなく、何か事業を始める(そこで得た収入で返済可能)ということに対してのみ、貸し付けるそうである。例えば、ヤギを2頭、1000ルピーで購入。半年後にはメスが2頭の子を生む。一頭2000ルピーで売れるので、2頭なら4000ルピーを手にすることができる。メスを売らずに、そのまま飼育すれば、メス2頭それぞれ2頭を宿すので、4頭生まれる・・・ということ。また、学校近くに文房具・コピー・電話ショップを開いた女性もいた。あるいは、バナナの葉を器用に編み、マットとして出荷。彼女はなんと一日に100枚作るので、一日200ルピーの収入になる。10日で2000ルピー。かなりの高額収入になる。

この女性共済組合事務所にも、コピー・ファックス・電話ショップがある。事務所がある周辺の村にはこうしたコミュニケーション手段がないことと、村に寄宿舎制の学校があるため、平日はもちろん、休日はこどもたちが親に電話するので「収入」としてはスムーズな運営につながっているとこのと。時には、村のトレーニングセンターのおやつの時間に、手作りのおやつ(スナック・・・揚げ菓子)をつくり、人数分を売ることも。ある日、とても激しい雨が降り、近くの人たちが雨宿りをしていたところに、ちょうどおやつを作っていた組合の女性が、一ついかがと販売したところ、これが大盛況だったようで、1個2ルピーで44個販売し、スコールの間の数時間で88ルピーを売り上げたという。この事業に関わる女性たちの姿は誇らしげだった。ちなみに市場で、ミネラルウオーター1リットル13〜15ルピーである。

■□■女性の力〜手芸技術〜■□■

一時期活動停止していた手芸教室が、復活していた。2年コースで手芸の技術を身につければ、都市の布やさんで働くことができる。ここでは、自分で好きな生地を選び、男性はシャツとズボンを、女性はサリーのブラウスなどをオーダーメイドして仕立ててもらうことが普通である。だから、手芸の技術はとても大事。私が訪れた時、彼女たちは教会のホールで学んでいた。ランチョンマットほどの大きさにインドの伝統的な柄や、クリスマスに向けてクリスマスツリーやエンジェルの柄を刺繍する。布の周辺のステッチも手作業で、一枚完成するのに3日ほどかかるという。インドの布はとても丈夫で、石の上でたたいて洗濯しても、すぐに穴が開くことはない。だから、こうしたクロス(布)は使い勝手がよい。ランチョンマットの他にも、シーツやテーブルクロスなど様々なバリエーションがあり、自分で好きな図柄を刺繍してもらうこともできると言う。例えば、この、手作りのクロスを自分のオリジナルデザインとして作ってもらえたら、ステキ。例えば結婚式のナプキンとして、引き出物として、日常使いのリネンとして・・・。お気に入りの絵柄が、絵画のような刺繍として仕上がるなんて、とても贅沢だと思う。

私も、この滞在で初めて知り合ったご夫妻に、お土産として作品を頂いた。このご夫妻の妻は、この村を創設し開拓してきた方(故人)の娘さんであり、私と同世代。結婚を機に、この村に住み込んで活動しているという。この村の創設者は、1997年の滞在時に亡くなった。その創設者と共に活動してきた女性のスタッフも、数年前に亡くなった。そしてこの村に関わっていた私の恩師も、今年の春に亡くなった。・・・世代交代。彼らの遺志を引き継ぎ、若い人たちが、頑張っている。私もいつか、こうした活動の手助けになるようなことができたらと思う。

■□■人の変化、NGOの変化、地域の変化■□■

あっと言う間の滞在であったものの、村の人も変化し、村も変化し、それに伴い、NGOのアプローチも変化していた。村の活動に携わる者(スタッフ)も、組織も、共に変化している。そして何より、今回は、若い世代の活躍を眼にし、国は異なるものの、共に頑張ろう!という気持ちが強く芽生えた。日本にも、日本独自の、地域の課題がある。「いつかインドも、日本のように少子化、過疎過密、高齢社会になるだろうから、異なるわけではないんだよ」という言葉があった。また、雨季ではないのに毎日激しいスコールと、地響きがするほどの雷に「おかしいよね、いつもはこんな気候ではないのに。今年は変な気候だよ」という、日本でも言われていた言葉が、ここでも聞かれた。

日本に暮らす、インドに暮らすというのではなく、同じ地球で暮らす者として、それぞれの地域で精一杯取り組み生きていきたい。


■ 次は・・・<続編>2008年・春