28.<続編>2007年・夏


■□■10年は短いようで、やはり長い〜人と社会の変化〜■□■

初めてインドに滞在したのは1994年。その後数回訪印し、一年間滞在したのは1997年。その長い滞在から10年が経過した。2004年は、「初めてインドに滞在して10年」記念の滞在だった。・・・津波の年。あの津波の混乱を眼にし、ソーシャルワーカーに何ができるだろうかと考えた、あの時間。

私は、今度は日本の地域を見つめたいと考え、教員を退職した。そして、かねてから関心があった食と色(カラー)の知識を身につけ、食を通じて地域の人々と何かできないか考え、いざ、実行!を目指していた・・・。

ところが、思いがけず、一度あきらめた「社会福祉と社会開発」に取り組める機会を得た。それは全くの予想外で、2007年4月から、私は再び学生になった。今回の滞在は、10年間の「村の環境や人々の変化」を探るべく、聞き取りをするという目的の滞在だった。前回の滞在では、直接村に向かったため、NGOオフィスに立ち寄らなかった。私がお世話になったNGOスタッフとの再会は、1997年以来の10年ぶり。人も、街も、変化していた。

■□■街は変化したのか?■□■

インド南部の都市、チェンナイ(旧マドラス)。チェンナイに向かう飛行機は、今までは、肌の色が黄色い・白い人、つまり他の国の人だろうと思われる人が非常に少なく、肌が黄色い私は、機内でも、空港でも、とても目立っていた。しかし今回、ビジネス・観光それぞれに、多くの国からチェンナイに訪れている様子が伺えた。これが、「ちがう!」と感じた、最初の瞬間。

そして、交通渋滞。

空港から街へ出て行くのに、渋滞で車が進まない。それどころか、チェンナイの街はいつも交通渋滞。ラッシュアワーである時間帯には、通常の2倍の時間がかかった。1時間かかるところが、2時間以上。特に夕方は、スコールで道路が洪水になり、そのため余計に車が進まない。コンクリートの道路ではなく、土の道は、どろどろで、車がスムーズに進まないのだ。そして何よりも、排気ガスによる空気汚染で、気分が悪くなってしまう。窓ガラスがないバス、オート、そしてエアコンがついていない車が多い。車内は暑いので窓を閉めることができない。タオルで口をふさいでも、排気ガスは身体に入ってくる。ガスの臭いでクラクラしてくる。それだけではなく、排気ガスの影響で、目が痛くて仕方がない。

いつのまに、これほどに渋滞するようになったのだろうか。確か2004年は、こんな思いをしなかった。・・・この3年で??ふと目をやると、どこかで見た形の車が走っている。「あ、ネパールで見た、ミニバス!」・・・聞けば、交通渋滞緩和のために導入されたそうである。バイクタクシーのようなオートは、2、3人乗りで20ルピー(約60円)くらいから。このミニバス(乗り合いタクシー)「シェアオート」は、行き先が同じなら一人5ルピー(約15円)で乗れる。安いし、渋滞緩和のためにも良いそうである。

■□■10年ほど前の「未来予想」■□■

さて、町の様子。渋滞緩和のための対策として、あちらこちらで高架建設中である。前回、美術館前の通りにも高架が建設されていたのだが、その高架建設が、街のいたるところに見られた。高架ラッシュである。そういえば、ずいぶん前にタイのバンコクでも、渋滞緩和のための対策をとっていたことを思い出す。日本も高度経済成長の時期に、公害問題が深刻になった。水質汚染、空気汚染・・・。この渋滞の中で、マスクをして歩く人の姿が3,4人いた。ほとんどの人たちは、何もしないでバイクに乗ったり、歩いたり、交通整理をしている。いつか体調が悪くなってしまいそう。マスクと言えば、ベトナムでも、カラフルなマスクをしてバイクや自転車に乗る人たちが多かったなあと思い出した。何処の国でも、同じような経過をたどるのだろうか。

そして思い出したのは、始めてインドに滞在した1994年のこと。クラクションを鳴らしながら走る車の音と人々のざわめきが入り混じったこの街で、私たちクラスメイトは「10年経ったら、高層ビルができているのでは?」「日本は経済的に追い越されるのでは?」などと話をしていた。その約10年後に、こうして訪れることになった私。眼にした光景は、あまり変わらない光景だった。あの当時、本当に、10年経過したら東京・・・とまではいかなくても、それなりの高層ビルや建物が建築され、女性はサリーを着ずに洋服を着るのではないかと思った。今も、少しずつ変化しているものの、街の様子は大きく変わらず、サリーやスリダール(長いワンピースにズボンを組み合わせたもの)を着る女性が多い。時々、ジーンズにシャツ、あるいは短いワンピースを合わせた若い女性を見かける。それにショートヘアの髪型も増えていた。「まだ??」と思ったのは、1994年に建設を始めていたビルが、いまだに建設中だったこと。マンションか、店か、何かを建設するようで、大きくて高いビルのようだが、天井ができていないので、どのくらいの高さになるのかわからない。それでも、少しずつ変化している街の様子が感じられた。特に印象的なのは、2004年には、きれいになったと感じられた道が、再びゴミが増え、道端で生活する人の姿をよく見かけるようになったこと。当時、観光客や裕福層で占められていたショッピングセンターが、家族連れや若者で賑わっている。手をつないで歩く男女の姿もちらほら見受けられる。しかし、経済が上向きな一方で、路上生活を余儀なくされる人もいる。経済成長とはいえ、貧困層が増えているのも、また事実。

変わったこと・・・高架建設ラッシュ、交通渋滞、排気ガスによる空気汚染、若者のファッション。貧富の差の拡大。

■□■仲間の変化■□■

街が変われば、人も変わる。当時、共に過ごしたNGOのスタッフの変化。もちろん私も変わっている。様々な出来事に遭遇し、経験し、乗り越え、今がある。

スタッフは・・・噂で「辞めたらしいよ」と聞いていた人たちが、再就職して戻ってきていたり、退職して自らのNGOを立ち上げて活躍していたり、結婚して家庭を持っていたり。あるいは、家族の死、ダウリー(結婚持参金。それは結婚後も続く)問題で金の工面をどうしようかと悩んでいる仲間も。また、当時、共に過ごした仲間が、組織やプログラムの責任者になっている。日本で言う、「出世」をしている人もいるし、自分で(貧しい人のための)学校を立ち上げ、校長になった人もいた。

10年経っても、ダウリー問題は深刻なんだよ、と話してくれた。特にある地方では、日本円で何百万円という額を払わなければならないケースが今も残っているし、貧困層だけではなく裕福層は裕福層ならではの、より高額なダウリーを要求されることがあるという。特に有名女優など、芸能関係者なども、ダウリーで悩み、時には自殺してしまうとのこと。村のスタッフが、今度結婚する。それなのに、泣きそうな顔をして、ダウリーを払えない・・・と言う。結婚することで家族に迷惑をかけてしまうというのだ。結婚イコール幸せかというと、そうでもないのかもしれない。

10年。つい最近、滞在したような気がするが、こうしてお互いの近況報告をしていると、10年の長さを感じた。お互いの生活、仕事、人生に、様々な出来事があった。何よりも、現在、活躍している様子を耳にすることができた時に感じた、彼らに対する誇り。村で何ができるか、私たちは何をすべきか、いつも話し合っていた仲間が、独立するという夢を果たし、今は組織の責任者、代表者になり、活躍している。それは私の大きな誇り。そして、私も頑張らねばと心新たにした滞在であった。


■ 次回は・・・生活の変化