29.人々の生活の変化


■□■変わる生活■□■

○●○携帯電話○●○

人々の生活の変化で大きく変わったことは、携帯電話を持つ人が増えたこと。ここでは、ノキア(NOKIA)という会社の携帯電話がポピュラーのようだ。いつでもどこでも、電話が鳴る。会議中でも、移動中でも、仕事中でも。マナーモードにすれば良いのだけれど。日本にもポケベル、PHS、携帯電話が普及したての頃は、こんな感じだったなあと、ぼんやりと思い出した。電線がない村で、電話を設置するのではなく携帯電話を使うようになったという話をいつか聞いたことがあるが、私が滞在した村では、それほど携帯電話の普及はしていなかった。そのかわり、NGOスタッフは、ほぼ全員、携帯電話を所持していた。フィールドオフィスと、村のワーカーとのやり取り、あるいはフィールドオフィスとその支部とのやり取りが容易になる。作業の効率化にもなるようだ。

携帯電話の良いところ・・・日本と違い公衆電話がほとんどなく、自宅にも電話がないという状況の村では、携帯電話は役立つものだ。例えば、村に出かけたスタッフとのやりとりが携帯電話でできれば、「一度オフィスに戻って、上司に聞いて、また来るね」ということがなく、その場で電話をかけて結論を出すことができる。また、「次の村に行く道程で、スタッフのAさんを乗せて行こう」という時に、今、どこにいるのかお互いに把握しやすい。日本と大きく異なるのは、インドの村の道には信号がなく、左右は広大な田畑と山。時々、家や小さな店が集まった村が出現するが、そこを通り過ぎると、再び、何もない「道」が続くという点である。つまり、「あの道沿いの、小さな店の横にあるコーヒーショップの前の大きな木」で待ち合わせをしても、出会えないことがある。そんな時、携帯電話はとても便利。(それでも、5時間も会えなかったということがあったけれど・・・)

○携帯電話があればよかった!〜会えなかった人〜○

私が一番会いたかった人。それは、もう家族的なお付き合いをしている、村で働くワーカーさん。このページにも何度か登場している彼女に会って、人生の話を聞きたかった。しかし私は、会えなかった。彼女の家には電話がない。まず私は、日本からハガキを書いた。郵便物も、届かないことが珍しくないが、届くことを期待して、私は書いた。そして、テェンナイにいる友人に、私の訪問を知らせ、ぜひ村のワーカーに伝えて欲しいと連絡をした。後はチェンナイに到着してからアレンジするしかない。いつも、そうだったから、今回も同じ。

こうして、チェンナイ事務所に到着。チェンナイにいる彼女の息子が携帯電話を持っていることがわかり、早速連絡。「ぜひ、伝えて!」と知らせ、「O.K.,オーケー」という彼の言葉を信じて、いざ、村のトレーニングセンターへ。そこでわかったことは、つい先日、「長男の嫁の妊娠」に伴い、家事手伝いのためにバンガロール(Bangalore)に出発したということ。帰宅は12月か1月!会えないではないか・・・。

彼女が出発したのは、土曜日。私が村に到着したのは、月曜日。もう少し早ければ・・・。チェンナイの息子は毎週末に村の自宅に帰省しているため、もう少し早ければ、連絡が届いたはず。このすれ違い。気を取り直して、それでは私がバンガロールに向かいましょう、ということになったものの、「バンガロールにいる息子の携帯」を通じて彼女と話すのも困難を極めた。息子は深夜まで仕事をしているため(自宅に居ないため)、なかなか彼女本人と話することができなかった。直接話ができたのは1週間後。私が出した葉書は届いていないようだった。ああ、やっぱり・・・。私が滞在している村からバンガロールまで、頑張れば列車かバスで日帰りできる。私は会いに行くつもりだったが、彼女の息子の家は、バンガロールから「はるか遠い村」にあるようで、それは困難だった。都市部では情報機器が発達していても、村ではいまだに、コミュニケーションがスムーズにいかない。

○●○冷蔵庫と電子レンジ・オーブン○●○

これらの普及ももまた、大きな変化であった。冷蔵庫は、チェンナイ市内の知人宅にも設置され、オーブンも「買ったの!」という人が増えた。冷蔵庫に比べれば、オーブンはまだ少ないかもしれないが、確実に、人々の生活は変化している。例えば今まで圧力鍋でご飯を炊いていた人が、レンジで調理をするようになる。30分かからずに出来上がる圧力鍋を選択せず、オーブンで1時間以上かけて調理している(う〜む)。また、忙しく仕事をする女性は「作り置き」をして、冷蔵庫に保存するというように冷蔵庫を活用をしている。人々の生活は便利になったようである。

○●○恐るべし、電気蚊採りラケット○●○

電気といえば、大発見したのが、「ラケット型の蚊採り」。蚊取り線香でもなく、リキッドでもなく。テニスラケットのような蚊採り。なんと、握り手には直接コンセントに挿しこみ充電できるような器具が付いている。ラケットの網の部分に通電(!!)するようになっていて、私たち人間は充電済みのラケットをぶんぶん振り回す。すると、飛んでいる蚊に当たり、「バチッ!!」と、光と音を立て、蚊は死んでしまうという、少々恐ろしい器具である。乳幼児が網に触れたら感電するではないか!!「危ないでしょう?」と話をしている最中に、知人の夫が間違えて網に触れてしまった。大きな音と共に「痛い!」という声。ほんの少し触れただけなのに、指先が真っ赤。腕全体にしびれが走り、ずっと指先がしびれているという。危ない!!!。恐ろしい!!!「蚊取りラケット」が流行なのか、あちらこちらの家庭で見かけられたのであった。

■□■変わらない生活■□■

変わらない生活・・・。主に、村の生活。都市の生活は急速に変化しているのに対し、村の生活はほとんど変化がない。先ほど述べたように、村でも携帯電話を持つ人が増えたかと思うと、そうでもない。村では、自宅の電話や携帯電話を持つ人が少ないため、連絡は「直接会いに出かけて用件を伝える」か、「人に頼んで伝言」するか、「手紙を書く」か。・・・私が以前から滞在していたワーカーの家には、新しい冷蔵庫があった。訪問すると真っ先に「見て見て!買ったの!」と、嬉しそうに見せてくれたが、それでも、やはり村では、冷蔵庫を設置する家庭は珍しい。しかも、確実に冷蔵(冷凍)することは難しい。何故なら、一日に何度も、停電があるからだ。時には、何時間も復旧しないこともある(それは昔も今も同じ)。だから食べ物が悪くなることもある。そんな中で、変わったのは、一日に数時間しか水が出なかった「水道」が行政設置のミニタンクにより供給時間が延びたこと。以前のように、一日2時間の供給時間に水を求める長い行列を見なくなったことである。

大きな出来事は、村の人が身につけてきた薬草の知識が、今も活用されていること。そしてその知識が、村の内部だけでなく、村の外部、ハイカーストの人たちにも伝えられているという点が、私を驚かせた。今までは、村の女性が、診療所に行けない・行ったとしても診療費を支払えない、等の理由で、村に伝統的に伝わる薬草の知識を身につけていた。ハイカーストから診療所に来るなと追い返されたり、医師が診察してくれなかったり、ということの結果であった。しかし今は、そのハイカーストが、薬草を処方して欲しいと村にやってくるそうだ。ある時には、街から医師がやってきて、薬草の知識を教えて欲しいと女性に頼んできたそうである。また、こうした薬草の知識を若い世代にも伝えようと、若い女の子に指導しているそうであるが、ハイカーストの女の子が「私にも教えて欲しい」と頼んできたとのこと。今は一緒に薬草の知識を伝授しているそうである。「医師が、私に、『教えて』って言ったの。私は医師に教えてあげたのよ」と誇り高そうに話してくれた。

■□■変わらない生活でも、人は変わる■□■

このように村で産婆や薬草を使った保健活動をしてきたある女性は、文字を読むことすらできなかったという。彼女が小さい頃、母親が村で産婆の役割を担っており、その手伝いをすることで自分も産婆の技術を身に付け、その後薬草の知識を身に付けたそうだ。ハイカーストの人たちが、病院に行っても治らなかったという病気が、ダリットである彼女が処方した薬草で治る。今までは、自宅に入る際には履物を脱ぐように、同じ食器で水を飲まないように(手で受けて飲むように)と言われていたのに、今はそのハイカーストから「先生(お医者さん)」と呼ばれている。ハイカーストも、そうでない人も、感謝の気持ちを込めて、彼女の処方に対してお金を支払ったり、物を差し出したり、しているそうである。

私に話してくれたあと、彼女は私のノートに「自分の名前を書く」と言って、誇らしげに名前を書いた。

字を読めなかった、書けなかった彼女は、自分の年齢を知らない。多分60代だろうとスタッフは言った。


■ 次回は・・・村での活動<action>